誘拐*1
神殿を一通り見て回った騎士団は、一度、神殿の外へ出ることになった。神殿の中を『空気が悪い』と感じるらしい兵士達を慮った騎士団長が皆を連れて外に出た、という形ではあったが、実際のところ、最も神殿の空気に辟易としていたのは騎士団長であったのかもしれない。
どうも、騎士団長は魔力に不慣れな様子であった。魔物の国へ来てそれほど日が経っておらず、また、魔物の国へ過去に来たことも無いのだろうと思われる。
一方のアレットは少々顔色の悪い騎士団長を気遣って茶を淹れてやりつつ、すこぶる元気であった。
やはり、神殿というものは、魔物に元気を与えてくれる場であるらしい。
「ここに邪神の力があったとして、それを勇者が解放した、ということなら……いよいよ勇者の目的は、国家の転覆か」
アレットの茶を飲んで少し落ち着いてきたらしい騎士団長は、重々しくそう述べた。
「勇者は……今、どこに居るのだろうな」
「さあ……国へ帰っている、というわけでも、なさそうですよね」
そして勇者は今、『消息不明』である。南の神殿から魔法の通路を使って西の神殿へと移動したのであろう勇者は、一方通行の通路のせいでこちらへ戻ってくることはできないのだろう。西の神殿から南の神殿まで移動してくるには、険しい山脈地帯を抜けなければならない。魔物ならまだしも、人間達には辛い旅路となるだろう。時間も相応にかかるはずである。
この場に居ない者は何も反論できない。如何に濡れ衣を着せられていたとしても、勇者はそうと知ることすらなく、今も山脈地帯で悪戦苦闘しているのだろう。そしてその間に、人間達からの心象は、どんどん悪くなっていく。
「勇者様にも何か、お考えがあるのでは……」
「その考えが邪なものではないと、お前はこの神殿の様子を見てもまだ言えるのか?」
「それは……」
副団長は親勇者派らしく勇者を庇う言葉を出したが、騎士団長にぎろりと睨まれて言い淀む。勇者が悪行を働いている証拠は多少出てきているが、悪行を働いていない証拠はどこにも無いのだから。
「ですが……勇者様はあくまでも、魔王を倒した功労者です」
「一つ功績を立てた者がその後過ちを犯さないというのであれば、歴史上の王達は皆、さぞ賢王であったことだろうな」
「……団長は勇者様を疑っておられるのですか?」
そして副団長が尚も食い下がれば、いよいよ騎士団長は真正面から副団長を見下ろすように睨む。
「では聞くが。……お前が勇者をそうまで妄信できる根拠は、一体何だ?」
アレットは2人のやりとりを眺めながら、上手くいってるなあ、と内心喜ぶ。
こうして副団長が団長の機嫌を損ねると、その分、団長は意固地になって勇者の悪行を探すようになるだろう。……結局のところ、人間を動かしたいなら鞭ではなく飴をくれてやる方が余程効率的なのだ。
副団長は『出過ぎたことを申しました』と頭を下げ、しおらしい様子を見せてはいたが、内心では快く思っていないのだろう。それが透けて見えるからこそ、団長もまた、勇者への疑念を募らせることになる。
……そしていずれ、その疑念が勇者を殺す刃の1つとなれば、アレットの努力も報われるというものだ。
「全く……」
副団長が去っていった後、深々とため息を吐いて団長は疲れた顔を見せた。
「お疲れ様です、団長」
そこへアレットがそっと近づいていくと、アレットを見た団長はあからさまに安堵した様子を見せた。アレットが傍に居ると落ち着くというのであれば、何とも皮肉な話である。何せアレットは魔物なのだから。
「フローレン。お前は疲れていないか」
「少しだけ。でもまだ、動けますよ」
実際のところ、アレットはすこぶる元気であった。神殿の清浄な空気をたっぷりと吸い込み、すっかり元気になったアレットであったが……騎士団長に合わせて、少し疲れた顔を作って見せる。
すると騎士団長は、そうか、とだけ言ってアレットを気づかわし気に眺めるのだった。……人間の兵士達より頭一つは小さなアレットに対してどうしても、気遣う気持ちが湧いてきてしまうらしい。
「そうだ、フローレン。昨夜の話は、考えたか」
そして騎士団長は少々表情を綻ばせて、そう聞いてきた。
……アレットは少々、慌てる。すっかり忘れていた。
「騎士団に、というお話でしたよね」
時間稼ぎがてら確認すると、そうだ、と騎士団長は頷く。期待に満ちた目からそっと目を逸らして、アレットはそれらしく、迷うような表情を浮かべてみせた。
「その……もう少し、考えさせてください。居場所を頂けるのは、とても光栄で嬉しいことなのですが……どこかに所属することに、なんだか違和感もあって」
結論は、『保留』。……アレットが人間の国へ行って情報を集め、情報を操作することには大きな意味があるだろう。だが……少々、危険だ。そしてアレットがもし死ぬことがあったなら、その死体は必ずや、棺などに収めさせてはいけないので。
アレットは死ぬ時も、この国で死ぬべきなのである。だから、人間の国へ行くのは非常に躊躇われた。
「そうか……」
騎士団長は残念そうだったが、アレットがきっぱりと断ったわけでもない。気を取り直したらしく、また少しばかり笑って、『是非前向きに考えてくれ』と言って去っていった。
さて、次に同じことを聞かれたら何と答えればいいか。アレットはそんなことを考えつつ、はあ、と白くため息を吐き出すのであった。
一方その頃、ソル達は神殿からやや離れた丘の上に居た。奇しくも、つい昨日まで人間達が野営していたその丘である。
「隊長!ここ!ここから先輩の匂いがします!」
パクスはアレットの残り香を嗅ぎつけてその場でぐるぐると回り始める。元気なこったなあ、とソルは苦笑しつつ、人間達の野営の跡を見回した。
煮炊きした痕跡もあれば、人間達の匂いも微かに残っている。匂いは冬の風にすっかり攫われて、微かに人間の気配を感じ取れるだけであったが……パクスやガーディウムら、鼻の利く魔物達にはそこに居た人間1人1人がありありと分かるらしい。彼らは匂いだけで大凡の人数を言い当てられるというのだから驚きだ。
「ああー、先輩、居ますねえ。ほら、あそこ」
「パクス。あんまり前に出るんじゃねえぞ。人間から見えたら元も子もねえ」
パクスを宥めつつ、ソルもまた、木々の間から神殿前の様子を覗き見る。……ソルの視線の先では、アレットが何か、銀髪の男から親し気に話しかけられている様子が見えていた。あの身なりのいい銀髪の男があの騎士団の団長なのだということは、既にヴィアから伝え聞いている。実物を見たのはこれが初めてだったが。
「……行こうと思えばあいつは人間の国にも行けるんだな」
ふと、そう気づいて言葉を漏らしてから、いや、ないな、と内心で断ずる。
アレットは人間の国に行きたいとは思わないだろう。作戦の為であったとしても、仲間と離れることを、アレットはあまり好まない。……アレットの入隊の時を思い出しながら、ふと、ソルは目を細める。
アレットは、孤独を嫌う。1人生き残ることより、皆で死ぬことを望む。それでいて、自らの使命を全うし、仲間達の役に立とうとする……献身的で忠実な戦士だ。
早くアレットが戻ってこられるようにした方がいいな、とソルは強く思う。アレットをあまり長く、仲間から引き離しておきたくない。ヴィアが居るとはいえ、敵地にずっと居るというのは堪えるだろう。……無論、アレットがそれを得意としており、人間を欺き、唆し、嗾けることを楽しんでもいるのだということは知っているが。だが、それでも。
「よし……アレットが楽しくやってる間に、俺達もできることをやるか」
ソルは振り返ると、木に凭れて気だるげに立っているベラトールににやりと笑いかける。
「ベラトール。リュミエラって奴を殺したいんだったな」
「ああ。そうだよ」
ベラトールは木から離れると、ぎらり、とペリドットの瞳を光らせる。
「リュミエラ……なんでも、この辺りの人間共はそいつの命令で動いているらしい。なら、下っ端を殺していってもキリがない。大元を殺してやらなきゃ気が収まらないね」
強い憎しみがベラトールを動かしているのだろう。リュミエラを殺せたのならばあとは死んでも構わないとまで言ったベラトールだ。その憎しみの強さは幾らでも窺い知ることができた。
……逆に、憎しみ以外に、今の彼女を支え動かすものは何もないのかもしれない。
「よし……なら戻るか?ここに騎士団が居る以上、町は手薄になってると見ていい。襲うには丁度いい機会だ」
ソルはガーディウムに問いかける。今、この魔物達の一団を取りまとめる立場の者は、ソルとガーディウムだろう。……姫が居たら、姫の一声で全てが決まったのだろうが、姫亡き今はそうもいかない。
「分かった。……俺も久々に暴れたい気分だ。町を襲おうではないか」
ガーディウムはアイスブルーの瞳を細めて、牙の並んだ口元をにやりと歪める。
……今のガーディウムを満たすものは、憎しみと同時に悲しみなのだろう。その悲しみを振り払う為にも、人間を殺して暴れてやりたいのだろうと思われた。
「ついでにそれを勇者の仕業とでも見せかけておけりゃ、最高だが……それはアレットが上手くやるだろ。俺は何も気にせず暴れてやるとするかね」
ソルもまたにやりと笑いつつ、ヴィアに向き直る。
「ヴィア。折を見てアレットに報告しておいてくれ。俺達は町を1つ潰してくる、ってな」
「勿論。しっかりアレット嬢に伝えておこう」
ヴィアは頭部にごぽりと泡を蠢かして笑う。……戦闘力の有る無しはさて置き、ヴィアもそこそこ好戦的な性質ではあるのだろう。
「ああ、それにしても向こうの私が実に羨ましい!向こうの私はアレット嬢のポケットにしまい込まれて、温もりと柔らかさに包まれているのだというではありませんか!ああ、私ももう少し千切られていけばよかった……」
何やら嘆くヴィアにベラトールが若干の嫌悪の目を向ける中、ソルは『こいつも大概変な奴だよなあ』と思い、そして、『変な奴こそ王都警備隊に相応しいな』と納得して頷くのだった。
そうしてソル達が移動を始めて、少し。
「ソル。話があるのだが、いいかな?」
ソルとパクスの後ろを歩いていたヴィアが、ひょこ、と覗き込んできた。凪いだ粘液の頭部をちらりと見て、ソルはパクスを下がらせる。パクスが後ろに下がってベラトールと何やら話し始めるのを聞きつつ、パクスと入れ替わりにソルの隣へ来たヴィアを改めて見る。
ヴィアはソルより背が高い。……アレットを除けば、一行の中で最も身長が低いのがソルである。元々、空飛ぶ者は小柄である場合が多いが、少々、癪ではある。特にヴィアは本来ならば身長も何もなく、ただの粘液の塊であるはずなので。
「で、話ってのはなんだ」
「何、リュミエラ、という女性についてだよ。……殺すことに反対は無いが、もう少し情報が欲しいと思ってね」
ヴィアは少々身を屈めて、密やかに囁いた。
「ベラトール嬢が何故彼女を殺したいのか。リュミエラとやらは何をしたのか。それらを知らないままなのは不安じゃないか?」
「何が言いたい」
ソルが少々険のある目でヴィアを睨めば、ヴィアは肩を竦めてみせた。
「ベラトール嬢と今後も行動を共にするというのなら、彼女自身のことは探らないにせよ、せめて、敵の情報は知っておくべきだと思ったまでさ」
ヴィアがそう言うのを聞いて、ソルはきょとん、とし……それから、苦笑する。
「それを言っちまうとお前もそうってことになるんだがなあ……」
「あっ」
ヴィアはソルの指摘に『そうだった!』というような素振りを見せるのだが、それを見てソルは少々安心する。このように抜けたところがあるからこそ、ヴィアは信用に値すると思えた。
「う、うむ……私については近い内に話そう。君達は信頼に値する者達だと、十分に理解できたからね。ただ、ご婦人方に聞かせたい内容でもない。場所は選ばせてもらうことにするがね……うむ……」
「そうかよ。ま、期待せずに待つとするかねえ……」
なんとも気まずげに、しゅん、と萎れた様子でヴィアが言うのを聞いて、ソルはくつくつと笑って肩を揺らす。
「……ま、リュミエラについてはアレットに探りを入れてもらうしかねえな。或いはベラトールから直接聞くか。どのみち、俺達は人間側の情報収集なんざ碌にできねえ」
何にせよ、ヴィアの意見も一理ある。リュミエラについては調べておいた方がいいだろう。アレットには仕事ばかり頼むことになるが、仕方ない。アレット以外、人間達の情報を仕入れるのに適した者が居ないのだから。
「アレットの都合がつく時に、お前から頼んでおいてくれるか。リュミエラについて知りたい、って」
「勿論。しかと向こうの私に伝えておこう」
ヴィアは少々気障な一礼をして見せると、後ろに下がってパクスとベラトールの会話へ入っていった。パクスとベラトールは丁度『人間の肉で一番うまいのはどこか』という話をしていたところだったが。
それからアレットには無事、ヴィアを通してソルからの伝言が伝えられた。
「成程ね。リュミエラさん、かあ……護衛が付いていたから、身分がそれなりに高い人間なんだとは思うけれど」
アレットは手の平に乗せたヴィアをつつきつつ、そう言って少々唸る。
「……まあ、雑談がてら聞いてみるのがいいよね。騎士団長と話すきっかけにもなるし、副団長と話してみてもいいかも」
人間達と話してみることは重要だ。話した相手とは親しくなる。親しくなった相手からは情報を得やすくなる。立ち回るのも楽になるだろう。……そして、アレットに刃を向けるのを一瞬でも躊躇わせることができれば儲けものだ。
「じゃあ早速聞いてみる」
「ええ。どうぞお気をつけて」
よいしょ、とアレットは立ち上がると、騎士団の野営地へと戻っていく。……騎士団は、これ以上神殿から得られる情報もあるまいと思いつつ、ここまで来た以上は、と、もう少し調査を続ける方針だ。話す機会はまだまだ手に入るだろう。
「リュミエラ様の?」
その日の夜。アレットはそこらに居た兵士に雑談がてら、リュミエラの話を振ってみた。
「はい。国を出てこちらにおられる身分の高い女性、というと、何か事情がおありなのかと思って……」
野草茶を振舞いつつ聞いてみると、話し好きであるらしいその兵士はにやりと笑って、答えてくれた。
「ああ。リュミエラ様は公爵家の出身でいらっしゃるらしい。それで……なんでも、リュミエラ様は勇者様の婚約者だって話だぜ」