跡形もなく*3
「やるじゃねえか、ヴィア」
「まあ、この程度はできなくては、姫君にもガーディウムにも顔向けができないだろう?」
ソルが口笛を吹いてみせれば、ヴィアは少々気障たらしい動作で銃をベルトへと戻した。
……ヴィアは今、追ってきた人間の頭部を見事撃ち抜き即死させたところであった。無論、その速度は銃弾の装填速度に準ずるため、大した速さではない。だが、少なくとも最初の一発だけならば、ソルにも匹敵する速さで人間を屠ることができていた。
そう。追いかけてくる人間を1人ずつ殺していくような、そういった場面では、ヴィアはそれなりに戦えているのである。
「これも魔力が増えたおかげ、といったところかな」
「かもな。動作がトロくねえってのは見てて分かる」
ソルの目から見て、ヴィアの戦う様子は中々不思議なものだった。透明な粘液がするりと滑らかに動いて銃を持ち、引き金を引く。
服以外、全てが透明なヴィアの体は、時折人間が撃った銃弾を受けていた。透明であるが故に、銃弾が粘液の中へと沈んでいく様子が見えて、何とも奇怪なのである。
更に、透明な粘液がぬるりと動けば銃弾がどろりと溶けて消えていくのだ。……ヴィアは銃弾すらも消化してしまえるらしい。これまた奇怪な様子を見て、ソルは何やら面白いような気味が悪いような、そんな気分になる。
「っと。ここらで人間の銃は打ち止めか」
「そのようだ。となると我々の仕事は終わりか。やれやれ……」
ソルが銃弾を避けつつ、それを放った人間の喉をすぱりと斬り裂けば、2人を追っていた人間達は最早、誰も居なくなった。静かになった背後の様子を見つつ、2人は緊張を解く。
「じゃ、アレット達の方に戻るか。まだ暴れたりねえ」
「まだ!?……元気なことだ。私はもう駄目だ、大分疲れ切ってしまった……」
ソルはもう一暴れ、という気分なのだが、ヴィアはそうでもないらしい。力を得て間もないヴィアからしてみれば、自らの体の内の魔力を使って体を動かすだけでも相当な疲労となるのだろう。元々が戦わない魔物であったのだから、銃を用いて人間と渡り合うこと自体、相当な負担となっているはずだ。
「なら運ぶぞ」
「あああああ、運ぶならもう少し優しく!」
だがそれはそれ、とばかり、ソルはヴィアをガシリと掴むと、そのまま離陸した。銃を持った人間達は適当に分断しながら戦ってしまったので、あまり歯応えが無かったのである。もう一暴れしたい。
「わ、私にも戦えというのか!?」
「休みたきゃ休んでていいぜ」
なので、ヴィアは……適当に休める場所に置いていってやろう、と、ソルはそう、そっと思うのだった。
人間の町へ戻れば、そこでは既に火の手が上がっていた。アレットが順調に火を放っているらしい。
「おお、火だ……ソル。悪いが私を置いていくなら火の無い場所に置いていってくれたまえよ」
「分かってる分かってる」
ヴィアは斬撃にも銃弾にも強いが、火や氷には然程強くない。魔力を得た今、以前よりは格段に強くなっているのだろうが、それでもやはり、火に巻かれれば死ぬだろう。
ソルはヴィアを町外れの茂みを掠めるように低空飛行しつつ、その茂みの中に、ひょい、とヴィアを落としていく。『もっと優しく!』とヴィアの文句が背後から聞こえていたが、それも風切りの音に紛れてすぐ聞こえなくなる。
……そしてソルは、町から逃げ出そうとしていた人間の前に翼を広げて現れてやり、そして、次の瞬間、驚き立ち竦んだ人間達の喉を掻き切ってやったのだった。
アレットは思う存分、暴れていた。
最近、人間達の中に紛れて行動することが多かったせいで、然程暴れられていなかったように思う。その鬱憤を晴らすように、アレットは翼をはためかせて次々に人間達を殺していった。
「あ、アレット!?お前、その姿は……!」
人間達の中にはアレットのことを知る者も居た。だが、そういった者こそ、アレットが優先的に殺すべき存在である。
……1人も逃がしてはならない。だからアレットは、ソル達が町を出ていき、銃を持った兵士達がそれを追いかけていったのを見送ってすぐ、町をぐるりと囲むように火を放った。
火の壁に囲まれた中で、人間達は咄嗟に逃げることもできず、只々、魔物達に殺されていくのみとなった。それでも逃げようとする気概のある者も居たが、それらはアレットが殺すまでもなく、ベラトールが確実に仕留めていった。
……一方パクスは、町の真ん中で存分に暴れ回っていた。後先を特に考えていない行動であったが、それ故に人間達の目には恐ろしく映ったのだろう。散り散りになった人間達は火の壁に阻まれて逃げることもできず、おろおろとしている間にベラトールに殺され、或いはアレットに見つかって殺された。
「よお、調子はどうだ?」
「あっ、ソル。いいかんじだよ。そっちも終わったの?」
「ああ。40か50人くらいは居たが、大したもんでもなかった。暴れ足りねえ」
その内、アレットはソルと空で合流する。ソルの言葉を聞く限り、やはりソルも魔力による強化の恩恵を受けているようだ。以前のソルであるならば、銃を持った人間4、50人と戦えばそれなりに満足しただろうし、傷の1つや2つは受けていてもおかしくなかったのだから。
「あとは撃ち漏らしを逃がさないようにしなきゃね。ええと、中央でパクスが暴れまわってるから、自然と人間達は外側に出ていくんだけれど……」
「成程な。……ああ、居た居た」
アレットと話している途中にも、ソルは逃げ出そうとしている人間を見つけたらしかった。すっ、と地上へ急降下していくと、次の瞬間、地上で血の華が咲いた。ソルはナイフの血を払ってまた空へ戻って来る。アレットは特に今更感嘆するでもなく、ソルを「おかえり」と出迎えた。
「……で、お前のこと知ってる人間は居たか?」
「ああ、うん。それなりに居たよ。全員もう死んだけれど」
「そうか。ならいい」
アレットの答えを聞いて、ソルは安心したらしい。少々表情を緩めた。
「今後、お前はまだ人間側に潜って仕事をすることになるだろうしなあ。はー……俺も手伝えりゃいいんだが」
「あはは、ソルには無理無理」
アレットは笑う。もし、ソルがアレット並みに人間に近い容姿をしていたとしても、アレットのように人間達へ溶け込めはしないだろう。ソルはなんだかんだ、真面目なのだ。だから、魔物を裏切るようなことは、真似だけでもきっとできない。
「そうか?まあ、腕が人間のそれじゃねえからな。足も隠すにはちょいとデカすぎるか」
一方、ソルは『無理無理』の理由を自分の体のせいだと思ったらしい。漆黒の翼と鉤爪の足とを見て、眉根を寄せた。その様子もまたどこか面白く、アレットはまた笑いを漏らすことになったが。
人間達の掃除は大方終わったらしい。パクスが『うおー!人間どこだー!』と暴れまわり、その声と反対方向へ逃げようとした人間達はベラトールによってどんどんと引き裂かれていく。ベラトールから見えにくいであろう位置の人間はアレットとソルが上空から狙って殺していく。
……そうしていれば、廃墟と化した町から人間の気配が消え失せるまで、然程、時間はかからなかった。
「終わったか。やれやれ。大したことは無かったなあ」
ソルが嘆くのを聞きつつ、アレットは眼下に注意を配り続けた。……そして。
「待って。まだ居る」
アレットは気づく。そこには、瓦礫に隠れながら少しずつ少しずつ、逃げていこうとする人間の姿があった。
……だが。
「おう。問題ねえ。ほっとけ」
ソルは欠伸でもしそうな様子でそう言って、動く気配がない。
「え?いいの?」
「ああ。あっちにヴィアが居るからな」
にやりと笑ったソルの意図した通り。茂みから突如現れたヴィアが、人間に向かって銃を突きつけていた。
ヴィアの能力で何とかなる、とソルが判断したなら、アレットがどうこうするものでもない。アレットは『ヴィアはどんな感じに戦うのかなあ』と思いつつ、眼下のヴィアと、ヴィアに銃を突き付けられた人間とを見守り……。
「お、お前!あの時のスライムか……!?」
そう、人間が言うのを、聞いた。
ヴィアは何も答えず、しかし、確かに動揺するのが見えた。
ヴィアが手にした銃の引き金は引かれず、その間にも人間は、驚愕を徐々に憎悪らしきものへと塗り替えていく。
「お前、お前……!よくも、のうのうと、生き延びやがって!」
人間は怒りに震え、そして……その手に握りしめたナイフを、ヴィアへ向けて、突き出した。
ぱん、と銃声が1つ響けば、人間の眉間に銃弾が撃ち込まれる。人間はヴィアへ迫っていたその勢いのまま地面へ倒れ、そして、だくだくと血を地面に広げながら動かなくなる。
ヴィアは硝煙を上げる銃口を人間に向けたまま、何か考え込むように動かない。
「……おーい、ヴィア!」
そこへ、ソルが思い切ったように声を掛けた。ヴィアははっとして上空を見上げ、そこで初めて、ソルとアレットの存在に気づいたらしい。気まずげに銃をそっと下ろすヴィアの元へ、ソルとアレットは降り立った。
「悪いな。一部始終、見てた」
「そ、そうか……」
敢えてあっさりとした調子でソルがそう言えば、ヴィアはやはり気まずげに、帽子を目深に被り直す。そしてそのまま、喋らない。
「……知り合いか?」
ソルがそう尋ねると、ヴィアは少々動揺し……しかし、すぐ、首を横に振った。
「……いや」
倒れた人間の傍らまで進んで、ヴィアは二度と動かないその頭部を、踏みつけた。
「ただのスライム違いだろう。人間にスライムの区別がつくとは思えない」
いつにも増して凪いだ声に、ソルもアレットも、それ以上の追及はできなかった。