目覚め*1
森の中。地上近くまで下降したソルは、そこでアレットを離した。アレットはくるん、と回って勢いを殺しつつ、軽やかに着地する。
「先輩!先輩!おかえりなさい、先輩!」
「はいはい。ただいま」
すかさず飛びついてきたパクスを抱きしめ返してやりつつ、アレットはパクスに埋もれない内に、と、ソルに笑顔を向ける。
「助かったよ。ありがとう、ソル」
「ん」
ソルはひらり、と翼を振って応える。当然のことをしたまでだ、というような素振りに、アレットはくすりと笑った。
「アレット。一先ず報告を。ヴィアから概ねのところは聞いているが、詳しいところはお前からも聞きたい」
「うん。分かった。結構複雑なことになっちゃったから、私もちゃんと説明したいと思ってた」
真面目なガーディウムにそう答え、アレットは早速、説明しようとしたが……。
「その前に、お嬢さん。こちらを」
ヴィアがコートを脱いで、パクスに半ば埋もれたアレットの肩に、そっと掛けた。
「それでは寒いでしょう。私のようなスライムとは違って、お嬢さんのような形の魔物は寒さを感じるはずです」
アレットはきょとん、としていたが、『そういえば服を半分脱いできたんだった』ということを思い出した。パクスにくっつかれていては寒さも何も無いのだが、ひとまず、結局袖を抜き切らなかったシャツを着直し、ボタンを留め、その上に更にヴィアのコートを借りておくことにする。そこにパクスが被さってくると非常にぬくい。むしろ暑い。だがアレットはパクスを引き剥がすことなくそのままでいてやることにした。
「じゃあ説明を……いや、その前に」
そしてアレットは、説明を始めるより先に為すべきことがあるのを思い出した。
「ベラトール。私、アレット。どうぞよろしく」
ほとんど初対面の魔物の仲間に対して、挨拶がまだだったのだ。アレットはベラトールに手を差し出した。
「……珍しいもんだね。蝙蝠が仲間に居るなんて」
ベラトールはしげしげとアレットを見て、そう言った。ペリドットの瞳の奥、縦長の瞳孔がすうっと細くなる。
「おい、ベラトール!」
アレットへ向けられた言葉にパクスが気色ばむ。……アレットが『蝙蝠』であることを気にしていると、パクスは知っているのだ。そして、パクスは敬愛する先輩への侮辱は許さない。
……だが。
「あんたがいい戦士だってことは知ってるよ。あれはいい太刀筋だったし、ここに居る連中もあんたを信用してるみたいだし」
ベラトールはそう言うと、片方の眉だけを上げて、それからアレットの手を握った。
「蝙蝠を信用するわけじゃあないけれど、あんたは信用してもいい」
「……それはよかった!」
アレットはにっこり笑ってベラトールの手を握り返す。これから共に戦う仲間の信用を得られたということは、とても嬉しいことだ。……特に、アレットは信用を得にくいはずの『蝙蝠』であるので。
「それにしても……人間臭いね、あんた」
「あ、ごめんごめん。さっきまで人間達の中に紛れてたから……」
ベラトールは鼻を動かしつつ、アレットから半歩離れた。……まあ、そうだろうなあ、とアレットは思う。パクスやガーディウムも匂いには敏感な性質だ。説明が粗方終わったら一度水浴びした方がいいだろう。
「おいベラトール!先輩はいつでもいい匂いだぞ!」
「パクス。王都警備隊の皆で城下の掃除した時にも同じこと言ってたけどさ。それ、どうかと思う」
……パクスはまるで気にする様子が無かったが、それはそれでどうかと思うので、やはり水浴びを心に決めるアレットだった。
それからアレットは、焼いた肉の残りを食べつつ報告を始めた。
「じゃあ、報告。まず最初に私がやってきたことだけれど……王都第2騎士団っていうところの騎士団長さんが勇者を疑うように仕向けて来たよ。具体的には、勇者が『邪神の力』を手に入れようとしている、っていう風に誘導してきた」
「ああ、それは聞いた。だから俺はさっきああ言ってお前を攫ってきたわけだが」
ソルも食事を中断されてしまっていたのでアレット同様、肉を食べながらの会話である。それを見ていた他の者達も、食後のおやつに、とばかり、肉を食べ始めた。肉は大量に手に入ったので、皆、遠慮は無い。
「ああ、あれ、すごく良かったよ。ありがとう、ソル。あれを聞いたら騎士団長はいよいよ『勇者は邪神に魅入られた』って疑うだろうから」
「そいつは何よりだ」
ソルはくつくつと笑いつつ、ふと、首を傾げた。
「ところでヴィアからの報告じゃあよく分からなかったんだが、人間は神殿に入ると具合が悪くなるって?」
「うん。魔力が多い場所だからかな。魔力の無い人間達は神殿にしばらく居ると体調が悪くなるみたい」
アレットは思い出しつつ、『今後何かに使えるかもしれないし覚えておこう』と思う。人間が人間と魔物の区別をつけたい時に神殿に逗留させるような真似をしてくるかもしれないので。
それからアレットは、人間達の間に居て知ったことを子細に渡って皆に伝えた。
……細かな部分が、案外、役に立つのだ。『人間は茶の好みを覚えられると喜ぶ』だとか、『食事の前に祈りを捧げる者が半分くらい居る』だとか。『基本的に全員、夜になると眠くなる。眠るのが遅くなったり起きるのが早くなったりするより、寝ている途中で起き、もう一度眠ることの方が辛いらしい』だとか。
そういったこまごまとした知識は、ほとんど魔物には手に入れられない貴重な知識である。アレットのように人間達の中へ潜入する場合には当然役に立つ上、そうでなくとも人間の行動を予想する上で役立つことは多い。
……そうしてアレットの報告が一通り終わったところで。
「ところでそっちはどうだった?リュミエラの情報は?」
アレットは早速、聞いてみることにした。成果があったのはアレットだけではないはずなのだ。
「それについてだが……少々、混乱していてな」
だが、ガーディウムは耳をぺた、と垂れさせつつ言う。それを聞いて、アレットは首を傾げたが。
「その、アレットが騎士団長とやらから聞いた情報と、若干、食い違う」
「……食い違う?」
「ああ。勇者とリュミエラは駆け落ちした、ということだったが……どうも、リュミエラはまだ、人間の国との繋がりが絶たれていないらしい。『私からの連絡が無くなればすぐにお父様が怪しむでしょう』などと言っていた」
それからアレットは、ソル達の方の報告を聞く。
「ええと、リュミエラのお父様、っていうと、人間の国の公爵、ってことになるのかな。おかしいな。公爵家は反勇者の立場をとっていて、だからこそリュミエラが勇者と恋に落ちたことでリュミエラを勘当したって聞いたけれど」
だからこそ、リュミエラと勇者の間には並々ならぬ関係があるのだろう、と推測できたのだが。アレットが首を傾げていると、アレットより更に首を傾げて、パクスが元気に手を挙げた。
「先輩!こーしゃくってなんですか!?ソル隊長が時々『長々と垂れやがって』って言ってるやつですよね!?」
「それは講釈ね。ええと……なんだろう。人間の国って、こう、身分が無駄に細かく分かれてるらしくて……多分、結構、身分が高い人。王の次ぐらい、かな……?」
アレットも人間の国の事情に然程詳しいわけではない。だが、3年近く人間のふりをして暮らしていていただけのことはあり、他の魔物達とは比較にならないほど、人間達の事情を知ってはいた。
公爵、というものが人間達の言うところの『貴族』に分類され、相当によい暮らしをし、政治に口を出したりもする、という程度のことは知っている。……また、平民達が憧れたり憎悪したりする対象であることも、多少は。
「まあ、血の繋がりのある相手の可愛さに縁を切れない、ってこと、なのかなあ……うーん、人間の血縁って、よく分からないんだよなあ」
だが、人間の感覚が全て分かるわけでもない。人間が『血の繋がり』というものを大切にしていることはアレットも知っているが、その感覚を実感できている訳でもない。あくまでも知識としてしか知らないそれで、全ての説明をつけるのは中々難しい。
「それから婚約者についても食い違ったぞ。勇者の前に婚約していたのは『第二王子』らしい。……王子ってのは人間の国を治めるものの子供だとよ」
「ええー……騎士団長さんじゃなかったの?でもなあ……」
アレットはまた、混乱する。血縁が原因かはいざ知らず、『反勇者派の公爵が、勘当した親勇者派の娘と連絡を取り合っている』という情報だけでも十分に頭が一杯なのに、更に、今度は婚約者についてまで意見が食い違うとは。
「しかし……情報は符合しましたよね?ええと、確か、『甘いものは好きではない』と」
「うん。そう。リュミエラから聞いた『元の婚約者についての情報』は合ってた。……騎士団長の様子を見る限り、リュミエラから聞いた情報は間違ってなかったと思うんだけれどなあ」
更にアレット達を混乱させているのは、リュミエラが虚偽の情報を流していないという証明ができてしまったことだ。
……ヴィアを通じて、リュミエラから聞き取ったいくつかの情報を、アレットが照合したのだ。そのうちの一つが、『元婚約者は甘いものが好きではない』というもので……それについてはしかと確認済みである。確かに、騎士団長は甘いものが好きではなかった。
「人間ってもしかして皆、甘いものが嫌いだったりしませんか!?」
「流石に無いと思うけれど……うーん、他にも、銀の髪にちょっとくすんだ青の目をしている、だとか、身長はどのくらい、だとか、使ってる剣の特徴だとか、出身地だとか……そういう情報も合致してるんだけれどなあ……」
抜き取ったいくつかの情報は、リュミエラの証言と一致している。だからこそアレットは、リュミエラの証言は正しく、騎士団長はリュミエラの元婚約者であった、と信じていたのだが……。
「……まさか」
そこでアレットは、気づく。
「あの騎士団長さん、王子だった、んじゃ……」
……もしかすると、王子という生まれと、騎士団長という役職は、重なってもおかしくないものなのではないか、と。
「だ、だとすると随分と不思議なことになりますよ、アレット嬢。何故、王宮で守られるべき王子が騎士団長などになって、この国へやって来たのです?あまりにも危険では?」
「いや、でも、別人物だって考えるよりは筋が通る……と、思う、けれど……」
「あー……第二王子、って話だったが、それってつまり、第一王子、ってのがいるんじゃねえのか?1人居るからもう1人は魔物の国へやっても、まあ、いいか、みたいな……ことにはならねえのか、人間は」
「いや、もう分かんない……人間の感覚なんて分かんないって!ああー、厄介!」
アレットは『降参!』という気持ちで、ばたり、と背中から地面に倒れた。ふんわりと積もった落ち葉が柔らかくアレットを受け止めて、アレットはそこでようやく、疲れを感じる。
「……ま、考えてもしょうがなさそうだな。今ある情報だけでものを判断するってのは、難しすぎる」
ソルも疲れた様子でため息を吐いて……そして、やれやれ、というように首を振った。
「それより、今考えるべきなのは勇者だな。そっちなら俺達で十分、結論が出せるだろ」
そしてソルは身を乗り出して、寝転んだアレットの顔を覗き込んだ。
「……勢いのままじゃああったが、俺達は勇者を誘き出す真似をしてる。どうする?逃げるなら今だ」