情報操作*6
騎士団長に連れられて、野営地から少々離れた位置までアレットはやって来た。ここでの会話は兵士達には聞こえないだろう。
「どうなさったんですか、一体」
「ああ、その……」
アレットはあくまでも不思議そうな顔で騎士団長を見つめ……そして、騎士団長が少々緊張しながら言葉を発するのを、待った。
「……フローレン。勇者の動向をどう思う」
そして騎士団長がそう言うのを聞いて、アレットは内心で笑いつつ、あくまでも真剣な表情を浮かべる。
「不審です」
騎士団長が望んでいる言葉はこれだろう。アレットは察した通りにそう言ってやる。すると騎士団長は安堵したような表情を浮かべ、それからすぐさま、表情を引き締めた。
「そうか。やはりお前はそう思うんだな」
「はい。……私のような雑兵の中には、このように思う者も少なくないと思います」
勝手に雑兵達にまで勇者への疑念を拡大して話してやりつつ、アレットはふと、『今気づいた』というような顔をして聞いてやるのだ。
「……上層部の方々は、そのようにはお考えではない、のでしょうか」
「ああ、いや、そういうわけでは……ううむ」
「ではその、私は不敬罪に問われ、たり……」
「いや、そのようなことは無い!」
騎士団長は怯えるアレットの様子を見て、慌てたらしい。半歩後ずさったアレットの手を握って引き留めて、それから更に慌てたように言葉を連ねていく。
「その、確かに王国内には勇者を信奉する一派も居る。騎士達の中にも親勇者派は居るだろう。だが……少なくとも、私は盲目的に勇者を信奉するつもりは無い。お前の発言によってお前を処罰しようとする者が居たとしても、その時は私が……私がお前の身分と身の安全を保証しよう」
騎士団長はそう言うと、アレットの手をそっと離した。アレットは少々戸惑うそぶりを見せつつ、怯えはせずにただ、窺うように騎士団長を見つめた。
「……お前の目から見て、勇者の不審な点は他にあったか。些細なことでもいい」
そして騎士団長の言葉を聞いて……アレットは概ねのところを察したのである。
どうやらこの騎士団長。勇者の失脚を願っているらしい。
騎士団長が勇者の失脚を願う理由は、よく分からない。何せアレットは人間達の事情に疎いのだ。……無論、魔物達の中では群を抜いて情報を持っているのだろうが、人間と比べてしまえばどうしようもない。
だが、察せる部分はある。推測できる部分も。
……勇者が力をつけた時、人間達の中には困る者も居るだろう、と、アレットはソルと共に以前から考えていた。
人間達の中で、他に類を見ない力。1人で軍にも匹敵するその武力を警戒する人間が居てもおかしくない。勇者ただ1人の乱心によって、人間の国が滅ぶかもしれないのだから。
そして……人間の国の権力者であれば、勇者のようなものの扱いには困るだろう、とも考えていた。
魔王討伐最大の功労者であり、一国を滅ぼすこともできる武力をただ1人で持ち……厄介なことに1つの人格を持った生き物。既存の権力を撃ち滅ぼさんとする者にとっては担ぎ上げたい人材であり、既存の権力者達にとっては反乱を起こしかねない厄介者だろう。
……つまり。
今、アレットの目の前に居る騎士団長は……『既存の権力者』の一派なのだ。
「……私自身は、直接勇者様をお見かけしたことは1度しかありません。3年前の戦いが終わった後の動乱の時期に、ちらりとお見かけしただけです」
アレットは言葉を選びつつ、そう、話し始める。周囲の木々の陰に誰か隠れていないか、聞かれてはいないかを警戒するように視線を動かして……そして。
「ですが、お見かけした印象ですと……焦っておられる、ように見えました」
アレットの言葉を聞いて、騎士団長は小さく頷いた。続けろ、という意味であろうと理解したアレットは、騎士団長の望み通りに言葉を続けていく。
「それから、少々乱暴なお方だとも、伺っております。こちらは伝聞になりますが……あまり、周囲に気を配る余裕が無かったのではないか、と」
「ほう……」
「そして、邪神についてよく調べていた、というのは私の友人伝いに聞いた話ですが……今、勇者様が邪神に傾倒し、邪神の神殿を巡っているのであれば、非常に危険かと思います」
騎士団長の興味深そうな顔を見るのではなく、あくまでも周囲を警戒するようにしながら、アレットは話す。
「邪神の神殿には邪神が祀られ、その力が眠っているとされているそうです。……勇者様は、それを狙っているのではないか、と。そして、邪神の力を手にしたい者が為そうとしていることは何か、と考えると……」
「……世界の滅び、か」
えっ、と思いつつアレットが騎士団長の顔を見ると、騎士団長は深刻そうながらどこか喜びを秘めた表情を浮かべていた。
「かつて邪神は魔物を生み出し、この世界の滅びを目論んだ。その邪神が初代勇者によって撃ち滅ぼされた後も、邪神の呪いは世界を滅ぼさんとしている、と……よく御伽噺では聞くが、まさか本当にそうかもしれんとはな」
『何それ聞いたこと無いよ』とアレットは内心で面白く思う。どうやら、人間の世界ではそのように語られているらしい。少々真実とは異なるそれを聞き、アレットは笑い出したいような気分になったが……表情を引き締めて、あくまでも真剣に、緊張気味に、話す。
「勇者様が世界の滅びを望む理由が私には分かりません。けれど、もっと単純に考えて……邪神の力を手にし、より強大な武力を手に入れたがっているのなら、それは……国を転覆させるつもりなのではないか、と。そう、考えます」
アレットの言葉に、騎士団長は頷き、思案するように俯いた。何を考えているのかは分からないが、アレットはここで畳みかける。
「あの……騎士団長殿は、勇者様を怪しんでおられる、のですよね?」
「……ああ、そうだ」
「では、勇者様が邪神に魅入られてしまった、ということも……」
「一考の余地はあるだろうな。邪神自体に魅力を感じているのか、はたまたその力を欲するあまりなのか……どちらにせよ、王国にとって良いことではあるまい」
意思ある生き物は、自分の口から発した言葉に引きずられる。ぼんやりとしか思っていないことでも何度も言葉に出していれば、その内それが確固たる自分の意思だと思い込むようになる。だからアレットは、騎士団長に話させる。
「私は勇者と直接会って話したことがある。魔王討伐前と、つい半年ほど前と」
騎士団長は思い出すようにそう言うと、ふ、とため息を吐いた。
「魔王討伐前には、愚かな奴だと思った。善良そうではあったが、愚かだ、と」
「それは……」
「奴はものを知らなかった。魔王を倒し世界を救おうとしている割に、随分と視野の狭い……住んでいる世界の狭いことだ、と思ったのだ。『純朴だ』と言ってやることもできるのだろうが」
騎士団長はそう言って苦々しい表情を浮かべる。……アレットはそれを見て、思う。もしや騎士団長は、勇者をごく個人的な理由で嫌っているのではないだろうか、と。
そんな気がしたのは、騎士団長の表情と、少々棘のある言葉から。ほぼ根拠のない、勘のようなものだったが……あながち、こういった勘も侮れないものである。
「勇者の『純朴な』性格を利用したがる奴も多いようだった。だからこそ勇者は早々に王城で保護されることになったのだが」
アレットの知らない話がどんどんと出てくる。勇者は人間の国の王城で保護されていた、らしい。……それを知っていたからといって何かの役に立つ訳でも無いだろうが、人間にとっての常識であれば、アレットは知っておかねばならないだろう。
「そして半年前。建国祭に際して王城で勇者と会った時には……その時には既に、勇者は不審な素振りをみせていた。勇者はいずれ王家に仇為す存在になるのではないか、と、懸念されていたが……」
そこで騎士団長は押し黙る。話し過ぎた、と思ったのかもしれない。だがアレットは既に聞いている。
「……どうして私に、このようなお話を?」
黙ってしまった騎士団長に代わり、アレットがそう尋ねる。すると騎士団長は少々気まずげな顔をしながら、零した。
「私は打てる手が限られている」
「自由に動ける立場ではない。探りを入れるにも、私に真実を明かす者ばかりではあるまい?」
まあそういうこともあるだろうね、とアレットは頷く。騎士団長というからには地位がある程度高いのだろうと思われ……そうでなくとも、目の前の男の身綺麗な様子からは、人間の国での身分の高さが窺える。
覇権争いなどをしているわけではないにせよ、それに近くで関わっているという立場なら、欺こうとする者が周りに多いだろうということは想像がつく。
「特に勇者について悪し様に言える人間は多くない。神の力を行使する者、として神聖視するものまで居る始末だ。勇者の姿を正確に見定められる者に出会ったのは……お前が初めてなのだ」
ここでアレットは、騎士団長が自分に対して妙に親切である理由をなんとなく、察した。
……要は、周りが親勇者の立場の者ばかりで居心地が悪かったのだろう。そこにアレットが『勇者は邪神に魅入られたのでは』などと言ったからこそ、アレットを重用しようとしている。
同じ考えの者を見つけて嬉しかったのだろう、と思えば、目の前の騎士団長が何やら少々哀れにも思えてきた。それと同時に、アレットが行き会った者がたまたま反勇者の立場を取るものであった幸運を噛みしめる。
「貴重なのだ。お前は」
「それは私にとっても同じことです」
アレットはすぐさま、自分からも歩み寄りを見せることにした。
「……身分のあるお方が、私のような雑兵の言葉に耳を傾けて下さることは、非常に貴重で……幸運なことでした。私は不敬罪で処罰されていてもおかしくなかったはずなんですから」
自分も同じ気持ちだ、とばかりに微笑んで騎士団長を見上げれば、騎士団長は少々たじろいだような表情を見せる。
「お前がその危険を冒したからこそ、私も私と同じように考える者が居ると知ることができた。……礼を言うぞ、フローレン」
少々ぼそぼそとした声は聞き取りづらかったが、恐らく、このように人に礼を言うことに慣れていないのだろうなあ、とアレットは察する。その分、アレットはにっこり優しく笑ってやることにした。
「……その、王都で戦っていた者達の中には、お前のように考える者が多いのか」
「全員がそうという訳ではないでしょう。『死にかけたところに現れた勇者様に救われた』という者も居るはずです。勇者様が間に合わずに死んだ者は喋りませんから」
死人に口なし、とはよく言ったものである。アレットが少々皮肉気に言うと、そうだな、と騎士団長は表情を曇らせた。何やら思うところがあるらしい。
「でも、確実に私はそう、感じています。私のように、戦いを知りながら戦いの場から離れた者が他にあれば、彼らも私と同じように……感じる、のかも、しれません」
「そうか……だが、お前は1人、生き残ったのだったな」
「はい。西の反乱に巻き込まれて、仲間は、皆……。それで私は根無し草になっちゃったんですけれどね。……なんでだろうなあ、行く先々で居場所がなくなっちゃう」
アレットが寂しく笑えば、騎士団長はアレットの表情に何か胸を打たれたように戸惑い……そして。
「……その、お前さえよければ、第2騎士団に入団しないか」
唐突に、そう、言ったのだった。
「……えっ」
「勿論、王都に戻って入団試験を受けてもらうことにはなるが……私が推薦すればまず通るだろう」
アレットは驚いた表情を浮かべつつ、内心でも驚き、混乱していた。『あれ、なんでそうなっちゃったんだろう』と考えてみるも、『この人間、よっぽど寂しかったのかなあ……』などという結論にしか至らない。
「所属する隊が無いというのなら、ここをお前の居場所にすればいい。第1や第3の騎士団に取られぬよう、私が直々にお前を引き込む。どうだ」
どうと言われても、困る。
アレットは只々、困惑しつつ……その困惑を存分に表出しながら、しどろもどろに答える。
「そ、その、突然のお話で、あまり現実味が無くて……ええと、ごめんなさい、今、混乱しています。だって私、ほとんどずっと根無し草で……」
ほぼ正直にそう言えば、騎士団長はきょとん、とした顔をして……それから、ふ、と笑った。
「すぐ結論を出せとは言わん。だが、考えておくように」
騎士団長はそう言うと、戻るぞ、とアレットに呼びかけ、野営地へと足を動かし始める。先ほどまでより幾分軽やかな足取りを見て、この人間、よく分かんないなあ、とアレットは内心でため息を吐いた。
……人間の国へ行くつもりは、無いのだが。だが、状況によってはいずれ、行くことになる、のかもしれない。
そう考えながら、アレットは騎士団長の後を追うのだった。
そうして翌日も行軍は続き、アレットは騎士団長や他の兵士達と親交を深めつつ、得意の野草茶を出してやったりもしつつ……神殿が見える丘の上までやって来た。やや遠くになるが、神殿がはっきりと見下ろせる。森の中に佇む神殿は、荘厳であり、一種の畏怖をも抱かせるような、そんな神秘的な様子であった。
「フローレン。疲れていないか」
「はい。大丈夫です」
思想の一致のこともあり、すっかりアレットを気に入ったらしい騎士団長は、アレットに声を掛けつつ微笑む。アレットもそれに笑い返してやりつつ……ふと、地面に目を止めた。
そこには見慣れた羽が一枚、落ちている。
人間達の目にはただ、鴉の羽が落ちているな、としか見えないだろう。だが、薄い茶色の毛がくっついたそれは……間違いなく、ソルのものだ。
パクスがソルにじゃれついたんだろうなあ、と思いつつ、彼らが近くに居ることを知り、アレットはそっと微笑む。
……そろそろ、1人になれる機会を生み出さねばならない。ヴィアを通して、向こうの様子を聞かなければ。




