目覚め*2
「おい、ソル。まるで、勇者と会敵する選択肢があるかのような言い方だが」
ソルの言葉に、ガーディウムが眉を顰める。
「まあ……確認はしたいよな、っつう話だ」
ソルは足を投げ出すようにして座り直してガーディウムに応えた。
「勇者が神に魅入られてるかは知らねえが。神の力の欠片を持ち出している可能性は、高い」
「……そうだな」
ソルの言葉を聞いて、ガーディウムは重々しく頷いた。
「そしてもし、勇者が神の力を我がものとしていたのなら……俺達はいずれ、勇者を食わねばならない、か」
……なんとも現実味の無い言葉に、皆が慄く。特に、パクスが。
「えええええ!?勇者を食うんですか!?どうやって!?」
「ま、正攻法じゃあまず、不可能だろうな。真正面から狩りに行って狩れる相手じゃねえ」
慄くパクスに、ソルはそう答えてやる。
「ってことは、リュミエラを使うか……はたまた、アレットを使うか。どっちかになる」
人間相手には、竜や狼の戦い方よりも蝙蝠の戦い方の方が利くだろう。特に、勇者のように、真正面から戦っては決して勝てないであろう相手と戦うのであれば、尚更。
「……あ、そういえばリュミエラは?もしかして、これ?」
「ははは、そうだったらそれはそれで笑えたなあ」
アレットがこんがり焼けた肉の串を示して聞けば、ソルはけらけらと笑う。どうやら、流石に殺して食べてしまった、ということは無いらしい。
「……リュミエラはあっちだ」
「あ、成程ね。大人しいと思ったら寝てるのか」
「寝てるっていうか気絶してます!」
ソルに示された方を見てみれば、そこにはぐったりと横たわり目を閉じたままのリュミエラの姿があった。随分とぼろぼろになってしまってはいるが、人相が分からなくなるようなことはしていないらしい。まあ、有効利用できなくなったら嫌だもんね、とアレットは仲間達の手際の良さに満足する。
「ということで、リュミエラを使うことはできる。で……使うならさっさと使いてえ。あれを運んで移動するのは、骨だぞ。かといって捨てるのも惜しいしな」
それもそうだ、と皆が頷く。
……脆弱な人間の女、というものは、非常に扱いづらい。ソル達が拷問を行うまでもなく、少々ナイフをちらつかせただけで情報をぺらぺらと喋ったが、かといって魔物達の意に沿うような動き方をするわけでもない。食事には気を遣わねば死ぬようであるし、歩かせれば魔物より遥かに遅い速度でしか進まない。となれば抱えて運ぶしかないが、当然、荷物になる。
……つまり、厄介なのである。リュミエラを延々と連れて歩く、というのは。殺してしまうなら話はまた別だが。
「私としては、さっさと殺しちまいたいんだけどねえ」
そこで、ベラトールが口を開く。
「ちょいと聞いてみたところによれば、こいつが戯れに命じたせいで私の弟分、妹分達は皆殺しにされたっていう話だ。直接手を下したんじゃあなくとも、十分、殺す理由にはなる」
リュミエラからは、ベラトールの仲間であった魔物の子供達についての供述は得られなかった。というのも、彼女は魔物の子供達のことを『そんなもの覚えていない』と述べただけだったのだ。
恐らく、共に散歩に出た騎士か、はたまた共にこの地へやってきた勇者かに、『試しにあそこの魔物を殺してみてください』とねだったのだろうが、その程度である。本人に罪の自覚はまるで無く、それがベラトールを余計に苛立たせる原因となっていた。
「まあ……ベラトールにずっと我慢してもらうっていうのも、申し訳ないよね」
そしてベラトールは元々、リュミエラを殺すことを条件に同行を決めている。その条件を先延ばしにする、というのは余りに忍びない。
「だが、リュミエラを運んでおけば、勇者と会敵した時も一度はリュミエラを盾に逃れられるかもしれん」
「そう!そうなんだよなあー……どう動くか、迷いどころなんだよなあ、くそー」
いよいよソルも地面に倒れ、『ああー』と間延びした声を上げた。アレットもソルもそうとなると、パクスも楽し気に寝転んで『ああー』と始めることになる。王都警備隊の面々が地面に背中を付けてしまうと、ガーディウムは『俺もそうすべきか……』などと呟きつつも、少々姿勢を崩すにとどめた。
「ひとまず勇者は保留でよいのではないか、と私は思うが」
そこでヴィアが声を上げる。如何にも紳士らしく、こんな状況でも然程姿勢を崩すでもなく、ヴィアは皆に向き直る。
「何せ、勇者が今すぐにこちらへ戻ってこられるという保証も無いだろう?」
「まあ……そうか。そうだな。あいつ、西の神殿からは徒歩でこっちに向かってるところか」
ヴィアの言葉に、ソルは『そうだったなあ』とばかり、寝返りを打つ。ごろり、と転がってパクスの上に乗り上げれば、『隊長!重い!重いです!ん?でもそれほどじゃないな!』と抗議になりきらない声が上がった。
「南の神殿から西の神殿へ魔法仕掛けの通路を使ったのだろうがな。そこから戻ってこないところを見ると、やはり魔法仕掛けの通路は一方通行か」
「西の神殿からは北に繋がってる可能性が高いよね。それで、北の通路は破壊されてるから……勇者は西の神殿に取り残されちゃった、っていうことになる、のかな」
ガーディウムの言葉に頷きつつ、アレットもころころ、と転がっていって、パクスの上のソルの上によっこいしょ、と乗り上げる。『あっ!先輩は全く重くないですね!』とパクスが妙に嬉しそうな声を上げた。
「と、なると、今この状況では勇者は来ない可能性が高い。だが、騎士団長は確実に来るだろう。……アレット嬢が餌になっている以上、ほぼ確実に騎士団長は釣れる!あれは間違いない、アレット嬢に恋をしている!」
ヴィアがなんとも熱のこもった様子で力説すれば、皆は苦笑いしつつ『そうなのか』と思うしかない。……この場に居るヴィア以外の者は皆、色恋に疎いのである。
「そしてソルが勇者を名指しで呼ぼうとしたのだから、騎士団長はアレット嬢を救うため、勇者を呼び寄せるだろうが……行き先が分からない相手を呼び寄せるには、一体どれほどの時間がかかるだろうね?そうなればしびれを切らした騎士団長が勇者に構わず先に神殿へ向かう可能性は高い、と見ている」
「成程……そもそも勇者は釣れない、ってことか」
ヴィアの意見には頷ける部分が多い。ソルはパクスとアレットの間からもそもそと抜け出して、よっこいしょ、と横に座り直す。
「どのみち、勇者を倒す方法は2つしかねえ。1つは神の力を集めて、俺達が勇者を上回る力を手に入れること。もう1つは……人間に勇者を殺させる、ってことだ」
「南の神殿から神の力の欠片が持ち出されている以上、前者は益々絶望的、っていうことでいいのかな」
アレットもパクスの上からもそもそと退いて、パクスの横に座り直す。するとパクスも起き上がって素早く座り直した。
「となると、いよいよこれは、南の神殿に残った方が賢明かもな。騎士団長を釣って、対勇者用に仕込むのが一番現実的かもしれねえ。……どうだ?」
ソルが皆に問うと、ガーディウムとヴィアは頷き、ベラトールは渋々、といった様子で頷いた。パクスは『隊長!俺、よく分かりませんでした!結局どうするんですか!?』と元気に困り果てていたが。
そうして一行は、神殿に向かって進むことになった。
人間より感覚の優れた魔物達の一団は、当然、人間が近づいてくれば人間より先に気づくことができる。自分達に有利な環境で物事を進めることができるというのは、悪くない。
「……このリュミエラっていう人間、先輩の二倍ぐらい重いです」
「いや、流石にそんなことはないと思うけれど……?」
そして、リュミエラを運搬する係になっているパクスは、なんとも不満気な顔である。
「先輩はすっごく軽いのに!先輩を運ぶ時は、むしろ俺自身が軽くなるのに!」
「軽くならないから。軽くならないからね」
なんとも単純なパクスの様子にアレットは苦笑しつつ、可愛い後輩め、と、パクスの頭をわしわし撫でてやる。
「……なあ。今回勇者が来ないっていうんだったら、リュミエラはもう殺していいんじゃあないのかい?」
その一方、ベラトールは多少不機嫌そうに、リュミエラを睨んでいた。
「そうだな……できれば温存したくはある、が……」
「私はそんなに気が長いほうじゃないんだ。さっさとそいつを殺したいんだよ。できる限り甚振ってから、ね!」
ベラトールは爪を出して、じっとリュミエラを睨む。今にもリュミエラの首を掻き切ってしまいそうだ。
「……じゃあ、殺しちまうかあ」
そんなベラトールを見ていたソルは、そう、言った。
「どのみち、勇者にリュミエラを引き渡す気はねえ。そもそも今回は勇者は来ねえ。なら、『リュミエラは生きている』っつう情報だけ、アレットから出させりゃそれでいい」
「いいと思います!俺の背中が軽くなります!代わりに先輩を乗っけていいですか!?」
「なんで……?」
パクスの嬉々とした様子にアレットは何とも言えない顔をしつつ、少し、考える。
「……そうだね。まあ、生かし続けておくのは無理がある、とは、思う。けれど……」
リュミエラの価値は、勇者との取引に使えるというただそれだけだが……。
「最後にリュミエラに聞きたいことがあるんだ。もう一晩だけ生かしておいて、いいかな」
アレットはベラトールにそう、尋ねる。ここで許可を出すのはベラトールだ。彼女が良しといえばそうするし、そうでないならこの場でリュミエラを殺す。アレットはそのつもりでいる。
「……一体、何を聞こうってんだい?」
「うーん、どうせ殺すなら、情報を絞れるだけ絞ってからの方がいいと思う。勇者にとってリュミエラがどういう存在なのか、リュミエラの視点からの話だけでも聞いておきたい」
アレットの返答に、ベラトールは首を傾げる。
「よく分からない話だねえ。『どういう存在』っていうと……その、こんにゃくしゃ、とやらじゃあないのかい?」
「うん。まあ、婚約者らしいんだけれど……だからといって、勇者が本当にリュミエラのために自分を危険にさらしてくれるかどうか。もしそうなら、どの程度までは許容してくれるのか。……その探りは入れておきたいじゃない?」
魔物には、血の繋がりというものの価値はよく分からない。それと同時に、愛だの恋だのといったものによって人間がどの程度固く結ばれるのかも、よく分からない。ヴィアが多少詳しいようだが、それも人間の感覚とは大きく異なるのだろう。
「つまり、私は疑ってる、っていう、ただそれだけなんだ」
アレットは冷たく、魔物らしい目を気絶したままのリュミエラへ向ける。
「勇者は本当に、リュミエラを大切にしたいのか、って」
「リュミエラさん、リュミエラさん」
リュミエラは自らの名を呼ぶ声によって目覚めた。
ぼんやりとする意識の中、体のあちこちが鈍い痛みを訴えている。……魔物達に無遠慮に扱われた影響が、体中に残っていた。
だが。
「よかった!リュミエラさん、目が覚めて……」
「……フローレン、さん?」
リュミエラの横には、フローレンというらしい女兵士が寝かされていた。手足を拘束されているらしく、不自由な動き方しかできないようであったが、フローレンはリュミエラを見て安堵の息を吐いていた。
「フローレンさん、どうして、ここに……?」
リュミエラの記憶は、町が魔物に襲われ、リュミエラは1人攫われ、そこで恐ろしい尋問に遭い……更に手酷く扱われ、そのまま気を失ってしまった、というところで途切れている。
「ああ……私も、そこの魔物に、攫われてしまって」
そしてフローレンは、リュミエラにそう言って疲れた笑みを浮かべる。……その時だった。
「おい。起きたのか」
黒い翼をもつ恐ろしい魔物が、じろり、とリュミエラ達を見下ろす。フローレンはリュミエラを守るように体を動かすが、手足を拘束されている以上、ほとんど役には立たないだろう。
「おっと。妙な気は起こすんじゃねえ。おまえらが大人しくしてる分には、俺達も何もしねえ。何もされたくなけりゃ、しばらくそこで大人しくしてろよ?」
……だが、黒い翼の魔物はそう言い残すと何処かへ行ってしまった。少し離れたところから話し声が聞こえてくるところを見ると、そちらに魔物の仲間が居るのだろう。
「……どうしてこんなことに」
リュミエラは思わず、そう、零す。
「何も、何も神に背くようなことはしていないのに……ああ、一体どうしたらいいの!?」
「リュミエラさん、落ち着いて」
リュミエラが今まで吐き出せなかった感情を吐き出せば、そっと、労わるようにフローレンが寄り添う。
「リュミエラさん……ええと、何か、気がまぎれる話でも、しよっか」
そしてフローレンがそう言って笑いかけてくるのを見て、リュミエラは叫び出したいような気持ちを抑え、頷く。……リュミエラも、分かってはいるのだ。今は感情に流され、絶望している場合ではない。少しでも気を確かに持って、機会があればすぐ動けるようにしておくべきなのだ。
「そう……そうだ。ねえ、リュミエラさん。あなた、勇者様と婚約してるって、本当?」
「ええ。本当よ。……それ、誰から聞いたんですか?なんだか恥ずかしいわ」
「えへへ。騎士団の兵士の人から。きっと素敵な恋物語があったんじゃないか、って」
早速、リュミエラはフローレンと話し始める。フローレンは大人びて見えることが多かったが、今、こうしてリュミエラの恋物語に目を輝かせる様子を見ているとむしろ、年下の少女のようにも見えた。
「そう、ね……もう聞いているかもしれないけれど、私、元はアシル様と婚約していたの。家同士が決めたことで……でも、戦勝祝賀会で、勇者様と出会ってしまって」
うんうん、と頷くフローレンに、リュミエラは思い出しながらそっと教える。
「……勇者様ね、私に言ったの。『息苦しくないですか』って。……その頃、私、丁度色々あって、ものすごく忙しくて。休む暇もないくらい、毎日毎日、社交に出て、疲れていたの。そこで勇者様が、『ちょっと抜け出しませんか』なんて、言ってくださって……」
「……それで2人、手を取り合って?」
わあ、と目を輝かせるフローレンに頷いて見せれば、フローレンは小さく歓声を上げた。
「すごい!物語みたいな恋が、現実にもあるなんて。……じゃあ、国へ戻ったら結婚、するの?」
「そうね。国が落ち着いたら」
フローレンは『国が落ち着いたら』という言葉に首を傾げていたが、リュミエラは微笑むに留めた。
「今も勇者様とは連絡を?」
「ええ。お手紙が届くわ。家を通して、だけれど。……でも、勇者様はちょっと筆不精でいらっしゃるみたいで。私宛てのお手紙より、お父様への報告のお手紙の方が多いくらい」
リュミエラはふと、婚約者について思い出してため息を吐く。金の髪も青い瞳もその優しさも勇敢さも。リュミエラは勇者のことを愛していたが……時折、勇者はリュミエラに興味が無いのではないか、と、思ってしまうことがあった。
「野心の無い方だから、公爵家の肩書き欲しさに婚約を申し込んでくださったわけじゃ、ないでしょうけれど。でも、私よりお父様と仲良くなられているようにも見えて……男の人同士、難しい話をしていたのかしら」
「そっか……」
リュミエラが話すと、フローレンはしゅんとした。気まずいこと話しちゃったわね、と、リュミエラは少々申し訳なく思う。折角の気分転換なのだから、明るい話をしなくては。
「……でも、よかった。勇者様がリュミエラさんのこと、愛しているならきっと助けに来てくださるよね」
フローレンが先に話を明るい方へと導いていく。リュミエラは『ええ、きっと』と頷きながら……同時に、ちら、と思う。
……本当に、勇者は来るだろうか。
いや、来る。必ず、勇者は来る。リュミエラを救いに、必ずやってくるはず。
公爵家との繋がり欲しさにリュミエラに求婚してきたのだとしても、それならば猶更、リュミエラを失う訳にはいかないだろう。
「勇者様……」
リュミエラは目を閉じ、祈る。
どうか、愛する勇者が無事に、自分の元へと辿り着きますように、と。
……その時だった。
「話は終わったかい」
リュミエラの背後から、魔物がやってきた。
恐ろしい緑色の目を光らせ、赤錆色の髪を靡かせて。
リュミエラが魔物の方を振り返り身を固くしていると、魔物は、ちら、とフローレンの方を見て……そして。
「じゃ、殺させてもらうとしようか。……ようやくだ。待たせたね、リュミエラ。楽しかったかい?」
魔物はリュミエラの髪を掴んでリュミエラの体を起こさせると、にやりと笑った。
……愛する勇者は、間に合わない。
リュミエラはただ、そう悟るだけだった。




