目覚め*4
神殿内部で眠る準備を進めつつ、一行は諸々を相談していた。相談の内容は主に、いつ来るか分からない人間達への対処について、である。
「人間共がいつ来るか分からん。外に見張りを立てるべきか」
「いや、神殿内部でいいだろ。んで、いざとなったら魔法仕掛けの通路で西に逃げる」
「それ、下手すると勇者と会うことにならない?」
「そうだな。だから本当にいざとなった時、ってことにしとくしかねえ」
ソルは少々残念そうにそう言うが、西へ逃げるのはあまり良い手ではないとソルも分かっている。勇者と同じ方へ逃げることになる上、次の目的地である東の神殿から最も遠い場所へ移動してしまうことになるのだから。
「……私が捕虜役じゃなければ、私が神殿の屋根から見張りをするのになあ」
「ははは。ま、お前は祭壇の上に寝てろ」
見張りに最も適するアレットは、今は捕虜として振舞わなければならない。いつ人間が来るかも分からない以上、外で見張りの任に就くのは厳しいだろう。
「さて、アレット。相手の戦力はどんなもんだ?」
「うーん、王都第2騎士団の平兵士達はそんなに大したことないから軍勢で来てもまあ大丈夫だとは思うんだけれど、団長は……ソルの気配に気づいてすぐ、抜刀したんだよね。おかしいなあ、最初に会った頃は、そんなに強くないように思ったんだけれど……」
アレットはソルがテントの布を切り裂いて自分を攫ったあの瞬間のことを思い出す。
あの時、驚くべきことに騎士団長は抜刀していた。勿論、ソルの速さには付いてこられていなかったが、ソルの気配に気づいてすぐ動いたというだけでも十分、賞賛と警戒に値する。
……騎士団長自身は、恐らく人間の国の王子であろう、と思われる。だからこそ、初めて見た時の……戦い慣れていないような雰囲気であったり、それほど強そうには感じなかったり、といった印象に繋がったのだろうが。
だが、その印象とあの抜刀は妙に乖離していた。……アレットは少し悩んだが、まあ、偶々か、と結論付ける。あの程度ならアレットにもできはする。神経を極限まで張り詰めていた人間にも、同じことができておかしくはないだろう。
「あと、副団長2人については手の内が分かってないのと、多分2人とも親勇者派だっていうところで注意が必要かな」
「できることなら殺しておいた方がいい、ということか」
「まあ、副団長は殺しておいてもいいかな。うん。折角だし1人は殺しておこう」
続いて、殺す相手の相談も行う。
殺すなら手の内が分かっていない相手から。これからより安全に事を運ぶためにも、不確定なものを未来に残さない方がいいだろう。
「……あと、もしかすると勇者のところに居た兵士が1人、一緒に来るかも。そいつは殺せれば殺すけれど、むしろ生かしておいた方がいいのかも」
「それはどういうことだ、アレット」
「今回、私の退場は結構無理矢理だったでしょう?疑う余地は存分にあるはず。だからこそ、疑う人が誰も居ないっていう状況は避けたいの。『怪しいのに疑わない』っていうのはあまりにも怪しすぎる。だから、騎士団長に気持ちよく私を信じてもらうためにも、1人、無理矢理にでも私を疑おうとする人が居た方がいいかな、って」
騎士団長の性質を考えれば、恐らく、何か1つの考えに偏ることを恐れるはず。様々なものの見方をしてから結論を出そうとすることは、組織の長としてはごくありきたりな考え方だ。
だからこそ、騎士団長の傍に、アレットを疑う者を置いておきたい。そうすることで、騎士団長自身アレットを疑わなくなると考えた。
「成程な……なら、俺達は適当に暴れて適当に殺して、撤退、ということになるのか。どうする、ソル」
「ま、それが妥当だろうなあ。今回、騎士団長とやらには生きて帰ってもらわなきゃならねえわけだし、アレットはあいつらに渡せねえし……」
今回の目的は、『リュミエラは生きている』と言ってやること。騎士団長にアレットを見せてやること。そして、騎士団長に勇者を疑わせるよう仕向けることだ。
……そしてあわよくば、勇者が持っているであろう神の力の欠片を取り戻させたいのだが……それは難しいかもしれない。少なくとも、勇者がリュミエラを見捨てて神の力の返却を拒否した場合、こちらからは打つ手が無いのだ。後は勇者を食ってその身に宿った魔力を得る、ということになるが……。
「ま、できることはそう多くねえな。適当に喋って、殺すだけ殺して、で、逃げる時は東だな。また俺はアレットを掴んで飛ぶから、ガーディウムとパクスでヴィアを頼む」
「俺、運ぶなら先輩がいいです!」
「我儘言うんじゃねえ。アレットを『憎い人間の捕虜』として扱うなんざ、お前にゃ無理だ」
それからもう少しばかり算段をつけて、一行は神殿の中に入る。神聖な気配と漂う魔力に癒されつつ、祭壇の前まで進み出た。
「じゃ、とりあえずアレットと俺は休む。夜になっちまったんじゃあ俺は役に立たねえからな」
ソルはそう言うと、祭壇の前にいそいそと寝床を作り始めた。アレットについては捕虜として扱われていないといけないことと、何より、長らく人間達に交ざって過ごすことで疲れてしまっていることで休憩させられることになった。
「でも、私以外は夜目が利く訳じゃないよね?パクスとガーディウムは鼻である程度色々分かるだろうけれど……」
勿論、アレットとしては休憩することに抵抗はある。夜はアレットの為の時間なのだ。それをただのんびり過ごすとは。
「なら見張りには私が立つよ。これでも夜目は利く方だ」
だが、アレットが案ずる必要は無かったらしい。ベラトールがペリドットの瞳を細めて笑うのを見て、アレットもまた、表情を綻ばせた。
「わあ、ベラトール!あなたって素敵!これでやっと夜目が利く仲間ができた!」
アレットはベラトールに飛びつきつつ、歓声を上げた。……何だかんだ、同じ能力を持つ仲間というものには親近感を抱くものである。
「なら、俺とベラトールが見張りの任に就こう。他は皆、休め。何かと忙しなかったからな」
「分かった。じゃ、夜が明けたら俺とパクスが代わる。……ヴィアも休んどいた方がいいだろ。今回、アレットの次に働いたのは間違いなくヴィアだ」
ソルが苦笑しながらヴィアの方を見て、そして、懐に入れっぱなしだったヴィアを取り出して、ぺた、とヴィアの頭部にくっつけた。
「ええ、ええ!全く、アレット嬢といいソルといい、無遠慮に私を千切るものだから……」
「ごめんね、ヴィア。でも助かったよ。こういう風に連絡が取れるって本当に便利!」
アレットもまた、ポケットに入れっぱなしだったヴィアを取り出してソルがくっつけた横にぺとり、とくっつける。……少々時間を置いてヴィアへ戻った欠片2つは、徐々にその輪郭を失い、ヴィアの中へと吸収されていくようだった。つくづく、スライムというものの生態はよく分からない。
「美しいお嬢さんのお役に立てたなら光栄です。疲れなど吹き飛んでしまいますね!」
「おう、ならお前が見張り、やるか?」
「御冗談を!私は休ませていただくよ。流石に体が3つに分かれたのをくっつけるには時間が必要だ。はあ、やれやれ……」
ヴィアはソルの冗談に肩を竦めてみせると、早速、とばかりに寝袋の中へ潜り込み始めた。
「……じゃ、俺も寝るかな。何かあったら遠慮なく起こしてくれ」
「俺も寝ます!見張りの時にちゃんと起こしてくださいね!」
そしてソルとパクスも寝袋へ潜り込み……。
「やったー!久しぶりにぶら下がって寝られる!」
アレットはぱたぱたと羽ばたいていくと、天井を見て寝心地の良さそうな個所を見つけ……そこからぷらん、とぶら下がるように逆さまになって眠ることにした。
「……先輩のあれって、何度見ても不思議ですよねえ」
「ま、蝙蝠の眠り方はあれが正しいんだからしょうがねえ」
「おお、なんということだ。ぶら下がるお嬢さんも素敵だ……」
アレットが自らの翼にくるんと包まってぬくぬくとぶら下がっているのを見て、一行はひとまず、それぞれににっこりと笑った。……魔物はそれぞれの魔物がそれぞれの魔物らしく在れるように皆が望んでいる。アレットが天井からぶら下がると、アレットだけでなく皆もなんとなく、嬉しいのだ。
そうして床で3人、天井で1人が眠ってしまうと、ガーディウムはベラトールと共に神殿の外へ出た。
「まあ、人間が今すぐに来るとは思い難いがな」
「だろうね。人間はトロいから」
ガーディウムは周囲へ気を配りながらも緊張はしていない。ベラトールも同様と見えて、どっかりとその場に腰を下ろした。
「あんた、いつもこうなのかい」
そして唐突にそう聞かれて、ガーディウムは咄嗟に理解できず、固まる。
「どうせ人間が来やしない夜の見張りにわざわざ名乗り出る必要も無いだろうに。私1人でも……ああ、まあ、信用できないってんなら分かるけどさ」
「いや、そういうわけでは……」
今度もまた、何と返していいものか分からず、口籠る。
ガーディウムは元々、口が上手い方ではない。それはこの旅に出てから幾度となく感じてきた。
アレットのように口先で人間を操ることは到底できないだろうし、ヴィアのようにぺらぺらと賛辞を並べ立てることもできない。ソルは愛想の無いように見えてあれこれ気を使える性質なのか、言葉にもそれが出る。パクスは至って正直にあれこれ口に出すので、ある種、口が上手いと言えるかもしれない。
そして、姫は。……姫は、言葉を操るのが、上手かった。
ガーディウムや他の魔物達を鼓舞することも得意であったし、それとなく発された言葉の洒落方に度々感服させられたものだ。
……それに、姫は嘘を吐くのも上手かった。
まさか死ぬ気でいるなどと、ガーディウムには露ほどにも感じさせず……それでいて、本人は確固たる意思で、死を選んだ。
……否。姫がガーディウムを騙したのではない。ガーディウムが姫の心を見抜けなかったのだろう。ガーディウムは姫のことなど、何も分かってはいなかったのだ。
もう、答え合わせもできないが。
「あんたも色々失っちまったクチかい?」
またも唐突に聞かれ、ガーディウムはまた言葉に詰まる。
ベラトールがこのように唐突かつ率直に過ぎ、その割に少々回りくどい問いかけばかりしてくるのも、口下手故なのかもしれない。そう思えばガーディウムも似たようなものだ。特に苛立ちはしない。
「……何故そう思った」
「さあ。なんでだろうね」
ようやく落ち着いたガーディウムが問い返せば、ベラトールは肩を竦めて答え……それから、ふと、『誤解を招いたか』というような不安の表情を見せた。
「……いや、はぐらかすつもりは無いんだよ。自分でもなんでそう思うか分からないってだけさ。ただ何となく感じるものって、あるだろう?」
「そうか。生憎、俺には分からん感覚だが……まあ、そういうものも、あるのかもしれん」
ガーディウムは感覚が鋭い方ではないと自覚しているので、ベラトールがそう言うなら『そういうものか』と思う。ベラトールはそれに少々驚いたような顔をしたが。
「俺の主君が仰っておられたことだが」
それからふと、ガーディウムは思い出して言葉に出した。
「『なんとなく』には必ず理由があるらしい。ただ、それを言葉にするのを面倒がって、ただ『なんとなく』や『勘』ということにするのだということだった」
唐突か、とも思ったが、ベラトールも似たようなものだろう。この際口下手には目を瞑るとする。
「お前の言う『何となく感じるもの』というのはそれかもしれないな」
ガーディウムが少々笑ってそう言えば、ベラトールは『ふむ』とばかり頷いて、それから空に浮かぶ月に目を向け、何やら思い出すように考え始めた。
「そう、だね……あんた達と行動するようになってまだ数日だけどね。最初に見張りを申し出るのは大抵、あんただ。不要だろうって時にも必ず、見張りに立とうとする」
それからベラトールは指折り数えるようにしてそう言う。
……ベラトールの言う通り、ここ最近、ガーディウムはよく見張りに立っている。無論、アレット不在の間はベラトールを含めても5人しか居なかったのだ。毎日誰かは見張りに立つ必要がある。
だが、それでもガーディウムが見張りを買って出ることは多かった。ガーディウム自身、意図してそうしていることも、半ば無意識にそうしていることもあったが。
「殿を勤めるのもあんただろ。犠牲になるなら自分からがいいって思ってる奴の行動だ」
隊列の最後尾、というと、後ろから狙われた際に真っ先に命を落とす役である。特に、敵から逃げるような時には。こちらも、ガーディウムは意図して最後尾に着くことが多いが……。
「……何が言いたい」
「何、ってほどのことでもないさ。ただ……」
ベラトールは、ちら、とガーディウムを見て、また月を見上げる。
「私だけじゃあないんだな、と思って、ほっとするってだけさ」
「私はもう、生きている意味がない」
ベラトールがそう話すのを聞いて、ガーディウムは彼女が弟分や妹分……大切であったのだろう者達を喪ったのだったと思い至る。そして自分もまたそうであった、と思い直すのだ。
「まさかあんたもそうなのかい?」
「……主君を喪った家臣など、生きているのも空しいだけだろう」
「そうだね。弟分と妹分を喪ったお姉ちゃんが空しいのと一緒だ」
ガーディウムが言葉を零せば、ベラトールは軽薄にも聞こえるような笑い声を上げる。
「そうか、そうか……成程ね。あんた、噂には聞いたことがあったが、『姫君の盾』ガーディウムかい」
「ああ」
過去のものとなってしまったその称号に、ベラトールが何を思うのかは分からない。だが、ベラトールはふと目を細めると、地面に目を落とした。
「あんまり言いたかないけど、1年もすればある程度、忘れるよ。段々とね。……私がそうだった。尤も、復讐のために人間を殺しまくってたからかもしれないけどね」
「……忘れたいなどとは、思わん」
「それでも忘れるのさ。多分、生きるためにね」
ガーディウムはベラトールを睨んだが、ベラトールとは目が合わなかった。ベラトールの視線は地面に向けられたままで、恐らく、彼女の言葉は彼女自身に向けられたものなのだろう。
「今、俺が生きているのは姫の望みがまだ死んでいないからだ」
だからガーディウムも自分自身に向けて、言う。ベラトールの言葉が無くともずっとこれを自分の中に抱いているのだと、もう一度確かめるために。
「……姫の望みに近づくためなら、俺が死んでも構わん。忘れるくらいなら生きずともよいのだ。……生きるにあたって、俺より相応しい者達が幾らでもいるだろう」
ガーディウムがそう言えば、ベラトールの目が、ちら、とガーディウムを見た。そしてふらりと彼女の尻尾が揺れる。
「……そうか、成程ね。つまり、いつ死んだっていいあんたを今生かしてるのは、姫様ってことかい」
ふらふらと視界の端で揺れる尻尾に釣られるようにしてガーディウムがそちらを見てみれば、ベラトールは何となくすっきりとした表情であった。
「姫が、俺を生かして……」
ふと、思う。
ガーディウムは姫に命じられれば命を擲つことも厭わないとずっと思ってきた。だが、姫はそうは望まなかった。
……今、ガーディウムが生きているのはガーディウムが姫の遺志を継ごうと心に決めているからである。死ぬならばその志の為に死にたい。
だが……同時に、姫は恐らく、ガーディウムが生きているように、と望んだのだ。死を望まなかったのではなく、生を望んだ。恐らくは。……姫はそういう者であったと、ガーディウムは知っている。
「で、私を生かしたのはあの子達ってことになるのかね。……それなら、まだ生きてることにも納得がいく、かな」
自らの内の目標をすでに失ったベラトールは、ふと、ガーディウムの方を見て、問う。
「……自分の為じゃなくて、誰かに望まれたから生きてる、ってことにするのは、卑怯かね」
「……卑怯ではなかろう」
ガーディウムはそう答えつつ、ふと、月を見上げる。金色の月は姫の瞳にも似て、じっと見られているような気分にさせられた。
……姫は、ガーディウムに生き延びることを望んだ。そしてガーディウムは……。
「卑怯、か。……果たして、どちらが卑怯なのだろうな」
いっそ、命を擲とうとすることの方が卑怯なのかもしれない。そう思いつつも、それでもガーディウムは、姫の望んだ通りには、居られないだろう。
……その姫はもう、居ないのだから。