誘拐*6
「た、大変だ!皆さん!どうぞ聞いていただきたい!アレット嬢の危機だ!」
森の中。ソル達がのんびりと火を熾し、肉を焼いて好き放題食べていると、突如としてヴィアが叫んだ。
「何だって!?先輩の危機!?先輩が!?先輩は無事なんだろうな!?」
「今、アレット嬢を知る人間がやってきました!勇者ではないようですが……王都の門で会った、とのことでした。何かお心当たりは?」
「王都の門……つまり、勇者が率いていた兵士か!」
ガーディウムが吠え、唸る。相手の大まかな正体は分かったが、だからといって物事が解決するものでもない。
「それで。アレットは今、どうなってる」
「剣を突きつけられたところだ。今は騎士団長とやらが留めているが、このままではアレット嬢の正体が露見するのも時間の問題かと!」
ヴィアが焦った声を上げると、ソルが肉の串を放り出して立ち上がる。
「行ってくる」
「い、行く、とは!?」
「俺の副官を見捨てるわけにはいかねえ」
ソルはそう言うと、ヴィアの頭部をもにゅ、と掴み取って自分の肩に乗せた。
「あああ!せめて千切るならもう少し優しく!優しくお願いしたいのだが!」
「よーし、ヴィア。しっかりしがみつけよ」
「まるで聞く耳が無いな!?アレット嬢の暴挙なら許せるが、君の暴挙には物申した……あああああああ!」
ソルが飛び立つと、その凄まじい風圧がヴィアを襲う。空のものでもないヴィアにとっては、極めて辛いところだろう。
「だからしがみついとけって言っただろ。飛ばすぞ」
「待って!待って!こんなに速いなんて聞いてな……あああああ!ああああああ!」
ヴィアは悲鳴を上げ、ソルの肩の上で風に押されて薄く延ばされつつ、なんとかソルの服の襟の中に潜り込んでいく。外に出た状態で『銃弾より速い鴉』にくっついているなど、正気の沙汰ではない。
「逐一アレットの状況を説明してくれ。どこに居るのか、正確な情報が欲しい。情報が得られ次第、全部言え」
「全く、仕方ないな!文句はアレット嬢を無事に救い出してから言わせて頂こう!」
ヴィアはソルの服の内側で安定した姿勢を取ると、ぷるぷると震えながらもアレット側の情報を得るべく、必死に片割れの意識を探るのだった。
「剣を収めろ。聞こえなかったのか」
騎士団長がそう言うと、兵士はぎろりと騎士団長を睨んだ。
「お言葉ですが……この者は魔物です。私は勇者様に同行する中でしかと、この目で見たのです!」
「面白い妄言だな」
兵士と騎士団長のやりとりを間近で見ながら、アレットは『騎士団長の信頼を勝ち得ておいて本当によかった』と深く思う。……騎士団長がアレットの肩を持つようでなければ、今すぐ、アレットは死んでいたことだろう。
「だがフローレンは我が騎士団の者だ。貴様の妄言に付き合ってやる義理は無い」
「しかし」
「三度は言わん」
ぎろり、と騎士団長が睨み付ければ、兵士はたじろぎ、そして、渋々と、剣を収める。アレットはひとまず安堵した。次に剣を抜かれたとしても、もう対処できる。そしてその時は最悪、剣を避けて空を飛び、そのまま逃げ切るしかない。だが……。
アレットのポケットの中で、ヴィアがもそもそと動く。予め取り決めておいた動き方だ。この意味は……『救援を要請した』。
ならば、もう少し粘りたい。騎士団長やここの兵士達の中で築き上げてきた信頼や、勇者への不信感。それらを失うのはあまりにも、惜しい。
ソルなら、相当な速さでこちらに到着するだろう。ならば、アレットは最後の最後まで身の潔白を主張し続けた方がいい。身の潔白を主張し続け、結果が曖昧なままに死んでしまえば、それはそれで成功だろう。今は、少しでも魔物達の未来の為に進むべきだ。後退している余裕は無い。その為にたとえ死んだとしても、構わない。
……その為のアレットなのだから。
アレットが己の方針を決めたところで、兵士はアレットをじっと睨みつつ、言った。
「……騎士団長殿。この場でこの者を殺せないと仰るなら、せめて確認を」
「……確認?」
「はい。確認です。この者が魔物であるかどうか、確かめる方法があります」
兵士はアレットから注意を逸らさないまま、騎士団長の機嫌を取るように言う。
「魔物であるならば、人外の特徴を体のどこかに持っているはず。それが無いことを確かめれば、この者は確かに人間であると言えるでしょう」
「……つまり、フローレンに……服を脱げ、と?」
「はい。そういうことです」
まずいなあ、とアレットは内心で焦る。今すぐにここで服を脱がされてしまうと、流石に自分が蝙蝠であることが露見する。アレットの背には薄く折りたたまれた蝙蝠の羽が、確かに存在しているのだから。
「まさか拒否することは無いでしょうね?疑わしいものをそのままにしておく理由はありません」
「う……」
騎士団長は、言葉に詰まる。それはそうだろう。ここで拒否することは流石にできないはずだ。
魔物であるとの疑いが掛かっているアレットに対して、その確認を行わないのは、アレットへの疑惑を深めることにもなり……騎士団長自らの威信を損なうことにもなる。
「勿論です。騎士団長。フローレンの確認を」
更に、親勇者派の副団長までもがやってきて、そう、騎士団長に進言し始める。騎士団長はそれでも尚、渋る様子であったが……。
「……その、ここで服を脱がなければいけませんか?」
アレットはこれ以上、騎士団長の威信が損なわれることを避けた。
騎士団長に勇者への疑惑を植え付けた以上、騎士団長には人間の中でよい立場に居てほしい。それでこそ、騎士団長の信頼を勝ち得た甲斐があったというものだ。
であるからして、アレットは騎士団長を庇わなくてはならない。魔物達の武器となるはずの、騎士団長を守る為に。
「その……確認には、協力致します。しかし、ここで、というのは……」
震える声でそう、問う。
……ここは屋外で、多くの兵士達が居る。どうか温情を、とアレットは怯えの走る目でじっと兵士を見つめた。
「当然だ。ここで脱げ」
「それができない理由があると解釈するが」
兵士と副団長は当然のようにそう言うが。
「待て」
ここまでくれば、流石に騎士団長も、動いた。
「……天幕の中に入ればいい。何も、衆人環視の中でそんなことを行わずともいいだろう。フローレンにも尊厳がある。私が確認すればよい」
「しかし」
「そうですよ、副団長!フローレンの確認が必要だっていうなら、せめてテントの中でやってください!」
「確認だけなら俺達の居ない場所で行っても十分なはずです!」
副団長は渋ったが、騎士団の兵士達がアレットを庇い始めれば流石に『ここで服を脱げ』などとは言えない。それが非人道的であることくらいは分かっているのだろう。ただ、副団長にとってアレットが目障りであるというだけで。
「……ならば、最低限、私とこちらの兵士も同席すべきかと。騎士団長殿への疑いが掛かることを防ぐためにも」
「それでしたら……」
ここが落としどころだろう。アレットは戸惑う様子を見せながらも同意する。
「フローレン、いいのか」
「はい。疑いを晴らす機会を頂けるならその通りにします。……私は人間ですから」
騎士団長は気づかわしげであったが、アレットは気丈にそう言ってみせる。
「なら、こちらへ。早く確認しましょう」
副団長が渋い表情でテントの方へと向かう。そしてアレットと勇者の兵と騎士団長も、ぞろぞろと続くのだった。
さて。
アレットはポケットの中のヴィアの気配に集中しつつも、テントの中、ここからの時間稼ぎに意識を向ける。
ソルはまだ来ない。ヴィアからは『仲間がこちらに向かっている』という合図を貰っているが、到着がいつになるのかは分からない。
「……あの」
アレットは時間稼ぎと印象の操作のため、強気な態度に出ることにした。
「私が人間であると分かった後で謝罪を要求します」
「なんだと!?」
「非常識です。あまりにも。初対面の相手に向かって開口一番『魔物だ』なんて」
堂々と、勇者の兵士に立ち向かう。きっ、と睨みつけてやれば、兵士は怒りに震え、副団長は少々の戸惑いを見せる。
……勇者の兵士はともかく、副団長は、アレットが強気な態度で自信ありげにしていれば、アレットを魔物と疑いきれないだろう。錯乱した兵士の荒唐無稽な話だと考えた方が余程納得しやすいはず。
だからこそアレットは、堂々とした態度で兵士に向かった。兵士は何も言わなかったが、アレットが再度『いいですね?』と凄んで見せれば、副団長は十分に揺らぐ。
……話して時間を繋ぐのはここまでだろう。アレットは躊躇わず、上着のボタンに手を掛けた。……手を掛けてから、ちら、と上目遣いに副団長と騎士団長とを見れば、副団長は戸惑いの混じった目でアレットを見つめ返し、騎士団長はただ気づかわしげにアレットを見て、そして、ふと、目を逸らした。凝視しては礼を失すると思ったのだろう。
騎士団長様も律儀なことだね、とアレットは考えつつ、静かにボタンを外していく。上着をその場に脱ぎ落とし、そして、次はシャツへ。
ボタンが1つずつ開いていき、服の前が完全に開いても、背を見せるまでは誰も、アレットが魔物だなどとは言えない。その限界ギリギリまでは堂々としていなければ。
……そうしてアレットのシャツのボタンは全て外れ、更に、袖を片方抜いて、そこで袖口に手が引っかかった様子を演出して『躊躇いなく服を脱ぐ気はあるが時間がかかっている』というような様子を見せ……。
……そして。
ふっ、と近づいた気配にアレットははっとして身を縮めた。一瞬遅れて騎士団長が剣を抜き、副団長と勇者の兵士はその一瞬の機会を戸惑いの内に失した。
その一瞬の後、視界が一気に広がる。
ばっ、とテントが斬り裂かれ、強く冷たい風を孕んで、吹き飛んだのだ。
……外に居た兵士達の戸惑いの声を背景に、天幕を切り裂きながら現れたのは……我らが王都警備隊隊長。銃弾より速い鴉こと、ソルであった。
ソルの判断は的確であった。ソルは一瞬でテントの内部へ入り込み、一瞬でアレットの背を掴み、そして一瞬で騎士団長の剣を躱し、一瞬で上空へと舞い上がった。
僅か1秒にも満たない間の出来事である。並の人間では反応することはおろか、認識することすらできなかっただろう。
ソルはテントの残骸の上空から、そこに取り残された騎士団長達を見下ろしてにやりと笑う。
「放せ……っ!」
アレットは暴れつつ、自由になる方の手で予備のナイフを取り出し、取り落とす。地上に落ちて突き刺さったナイフは、アレットが抵抗した証として人間達の印象に残るだろう。
「聞け!」
続いて、ソルが凛と声を張り上げる。上空からの声は、人間達の間に響き渡り、彼らを静まらせた。
「人質はこっちで預かる。返してほしければ……」
そして、人間達の間によく自分の声が通るということを確認して、ソルは叫ぶ。
「我らが神の力を神殿に返せ、と勇者に伝えろ!」