情報操作*7
「みなさーん、お茶が入りましたよー」
アレットが兵士達に呼びかけると、兵士達はこぞってアレットの元へとやってきた。彼らのカップに鍋で煮出した茶を注いでやれば、彼らは嬉しそうにそれを飲む。
……人間達には特に、魔物の国の冬の寒さはさぞかし堪えるだろう。だが、敵地で野営中に酒を飲むわけにもいかない。
そこで、アレットの茶やスープは彼らの体を温めるのに重宝された。アレットが手を加えたスープや野草茶は、味も風味も香りも良い。アレットは昔からよく知る野草を上手く活用しているだけなのだが、人間達にはそれが『野戦慣れした傭兵崩れならではの特殊技能』としてありがたがられた。
「よお、フローレン。今日も美味いなあ、この茶は!」
「えへへ。お喜びいただけて光栄です」
今日も、兵士の1人がアレットに話しかけてくる。……兵士の中には、未だアレットを不審に思う者も残っては居るようだったが、多くはアレットに友好的だ。そして、今アレットに話しかけてきている兵士のように、アレットにすっかり絆されている者も多い。
「これ、何が入ってるんだ?」
「えーと、茶葉の他、夏から秋に摘んで干しておいた野草を幾らか混ぜてます。そろそろ残り少なくなってきちゃいましたけれど……」
特に、依存性のある成分を持つ野草が残り少ない。まあ、然程珍しい植物ではないので、雪に枯れた森の中でも探せば多少は見つかるだろうが。
「へえ……すげえなあ。いや、これだけ美味い茶を淹れられるなら、茶屋を開いたらどうだ?」
「あはは。考えておきます」
兵士に笑って答えつつ、アレットはふと、『考えておく』ことが他にもあるのを思い出す。
……今も、騎士団長はそれとなく、アレットの様子を見ている。監視のつもりなのか、それとも特に何も考えずにアレットを見てしまっているのか。
どのみち、アレットは結論を出さねばならない。他の兵士達に『ちょっと外しますね』と言い置いてから、アレットはそっと、野営地を離れた。用を足しに行くのだろうと思った兵士達は、アレットを止めることなく見送る。……男ばかりの兵士達の中に少女の姿の魔物が一匹紛れ込むと、こうして抜け出しやすくてやりやすい。
野営地から見えない場所までやってくると、アレットは木陰にそっと座り込み、そこでようやく、ヴィアを出す。
「おお、寒い!外に出るとこれほどまでに寒いとは!」
「私で暖をとってたもんね」
ヴィアはアレットのポケットから取り出されると、きゅ、と身を縮こまらせて震えた。アレットはその様子にくすくす笑いながら、小声で話す。
「この近くに皆が来てるの?」
「ええ。向こうの私も、そう離れていない場所で待機しております。……人間達が踏み入る前に、一通り神殿を見て回ったようです」
どうやら、ソル達はアレット達より早く到着していたらしい。人間の行軍速度よりも、魔物達のそれの方が遥かに速い。当然といえば当然である。
「特に発見は無かった、ということでした。神の力の石も見つからなかったかと」
「そっか……」
知らされた事実に、アレットは表情を曇らせる。神の力の石を手に入れるために神殿を巡っているというのに、神殿でそれが見つからないとは。
「勇者に持ち出されちゃったのかな」
「或いは、向こうの我々にも見つけられない程に巧妙な隠され方をしているか、ですね」
ヴィアの言葉に、アレットは『それはないだろうなあ』と思う。向こうにはソルもパクスも居る。頭の切れるソルと、鼻と勘のいいパクスが揃って見つけられないのであれば、それは存在しないのとほぼ同義である。
「勇者が持ち出したとするなら、何のため、でしょうね」
「うーん……素直に考えるなら、破壊するため、なんだろうけれど。でも、向こうのヴィアも何も感じないんでしょう?」
「ええ。少なくとも、神殿近辺で神の力の石が破壊されていたのならば、そこに封じてあった魔力は流れ出し、大地へと染み込んでいったはず。その痕跡は見られないようですね」
「だよね。ここに居る私達にもそれらしいものは感じられないもの」
アレットとヴィアは揃って首を傾げる。
……魔物であれば誰しも、大なり小なり魔力を感じ取ることができる。自らの根源となっている力が近くにあるならば、必ずそれと分かるのだ。
だが、今、神殿の近くにはそれらしい気配は見当たらない。勇者の動向を考えるなら、神の石は既に破壊されて久しく、魔力が大地に染み入って久しい、とも考えにくい。
「見つけてすぐ破壊しなかったとなると、人間の国に持ち帰った?」
「それはあるかもしれませんね。我らの力の源を調べようと考える人間が居てもおかしくはない」
「でもそれだったら……騎士団長が何か知ってる気がするんだよね。多分あの人、人間の国の王城に住んでるんだと思う」
騎士団長の言葉の端々からは、そのような様子が感じ取れた。それなりに高い身分を持っていそうだと思える丁寧な所作や上等な服などからも、貴族かそれに準ずる立場の者だろうということは推測できる。
「でも、騎士団長は勇者の目的を知らないみたいだった。もし国を挙げて魔力の研究をしたいんだったら、知っていてもよさそうだけれど」
「まあ……王都第2騎士団、というのであれば、王都に居るのでしょうからね。城の内部のこともある程度知っている者も何も知らない、となれば……余程秘密裏に研究しているか……」
「或いは、勇者の独断か、っていうかんじなのかな」
……アレットとヴィアは顔を見合わせて、頷く。
騎士団長から聞いていても、どうも、勇者が勝手に動いているように思えた。勇者を勝手に動かしている誰かが居るのかもしれないが……人間の国からの指示に背いて、勇者が動いているとしたら。
「勇者は……まさか本当に神の力を手に入れようとしてるのかな」
「ううむ……勇者が?忌み嫌っているはずの、我らの神の力を?」
勇者が神の力の石を自分の為に持ち出したというのであれば、それでもまた謎は残る。勇者ら人間にとってアレット達魔物の神は、『邪神』だ。
特に勇者など、自身の力の源は『神』だという。魔物の神とは異なるらしいそれを信仰しているのであれば、何故、わざわざ『邪神』などの力に触れようとするのか。
「……魔王様を殺し、この国を踏み躙り、それでもまだ、力が足りないと?」
「どうだろう。力はいくらあっても足りないものだとも思うけれど」
あまり戦う力のないヴィアからしてみると少々思うところがあるのかもしれないが、アレットはなんとなく、力を追い求める者の気持ちが理解できる。
「力があっても、どんどん指の隙間から零れていくんだよ。全部は掬いきれなくて、じゃあ、もっと手が大きければ、って思うけれど……それでもやっぱり隙間は埋まらないんじゃないかな」
「ふむ……そういうものですか」
「そういうもの、かもね。うん。結局、勇者が何を考えているのかなんて、分からないんだけれど」
アレットは、ふう、とため息を吐いて立ち上がる。そろそろ時間切れだろう。これ以上長引くと、兵士達がアレットを心配して探しに来かねない。
「まあ、明日神殿の中を見てみて、ちょっと動いてみようと思う。だから……そうだなあ、ヴィア。ちょっと向こうのヴィアにお願いしたいんだけれど」
「お願い?ええ、ええ。どうぞ、何なりと!不肖ヴィア、麗しのお嬢さんの為なら喜んで働きましょう!」
アレットはヴィアをポケットにしまい込むと、にっこり笑って、言った。
「ちょっと、神殿の奥の方を荒らしておいてほしいんだ。できれば、祭壇っぽい場所で。儀式の痕跡っぽくしつつ。魔力が暴走した時みたいに」
そうして、翌日。朝陽の眩しい中、アレット達は朝餉の準備をしていた。
寝ずの番をしていた兵士などは眠そうにしていたが、それでも人数が多い分、アレット達より不寝番は楽なのだ。夜の間に3回も交代があり、更に、一度夜の番をすれば次に夜の番が回ってくるのは翌々日以降になるのだから。
『私なんて向こうじゃほとんど毎日夜の見張り番だけれど』などと思いつつ、アレットは軟弱な人間達の為に茶を淹れる。
今日は生姜に似た野草の根を薄切りにして煮出したものを加えて、ぴりりと辛みが走りつつも爽やかな香りが漂う茶にしてみた。体を温める効果がある野草であるので、兵士達には喜ばれるだろう。
……そうしてアレットが準備をしていると、騎士団長がアレットの傍へやって来た。
「フローレン。体調はどうだ」
「ばっちりです。今日も元気ですよ」
アレットがにっこり笑って答えれば、騎士団長は満足気な笑みを浮かべた。寒い夜を明かして疲れ気味の兵士達の中、如何にもか弱そうなアレットが元気な姿を見せていると、多少無理をしているように見えるのかもしれない。
「そうか。無理はしないように」
「はい。お気遣いいただきありがとうございます」
アレットが一礼すると、騎士団長は何か、アレットに言おうとしたように口を開きかける。だが、何を言おうか迷っている内に、副団長の片方がやってくる。
「アシル様。少々よろしいでしょうか?」
「何だ」
「邪神の神殿突入にあたって、ご相談が……」
団長はアレットとの会話を邪魔されたことを少々残念に思っているようだったが、結局は副団長の片方に呼ばれて去っていく。ちら、とアレットを睨んでいった副団長は、あまりアレットを快く思っていないようだった。団長がアレットを気に入っていることも、余計に副団長を苛立たせているのだろう。
ということは、恐らく、副団長の少なくとも片方は、親勇者派。もしくは単純に騎士団長かアレットかが気に入らない。そういうことになる。
まあいいや、とアレットは気を取り直す。ある程度は邪魔があった方が分かりやすくていい。そして、副団長が団長をアレットから離そうとすればするほど、団長はアレットのような『意思を同じくする者』を恋しく思うことだろう。
……騎士団長は副団長のような、親勇者派に辟易としている。だからこそ、アレットにすぐ心を開いてしまったのだろう。
アレットは少々笑みを漏らして、今日もスープの鍋をかき混ぜる。ほわほわ、と立ち上る湯気を吸い込んで、よし、今日も上出来、とにっこり微笑めば、周囲の兵士達もそれにつられて微笑む。
そうして和やかに、騎士団の朝餉が始まった。
朝餉を終えた兵士達は丘を下りて神殿前へと到着した。改めて近くに来てみると、神殿は大きく、より荘厳であった。高い場所から見下ろすだけでは感じなかった威圧感のようなものすら感じる。アレットにはこれが静謐で心地よい緊張感に思われるが、人間達にとっては怖気を伴うぴりぴりとした緊張なのだろう。方々から『これが邪神の……』『なんと悍ましい……』と囁き合う声が聞こえてきていた。
改めて、人間と魔物の間にある壁を確かめつつ、アレットはじっと、神殿を見上げた。
そこにおわすのかもしれない神へ、そっと、静かに祈るように。
……そうして一団は神殿の前に整列すると、騎士団長の指示を聞く。
「……以上が今回の作戦である。内部に魔物が潜んでいる可能性もある。くれぐれも、慎重に動くように」
作戦という程のものでもない、単に『団長を中央に置きつつ、先頭を行く副団長の補助をして進む』というだけの指示伝達であったが、兵士達はそれを素直に聞き、応、と返事をする。
「では、突入!」
そうして団長の指示によって、副団長と他数名の兵士を先頭に、神殿への突入が開始する。
アレットは騎士団長の隣、隊の中間あたりに加わって、神殿へと突入した。
「これは……これが、邪神の神殿、か……」
騎士団長をはじめとして、人間達はやはり、神殿に恐れを感じるらしかった。その中でただ1人、アレットだけはその静謐な空気を吸い込んで、神の残し給うた奇跡を味わう。
神殿の中は、微弱ながらも神の力に満たされていた。恐らく、神の力の石はつい最近までここにあったのだ。そこから染み出た魔力が長年にわたって少しずつ浸透し、この神殿の静かで甘やかな空気を生み出したのだろう。
日の光の差し込む天窓の下に立って上を見上げれば、何の魔法か曇り一つない玻璃の窓から、青く澄んだ空が見えた。
……やはりここは、祈るに相応しい場所に思えた。
「……くそ、やはり空気が悪いな。フローレン、大丈夫か」
「ええ……大丈夫です」
そして、ここはここを『祈るに相応しいと思う者』の為の場所なのだと、強く、思わされた。
人間の為ではない。ここは、魔物の為の場所なのだ。
そうして騎士団が進んでいくと、やがて祭壇の後ろに隠された隠し扉に行き当たる。確認を取りながら副団長がそこを進んでいくと……。
「……これは!?」
そこには、荒れた祭壇があった。
石材は割れ砕け、床材には罅が入り、近くで何らかの儀式に使っていたのであろう燭台や香草の束、そして床に白墨で描かれた模様や明らかに人骨と思しき骨などが、異質な雰囲気を醸し出している。
「これは……」
アレットはそっと、その場を見回して……言った。
「……邪神の力を解放した者が、居たのでは」
アレットの言葉に反論できるものは誰も居ない。魔法の使える者があれば、ここに魔力の気配が碌に無いことくらいは分かるだろう。だが、ここにはアレット以外、ただの人間しか居ないのだ
「となると……勇者、が」
騎士団長が険しい表情で考え込むのを横目に、アレットはいよいよ、ここからどう勇者への猜疑心を広めていくか、考えるのであった。