跡形もなく*5
「……え?『人間』?」
「はい」
どういうことだろう。アレットが咄嗟に何も言えずにいると、ヴィアは微かに体の表面を揺らして、続けた。
「私は一度、死にました。そして魂のみがこの地に残り、水に流れ、そこで魔力を得て……魔物として、2度目の生を受けることになったのです」
衝撃的な話を聞いて、アレットは絶句し……そして、回らない頭で本題について問う前に、1つ、確認しておくことにする。
「……魔王様の、残り湯で?」
……するとヴィアは、するん、と頷いた。
「はい」
あっさりとして確かな返答をした後、ヴィアは誇らしげに、両腕を広げて言った。
「そう!魔王様の残り湯によって、私は魔物として蘇ったのです!」
ああ、やっぱりそこはその通りだったんだなあ、と、アレットはどこか遠く、思うのだった。
「……それ、人間の感覚としてはどうなの」
「う、うーむ……何とも言い難いのですが、一つ確かに言えることには、嫌なかんじはありませんでしたね。こう、包まれるような温かさと、混沌の沼から引き揚げられた安堵とを感じまして……」
残り湯から生まれる、というのがどういった感覚なのか、アレットとしては少々気になる。魔王の残り湯から生まれる魔物はさほど珍しくは無いが、『記憶を持ったまま』生まれた魔物はほぼ存在していないだろう。意見としては、貴重である。
「……恐ろしいものですよ。知性も自我も失って、なのに魂だけが残り彷徨っている、というのは」
ヴィアの言葉は、アレットにとって全くの未知であった。魂だけが残り彷徨う、という状態に、全く想像が及ばない。だが、沈鬱な様子で身震いするヴィアを見る限り、言葉通り『恐ろしい』のだろう、ということだけは、理解できた。
「ええと……どうして、そんなことに?魂だけが残る、って、珍しいと思うけれど」
代わりに、その原因について尋ねる。少なくとも、アレットは今まで『魂だけが残り彷徨っている』という現象について聞いたことが無かった。ましてや、人間の魂が、などとは。
「未練があったのでしょう」
だが、ヴィアはさらりとそう答えた。
「……人間への憎悪です。それが、私の魂をこの地へ繋ぎ止めたのでしょう」
「人間であったものが、人間を、そんなに憎んだの?」
「ああ、お嬢さん。どうか私を信じて頂きたい。私は確かにかつて人間でしたが、今はれっきとした魔物です。人間を憎む心もまた、確かに、ここに!」
アレットがそっと尋ねれば、ヴィアは少々大仰にそう言った。『ここ』と胸を示して、そしてヴィアは、少々躊躇うような様子で続けた。
「まあ、有体に言ってしまえば、裏切られた。それだけのことです。そしてその結果、私は死に……生まれ変わった。生まれ変わる前の話など、つまらないものですから、まあ、ここはこれでお許しを」
「まあ、それはいいんだけれど……」
できることなら、ヴィアが人間であったという頃に一体何があったのか、知りたい。だが、ヴィアが話すことを望まないというのであれば、聞き出すのも申し訳ない。
かつて人間であったとしても、ヴィアはヴィアである。彼が人間を憎み、アレット達と共に戦っていることは紛れもない事実なのだから。仲間をこれ以上疑うような真似は慎むべきだろう、と、アレットは判断した。
「……魔王様には感謝していますよ。おかげで私は、知性も自我も失い、魂だけが残ったあの状態から逃れることができた。尤も……得られた体が、このみじめなスライムの体であったことは、少々不幸であったかもしれませんがね」
ヴィアは少々おどけてそう言って、それから、拳を握りしめる。手袋の中にあるのは柔い粘液でしかないが、それでも拳は硬く、硬く握られる。
「それに、魔王様のおかげで復讐の機会を得られた」
強い強い意思は、深い深い憎悪のなれの果て。ヴィアの胸の内にあるであろうそれが如何ばかりか、アレットは思いを馳せる。
「そして貴女のような美しいお嬢さん方と巡り会うこともできました!そう考えれば、なんと幸福なことか!」
「それはよかったよ」
……そして、先程までの様子はどこへやら、いつもの軟派な調子でそんなことを言い出すヴィアに、アレットは苦笑を漏らす。
そのついでに、ふと、思い立って聞いてみることにした。
「……あの、ヴィア。私の容姿って、人間の基準で言うと、どうなの?」
ヴィアが元々人間であった、という事実に対し、未だ、アレットは少々戸惑っている。だが、それならそれで、と、積極的に活用しようとも思うのだ。
すると。
「またとない美少女です」
「あ、そうなんだ……」
ヴィアの、万感の籠ったような断言に、アレットは安堵より先に何故か呆れといたたまれなさを感じた。……人間から妙に好意を持たれやすい、と思っていたが、それはアレットの技術のためだけでなく、容姿が人間に受け入れられやすいものであったということでもあったのかもしれない。
「そうなのですよ!宵闇の如き艶やかな黒髪も、宝石のような赤い瞳も!細く小柄な体躯は包み込みたくなる愛らしさでありながら、内に確かな力強さも感じさせ、そしてその全てがよく整っている……!」
「……そうなんだ」
よく喋るヴィアに対し、『人間達が全員ヴィアみたいに思ってるわけじゃない、よね……?』と思ったアレットであったがひとまず何も言わず曖昧に頷くにとどめた。
「そして何より!……こう、謎の魅力が溢れている、と言いますか、滲み出ている、といいますか……とにかく、お嬢さんは非常に魅力的なのです。ええ。魔性の、とも言えるでしょう」
「そりゃ、魔物だもの」
「ええ、ええ。恐らくその通り。魔力が魅力という形で滲み出ているのでしょう!」
ヴィアの言葉を聞いて、ひとまず勉強にはなった。アレットはそんな気持ちで頷くのだった。
そうして疑問が1つ解消されたところで、さて、と思考を元の位置に戻す。
「ところで、ヴィア。ヴィアが元々人間だった、っていう話、他の皆にもしていい?」
「……ええ。私から話しましょう。こうなっては、隠しておくものでもありませんからね」
確認を取れば、ヴィアは少々肩を竦めてそう言った。恐らく、人間とのやりとりをソルとアレットに見られていた時点で、こうなる覚悟はしていたのだろう。
「しかし……私が元々は人間であった、などと聞いて、皆、愉快な気持ちはしないでしょう」
だが、ヴィアは恐れているようでもあった。
……今の今まで隠していたのは、恐れ、によるものだったのだろう。
「このようなことを申し上げるのも厚かましいようですが……二度目の裏切りを、私は恐れています」
ヴィアは膝の上に組んだ指を載せ、落ち着かなげにしている。
「そんなに心配しなくてもいいと思うけれどな」
……だが、アレットはヴィアのようには、案じていない。何故なら、自分自身が、ヴィアの話を聞いて驚きこそすれ、嫌悪はしなかったからである。
「ヴィアは今、魔物だし。そうなった原因は人間への憎悪でしょう?」
「ええ。それに加えて、魔王様の残り湯です」
そこはこだわりどころなんだね、とアレットは何とも言えない気持ちになりつつ、頷いて話を進める。
「まあ……人間を憎む者であるなら、共に行動するに値する、と思う。私達の気持ちの根幹に共鳴してくれるあなたは、元が人間であったとしても立派に魔物だよ」
人間か、魔物か。
その線引きがどこで行われるのかと問われれば、1つには魔力を持つか持たないかだろう。魔物は魔力によって生き、人間は魔力を恐れ忌み嫌う。
……そして、魔力を持つ人間と魔物との区別をつけるのならば、そこにはきっと、人間を憎み魔物達の国を、この大地を愛する心があるかどうかが両者の分かれ目になるのではないだろうか。
「ヴィアは、この国を……この大地を、愛してる?」
「ええ。勿論。私を救い給うたこの大地を……ここに満ちる魔力を。私は、確かに敬愛しております」
ヴィアが真摯に答えるのを聞いて、アレットは微笑む。
「よかった。ならあなたは魔物だよ。受け入れない理由なんて無い」
ヴィアの手を握って、アレットはそれをゆるゆると上下に振った。握手、握手、と動かされた手に、ヴィアは少々戸惑うようであったが。
「それに、ヴィアは便利だし」
「……成程。そう仰っていただけるなら、スライムの体で生まれ変わったことも、無意味ではなかったのでしょう」
ヴィアはどこか安心したようにそう言うと、アレットの手を握り返した。
「お嬢さん。私は己の魂とこの大地、そして魔王様に誓いましょう」
そしてヴィアは、アレットの前に片膝をつき、まるで姫君に忠誠を誓う騎士のように言うのだ。
「私のこの体も、この思いも、魂も。……私に残ったこれら全ては、人間への復讐の為、そして貴女方に役立てる為に使う、と」
迷いのない言葉に、アレットは笑って頷く。
……ようこそ、こちら側へ。そんな気持ちで。
「皆に話したいことがある」
そうして、翌朝。ヴィアは朝食の席で、そう、申し出た。
「私は……実は、元々人間だったのだ」
「ええええええええ!?ええええええええ!?」
「パクス、うるせえぞ」
「えええええええ!?すみません!でも、でも……ええええええええ!?」
案の定、うるさくなったパクスにアレットは笑う。だろうなあ、と思いながら。……ちなみに、ソルもそれなりに、驚いてはいた。尤も、ソルは朝食の準備をする傍らでアレットから概要を聞いていた。その分、今、驚いていないふりができているだけなのだが。
「……なんで!?」
「それを今から説明するって話じゃあないのかい?」
そして、ベラトールも相当に驚いた様子であったが、パクスの取り乱しぶりを見て落ち着いたらしい。『自分より慌ててる人を見ると落ち着いちゃうことって、あるよね』とアレットは内心で頷いた。
「……ほら、さっさと話しな。あんたをどう思うかは、話を聞いてから判断する」
ベラトールがペリドットの瞳を鋭く細めてヴィアを見やれば、ヴィアは少々、萎縮し……しかし、努めて堂々と話し始めた。
「では、僭越ながら私の生い立ちについて、話させていただきます。奇妙な話ではありますが、これは紛れもない事実なのです。そう、話せば長く、聞けば短い……」
「さっさとしな」
「あっ、はい」
……そうしてヴィアは、アレットに話した内容を、他の皆にも語り始めたのだった。