幸福*1
それから、ガーディウムの傷の処置が行われた。傷を火で焼くなど、正気の沙汰ではない。だが、ガーディウムとしては人間のナイフに傷を埋められ続けるよりは、身を焼く痛みに耐えてでも人間の呪縛から逃れたかったらしい。
ガーディウムの傷の処置はソルとベラトールが担当した。こういったことに比較的慣れているのがこの2人だったためである。ガーディウムの呻く声を聴きながらパクスは目をぎゅっと閉じ、その後ろでヴィアは『なんという……なんという……』と慄いていた。
……そうしてガーディウムの血が無理矢理に止められると、熾した火を地面で突き消して、ベラトールが言う。
「……で。こいつは、どうするんだい。どうも普通の人間じゃないように見えるけどね」
ベラトールが顎で示したのは、騎士団長である。
ソルに側頭部を蹴られて昏倒したままの彼を今殺すのは容易いだろう。
「生かしとくのかい?」
「勿論、殺……いや」
だが、ソルはそこで躊躇い、アレットに視線をやった。
「……アレット。こいつを、制御できるか?」
「……分からない」
アレットとしても、ソルの問いの意図は分かる。即ち、『ここで殺して安全を取るか、ここで生かして今後に繋げるか』ということだろう。
騎士団長の力を見て、アレットは『危険だ』と思った。あの力をここで削れるなら、それに越したことは無い、と。
「あの、先輩。迷うならこいつの傷、止血くらいはしておいてやらないと、迷ってる間に死んじゃうんじゃ……」
「その必要は無さそうだがね。ほら、見たまえ」
だが、心配するパクスにヴィアが言う。
「神の祝福、というのだったか?やれやれ……新たな勇者の誕生だ」
……皆の見ている前で、騎士団長の傷口に光がふわふわと集まっていく。そして、青空の色に輝いたそれらは、騎士団長の体から傷を全て、癒していったのである。
およそ有り得ない光景であった。魔物の中でも、このように傷を癒す魔法を使う者は居ない。伝説にはその魔法が残っているが、所詮はその程度だ。
「……気に入らねえなあ」
ソルは苛立たし気に騎士団長を見下ろし、しかし、それだけに留める。本当ならばガーディウムを刺し貫いたナイフを拾い上げ、それで思い切り心臓を貫いてやりたいところだろうが。
「で、アレット。どうだ」
「……やってみる」
そんなソルを見ながら、アレットは頷く。
今、感情に任せて行動してはいけない。そう、考えた。人間への憎悪も、仲間が致命傷を負った怒りと悲しみも、全てをぶつける相手を、それでも、生かす方を選ぶのだ。
「ここまで大事に引きずっておいて、今更手放すなんてできない。……無駄だったことに、したくないし。ここでこいつを殺しても、もう1人、勇者は残る。しかも、神の力を得たかもしれない勇者が。……なら、そいつを殺せるかもしれない刃を、捨てずにとっておいた方が、いい」
気絶したままの騎士団長を見下ろして、アレットは、言った。
「……それで、全部終わってから、こいつは私が責任をもって始末するよ」
それからアレットは、手紙を書く。騎士団長に残していくためである。
内容は、『魔物の許可を得て書き置きを残している』、『今後魔物達と共に他の神殿へ向かうが、もし勇者と出会ったら南の神殿に邪神の力を戻しておくように伝えてほしい』、『リュミエラはまだ生きている』、『騎士団長殿の傷の手当てをしたが、直後、光が溢れて傷が全て癒えたようである』、『どうかご無事で。私のことはどうか気にせずに』……といったものである。
要は、騎士団長にアレットのことを忘れさせない為のものである。『魔物達が勇者関係の伝達事項をフローレンに書かせたのだろう』と推測させることもできるので、怪しまれはしないだろう。アレットは手紙を地面に置き、飛ばされないように石を重しにした。
それから、騎士団長の頭の下にアレットが着ていたシャツを一枚、丸めて入れておいてやる。如何にも包帯にするため切り裂いた、と思えるように裾を裂いておいてから枕にする徹底ぶりで、騎士団長への思いやりを存分に思い知らせてやることにした。
「それじゃあ、移動しようか」
諸々が終わって、アレットは歩き出す。皆もゆっくりとした速度で歩き始め、徐々に、騎士団長の姿は木々に紛れて見えなくなっていった。
ガーディウムが歩くにあたって、ソルが肩を貸した。最も身長と体格が近いのはパクスだが、この中で最もガーディウムと付き合いが長いのはソルである。
「ガーディウム。傷はどうだ」
「まあ、問題ない。すぐさまどうこうなるものでもないだろうな」
ソルが尋ねれば、ガーディウムは少し笑ってそう答える。だが、その顔色はどう見ても悪い。血が足りていないのであろうし、傷の痛みに耐え続けてもいるのだろうとすぐ分かった。
随分と低い体温だ、と思いながら、ソルはガーディウムを支えて歩く。空飛ぶ者が地を駆る者を支えて地面を歩くなど、随分とおかしなこともあったものだ、などとも思いつつ、だが、今はこれ以上にできることが無い。
「……なんで俺を庇った」
そしてソルは、またも尋ねる。先ほど聞いたことだが、どうにも、ソルの中でそれが引っかかっているのだ。
「あそこで俺がああしなければ、間違いなくお前が使い物にならなくなっていただろうと、そう思ったのだ」
ガーディウムの返答に、ソルは苦い思いを味わう。
……事実、そうだっただろう。あの時、ガーディウムが騎士団長へと突っ込んでいかなかったなら、間違いなく、ソルは致命傷を受けていた。……あれを避けきる自信は、ソルにも無かった。
「そして……先程も言っただろう。お前は今後も必要だ」
「じゃあ、お前は不要だとでも?」
少々恨めしいような気持ちでガーディウムを見上げると、ガーディウムはソルを見下ろして喉の奥で笑った。
「そうだな。俺は不要だろう」
どこか達観したようにそう言うガーディウムを見て、ソルは、『ああ、もう止められねえな』と悟る。1年以上も行動を共にしてきた相手だが、こうなってはあっさりとしたものだ。
「敵陣に突入していくのも、大地を駆っていくのも、俺の役目はパクスが概ね果たせるはずだ」
「……俺はそうは思わねえが」
「そう言ってやるな。パクスは優秀な戦士だ」
「知ってる。だがお前とは違う、別の魔物だ」
ガーディウムとソルが揃ってパクスを見れば、パクスは『なんですか!?』と慄いた表情を浮かべる。その表情を見て、2人はまた笑った。
「……俺が残るよりはパクスが残るべきだ。違うか?」
「まあ……俺かお前か、じゃなくて、お前かパクスか、なら、それに賛同してやってもいい」
2人は少々後ろ暗い笑みを浮かべつつ、そっと囁き合った。
「……でもな。お前の代わりがパクスに務まるっていうなら、俺だって似たようなもんだろ。俺にできることはほとんど、アレットができることだ」
「そうだな。そして、アレットはこれからも人間達の中で働かせることになる。なら、アレットを救い出せる者が必要だろう。今回のように」
続けてアレットの方をちらりと見て、ガーディウムはそう言う。ソルは何か、反論したい気持ちがあったのだが、結局は口を噤む。既にガーディウムの中で結論が出ているというのなら、ソルがあれこれ言うのも空しい。
「今、勇者に対抗し得る力を持つのは、あの騎士団長とやらだけだ。そして、あれを制御するには、アレットを使うのが一番いい。なら、アレットの力を十分に発揮できる下地を残すことが、俺の……姫の望みを、叶えることになる」
ガーディウムはじっと、ここではないどこかを見つめてそう言った。夢見がち、とも形容できるような、そんな表情で。
「ソル。必ずや神の力を集めて、魔王を生み出せ。……そして、魔物の、世界を」
「当然だ。お前も姫様もそう望んでるかもしれねえが、俺だってそう望んでる。それは変わらねえよ」
ソルはバシリとガーディウムの背を叩いて、それから、傷に障ったか、と少しばかり、後悔する。尤も、ガーディウムはまるで気にした様子が無かったが。
「……そうだな。じゃあ、俺が魔王になって、お前が俺に仕える、ってのはどうだ?」
「悪いが俺の主は姫唯一人だ。……面白そうではあるがな」
「そーかよ。残念、残念……っと」
ソルは嘯きつつ、ガーディウムを支えて一歩ずつ前へ進む。
……諦めの悪いこったなあ、と。どうやら俺はまだ、ガーディウムを生かしておきたいらしい、と。そう、思いつつ。
そうして一刻ほど進んだところで、一行は歩みを止めた。
「隊長!ガーディウムの調子はどうですか!?大丈夫そうですか!?」
「本人に聞け」
ソルは支えていたガーディウムをその場に座らせると、ソル自身もまたその場にどさりと腰を下ろして息を吐く。
冬の冷たい空気の中でも、2人は汗をかいていた。ソルはガーディウムの大柄な体躯を支えて歩いたためであり、ガーディウムは失血による冷や汗のためであったが。
「ガーディウム!ガーディウム!大丈夫そうですか!?」
「まあ……なんとか、な。だが、このまま旅を続けるのは難しいだろう」
パクスが尻尾を元気に振りつつやって来たのを見て、ガーディウムは薄く笑った。何だかんだ、パクスは皆の気持ちを和らげる稀有な隊員なのだ。
「そっか……なら休まなきゃですね!この辺りに人間の集落、ないですかね!あったら襲って、そこでガーディウムが休めるように」
「パクス。……皆も、聞いてほしい」
だが、パクスの言葉を遮って、ガーディウムは言葉を発する。
「俺はここで離脱する。この程度の傷で弱音を吐きたくはなかったが、足手纏いになりたくもないのでな」
……そして、恐らく、パクス以外の皆がじわりと予想していたであろう決断を、ガーディウムは下した。
「だから、ここで俺を食え」