誘拐*2
「こ、婚約者……ですか?」
「ああ。だから勇者様もあの町に寄ったんじゃねえか、って話だ」
兵士が嘘を吐いているようには見えない。まあ、少なくともそういった噂があることは確かなのだろう。
「でも、なんでそんな方が……?魔物の国は危険なのに」
「さあ……勇者様を追いかけてこられたのかね。だとしたら随分と情熱的なことだよなあ」
けらけらと笑う兵士に『すごい方ですねえ、リュミエラ様……』と返事をしてやりつつ、アレットは首を傾げる。
公爵家の傍系、ということは、リュミエラは間違いなく貴族だ。しかし、その割には弱い護衛2人しかつけずに森に入って魔物に殺されかける目に遭っているなど、決して待遇が良いようには見えない。
そもそも、人間の若い女が魔物の国に来ているということ自体がおかしいのだ。戦士でもないのに、わざわざ危険な場所へ来る意味が無い。
……勇者を追いかけてきた、ということなのだろうか。だとしたら……リュミエラは親勇者派、ということになる。ここから先は騎士団長に聞いた方が良さそうだ。彼なら親勇者派の人間の動向にも詳しいだろう。
「リュミエラさんって、勇者様の婚約者なんですか?」
ということでアレットは、騎士団長にそう聞いてみた。こういったことは無邪気に、何の臆面もなく、それでいて少々の恥じらいと大きな期待に瞳を輝かせて聞いてやるに限る。
「ああ。リュミエラ嬢は勇者の婚約者だな」
騎士団長は少々苦い顔をして、そう答えた。憎い勇者の婚約者の話ともなれば、そうもなるだろうが、それにしては少々、苛立ちが過ぎるようにも思われた。
「ということは、すごく壮大な恋物語があったり……?」
……だが、アレットは益々瞳を輝かせて、恋に憧れる少女のような顔で更に聞いてやる。すると、騎士団長はアレットを見てきょとん、とし……少々気が変わったらしい。幾分穏やかな顔で答える。
「はは……どうだろうな。まあ、リュミエラ嬢は公爵家の娘だが、公爵家は王家と運命を共にするとのことだ。つまるところ、反勇者の立場にある。公爵家に名を連ねておきながら勇者に恋をしたなどとなれば外聞が悪い。彼女は勘当されてここへ来ることになったという訳だ」
「そ、そうですか……」
なんとも世知辛い話である。アレットはしゅんとした様子を見せた。すると騎士団長はアレットの期待を踏み躙ってしまったか、とばかりに焦る。
「……ま、まあ、それだけ熱烈に勇者のことを愛しているのだろうな。うむ……気になるならリュミエラ嬢に直接聞いてみるといい」
とりなすようにそう言う騎士団長が少しおかしくて、アレットはくすりと笑う。
確かに、リュミエラに話を聞いてみたい。勇者との恋物語もそれなりに楽しめそうだが……それ以上に、勇者の弱点などを是非聞きたいところだ。
「それに、彼女の待遇はそう悪くない。魔物の国の冬は厳しいが、それを越えられるよう十分な蓄えや燃料が国から支給されている。屋敷もある。使用人も居る。……公爵家の傍系だからこそ、体面を気にしてそうしてあるのだろうが、まあ、ある種、彼女は勘当されてここへ来てよかったのだろうな。以前より生き生きとして見える」
それから騎士団長はそう言って……ふと、目を細めた。
「幸せそうだ。とても」
騎士団長の表情が何やら寂しげで、アレットはそれが引っかかる。
「……以前のリュミエラさんをご存じなんですか?」
アレットがそう、ごく自然に尋ねると……騎士団長は苦笑する。
「そうか。やはり知らなかったのか。やはりな……道理で臆面もなく聞いてきた訳だ」
苦笑交じりに体の力を抜いた騎士団長を見て、アレットは内心で『何かまずかったかな』と焦りつつ、きょとん、として見せる。……すると。
「……リュミエラ嬢は、元は俺の婚約者だった」
騎士団長の口から、衝撃の事実が明かされたのであった。
……騎士団長が勇者を個人的に嫌う理由はこれで分かった。成程ね、とアレットは色々なことが腑に落ちて、思わず手を叩きたくなったほどである。
だが、そこは人間に化けるのが得意なアレットである。即座に申し訳なさそうな表情と慌てた身振りを用意して、おろおろと、騎士団長に申し開きを始めた。
「あ、ご、ごめんなさい……私、何も、知らずに……」
「い、いや、いい。気にするな」
「いいえ、それでも、その……あまりにも、無神経なことを……」
アレットが青ざめてしどろもどろに言葉を紡げば、騎士団長もアレットにつられて慌て始める。
「大丈夫だ。もうとうに済んだことで……その、俺は気にしていない。気にしているなら公務とはいえ、彼女の居る町を訪ねはしなかっただろう」
咳払いしながら騎士団長がそういうのを聞いて、アレットは少々の安堵を滲ませる。
「そ、その……私が言うのも烏滸がましいように思うのですが……」
そしてアレットは、自分の安堵は処罰を恐れていた故ではなく、騎士団長を傷つけたのではないかと危惧していた故なのだと知らせてやるのだ。
「元気出してくださいね。その、騎士団長殿はとても素敵なお方です。きっと相応しい方が現れますよ」
アレットが下手な慰めを真心込めて言ってやれば、騎士団長は何とも複雑そうな顔で苦笑しつつ、『そうかもな』と答えるのだった。
「……それにしても、ちょっとリュミエラさんの見方が変わってしまいそうです。婚約者がありながら他の人と駆け落ちしてしまうなんて」
それからついでに、アレットは少々憤ってやることにした。
騎士団長はどうにも、矜持が邪魔をして勇者やリュミエラを悪し様に罵れないように見えたので。
「まあ、そう言ってやるな。元は家同士が定めたような婚約だった」
するとやはり、騎士団長は少々口元を綻ばせつつ、取り成すように穏やかなことを言うのだ。
……自分の代わりに憤ってくれる者があれば、無礼な敵にも寛大で居てやれる。人間というものはそういうものだとアレットはよく知っていた。
「それでも、ですよ。あんまりじゃありませんか」
「そうは言ってもその通りにならないのが恋心というものだろう」
そうして続いた騎士団長の穏やかな言葉に、アレットは首を傾げてみせる。
「……そういうものでしょうか」
「ふむ……フローレン。お前はそうは思わないか」
知らないよ、とアレットは内心で呆れる。
……魔物は人間とは生態が異なる。人間が言うような『恋』をする必要は無い。人間の言う『恋』をアレット達魔物が理解できることは無いのだろう。強いて言うなら、魔物にとっての『恋』とは、ヴィアにとっての食事のようなもの、かもしれない。なので、アレットがそれについて考えたことが無いということは至極当然のことであった。
「うーん……どうだろう。今まで生きるのに精いっぱいで、恋なんて、考えたことも無かった気がします」
だが、こういう言い訳をしておけば実に人間らしい、ということもアレットは既に学んでいるので、そつなく受け答えができる。
「憧れは、するんですけれどね」
仕上げに少々恥じらうように微笑んでやれば、騎士団長は何の違和感も覚えずアレットの言動を受け入れたらしい。
「そうか……実に、その、無垢なことだ。うむ」
騎士団長が却って照れるような様子を見せているのを首を傾げつつ眺めて、アレットは……ひとまず、騎士団長と別れ次第、ヴィアを通じて連絡を取らねば、と考える。
リュミエラについて、早急に知らせなければならないだろう。
そうしてアレットは騎士団長ともう少々会話した後、離れて1人、野営地から離れることに成功した。騎士団長はアレットと別れることを惜しんでいるようだったが、そんなものに構ってはいられない。
「いやはや、恐ろしいお嬢さんだ。抜身の刃の如き鋭さを持ち合わせていながら、恋に恋する乙女を演じきってしまうとは!」
1人になった途端、ポケットから少々大仰な称賛と感嘆の言葉が飛び出してくる。続いて、ぴょこ、とポケットから出てきたヴィアをアレットは左の手のひらに乗せて、右の指でつんつんとつついてやる。
「……変だったかな」
「いいえ、いいえ!実に素晴らしかった!ついでにどうです、お嬢さん。私と愛について語らうというのは」
「それは遠慮しておくね」
ヴィアは魔物にしては変わり者である。愛や恋について語らうことを好む魔物はそうは多くない。……多くはない、というだけで、居ないわけではないが。かつての王都警備隊にも同じような奴が居たなあ、とアレットはぼんやり思い出す。
「それにしても、あのリュミエラという女性が2人の男を振り回す悪女であったとは!ああ、実に興味深い……」
「まあ、興味深くはあるよね、その辺り。どういう気持ちなんだろうなあ……まるで理解できないけれど」
ヴィアはうっとりぷるるん、と泡を体内でふわふわ揺らし、アレットは呆れ交じりにため息を吐いた。
「……どのみち、我々が取るべき手段はそう多くないでしょうがね。違いますか、お嬢さん」
「違わないと思うよ」
だが、両者の感想が異なったとしても、この先に考える手段は、ほとんど変わらない。何故ならアレットもヴィアも、魔物であるので。
「リュミエラは生け捕りにした方がいいよね。ベラトールには悪いけれど、殺すのは色々聞き出した後でもいいんじゃないかな、って」
「ええ、ええ!私もそう考えます!あの騎士団長という男、中々の色男でありました。あれを振って勇者についたというリュミエラの心境は如何ばかりか!ああ、気になる!」
「……それを聞くのはあくまでもオマケね?」
「ええ、勿論分かっておりますし弁えておりますよ、お嬢さん。まずは勇者の情報を根こそぎ頂いてからに致しましょう」
そんな話をしながら、アレットとヴィアはにこにこと笑い合う。この情報も全て、向こうのヴィアに流れたらしい。少しばかり待てば、ヴィアは『向こうの私達も同意見です!ベラトールも賛同してくれましたよ。すぐに殺しちまうのは勿体ない、とのことでしたよ!』と情報を齎した。
満場一致の決定に、アレットはにっこりと笑った。
……こうして、リュミエラというあの人間の女性の運命は決まったのであった。