幸福*2
「……旅から離れて療養する、っていう訳には、いかないの?」
アレットはぽつり、と、そう尋ねた。ガーディウムがアレットの言葉では動かされないだろうと、諦めてもいたが。それでも、どうしても、零れてくる言葉は止めようがなかった。
「ああ。俺は姫の目も心臓も、頂いているからな。……その分の魔力を持ち逃げしては、俺達の望みが遠くなる」
「あなたはまだ、生きられるのに?」
どこか責めるような響きが言葉に混じるのも、どうしようもなかった。これは私の我儘かな、と思いながらも、それでもアレットは、ガーディウムにそう、問う。
「ねえ、ガーディウム」
「……死なずに居ることに、意味など無い。特に、目的を喪った俺には、そうだ」
ガーディウムに生きていてほしいと思ってしまうアレットは我儘かもしれないが、きっと、ガーディウムも我儘なのだ。アレットはそう思い……しかし、仲間の我儘を許そうと、心が諦めに解けかけるのを必死に止める。
「姫様は、そう、望んでいた?」
「……分からん。今となっては」
ガーディウムはゆっくりと首を横に振って、自嘲気味に笑う。
「だが……俺は、こうすべきだと、思った。思っていた。姫の心の臓を食らった、あの時から」
ガーディウムは王女の盾である。王女亡き今も、そうだ。
ガーディウムの生きる意味とはレリンキュア姫を守ることであり……姫が死んだというのならば、ガーディウムが生きている意味もまた、無い。
それでもガーディウムが姫の肉を食らってでも生きてきたのは、姫にとって自らの命より重要なものがあるからだ。
魔物の国の再興。人間の滅亡。望むものは多く、しかし、手が届かない。
……ならば、誰かがその望みに手を届かせることができるよう、自分が踏み台になればいい。姫が、そうしたように。
「お、俺は反対です!」
そこに、パクスが声を上げた。
「ガーディウムが……ガーディウムがわざわざ、死ぬ必要は、無いと!俺は、思います!」
そう言いつつ、パクスはどこか、諦めているようでもあった。彼もまた、姫を食らった内の1人だ。どこかで分かっては、いるのだろう。
「……だが、姫の魔力を受け継いだ俺がこのまま、という訳にもいかん」
ガーディウムは諫めるような気持ちでパクスに向き合う。
「魔物の悲願を達成するためにも、俺が戦えなくなったのなら、俺の魔力は他の戦士へ受け継がれるべきだ」
「……そのために、ガーディウムが死ぬ必要があるんですか?」
「ああ、そうだ。持つ魔力を完全に譲渡する方法など、それ以外にあるまい」
パクスはまだ、他の方法を何か、探しているようであった。だが、結局は何も思いつかないらしい。……パクス以外の誰が考えても、そんな方法は見つからないのだ。存在しないものは、見つけられない。
「どのみち、最後に魔王は1人だろう」
ガーディウムは笑うように言った。
「最後には誰か1人になる。ならば、今こそ俺を食ういい機会だ。そうは思わんか?」
「……その『最後』までは仲間が多い方がいいと思うけどな」
ソルの答えを聞いて、ガーディウムはまた笑う。それはそうだろうな、と思いながら。……ガーディウムとて、できることなら姫に生きていてほしかったのだから。
「それに、俺は……魔王になるならお前だと思ってたんだぜ、ガーディウム」
さらに続いたソルの言葉に、ガーディウムは虚を突かれる。そして、じっとりとして諦めの悪い漆黒の目を見つけて、こらえきれなくなった笑みを漏らす。
「そうか。俺はお前辺りが『貧乏くじ』に相応しいと思っていたが」
ガーディウムが肩を揺らして答えれば、ソルは、すぱん、と翼でガーディウムの後頭部を叩いた。
「……まあ、そういうわけだ」
ガーディウムは後頭部をさすりつつ笑って……そして、頭を下げた。
「頼む」
塞いだ傷が開いて、じわり、と血が滲む。それを見て……最早誰も、ガーディウムを止める術を持たなかった。
ガーディウムが地面に寝そべると、周りを魔物達が囲む。そして……困った。
「で?お前は生きたまま食われるのがお望みか?」
「俺はそれでも構わんが、それでは食いにくいだろう?」
「そりゃあな!」
ソルが呆れたようにため息を吐くのを、ガーディウムはなんとなく愉快な心地で眺めていた。
ガーディウムにとって、この中で一番付き合いが長い相手はソルだ。たかが1年と少しの付き合いではあったが、2人でなんとか姫を取り返し、革命を、と模索していた日々は、そこらの10年や20年にも匹敵する程濃密であったのだ。それなりに気のしれた相手にもなる。
「適当に殺してくれて構わんが……ああ、ナイフを貸してくれ。流石にそこまで手間を掛けさせるのも悪い」
「今更だよなあ、おい」
ガーディウムがソルのナイフに手を伸ばすと、ソルはその手をぺしりと翼で叩いて止めた。……そして代わりに、ソル自身がナイフを抜く。
「……安心しろよ。自刃しなくていいように、俺がスパッとやってやる」
「それは頼もしいな」
ソルの腕前はガーディウムもよく知るところである。それを体験して死ねるというのなら、中々の幸運だろう。
「……そうだな。俺が死んだ後のことだが。頭部はソルかヴィアに任せよう。アレットかベラトールに任せてもいいが……パクスには食わせない方がいいように思う」
「あの、なんでですか!?姫の時も思いましたけど、なんでですか!?」
パクスは愕然として騒いでいたが、皆、生温かい笑みを浮かべてそれをやり過ごした。……皆、パクスには賢しさを身に着けてほしくないのである。
「代わりにパクスには脚を頼む。まあ、食いではあるだろう」
「硬そうだけどな」
「なんか俺、脚ばっかり速くなってく気がしますけれど!?」
いいんですかそれで、とパクスが騒ぐのを皆、またも生温かい笑みを浮かべてやり過ごす。パクスは『なんかいっつも俺だけ置いてけぼりにされる気がする!』と騒いでいたが。
「腕はベラトールに譲ろう」
「……食う部分によって手に入る力が違うってことかい?」
「……いや、体の部位ごとに魔力の差があるのかは俺も知らんが」
ベラトールは不思議そうな顔をしていたが、姫に倣えば、こうなる。
「血はヴィアに頼むことになるか。いつものことだが……」
「ああ、任せたまえ。一滴たりとも無駄にはしないさ」
「アレットには……どこがいい?」
「え?うーん……じゃあ、内臓、もらうね。比較的柔らかそうだし」
この中で最も顎が弱いのはアレットだろう。……無論、人間と比べれば強い方だが、やはり元が肉食の魔物達には敵わない。アレットの元は、果物を好むか弱い蝙蝠だったのだから。
「……内臓、か。なら……その、面倒をかけるが、心臓は裂いて皆で食ってほしい」
「うん、分かった。任せて」
アレットは頷いて、自分のベルトに吊るしたナイフの存在を確かめる。切れ味鋭い刃物であれば、強靭な心臓を裂くことも十分にできるだろう。
「心臓は……姫のもの、だもんね」
アレットが悪戯めいて笑ってそう言うので、ガーディウムは少々気まずげに目を逸らして、ああ、とだけ返した。
……そこでふと、アレットはガーディウムに尋ねる。
「……ガーディウム。姫に、食べられたかった?」
この問いに、ガーディウムは虚を突かれたような思いを味わい……それから、考える。
もし、逆であったなら。……姫は自分のように生きることを諦めはしなかったのではないか、と、思う。
姫は強い生き物であった。躰は細く、ガーディウムの手で折ってしまえそうな程であったというのに、その心はガーディウム如きには折ることができないと思わされるような……そんな強さを持った生き物であった。
そして、もし、そんな生き物に、自分が食われることになっていたら。
あの強く美しい生き物は、自分を食う時に、どうしていただろうか。
自分は只々満足だろうが、と思い……そこでふと、ガーディウムは思い出す。
姫もまた、食われる直前、随分と満足気ではなかったか、と。
……姫が、今ガーディウムが満足しているような心地で居たというのであれば、もし姫がガーディウムを食うことになっていたなら、その時、姫もまた、ガーディウムと同じ心地になったのではないだろうか。
「……いや。俺は硬くて不味いだろうからな。そんなものを姫に口にさせずに済んで、よかった」
「えっ!?つまり俺達は不味いもの食べてもいいってことですか!?」
パクスが騒ぐのを聞きつつ、ガーディウムは開いた傷に障らない程度に笑う。
「さあ、覚悟して食えよ。俺は量が多い割に、美味くはないぞ」
……もし姫が自分を食うことになっていたとしたら、きっと、自分が姫を食らった時と同じようなものを、自分の半分程度にでも、感じてもらえたのではないだろうか。ガーディウムはそう、思う。
あの気丈な姫のことだ。慟哭するようなことは無かろうが……涙の一滴程度は賜われたかもしれない。
そして、それを……どうしようもなく幸福に感じる。
自分を食らった者達が未来を繋いでいくことは幸福である。
自分の望みが潰えずに継がれていくことは幸福である。
そして、自分の大切な者がそうしてくれるというのならば、それは至上の幸福だ。
……もっと早くこれを伝えるべきであっただろうか、とふと思い、それからその考えを打ち消す。
これから時間は限りなくある。大地へ還った後で、姫の魔力の欠片を見つけたら問うてみればいい。
『あなたも俺を失いたくなかったのか』と。
……そして、どんな答えが返ってきたとしても、伝えればいい。
『俺もあなたを愛していた』と。