孤独は昔の話*1
「ってことで、現実的な話をしようかね」
よっこいしょ、と座り直しながら、ソルがそう切り出す。
「俺とガーディウム、アレットにパクスまで含めたところで、俺達はたった4人だ」
「……倍にはなったぞ。喜ばしいことではないか」
「いや、喜ばしいのはそうだけどな。倍でも4人は4人だろーが」
むう、とガーディウムは唸り、彼もまた、もそもそと座り直して居住まいを正した。アレットもつられて何となく座り直しつつ……ひとまず、提案してみる。
「ええとね。私、今、人間のふりをして人間と働いてるんだけれど……そこで、姫の公開処刑の日の警備の仕事を割り当てられそうなんだ。もし、私の立場が必要なら、このまま人間のふりをしておくけれど、どう?」
アレットが持つ最大の武器。それは、人間に似た姿と可憐な容姿。そして手先の器用さと嘘を吐く能力だ。
今まで人間達に紛れて築き上げてきたものがある以上、有効に活用できるなら活用したいところだが、ソルとガーディウムの意向もある。どのように姫君を救出するかによっては、アレットの立場は必要のないものとなるが……。
「なんと……そのようなことが可能なのか!」
ガーディウムは感嘆の声を上げ、アイスブルーの瞳を輝かせた。
「ああ、人間ってのは、魔力を持たねえからな。魔力の有る無しが分からないらしい。だから、格好さえ人間らしければ、人間だと思っちまうんだとさ。……ついでに俺んとこの副長は優秀なもんでね」
そしてソルはガーディウムに説明しながら、さらりとアレットを自慢する。自慢されているアレットとしては少々気恥ずかしくもあるが、今までの努力の成果ということで、ありがたく遠回しな賞賛を受け止めることにした。
「……ま、アレットの立場は捨てない方がいいだろうな。使えるモンは何でも使うしかねえ。俺達4人でできることは少なくねえが、多くもねえんだ」
「そうだな。人間の食事に毒を盛るのも、人間の武器に細工をするのも、人間の中に潜り込める者が居なければ成し得んだろう。アレット。是非そのまま、人間を騙し続けていてほしい」
ひとまず、2人の同意も得た。アレットは当面、人間を騙し続けてその日を待つことになるだろう。つまり、それまでは真面目に働いているふりを続けなければならないのだ。少々憂鬱だが、仕方がない。むしろ、これも作戦の一環なのだと思えるようになるのだから、明日からは今までよりずっと明るい気持ちで仕事に臨めるはずである。
その日その日を暮らし、その場に居る魔物を守るためだけに行っていた仕事が、少し遠い未来とすべての魔物達の為の仕事になるのだ。アレットは自分の中に満ち溢れてくる意欲を存分に感じた。
「アレットが人間達の中に紛れ込めるっていうんなら、やっぱり毒だな。人間の戦士達にできるだけ毒を盛って戦力を削る。それが一番手っ取り早い。たった4人で反旗を翻そうっていうなら、やり方は考えねえとな」
「そう。毒!毒を盛るっていうことを考えたんだけれど、どうにも、上手くいかないっていうか……時間も手も足りなくてね」
続いて、実際の方策についての話になり、アレットは身を乗り出した。アレットとパクスの2人ではどうしようもなかったことだが、そこにソルとガーディウムが加わることで、実現可能となるかもしれない。
「私とパクスは人間のところに居るから、時間にすごく制約があるんだ。パクスは基本的に自由になれないし、私は朝には人間達のところに行って荷運びの御者の仕事を始めなきゃいけないの」
アレットが自身の現状を説明すると、ふと、ソルは眉を顰めた。
「じゃあお前、いつ寝てるんだ」
「帰ったらちょっと寝るよ」
「あー……じゃあ、今日からパクスに荷馬車牽かせてその上で寝てろ」
「やだよ、流石にそれは」
パクスはそれでも喜んで働くだろうが、アレットとしては申し訳なさが勝つ。そんな状態で穏やかに眠ってはいられない。アレットはそういう性分である。ソルとしても冗談なのだろうが。
「……ま、睡眠不足を強いちまってる代わりと言っちゃあなんだが、毒物の用意はこっちに任せろ」
「それは助かるよ。ありがとう」
ソルの申し出が頼もしい。アレットは何も心配せず、ソルに毒物の準備を任せることにする。王都警備隊の中ではアレットが随一の器用さを誇っていたが、ソルも中々のものだ。毒物の知識もアレットに劣らず持ち合わせている。アレットより豊富な経験を併せれば、ソルの方が毒物の準備に適任となるだろう。
「最近、物資が潤沢に手に入ってな。食料集めに奔走しなくてもよくなった分、毒でも武器でも準備する時間はあるんだ。実は既に、ちょっとは毒が集まってるんだぜ」
「わあ。優秀だね、ソル」
「まあな。……とは言っても、俺の功績って訳でもない。最近、人間が人間の荷馬車を襲ってる、っていう噂が立ってたからな。それに乗じて動いただけだ。誰がやったのかは知らないが、随分助けられてる」
ソルが少々謙遜しつつそう言うのを聞いて、アレットは思わず手を打つ。
「あっ、それ、私だ」
……途端、ガーディウムは目を見開き、ソルは、ひゅう、と口笛を吹いた。
「お前だったのか。成程な、確かにお前ならやるだろうなあ……!」
アレットが開拓地で人間の脱走を偽装し、人間の荷馬車を襲ってきたことは、無駄ではなかった。こうして確かに、希望は繋がっていたのである。
「よくやった、アレット!」
ソルから称賛されながら、アレットは誇らしく、また、満たされた気分を味わう。
……やっと、蒔いた種が芽吹いているのを見ることができた。
それからアレットはソルと少々、毒物の作成について意見を交わす。
今、この限られた資源しか手に入らない状況の中で手に入れられる最良の毒を選ぶにあたって、2人は慎重であった。
あの森に生える毒草とあの荒れ地に生息する毒蜘蛛の毒を掛け合わせると効果が増す。姫の処刑の日までには満月を一度挟むが、満月の夜にしか咲かない毒の花を集めるのもいいかもしれない。毒の鉱石を炙って得た煙を水に通す手もある。……そういったあらゆる知識と判断を駆使して、2人は打つ手を決めていった。
そうして大方の方針を立ててしまえば、後はソルに任せることになる。実際に毒が手に入るかどうかは現地に行ってみないことには分からない。その状況に応じて作るものも変化させなければならないだろう。
だが、ソルならきっと上手くやる。アレットは全幅の信頼をソルに置いていた。
「よし。じゃあ毒はそんなもんだな。後はついでに武器にも細工ができりゃいいんだが……」
毒の話が終わったら、次は銃だ。
銃さえなければ、魔物はそうそう、人間に負けなかっただろう。それだけ、魔物にとって銃は脅威である。
銃は弓のように発射に事前動作が要らない。弾は小さく、その上、矢より速い。よって、避けにくく、払いにくい。厄介極まりない相手である。
「銃が手に入れば、分解して中を調べてみるんだがね。あいつら、銃が俺達の手に渡らないように気を付けてやがるもんだから……」
「お陰で一部の人間しか銃を持ってないから、そこらへんの人間は殺し放題なんだけれどね」
……そんな銃だが、取り扱われ方についても特徴がある。
一つは人間が銃を魔物の手に渡さないように気を付けている、ということだ。お陰でアレット達は未だ、銃の仕組みを詳しくは知らない。
……銃があれば、力の弱い魔物でも戦えるかもしれない。だからこそ人間は、銃の仕組みや製造技術を魔物に渡さぬよう、細心の注意を払っていた。
そして……そのために、もう一つ。
人間は、一部しか、銃を持っていない。
当然といえば当然である。人間は一枚岩ではない。自らの利益の為に銃を魔物に売り払うような者も居るだろう。或いは、そこらの人間を魔物が襲って殺すことも十分にあり得る。その時、銃を略奪されれば人間にとっては大きすぎる痛手だ。
……ということで、アレット達の近くで生活している人間達の多くは、そもそも銃を持っていないのである。おかげでアレットは人間を楽に殺してきているのだから、文句は言えないが。
「姫君の処刑までに、人間共は武装を強化するだろうな。兵士が足りねえっつうなら、絶対に人間と武器が集まってくる。銃も絶対に、運ばれてくる」
「そうだね」
魔物にとっても人間にとっても、レリンキュア姫の公開処刑は重大な事項である。人間は何が何でもこの公開処刑を実現させねばならない。武装の手を抜くようなことは無いだろう。下っ端の兵士達には剣だけを支給するにせよ、銃を持つ兵士も必ず揃えてくるはずだ。
「……うん。銃については私が何とかする」
そこまで考えて、アレットはそう、結論を出した。
「あれ、弾を撃ち出す仕組みがあるわけでしょう?ならその仕組みを壊してやればいいと思う。或いは、弾を盗み出して隠してやるとか、筒の中に松脂か何か詰めてやるとか……そういうことをやる機会を得られるのは、私だけだと思うから」
人間の兵士として警備に潜り込めるなら銃に触れる機会もあるはずだ。ここまでアレットが積み重ねてきた人間としての信頼が、やっと役に立つ。
「……なら、銃は任せる。頼むぜ、アレット」
「うん。任せて」
アレットは自らの使命に胸を高鳴らせながら、どのように銃を封じるか、思索を巡らせるのだった。
手段がある程度仕上がってきたなら、次は方法だ。今度はガーディウムも合わせて3人で相談することになる。
「処刑当日の襲撃が一番いいか?どう思う、ガーディウム」
「だろうな。魔物達を混乱に巻き込むことにはなるが、同時に、魔物達に反乱を伝えることができる。事情も分からぬまま人間からの締め付けが強くなるよりはずっといいだろう」
「でも、人間達が一番警戒してる日でもある」
「ああ。だからこそ、人間を毒物で駄目にしておくってわけだ。毒は一度使ったら警戒される。ここぞって時に一気にやる方が効率がいい。……多少の無茶は承知だが、無茶を通しでもしなけりゃ、4人で姫様の救出なんて出来やしない」
ソルは現実的な性質だ。如何に優れた戦士が4人揃ったとしても、たった4人で人間に反旗を翻すことの愚かさは分かっている。
だからこそ、ソルは処刑当日、処刑会場での襲撃を想定していた。アレットも想定したように、会場で動けばそこに居るであろう他の魔物達が加勢してくれる可能性がある。
……それが如何に残酷な案かは、皆、分かっている。
要は、市井の魔物を見殺しにしようとしているのだ。
弱く、力を持たない彼らを……人間達を乗り越えるための踏み台や、人間達の攻撃を防ぐ壁として使おうとしているということに他ならない。
だが、姫を救い出さねば魔物の未来は無い。永遠に人間達に支配され続けるならば、いずれ全ての魔物が弱って死んでいくだろう。その未来を回避するためにも、今、どうしても犠牲を払わなければならない。
じわじわと弱って死んでいくのと、戦いに巻き込まれて死んでいくのと。どちらがより残酷かなど、考えるだけ無駄だろう。どうせ結論は出ないのだから。
「……多くの者が死ぬだろう。だが、最早、これが最良の手だ」
「……うん」
守りたいものを守るために、守りたいものを犠牲にしなければならない。その現実を恨む気持ちはあるが、同時にそれを受け入れるのが戦士としてのせめてもの矜持でもあった。憐れんで、犠牲となる者達の誇りを踏み躙るようなことはしたくない。
この程度の覚悟は、もうできている。何も失わずに全てを取り戻せる、などという甘い夢はとっくに捨てている。ずっと前……魔王が勇者に殺された、あの日から。ずっと。
「じゃあ、パクスにもある程度伝えておく。いい?」
「ああ。……けどあいつは、良くも悪くも馬鹿だからな。伝え方には気を付けてやってくれ」
「ははは……そうだね。まあ、パクスが混乱しないように整理して伝えるよ」
諸々の打ち合わせを終えたアレットは、日付が変わる頃に岩場を去ることにした。そろそろ戻らなければ、明日の仕事に差し支える。
……毒の混入や、銃の無力化。人間に紛れて行わなければならない任務は数多い。今、アレットがすべきことは、人間達の信用を損ねないように動くことだ。仕事は続けなければならない。
「じゃあ、また来るね。打ち合わせのやつ、よろしく」
「ああ。任せろ」
名残惜しかったが、アレットは岩場から飛び立ち王都を目指す。仕事に穴を開けるわけにはいかないのだから。
「明日から、もっと人間側に踏み込んでいかなきゃな……」
王都までの夜空の中で、明日の予定を立てる。
アレットに任された任務……銃の無力化の為に、明日からはより一層、人間に近づいていかなければならないだろう。
だが、上手くやってみせる。かけられた期待の分の働きは、必ずや。
決意を胸に、アレットは……ひとまず、『このあたりでいいかな』と思われた場所へ、そっと、降り立った。
街道から少し離れた場所。そこに、ガーディウムから受け取ってきた焼き物の破片を置く。血と薬草の汁が染み込んだもので、鼻の良い魔物にとってはよい目印になる。
……目印を置き終えたアレットは、再び夜空へと飛び立った。
ひとまず、明日。明日から、アレットは銃を探す為に奔走することになる訳だが……その前に、少々の楽しみがあっても良いだろう。
アレットは、パクスが尻尾をぶんぶん振る様子をふと想像して、くすり、と笑った。