誘拐*3
ソル達は神殿前から引き返して、人間達の町の方へと向かっていた。
目的は簡単。リュミエラを生け捕りにし、拷問にかけて勇者についての情報を手に入れるためである。
「先輩は大丈夫かなあ……」
「アレットは大丈夫だ。お前じゃあるまいし」
「そうですよね!先輩なら大丈夫ですよね!流石先輩!」
「……あんた、自分が悪口言われたとは思わないのかい?」
和やかに会話をしつつ元来た道を戻る一行は、その和やかな会話には不釣り合いなほど、速い。
地を駆る者達は全身の筋肉を目いっぱい動かして木の根を避けつつ進んでいき、空飛ぶ者は器用にも木々の間をすり抜けて飛んでいく。ヴィアは適当にパクスとガーディウムに半分ずつ背負われて運搬されている。
こうして、人間達には到底叶わない速度で彼らは進んでいく。今日の夜中には人間の町へ戻ることができるだろう。……そして、神殿前に居る騎士団が今すぐに戻ったとしても、彼らの到着は早くとも明後日の朝になる。
「さーて……どう暴れてやるかね」
飛びがてら、ソルはにやりと笑って考える。久々に、人間を殺せる。戦いの気配にソルは徐々に興奮してきていた。
「町一つ、丸ごと潰してやるのも悪くないと思うが。……そうだな。燃やすか。生き残りが居ても冬を越せないようにしてやろう」
ガーディウムもまた、好戦的な性根を剥き出しにして笑う。彼もまた、憎しみを武器に破壊と殺戮に身を任せてしまえたなら、と願う者の一人である。
「では皆さんが暴れて兵士達を引き付けている間に私がリュミエラを攫ってくるというのはいかがでしょう?」
「ヴィア。お前1人じゃ何かあった時に対応できねえだろ。せめてパクスを連れてけ」
「えええー!俺、暴れたいです!というか暴れることしかできないです!なんか難しそうなことは隊長がやってください!」
「……俺も暴れてえんだけどなあ。おい、ベラトール。お前はどうだ」
「私も小難しいことは苦手でね。暴れていいってんならそっちがいい。それに、リュミエラって奴をうっかり見ちまったらその場で殺しそうだ」
「畜生、つまり俺が貧乏くじかよ!あーくそ、そんな気はしてたさ!」
彼らは楽しく会話しながら、人間の町を目指す。
勇者さえ居なければ、人間達を存分に殺して回れる。勇者自身は今、西の神殿を出て少し、といったところだろう。人間には険しすぎる山脈を越えてくるのは中々に難しいはず。暴れるなら、今しかない。
「あーくそ、俺もちょっとは暴れさせてもらうからな!」
ソルは苦笑しつつもそう宣言し、せめてリュミエラの護衛とやらが多少でも楽しませてくれるように、と祈るのだった。
……尤も、望みの薄い賭けではあると、分かってはいるのだが。
アレット達はもう一度、神殿の中を探索していた。
人間達を威圧する神殿の空気は人間達を消耗させ、そして、何の成果も与えなかった。二度目の探索についても、『何らかの儀式を行い、魔力が暴走した様子が見られる』という偽装の跡以外何も見つけられなかったのである。
強いて言うなら魔法仕掛けの通路が見つかったが、魔力を持たない人間達には使えず、意味すら分からない代物である。人間達は徒労感に苛まれるだけに終わった。
そして一方アレットだけは神殿の気配に暖かく迎え入れられ、存分に体力と気力を回復させることができた。消耗していく兵士達とは逆に、アレットだけはすこぶる元気なのであった。
神殿から騎士団が出て、その日はそこで野営となった。
アレットは神殿で得た元気をできるだけ人間達に見せないようにしつつも、人間達を気遣い、疲れ切った彼らの為にまた茶を淹れ、食事当番を代わってやり、甲斐甲斐しく動き回った。
そうして人間達が回復してきた頃を狙い澄まして、アレットは体調不良を訴え出る。こうしておけばアレットだけが妙に元気であったと怪しむ者は居ないだろう。
兵士達が心配を向ける中、アレットは『早めに休ませていただきますね』と、テントの中へ潜り込んでいく。
……アレットにはテントが1つ丸ごと貸し出されている。というのも、アレットの同行にあたって『男と同じテントで寝かせるわけにはいくまい』と、町の倉庫に眠っていたらしい古い1人用テントが引っ張り出されてきたからだ。
アレットはありがたく1人になれる空間の中に収まり、もそもそと寝袋の中に潜り込み、ふう、と一息吐く。……そろそろ天井からぶら下がって眠りたいが、人間に化けている今はそういう訳にもいかない。まあこれも悪くないよね、と、アレットは寝袋の中でもそもそ動いて居心地のいい姿勢になった。
「アレット嬢。どうやら皆は動き出したようです」
「わあ、速いね。流石」
そして、寝袋の中に頭まで入ってしまってから、ヴィアと小声で囁き合う。テントで仕切られた空間内だが、布一枚隔てればそこには兵士達が居る。もしかするとアレットを案ずるあまり、テントの傍に陣取っている者も居るかもしれないのだ。話し声を聞かれてはまずい。
だが、囁くことしかできない不自由な状況も気にならない程、ヴィアからの報告は歓喜に満ちていた。
「ガーディウムとパクスとベラトールが揃って町で暴れ始め、町の警備がそちらへ向いたところを狙い、私とソルがリュミエラの捕獲に向かっています」
「あはは。ソルも暴れたかっただろうになあ。貧乏くじだ」
アレットはくすくすと笑うと、町の様子に思いを馳せた。
……ついでにアレット自身も貧乏くじと言えば貧乏くじである。私も暴れたかったなあ、と思いつつ、アレットはヴィアからソル達の実況を聞くのであった。
「へっ。他愛ないじゃねえか。くそ、もうちょっと楽しませろ」
ソルはたった今殺した人間の死体を蹴って退けながら、人間の屋敷の中を進んでいた。
……リュミエラが居るという屋敷の場所は、すぐに分かった。上空からちらりと見てみれば、異質なまでに立派な建物が1つ。ヴィアの欠片からの情報と照らし合わせても、ここ以外にはあり得ないだろう、と判断が付いた。
そうして屋敷の中に入ってみれば、あれよあれよという間に警備の兵がやってきてソルに襲い掛かってきた。だが……言ってしまえば、『歯応えが無い』。
兵士達は銃を持ってはいたが、そんなものはソルにとって脅威になり得ない。兵士達は実戦の経験が碌に無かったらしく銃の扱いに戸惑っているようですらあったのだ。そんな相手に苦戦するはずもなく、ソルはあっという間に豪奢な玄関ホールを血で染め上げた。
「さぁて……目的のお嬢様はどこに居やがるのかね」
「私の片割れ曰く、そっちは客室だ。恐らくリュミエラは反対方向だろうね」
ソルはヴィアに案内されつつ屋敷の中を探し回る。時々兵士と出会っては即座に殺して先へ進んだ。
漆黒の翼を血に染めながら、ソルは屋敷の中を探し回り……そして。
一際立派な扉を少々乱暴に開ければ、ひっ、と息を呑む微かな声が聞こえる。ソルはそれを聞いてにやりと笑うと、ヴィアを軽く小突いて合図してからゆっくりと、室内へ足を踏み入れた。
一歩一歩、足音を響かせて近づいていけば、窓辺に蹲る影が見える。
「……見つけたぞ、リュミエラ」
それを覗き込んでやれば、ガタガタと震えて絶望の表情を浮かべる人間の女の姿があった。
「リュミエラ、で合ってるよな?」
「な、なんで、名前……」
ソルが見下ろすと、人間の女は呆然と呟いた。ソルはそれににやりと笑って答える。
「何、リュミエラっていう人間だけは殺さない予定なんでな。しっかり確認して回ってるだけだ。で、この屋敷に残ってるのはもうお前だけだが、お前がリュミエラってことでいいのか?」
ソルが尋ねれば、人間の女は必死な様子で頷いた。『リュミエラだけは殺さない』という点に希望を見出したのかもしれない。
……まあ、リュミエラの名を騙っている他の人間、ということは無いだろうとソルは判断する。淡い金髪が背に長く流れる様子も、恐怖に見開かれた若草色の瞳も、ヴィアの欠片から聞いていた情報と合致する。
「じゃ、来てもらうぞ、リュミエラ」
ソルがリュミエラの腕を掴むと、リュミエラは身を強張らせて窓の外へと視線を走らせた。……だが、助けは来ない。当然だ。外は既にあちこち燃え盛り、人間達は次々に死に絶えている。
「……な、なにが、目的なの」
「何、って……ちょいと聞きたいことがあるってだけだ」
ソルの返答に、リュミエラはまた、希望を失ったらしい。時に死よりも惨いことがあるのだと、どうやら知っていたようだ。
「嫌!離して!」
途端、リュミエラは暴れ出す。ソルの手から逃れようと、渾身の力で身を捩る。……だが、その程度でどうこうなるソルではない。
「ったく……痛い目見てえならそう言えよなあ」
ソルは悠々と片手でリュミエラを押さえ込むと、もう片方の手でナイフを抜いてリュミエラの頬にぴたりと宛がった。
「素直に話してくれるんなら痛めつけるような真似はしねえ。だが、意地を張る気ならそれ相応の覚悟はしろ」
つつ、とナイフを動かして、今度はリュミエラの目にしかと切っ先を突きつける。瞬きすることすらできずにリュミエラは刃を見つめ、見開いた目から涙を零した。
「ヴィア」
ソルはリュミエラから一切目を逸らさないままヴィアを呼ぶ。すると。
「ああ、抜かりないとも」
既にリュミエラの背後に回り込んでいたヴィアが伸び上がった。透明な粘液がずるりとリュミエラに覆い被さり、そのままリュミエラを閉じ込める。
ソルが一歩退けば、ヴィアはいよいよリュミエラを窒息させにかかった。リュミエラはしばらく粘液に纏わりつかれて藻掻いていたが、やがて力無くぐったりと動かなくなった。
「よし、もういいだろう。ずっとこうしていると死んでしまうからね」
「よくやった、ヴィア」
ヴィアは手慣れた様子でリュミエラの気道を確保すると、続いてリュミエラの手足に欠片を纏わりつかせた。枷代わり、ということらしい。
「それで、拷問はどこでやる?そこまで運ぶのは当然ながらソルに頼みたいのだが」
「……運ぶのもめんどくせえからここでやるか」
ソルは、ぽり、と頬を掻くとリュミエラを見下ろし、気絶したまま目覚める気配がないことを確認した。
続いて窓の外を見れば、まだガーディウム達が暴れている様子が見えた。
……ソルはにやり、と笑うと、窓を開け放つ。
「じゃあ、ヴィア。そいつの見張りと拘束を頼んだ。俺は一暴れしてくる!」
「ふふ、分かった。貧乏くじを引かせて悪かったね。思う存分暴れてきてくれたまえ」
ヴィアがこぽこぽと気泡を躍らせつつ手を振って見送る中、ソルは嬉々として翼を広げ、人間の生き残りを探しに飛び立つのだった。