跡形もなく*1
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第四章:偽りの証明
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東へ向かう道中で、アレット達は自分達の体の変化を存分に感じていた。
走ったり飛んだりする速さが随分と変わり、繰り出す脚や爪が力強くなった。今ならば勇者と戦って食い止める程度のことは十分にできるだろう、と思えるほどに、皆は強くなったのだ。
……姫とガーディウム、2人分の魔力が、皆に宿っている。その分、魔物達は強くなり……今や、かつての魔王の側近達に並ぶ程の力を有するようになったのである。
「ヴィアの脚が速くなったのは助かるな」
「はい!これで俺は先輩を運べます!」
「運ばなくていいから。運ばなくていいからね、パクス。そろそろ降ろして」
そして、一行の中でも随分と変わったのは、ヴィアであった。
スライムである割に移動速度が随分と速くなった。脚を収縮させてから伸ばして地面を蹴り、跳ねることで前へ進む。踊るような移動方法であったが、それが十分に速い。旅に出る前のパクス程度には素早く動けるようになったのだから驚きである。多くの魔力を身に宿し、素早く体の形を変え、或いは保つことができるようになった今だからこそできる芸当なのだろう。
「いやはや、力強い体というものは心地よいものだ!実に気分がいい!」
ヴィアはこぽこぽと粘液を泡立てながら、また、跳ねるように前へ前へと進んだ。
……このような急成長であったが、当然のことかもしれない。何せ、今回、ガーディウムの体を最も多く食べたのはヴィアであったのだ。
「……硬い肉や骨や皮や……諸々をなんとか消化した甲斐があったというものだ」
そう。ガーディウムの肉は、とにかく硬かった。ついでに、毛皮や爪や牙や骨など、どう足掻いてもそうそう食べられない部分も多くあったのである。
姫の時には全てガーディウムが噛み砕いて飲み込んでいたが、流石に今回はそうもいかない。ガーディウムの骨は、そこらの鋼と同じような硬さであったのだ。
……ということで、それらは全て、ヴィアの取り分となった。それら、どう足掻いても食べられなさそうな部分は全て無造作にヴィアの体へと突っ込まれ……ヴィアは何とか半日と少しをかけ、それら全てを消化したのである。
その結果、ヴィアは随分と強くなった。最早、ただのスライムとは一線を画す存在になったと言えるだろう。
「仲間を食うってのは悪くないね」
ベラトールもまた、悠々と並走しながら笑う。
「強い体ってのは、いい。それが仲間の力でできてるってんなら、大事にしようって気にもなるしね」
ベラトールもまた、かつての仲間……弟分、妹分として可愛がっていた魔物達の死骸を食らって生きてきた魔物である。ガーディウムを食らうのにも然程抵抗は無く、そして、手に入れた力を受け入れるのもまた、早かった。
尤も、それは納得ではなく諦めなのかもしれなかったが。
「……俺はまだ、そういう風に割り切れそうにないです」
一方、パクスはアレットを背に乗せて軽々と走りながらも、暗い顔をしている。この中で最も柔く脆く、言ってしまえば『真っ当な』心を持っているのがパクスなのだろう。
「でも、先輩がますます軽くなりましたから!元気になりますよね!」
「うん。それは私が軽くなったんじゃなくてパクスが強くなったんだね。ところで、そろそろ降ろして」
だが、パクスも自分の気持ちを切り替えようと、努力しているところである。元々単純で真っ直ぐな性質をしているからか、気持ちを切り替えようと努力すれば、それなりに成果が得られるらしかった。要は、同時に2つのことを考えることができないのだろう。
「ガーディウムと俺と姫と、3人で先輩を運んでるって思えば、なんか、ちょっと元気になりますよね!」
「分かったから、降ろして」
アレットを背から降ろさないまま、パクスは、わおーん、と元気に吠える。パクスにとっては、元気でいることが元気になる秘訣なのである。
「ソルはどう?いいかんじ?」
「そうだな。……今なら、あの騎士団長と戦ってもそこそこ何とかなるんじゃねえかなあ。そう考えると、ちっとばかり悔しいけどな」
ソルは一つ舌打ちをする。……ガーディウムに庇われなければ死んでいたであろうあの戦いが、未だに腹に据えかねているらしい。
「で、アレットはどうだ?」
「私はね、あんまり身体には出なかったかも」
一方、アレットは……あまり、飛ぶ速度は変わらず、蹴る鋭さも変わらず、といった調子である。
……だが。
「でもね。魔法がはっきりした形で使えるようになった。姫様みたいに」
アレットは、新たな力を得ていたのである。
周囲を宵闇が覆う頃。アレットは実演と実用を兼ねて、『魔法』を使うことにする。
「うーんと……こうかな?」
アレットが両手で何かを掬うようにすると、その両手の中に、ぼっ、と灯が灯る。握り拳ほどの大きさの火の玉が明々と周囲を照らせば、魔物達は皆、おお、と歓声を上げた。
アレットはそのまま火の玉を手の中から出し、指先に浮かべ……そのまま、ぶん、と腕をしなやかな鞭のように振り抜く。指先の火の玉は勢いよく飛んでいき……そして、薪にぶつかるや否や、空を焦がさんばかりの火柱となった。
「もうちょっと慣れれば、実戦に使えそう」
「戦う以外じゃ使えなさそうだけどな。……薪、集め直しじゃねえか。もう消し炭だぞこれ」
ほんの数秒ですっかり灰と炭になってしまった薪を見て、ソルは言葉とは裏腹ににやりと笑い、口笛を吹く。
「すごいです、先輩!本当に姫様みたいです!或いは魔王様!」
パクスは全力で拍手をし、全力で尻尾を振り、アレットの所業を褒め称えた。それを見てアレットは少し照れつつも笑って礼を言う。
「それにしても……なんだろうなあ、ガーディウムを食べた結果がこれ、っていうのはなんだか不思議な気がするけれど」
「いや、あれでもあいつはそこそこ器用だったからな?気配や匂いを消す魔法は使ったし……まあ、姫や今のアレットみたいに、はっきりした魔法を使ってた訳じゃあねえが」
そういえばそうだっけ、とアレットは頷き……そしてやはり、ソルにとってガーディウムは、アレットにとってのそれよりずっと重く大きな存在だったのだろうな、と、思う。1年以上に渡って共に過ごしていた同志が居なくなって、ソルは大丈夫だろうか、とも。
「……俺もやってみたらできるかもなあ」
だが、ソルは気丈であった。アレットの強力な魔法を見て、ならば自分も、と気力が湧いてきたらしい。
「俺もできますかね!?」
「お前はやめとけ」
「なんで!?」
一方、パクスはこの調子であったが。……だが、皆は、思うのだ。
パクスが火の玉などを飛ばし始めたら、自分に当たりそうで怖い、と。
それから、はっきりとした形の魔法に興味があるらしいソルとヴィアにアレットは魔法の感覚を教え始め、同時に、パクスとベラトールは『俺、よく分かりません!駄目だ!眠くなってきた!』『私は自分の爪や牙で戦う方が性に合ってるねえ』と離脱していった。
その内すっかり夜になると、ソルは『見えなくなってきたから寝る』と離脱していき……ヴィアとアレットがそのまま、見張りとして残ることになった。
「いやはや、それにしても素晴らしい!強さと美しさが互いに互いを引き立て合い、アレット嬢はより強く美しくなられた!」
「それはどうも。……ヴィアの変わりぶりもすごいけれどね。高速移動できるスライム、初めて見たよ」
見張りが2人1組なのは勿論、目が多くあった方が見張りとして確実だからであるが、長い夜を1人で過ごすのではなく2人で過ごすことによって気を紛らわすという効果もある。1人で居たら恐らくは、ガーディウムと姫のことばかり考えていたであろうアレットであったが、今はよく喋るスライムことヴィアが隣に居るので、暗い気持ちにならずに済んでいる。
「私も驚いていますよ。まさか私がこのように、身体的な能力を高めてしまえるとは」
ヴィアは肩を揺らしつつ頭部にこぽりと泡を生じさせて笑う。そして、両腕を広げてまるで舞台役者か何かのように朗々と述べるのだ。
「魔力、というものは面白いものですね。我らの命と知性の源であり、そして、増えればその分、強くなる。大地に満ちて実りを齎し、空に満ちて魔物を増やし、そして水に流れて巡っていく。……そして我らは死した時、母なる大地へと還り、その身に宿した魔力を次の世代へ、そして世界へと受け継いでいく!」
美しい星空の下、焚火に背後から照らされながら、ヴィアはその空を仰ぐ。そこに満ちる魔力は、魔物であれば多かれ少なかれ誰もが感じ取れるものだ。アレットもまた、宙に満ち、大地に流れる魔力を感じることができている。……尤も、魔王が存命の頃と比べると、やはり魔力が少ないように感じたが。
「……人間が生に執着するのは、寿命が短いからだと思っていましたが。もしかすると、魔力を持たないからこそ、なのかもしれませんね」
「ああ……彼らは大地に還っても、魔力が巡るわけじゃないから?」
「ええ。……勿論、人間に聞いたことがあるわけでもありませんから、私の推測ですがね」
ヴィアの言葉にアレットは頷く。……人間達の中で暮らしていて、アレットも少々、感じたことがある。即ち、『人間は生に執着しがちである』と。
無論、アレット達魔物も、死にたいと思っている訳ではない。だが……仲間の為、自分の意思の為であるなら、死ねる。それが魔物なのである。人間には、その感覚がどうにも薄いように思えた。
だが。
「……じゃあ、勇者は他の人間よりも生への執着が弱いと思う?」
アレットはそう、ヴィアに尋ねる。
『魔力を持たないからこそ人間は生への執着が強い』というのであれば、『魔力を持った人間は生への執着が弱い』のか、と。
……すると、ヴィアは手袋に包まれた指を顎のあたりに沿わせて少々考えて……首を傾げた。
「……どちらかというと、逆のような気もしますね」
「ああ、やっぱり?」
アレットもヴィアも、勇者との関係が深いわけではない。精々、会敵した程度のものであり……騎士団長については、例外としても、まあ、然程深く知るわけではない。
だがやはり、戦いの中で見る相手からは、そういったことが分かる、こともある。
「人の中でも何かに執着した者が、勇者になる。……そう言われた方が、納得がいくかも」
「人間の神とやらは、執着心の強い人間が好みなのかもしれませんね。やれやれ……」
勇者というものは、何かに執着していなければならないのかもしれない。特に、王都で出会い、西の神殿でも出会ったあの勇者は……その傾向が強かったように、思う。
「金髪の方の勇者はさ、騎士団長から婚約者を奪ってるし、魔物相手に、多分人間の国の意見を無視して戦いに来てるわけだし……色々と、執着が強そうだよね」
「ああ、そうですね。うーむ、私はチラリと見ただけですが……生への執着が強そうだ、というか、必死だ、というか、そういった印象を受けましたね」
「そもそも、執着があるからこそ、わざわざ私達の国を侵略しに来てるんだろうしなあ。やだなあ」
「嫌ですねえ……」
はあ、とため息を吐いて、アレットとヴィアは茶を飲む。夜の長い見張り番の供、ということで、アレットは茶を用意しておくことが多い。神殿の前で採取した野草の茶であるので、どことなく魔力をほわりと感じられる仕上がりであった。
「……ああ、そうそう。私は心配ですよお、お嬢さん。あのアシル・グロワールという男!銀髪の方の、新しい勇者!あいつは貴女に執着している!」
「ね。びっくりした」
そして茶請けとして出てくるのは噂話や醜聞の類である。特に、ヴィアはこの手の話を好むらしい。
「全く、身の程知らずというか、なんというか……いや、ここは、新たなる勇者ですら魅了してしまえるアレット嬢に軍配が上がった、と考えるべきでしょうかね。あいつの執着が強いのではなく、アレット嬢の魅力が強かった、と」
「うーん……たまたま、何かにものすごく執着したい時だったのかな、とは思うよ。婚約者に裏切られたのに任務先でばったり再会しちゃうし、そこで恋敵の不始末に頭を悩まされるし……っていう状況だったから、劇的な出会いとか、都合よく自分の味方になってくれる人とか、そういうのに飢えてたんだと思う」
アレットは騎士団長の様子を思い出しつつ、ぼやく。
……味方だと思っていた者達に悉く裏切られ、嫌な思いをさせられている真っ最中。そこに味方が飛び込んできたなら、その味方に執着しもするだろう。実際、騎士団長は恐らく、そうだった。あの時期、あの場所、あの状況だったからこそ、騎士団長はアレットにああまで入れ込んだのではないだろうか。
「ということで、まあ、丁度色々噛み合っちゃった。そういうことだと思うんだけどな」
「それにしてもあの執着ぶりはすさまじいものがありますがね……人間が魔物を走って追いかけてくるなど、聞いたことが無い!」
だがやはりヴィアとしては騎士団長の執着ぶりが気になるらしい。ヴィアはスライムであるので表情が読み取りづらいが、それにしても好奇にわくわくとしている様子が見て取れた。これをパクスに置き換えたら、目はきらきら、尻尾はぶんぶん、というところだろうなあ、などとアレットはぼんやり思う。
「……ヴィアはこういう話、好きだよねえ」
「す、好き?そのように見えますか?」
「うん」
アレットの言葉に、ヴィアは少々驚いたような気配を見せた。
「私は、人間がよく言う恋っていうものがよく分からないからさ。愛、なら多分、分かるんだけれど。……ヴィアはそういうの、分かるの?」
アレットが更に尋ねると、ヴィアは少々狼狽したような、そんな様子を見せ……やがて、肩を竦めてみせた。
「……まあ、私とて分かるわけではありませんがね。所詮、私は『心を持たぬ魔物』です。人間に言わせてしまえば、ね」
ヴィアは立てた片膝の上に肘を載せ、もう片方の手を地面について幾分楽な姿勢になりながら……ふと、地面に視線を落として、言った。
「ですが……魔物として相応しくないと、思われるかも、しれませんが……多少、憧れは、するのです」
ふら、と、カップを持つ手が揺れる。
「それほどに執着する相手が居るというのは、まあ、ある種、幸福なことなのでしょうね。本人にとっては」
カップの中、波打った茶の水面のように、ヴィアの体が、少々、震えた。
夜の間にアレットとヴィアは雑談しつつ見張りの任を勤めあげ、そして、途中でパクスとベラトールに見張りを交代した。そうしてアレットはもそもそと寝袋に潜り込み、眠りに沈んでいき、朝を迎えて……。
「先輩!先輩!先輩!おはようございます!」
……朝から随分と元気な声に起こされてしまった。
「朝ご飯です!朝ご飯ですよ!」
「ああ、うん……ええと」
そして、やたらと元気なパクスに起こされたアレットは、困惑することになる。
「人間が居たので捕まえました!食べましょう!」
……パクスとベラトールによって捕らえられ、縛り上げられて最早食べられる運命を待つのみとなった人間は、アレットを見て、愕然としていた。
「……あー、お久しぶり、です」
アレットは挨拶しながら、あーあ、と内心で困る。
「ええと……王城以来、ですよね?」
そこに居たのは、王城での戦いに備えていた、兵士の1人であった。




