情報操作*1
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第三章:忠誠と殉難
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こちらへ向かってくる人間を見て、どうするか、と一行は顔を見合わせた。
木々に阻まれ、人間からはこちらが見えていないのだろう。ただ生き物の気配がすると思って駆けてきているのか、はたまた、闇雲に助けを求めているだけなのか。
そして、人間が助けを求めながら走っているというのであれば、人間を追いかける魔物が居るはずである。恐らくは。人間が人間を襲う可能性も十分にあるが……。
「行ってくる。近くの集落に潜り込むのに役立つかもしれないし」
「分かった。行ってこい、アレット」
アレットは、『敵にとって予測していなかった事態』というものを大切にしている。敵の危機は自分の好機。計画通りに事が運ばなくなれば相手には隙が生じ、その隙をこじ開けてアレットが潜り込むことは容易になる。
「ヴィア。一欠片ついてきて」
「ああお嬢さんっ!も、もう少し優しく!優しく千切って頂きたい!」
むにっ、とヴィアの頭部の一部を一掴み分千切ったアレットは、千切り取ったヴィアの欠片がぷるぷると震えながら抗議の声を上げているのも構わず、ぽい、と荷物袋の中にヴィアの欠片を放り込んだ。
それから数秒はヴィアが『なんということだ!』とぷるぷるしていたが、それもじきに大人しくなった。
アレットは木々の間を駆けて抜け、そうして人間達の前に迷いなく躍り出る。
「どうしたんですか!?お助けします!」
抜き放ったナイフ2本は幾人もの人間を殺してきた代物だが、これを見る人間の目にはさぞかし頼もしく美しく映ったことだろう。
アレットはそこでようやく、人間達の状況を見ることができた。
人間は全部で3名。1人は女で、もう2人は男。戦えそうな格好をしているのは男2人だけである。『この程度なら後ろから襲い掛かられてもなんとかなるかな』と判断したアレットは次いで前方……人間達を追ってきた者の姿を見る。
……それはやはり、魔物であった。
赤錆のような色をした長い髪の頭部には、同じ色をした猫の耳が生えている。そしてその手足には鋭い爪があり、臀部には尾が生えており……そしてぎらりと剣呑に光る眼は、鮮やか過ぎる程に鮮やかなペリドット・グリーン。
美しい女の顔の中で異様な輝きを放つ目が……縦に瞳孔の入った人外の目が、ぎろり、とアレットを睨みつけていた。
「できれば、戦いたくないんだけれどな」
アレットがそう言うも、猫の魔物はただアレットを睨みつけて呼吸も荒く、今にも襲い掛かってきそうな姿勢を崩すことが無い。
余程、腹が減っているのか。余裕のない様子を見る限り、対話による解決は難しそうである。
ならば仕方がない。猫の魔物がアレットに向けて動いたのを見て、アレットもまた、動き出した。
猫の魔物の攻撃は、ソルのものと似ていた。『ソルっぽい戦い方のパクス』などと思いつつ、アレットは繰り出された爪の一撃をひらりと躱した。
次いで、今度は蹴りが来る。それもまたなんとか躱しつつ、アレットはやはり『ソルっぽいパクス』なる評価をもう一度自分の中で確かめた。鋭くもしなやかで、そして速い攻撃。少々乱暴で力任せでもある。荒々しさと鋭さの同居する攻撃の数々は、中々のものであった。
……さて。
本来であればここで翼を出して上空から襲い掛かってやるところなのだが、今はそういう訳にもいかない。アレットの背後で、人間達が心配そうにアレットを見ている。
アレットはあくまでも、人間に化けたまま戦わなければならない。空飛ぶ者であるアレットの本領は、やはり空である。ひらひらと飛び回ることでアレットはアレットに有利な戦いの運び方をすることができるのだが……。
……だが、あくまでもアレットは地上で戦う。
空を飛べなかったとしても、アレットが弱いということにはならない。王都警備隊として鍛え上げられた技術を以てして、目の前の魔物を倒す準備はできている。
「多少、手加減できないと思うから、それはごめんね」
多少怪我をさせることになったとしても、後でソル達が治療するだろう。人間達は気づいていないようだったが、アレットの目には、木々の向こうからこちらの様子を窺っている皆の気配が見えているのだ。
それを見て、アレットは……ナイフを容赦なく突き出した。
猫の魔物は刃物のぎらりとした輝きに、一瞬、怯んだ様子であった。理性を失っているような有様であるが故、本能的に感じるものがあったらしい。目のすぐ横を通り抜けていった刃は、確実にアレットの望んだ効果をもたらした。
……そして更に、アレットの攻撃は続く。
もう片方のナイフを、ごく単純に突き出す。狙う位置は、相手の心臓。
自らの心臓を狙う攻撃を避けようとしない者はそうは居ないだろう。猫の魔物はアレットの読み通りナイフを避けて、すぐさま後退して数歩分の距離を取った。
相手が後退したなら、その相手が望んでいることはひとまずの時間稼ぎ。或いは、戦いの仕切り直しだ。ならばその望みと真逆のことをしてやればいい。アレットはすぐさま地面を蹴って、猫の魔物の懐に突っ込んでいこうとし……。
……そこで。
くい、と、アレットの髪を引くものがあった。何かと思えば、荷物袋に入っているヴィアの欠片が細く粘液の腕を伸ばして、アレットの髪をついついと引っ張っているのだ。
動こうとしていたアレットはヴィアの合図に思わず足を止める。何か意図があることは間違いない、と。
……そして。
「ここは一旦退きましょう」
そう、声が響く。アレットも猫の魔物も、アレットに庇われた人間達も皆がそちらを見れば……そこには、人間の衣類を身に纏ったスライムが居るのだ。
人間達はぽかんとしており、アレットもぽかんとしており……そして、アレットの目の前では、猫の魔物もぽかんとしていた。
「さあ、行きますよ。ひとまず貴方には食事が必要でしょう。用意が済んでいますから、さあこちらへ」
ヴィアは猫の魔物にそう言って彼女の手を握った。……途端、猫の魔物はヴィアの頭部をその鋭い爪で切り裂いたが。
「やれやれ、全くとんだじゃじゃ馬のお嬢さんだ」
ヴィアは切れ目の入った頭部をねっとりと繋ぎ合わせると、今度こそしっかりと、猫の魔物の手首を掴む。粘液でできた枷のようになったそれに猫の魔物は焦りを生じさせたが……ヴィアが再び森の奥へと歩を進めていけば、猫の魔物もそれに従って覚束ない足取りでアレット達の前から去っていくのであった。
「では、どうも」
ヴィアは去り際、帽子を取って軽く掲げながら人間達にそう挨拶し、森の奥へと消えていく。これには人間達も相当驚いたらしく、『魔物が挨拶した……』と、只々驚愕の表情を浮かべていたが。
「……えーと」
そんな人間達を見て、アレットはナイフを仕舞うと、声を掛けた。
「お怪我はありませんか?」
そしてにっこり微笑んで人間達へ手を差し伸べてやれば、人間達は心底安堵した顔をアレットへ向けるのだった。
「成程、薬草を採りに来ていたんですね」
「ええ。村の近くでも多少は採れるのですが、どうしても、森の中の方が種類も量も豊富で」
それからアレットは、『助けてやった』人間達から話を聞くことにした。
この3人組はやはりと言うべきか、それなりに身分の高い女性1人とその護衛2人だったらしい。護衛が居ても魔物に対抗できなかったのだから、護衛の意味があったのかは怪しいが。
「村に兵士の方々がいらっしゃっているものですから……少しでも、彼らの力になりたくて」
そう話す女性に、アレットは微笑みかける。厄介だな、と内心で思いつつ。
「そうでしたか。……兵士を助けてくれる方をお助けできて、本当によかった」
アレットはそう言って、即座に頭の中で物語を組み立てる。自分が最後に人間に捕捉されたのはいつか。どのような嘘を吐けば、どこからでも矛盾の無い『人間』に化けられるか。
それらを簡単に組み立て終えたアレットは……にっこり笑って、言った。
「兵士が居るなら、是非合流させてください。私、南の方へ伝令に行った他の隊の人達と合流できないかと思って、南下していたところだったんです」
それからアレットは、『身の上話』を始める。少々の休憩がてらの短い話で人間の反応を見て、今後どう動くかを決めるつもりだった。
「私は……脱走兵みたいなもの、です」
アレットがそう切り出せば、人間の女性も護衛2人も、はっとしたような顔をする。
「傭兵として先日の戦いに志願していました。けれど、王都で魔物の反乱が起きて……そこで私は他4名の仲間と共に、西の開拓地への伝令を命じられたのですが。そこで、またしても魔物達の襲撃に遭いまして」
「まあ、なんてこと……」
むしろ襲撃した側であるアレットは内心で『まあ実際、開拓地は襲撃に遭っているんだから嘘じゃないよね』などと思いつつ、沈んだ面持ちで話を続ける。
「西の開拓地がやられたということを、誰かには伝えなければなりません。でも、王都に戻るわけにもいかず……そうしている内に再度、魔物に襲われて。他に4人の仲間がいたのですが、結局は、私1人に……」
そう言葉を途切れさせれば、人間達はなんとも痛まし気な表情でアレットを見つめた。
「……ですから、事の顛末を他の兵士達に伝えなければならないんです。そちらの村に居る兵士達は、どこの所属の兵士でしょうか?」
アレットは存分に人間達の同情を買ってから、そう、幾分明るく尋ねる。努めてそうしているように振舞ってやれば、人間達は何も警戒することなく情報を漏らした。
「ええと、今、南にいらっしゃる兵士の方々はこれから中央の方に向かわれる方々だそうです。……皆様、南の大きな町で魔物の反乱についてお聞きになったらしくて……落ち着かなげな様子でいらっしゃるんです」
……どうやら、今、この近隣の村に居るという兵士達は、新たに人間の国から送り込まれてきた兵士達であるらしい。
アレットは情報を吟味して……結論を下した。
『早すぎる』。
まだ、魔物達の反乱が起きて、一月も経っていない。であるにもかかわらず、もう、人間の国から新たに兵士がやってきた、となれば……。
……これは、姫の公開処刑が成功していても送られてくる予定であった兵士達なのだろう。まさか、公開処刑が失敗すると見越していたわけでもあるまい。
だが……一体何のために。
「彼らは……これから王都の方へ?」
「ええ。そう伺っています」
「そう……なら、私から報告をさせて頂いても大丈夫そうですね」
アレットは何かに納得したようなそぶりを見せると、そっと、女性の手を握る。
「あの……私を兵士の皆さんに、取り次いで頂けませんか?どうしても、お伝えしなければならないことがあって」
アレットがじっと瞳を見つめて懇願すれば、やがて人間達は顔を見合わせ、すぐに『勿論!』と返事をくれたのであった。
アレットはひとまずこのまま、人間達と共に行動することを決める。明日の朝か今晩に出立すれば十分だろう。ひとまずここで、人間達の中に紛れ込み、情報を得たい。
……知りたいことだらけだ。今後も神殿を巡るにあたって、人間側の情報がまるで無いのはあまりにも不利だ。
人間達の狙いが分かっていた方が有利に立ち回れる。また、王都での反乱が人間達にどのように伝わっているのかも知っておきたい。それから、勇者が西の神殿へやってきた経緯も気になる。
人間の兵士達の事情が分かればそれに越したことは無い。人間達の内部に入って情報を操作できれば更に良い。
そして……。
……もし人間の兵士達をまとめて始末できるなら、最高である。
アレットはにっこりと、微笑んだ。