東の神殿にて*3
神の力の欠片を無事に回収して、一行は罠の通路の手前まで戻った。神殿に入ってすぐは人間に荒らされており良い気分はせず、そして、罠の通路の中では到底気が休まらない。
……よって、隠し扉の奥、罠の通路の手前、という位置が、一行の休憩場所となった。
「いやー、綺麗ですねえ、綺麗ですねえ……この青い色がすごくいい!」
パクスは目をきらきらと輝かせて、神の力の欠片を見つめていた。パクス以外の面々もまた、同じようにこの結晶を美しいと思っていたが。
「……ちょっとだけ、ガーディウムの目に似てますね」
「ああー……そうだな。氷の層みてえな色で……」
ガーディウムの瞳は、魔物の国の長く厳しい冬の色であった。分厚い氷と化した湖の色だ。……正に、この神の力の欠片のような色であった、とソルは思う。
「さて……問題は、これをどうするか、だな」
ソルは少々感傷に浸りかけた意識を呼び戻して、より現実的な問題と向き合うことになる。
「こいつから魔力を取り出すには、術者の負担がデカい。姫様の様子を見る限り、姫様の力量があっても3日は掛かるもんらしいしな。んで、下手に途中で止めたり切り上げたりって訳にもいかねえらしい」
神の力の欠片には、莫大な魔力が封印されている。これだけの大きさの宝玉に莫大な魔力を封じてあるがため、その封印は強固であり、また、魔力は固く固く固められ、すぐさま取り出せるようにはなっていないのだ。
そして……急激に魔力を得たならば。それは、術者への負荷となる。レリンキュア姫がそうであったように、体の内側を魔力に食い荒らされかねないのだ。
「魔法が得意な魔物が魔力を吸い出すべきだと思うんだよね。そうなると、私が」
「……お前は駄目だな。だがパクスも駄目だ」
「なんでですか!?馬鹿だからですか!?」
「うん……ほら、向き不向きっていうものがあるから」
ひとまず、アレットとパクスには不適だろう、とソルは判断する。
アレットは今後も騎士団長を動かすために働く必要があり……パクスは、魔術に不向きなのである。『この宝玉を齧って食え』といった命令であればパクスにもこなせるかもしれないが、繊細な魔術を扱え、という命令にはあまりにも不適なのだ。
「となると、私かヴィアか……ってところかい?」
「だな。あとは、俺か……」
ベラトールの言葉にそっと自分も混ぜつつソルがそういえば、ヴィアがはっきりと挙手した。
「僭越ながら、ソル。君は残った方がいいだろう。……アレット嬢とパクスは、君が居た方がよく動けるのではないかね?」
ヴィアの言葉に、咄嗟にソルは何も言えない。確かにその通りだろうな、と思う自分が居る一方で、自分だけ逃れるわけには、と思う自分もまた、居る。
「そうだね。私もそう思うよ。……ってことで、あんたか私、どっちかがこいつをなんとかするわけだが……」
ベラトールは『当然だろう』とでも言うかのような表情でさらりと話を続けていく。ヴィアもそれに乗って、2人で話し始め……。
「……ま、ゆっくりゆっくりやる、ってのも1つ、考えていいんじゃねえか?できることならすぐにでも、神の力を俺達のモノにしてえ。だが、そのために仲間を喪うかもしれねえ、っていうことなら、もう少し色々片付いてからでもいいだろ」
そこでソルは、話を打ち切った。
……ここで続けるには、少々、気が滅入りすぎる話題だ。ガーディウムのことも、そしてレリンキュア姫のこともまだ、完全に忘れられたとは言い難い。むしろ、皆がそれを引きずって、それでも尚、生きている。そんな状況なのだから、もう少し、先延ばしにしてもいいだろう、と、ソルは思う。
「ひとまず、人間の集落を襲ってから、だな」
「ああ……そうだったね。ま、お楽しみがあってからの方がいいか」
ベラトールもにやりと笑ってそれに乗った。それにソルはほっとしながら、今度はヴィアに向き合う。
「ヴィア。改めて聞くが……『功績を上げるべき人間』が誰か、分かるんだったな?」
ヴィアはソルや他の者達の視線を受けて、悠々と背筋を伸ばす。
「ええ、まあ、1人か2人は確実に分かるでしょう。そして、死ぬべき人間もまた、ある程度分かりますよ。ということで……」
そしてヴィアは、ごぽり、と、頭部に泡を蠢かせた。
「無能な働き者に存分に働かせましょう」
そうして、神殿でしっかりと休息を摂った一行は、翌日、ヴィアの知る集落へ向かって出発した。
「おお、よかった。まだ愚かなる人間共の巣窟は残っていたようです」
そして神殿から歩いて半日もしない位置に、人間の町を見つける。宵闇に紛れ、人間からは見えず、魔物からは見通せる距離で様子を窺ってみたところ、確かに貴族らしい人間が何人も居ることが見受けられた。
「じゃ、しばらくは観察か」
「ええ。集落があっても、例の無能がまだ残っているかは、少々難しいところですからね」
何せ、ヴィアが死んでからもう3年近くが経っている。人間達の入れ替わりは当然あるだろう。狙い通りの人間が居るか。また、殺すべき人間はどの程度残っているか。それらをもう一度、確認する必要がある。
「あの、やっぱり私が行こうか」
「いいえ、いいえ!ここでお嬢さんを使うのはあまりにも惜しい。どこで誰が例の騎士団長と繋がっているか分からないのですから、無為にお嬢さんを使うべきではないと思いますよ」
そして今回、人間達の中に潜り込むのはアレットではない。
「それに、私の潜入がそれなりのものだということは、火薬庫の件で証明できたかと思いますが」
「ヴィアの能力を疑ってるわけじゃないんだけれどね」
ヴィアは既に体を千切り、手のひら大のスライム達を生み出していた。小さなヴィア達は『我らにお任せあれ!』と、揃ってぷるんと震えた。『うーん、妙にかわいい』とアレットは思う。思うだけで言いはしなかったが。
やがて、ヴィアの欠片達がぞろぞろと、人間の集落に向かって這い進んでいく。
……その動きがあまりにものろのろとしていたため、途中からソルが全部まとめて空を飛び、人間達の集落の上空、夜空からヴィアの欠片達を撒いて戻って来た。随分と乱暴な扱いのようだが、スライムは上空から落とされてもさしたる痛手を受けない。ヴィア本人も含め、誰も文句は言わず、当たり前のこととして受け止めた。
「……ま、情報収集って点では、ヴィアのこれに敵う奴はそうは居ねえだろ。こっちから動かしたい情報があるならアレットを使うしかねえが、そうじゃないならできるだけ、アレットを温存したい」
「アレットは私達に捕まってる人間側の人質、ってことになってるんだろう?ならアレットは人間達にできるだけ見つからない方がいいと思うね」
……ということで、久々にアレットは休憩、ということになる。アレットとしては何やら落ち着かないような気持ちであったが、偶にはこういうこともあるだろう。
「ヴィアは大丈夫?働きづめになっちゃうけれど……」
「ええ、ええ。何も問題はありませんとも。私には姫君やガーディウムから受け継いだ魔力がありますからね!疲れなどそれで吹き飛ばしてしまえる!」
働きづめ、という点ではアレットもそうだが、ヴィアもそうである。ヴィアはアレットと共に人間達の中へ潜入してきているのだ。ヴィアにも休息が必要なのだろうが……。
「……それに、私の欠片とは言えども、分かれた時点で別の生き物です。奴らの疲労が私に伝わるわけでもありませんので……強いて言うなら、欠片を生み出すことで魔力をその分失ってはいますが」
……如何せん、ヴィアは、スライムなので。こういった感覚であるらしい。
「……ヴィア。あんた、その、『分かれる』って、どういう感覚なんだい」
そしてスライムではない他の面々からしてみれば、ヴィアの感覚はまるで理解できないのである。自身が分かれ、更に、その分かれた自身を吸収して再び1つになるなど、どうして想像できるだろうか。
「自分が分かれて別の生き物になる感覚ですね。分かれてしまった後のことは、まあ、別の生き物同士なので、何とも」
「うわあー、俺、もし死んだあとスライムになったら頭おかしくなるかもしれない!」
「こればっかりはパクスのことをとやかく言えねえな……ヴィア、お前、よく正気で居られるよなあ」
「ははは。まあ、私はスライムですので!……ふふ、スライムであることを誇らしく思える。実に、実に恵まれたことだ」
ヴィアは誇らしげに、そして嬉しそうにそう言って、草原の上で姿勢を多少崩した。
「そういう訳で、私も休憩、ということになりますね。私の欠片達の働きに期待しましょう!」
「じゃ、お茶淹れるね。ちょっと今日は冷えるし、あったかいの飲んで落ち着こうか」
そうして一行は和やかに、野営の準備を始める。寒い冬の野営ではあるが、温かな茶と談笑する仲間が居るならば、そう悪いものでもないだろう。
そうして、ヴィアとパクスが野営用の天幕を張り、ベラトールが寝床を準備する。アレットが火を熾して茶の準備をする横で、ソルが夕食を作り……そうして和やかに、野営が始まった。
「隊長が作ったご飯!先輩が淹れたお茶!最高!」
早速、パクスは食事を摂りつつ満面の笑みを浮かべている。……今日の食事は、香辛料と塩を利かせてこんがりと焼き上げた肉と、野草と根菜のスープ。そして、白林檎のケーキ、という、野営中にしては豪勢なものである。時間が十分に取れたため、ソルがいつにも増して腕を揮うこととなり、パクスはこれに大喜びである。
当然、パクス以外の面々も、大いに喜んでいる。食事の必要ないヴィアさえも、『ほほう』などと興味深げにしながら、それぞれを頭部に運び、粘液で溶かしては泡を頭部に浮かべていた。
「アレット。今日の茶は何だい?」
「今日の?今日のはねえ……ゾウジャラシの穂を焙じたやつにヨモギを足してる」
ベラトールはアレットが淹れた茶を飲んで、『悪くない味だね』と笑う。素朴な白林檎のケーキとも合う味だった。
「ねえ、ソル。このケーキ、フライパンで焼いたの?」
「ああ。悪かないだろ?」
「うん。すごく美味しい。いいねえ、こういうのも……」
そしてアレットもまた、とろり、と表情をとろけさせていた。……アレットは甘いものが好きなのである。特に、果物は大抵、アレットの好物だ。フライパンでやや焦げる程に焼かれた林檎と砂糖の香ばしくコクの深い味わいに、アレットは大満足であった。
「……緊張感が、無いねえ」
……そして、そんな和やかな食事をしつつ、一行は妙に緊張感の無い時間を過ごしていた。
何せ、人間達の中に潜入しているのはヴィアの欠片であり、それらはヴィアから切り離された『個』なのである。
「ああ……どうだ、ヴィア。何か進展は?」
「ひとまずあちこちの家屋の屋根裏などに潜むべく、それぞれが動いているようだ。それくらいしか分からないが……まあ、上手くやってくれることだろう」
ヴィアはそうソルに答えつつ、アレットが淹れた茶を味わって、『良い香りだ!』と喜んでみせた。緊張感が無い。
「……生かしておきたい奴が生きてるといいねえ」
「そうですね。いやはや、全く……」
……そうして一行は、周囲への注意は配りつつも、あくまでもゆったりと……久々にのんびりとした夕食を楽しむのだった。
見張りを交代しつつ夜を明かし、そうして、翌日。
「おお!皆さん!素晴らしいことが分かりましたよ!」
朝食の準備を手伝っていたヴィアが喜びの声を上げる。
「いっとう無能な親勇者派の男が、生きていました!」
……ヴィアの報告に、魔物達は皆、にやりと笑った。
生き残るべき人間が、まだ生きているのだから。