光、一筋*1
それからアレットは2度ほど、馬車を襲った。
パクスに馬車を牽かせている間に飛んで別の道へ行き、そちらで御者を殺して、積み荷を全て奪う。そうしておいてアレットは再び飛んで帰り、パクスの馬車に戻ればいい。
アレットがそうやって馬車を襲うようになってすぐ、アレットが襲った馬車以外にも数台の馬車が狙われた。人間がやったのか、魔物がやったのかは分からなかったが、どちらにせよアレット達にとっては喜ばしいことである。
人間達は警戒を強めたようだったが、それすらもアレットにとっては喜ばしい。何故なら、アレットは人間達に『傭兵として魔物を殺すために働いていた』と身分を偽っている。つまり、戦える人間だと思われているアレットは、その分、この時世の御者に相応しい、とより多くの仕事を与えられるようになったのである。
……そして何より、戦果は十分だ。ひとまずフローレン達の地下室には、何とか冬を越せるだけの物資を運び込むことができた。
麦の大袋をいくつも積み上げて、塩漬けの肉や油をたっぷりと。他にもリンゴや干した魚や木の実、干しブドウに酒の類も少々。更には貴重な砂糖まで!
アレットが食料を持ち帰る度に、地下は大いに沸いた。そうして物資はどんどん加工されていく。リンゴは砂糖漬けにされ、干しブドウを練り込んだパンが焼かれて、干し魚は油漬けにして……と、次々に新しいものが出来上がっていくのだ。
夕食に出る麦粥には塩漬け肉が少々入るようになり、味も格段に良くなった。慎ましやかながらも少しばかり、生活が豊かになっていく。それは大変喜ばしいことであり……何よりも、喜ぶフローレンと子供達の笑顔が、アレットにとっては嬉しかった。
その日。
アレットは地下に帰り、子供達とカードゲームに興じていた。娯楽も少ないこの地下では、小石を転がして陣取り遊びをしたり、擦り切れかけたカードで遊んだりするより他にない。
だが、これも案外楽しいものだ。特に、気心の知れた者達と一緒であるならば。
「あら。今日もアレットは手加減してあげなかったの?」
「勿論。戦士たるもの、いつだって全力だよ」
アレットが胸を張るのを見て、フローレンがくすくす笑う。子供達は『大人げないぞー!』『ずるい!アレットずるい!』ときゃあきゃあ騒いでいるが、この子供達は手加減されることを案外嫌うのだということを、アレットはよく知っている。幼いながらに、彼らはそれぞれ誇り高き生き物なのだ。
「さあ、そろそろ皆、眠らなきゃ」
フローレンは、ぱん、と手を打って子供達の遊びを切り上げさせる。子供達はもっとアレットと遊んでいたがったが、既に半分眠りかけているような子供も居る。遊びたい気持ちと眠たい体の間で揺れて、結局子供達は皆、素直にぞろぞろと寝室へ向かっていったのだった。
「つくづく思うけれど、皆いい子だね」
「ふふ、そうね。アレットは悪い子だった?」
「うん。結構な夜更かしさんだったな」
アレットの言葉を聞いて、フローレンはくすくす笑う。アレットは、大人達の言うことをあまりよく聞く性質の子供ではなかった。夜更かしに関しては、彼女が夜目の利く蝙蝠だから、ということもあるだろうが。
「じゃあ、悪い子のアレットはちょっと私の夜更かしに付き合ってくれる?」
「勿論。どうしたの?」
フローレンがそう言って食卓の椅子を引くのを見て、アレットはその向かいに座る。古びて質素ながらきちんと手入れされた椅子に腰を下ろして、食卓の上に灯った蝋燭の炎を見つめて、2人は向かい合う。
「今、外はどうなっているのか、聞きたくて」
フローレンは蝋燭の炎を見つめながら、そう言った。
フローレンや子供達、ここに住まう者にとって、地上の生活はアレットからの伝聞によって聞く物語でしかない。自身の体験や記憶があっても、『今』の世界からは切り離されてしまっている。
……アレットは、そんな世界の『今』を伝えるにあたって、少々迷った。多少、嘘を吐いた方がいいだろうか、と。
だが結局は、そのまま真実を伝えることにする。子供達ならまだしも、フローレンは優しい幻に包んでやらずとも生きていける。彼女の強かさを、アレットはよく知っているのだ。
「……何も変わってないよ。人間がどんどん入植してきて、私達は追いやられてる。反抗する魔物が時々、見せしめとして広場で死体になってる。皆お腹を空かせてるし、怪我をしても薬はない。何も、変わってない」
「そう……」
「でもね。最近、人間の反乱が多くなってきていて……それに乗じて、私達魔物が人間を襲っても誤魔化しが利くから。そう悪い状況でもないよ」
アレットがそう説明すると、フローレンは、ああ、成程、と頷いて、ちらりと食料の備蓄の方を見た。アレットがどのようにしてこれだけの食料を盗み出してきたのかに思い当たったのだろう。
「まあ、だから……良いことも、悪いこともあって、差し引き、そんなに変わらない。そんなところ」
そう言葉を締めくくると、フローレンは深く頷いて……それから、頬杖を突きつつ、ふ、と小さくため息を吐いた。
「ねえ、アレット。私、時々思うの。この生活が終わるとしたら、どう終わるのかしら、って」
アレットもフローレンよろしく頭の重さを腕で支えて、フローレンの続きを促す。
「この状況がひっくり返るとしたら、きっとすごく劇的な何かがあるってことでしょう?」
「そうだね」
「なら、神様のお力で天変地異が起こるとか。或いは、魔王様が復活なさって、それで……なんて」
祈るように手を組んで、フローレンは上方を見上げた。そこに空は無く、ただ煤けた地下室の天井があるだけだったが。
「……まあ、最近はそういうことを考えてるの。ごめんなさいね、覇気が無くて」
フローレンは祈りの手を解くと、そう締めくくって自嘲気味に息を漏らした。
「まあ、要は現実味がないのよね。仕方が無いけれど……」
「……そうだね」
アレットも、くてり、と姿勢を崩して、テーブルの天板に頬を乗せる。
人間に支配され、魔物が虐げられる日々は、いつ終わるのだろうか。
アレットが人間から物資を盗みおおせたとして、この日々が根本から解決するわけではない。むしろ、今も尚、魔物達の未来は先細っていくばかりなのだ。今年、冬を越すに十分な物資を手に入れられたとして、来年、再来年は同じようにいかないだろう。
そして、アレットがこうして動いていても、救いきれない魔物達はどんどん死んでいく。
……いくら希望の種を蒔いても、それらが芽吹かず枯れていく。そんなように、アレットは思う。
終わりの見えない生活は、徐々に生きる希望を削り取っていく。外に出て、相当自由に動けるはずのアレットですらそうなのだ。ずっと地下に居るフローレンの心理は、如何ばかりか。
「……でも、案外分からないよ」
だが、せめて。アレットはテーブルから伸び上がるように姿勢を正すと、笑って話す。
「実際、姫様がどこかで生き延びてらっしゃるのはまず間違いない。あの姫様がそうそう死んじゃうとは思えないもん。『生死不明』ってことは、きっとどこかで生きてるってことだと思う」
アレットは魔物の姫君……レリンキュア姫のことを、よく知っている。アレットは王城にも出入りしていた兵士だったのだ。彼女が城のバルコニーに立つ姿を何度も見てきた。
淑やかながら強かで、温厚ながら冷静な、そして時には苛烈な魔物。アレットはレリンキュア姫のことをそう評価している。竜の魔物である姫は、魔物の国随一の魔力を持っていると評されている。だからこそ、魔物の姫……次期魔王として選出されたのだ。
「それで、逃げ伸びていた姫様は私達の前に再び姿を現す。そこで正式に魔王を襲名して、人間共を根絶やしにしてくださるのだ。……なんてね」
「それは素敵だわ」
大仰に演説ぶって話してみせたアレットに、フローレンはぱちぱちとささやかな拍手を送って微笑む。
「そう、ね。姫様がまだ、いらっしゃるものね。現実味がない、っていう程じゃ、ないわよね」
「うん。私はそう思ってる。……『生死不明』ってことは人間はまだ姫様を殺せていないっていうことだし、かといって逃げ延びた先で姫様の近衛が全員死んだとも思えないし、もし姫様が亡くなっているのなら、近衛がとっくに動いていると思うから……だからこそ、姫様はまだどこかで生きておられると思う」
レリンキュア姫の近衛は皆、豪傑揃いであった。『姫君の盾』たる人狼ガーディウムを筆頭にしたあの面々が、そうそう全滅などするものか。
「……ありがとう、アレット。少し元気が出てきたわ」
「それは何より」
アレットとフローレンは微笑み合う。今を確かめ合えば、未来を憂う気持ちは多少、紛れた。或いは、過去に浸ってしまえば、更に。
「もし、本当に姫様が私達の前に現れて、私達の未来が拓けたなら、その時は……」
フローレンはふと、夢見るようにそう零して、そして、唇を引き結ぶ。
「……フローレン?」
フローレンの寂しげな、それでいてただ未来を憂えるにしては意思を感じさせるような表情を見てアレットが問いかければ、フローレンはそっと表情を戻して微笑みかけた。
「……その時は、きっと、何もかも、上手くいってほしいわ」
そして滑らかに続いた言葉は、きっとアレットを気遣うものだ。そう、アレットは感じた。だが、その奥に隠された何かを探るべきか決めあぐねて、アレットもまた、曖昧に微笑み返す。
「……そうだね」
何にせよ、いつか。いつか、何もかもが上手くいくことが、あったなら……その時にもう一度、さっきのフローレンの言葉の続きを聞いてみよう。そう、アレットは心の内にしまい込んだ。
それから翌日。
アレットは塩味のビスケット2枚で朝食を済ませ、いつものように仕事へ出向く。
薄汚れて煙る街並みを進み、寒さに襟を掻き合わせる魔物達の横をすり抜け、そして人間達が住まう建物の戸を叩く。
「おはようございます、アレットです」
「おお、アレット!」
すぐに戸が開き、人間がアレットを出迎える。……だが、今日は少々、いつもと人間の様子が違った。興奮気味であり、妙に嬉しそうであり。
「……何かあったんですか?」
じりじりと警戒しながらアレットがそう問えば……人間はアレットの警戒などまるで気にした様子もなく、機嫌よく、言った。
「ああ!ようやく、ようやくだ!多少の楽しみができたぜ!ほら、見ろ!」
そうして人間が見せてきた一枚の紙を見て、アレットは凍り付く。
『魔物の姫の公開処刑』。その報せが、紙の上に記されていた。
アレットは咄嗟に、何も考えられなくなった。
魔物の姫……レリンキュア姫の、公開処刑。
魔王亡き今、魔物達の唯一の希望である姫が、人間達に捕らえられたのか。そして、公開処刑。
……呆然としつつ、じわじわとアレットを絶望が満たしていく。そして、その絶望に抗うように、憎悪も、また。
楽しみだ、などとほざく人間達を全員今ここで殺してやりたい。目に映る何もかもを壊してしまいたい。
果たして、その憎悪がアレットを支えた。すぐさま絶望の淵から這い上がれたのは、淵の際に突っ立っている人間どもの足首を掴んで引きずり落とすという明確な目的が芽生えたから。破壊衝動こそがアレットを守り、憎悪が彼女に冷静さを与えている。
「わあ……すごーい!」
アレットは見事、歓声を上げて公開処刑の報せを喜んでみせた。人間達はアレットの反応を訝ることもなく、一緒になって喜び合う。
敬愛する姫君の公開処刑についてああだこうだと如何にも人間の喜びそうな言葉を言ってやり、久しぶりの『娯楽』に浮き立つ人間達をさらに浮き立たせるべく言葉巧みにアレットは話し……そして。
「……じゃあ、警備が必要ですよね。その人員募集って、こっちには来てないですか?」
アレットはぎらつく憎悪を見事ひた隠し、期待に満ちた微笑みを人間に向けるのだ。
「そういうお仕事が来てたら、是非、やらせてください」
ごとごと、と荷馬車が揺れる。その音を聞きながら、アレットは表情一つ動かさず、じっと前を見据えて馬車を牽いていた。
「……先輩」
そんなアレットを気遣って、そっと、パクスが声を掛ける。
パクスにとってアレットは、身近で世話になってきた先輩であり……所属していた王都警備隊の、敬愛する副長でもある。アレットがパクスに弱みを見せることは無かった……というわけでもないが、それにしても、こうまでアレットが塞ぎ込むのは珍しい。
どうにかして励ましたい、とは思う。だがそれが難しいこともまた、十分に理解している。
……レリンキュア姫の公開処刑については、パクスも既に知っていた。人間達が楽し気に、パクス達……飼い魔に報せを伝えてきたので。
魔物達の悲願を踏み躙る人間達に怒りが湧くのは勿論だ。実際、パクスは姫の処刑について聞かされた瞬間頭に血が上って、人間の手を噛んだ。そのせいで手酷く鞭打たれた背がまだ痛む。そしてその痛みがまた、パクスに憎悪を思い出させるのだ。
だが……パクスは憎悪を抱き、憎悪に我を忘れかけながらも、今、アレットのことが心配だった。
町を人間が支配するようになって、パクスが人間に捕らえられてからというもの、憎悪と絶望に塗りつぶされたパクスの心に一筋光を齎したのが、他ならぬアレットだったのだ。
人間の奴隷としての生活に疲れ果て、鞭打たれた痛みに苦しんでいたパクスの前にアレットは現れ、パクスの生活をずっと良いものにしてくれた。パクスはアレットを魔王が死ぬ以前から慕っていたが、今はその時以上に慕っている。自分を絶望から引き揚げてくれた者として。
……だからこそ、何とかしてアレットを救いたいと思う。どうしようもないと理解してはいながらも。ともすれば自身もまた、絶望に呑まれてしまいそうになりながら。それでも。
「先輩!アレット先輩!」
パクスは意を決して、隣で荷馬車を牽くアレットを呼ぶ。そして、アレットがパクスの方を向くや否や……その尾を、ぴょこ、と差し出した。
「俺の尻尾、触りますか!?」
「……えっ」
当然、アレットは戸惑った。何せ、唐突である。脈絡が無い。だがこれがパクスの持ち味である。
「ほーら、先輩だから特別に触ってもいいですよ!俺の、ふわふわですよ!ソル隊長のお墨付きですよ!」
……以前。王都で兵士として働いていた時。パクスの尻尾は隊の者達に人気であった。何せ、触り心地が良いので。アレットも勿論、隊長のソルまでもが少々ふざけてパクスの尻尾を撫でたものである。
「や、やだ、くすぐったいってば!……このー!やり返してやる!」
アレットの手に自らの尾をふわふわと触れさせていれば、アレットは笑いながらパクスの尾をわしわし、と少々乱暴に撫でた。ふわふわ、と毛が撫でられる感覚に、パクス自身も少々笑う。
「……ありがと。元気出てきた」
「それはよかったです」
いつだったかなあ、最後にこういうことしたの。
パクスは内心で過去の感傷に浸りつつ、ひとまず、敬愛する先輩が笑顔を取り戻したことに安堵するのだった。
「私ね、ちょっと考えているんだけれど」
パクスの気遣いによって冷静さと余裕を少しばかり取り戻したアレットは、パクスへそう、零した。
「……なんとか、姫様をお助けできないかな」
それは、人間どもから公開処刑の書面を見せられたその瞬間から、考えていたことである。
姫がこれから殺されるということは、姫はまだ生きているということの裏返しだ。公開処刑されるというのであれば、アレット達の前に姿を見せるということでもある。
つまり、機ではあるのだ。間違いなく。
「いいですね!やりましょう!」
「まあ、ちょっと聞いてよ」
だが、喜び勇んで飛びつかんばかりのパクスに苦笑しつつ彼を押しとどめて、アレットは続ける。
「……当然だけれど、それをやったら多くの魔物達を見殺しにすることになる。魔物の姫の奪取を許したともなれば、人間達だって黙っていない。魔物への締め付けを一層厳しくするのは間違いないし、そうでなくとも戦いになる。……多くの魔物が死ぬと思う」
アレットがそう言った途端、パクスはしゅんとして黙りこくった。……パクスもまた、魔物の民を守り、慈しむ立場にあった者だ。否、今もそうであるからこそ、彼は1人勝手に人間の下を逃げ出すことができず、この状況にある。
「あの、先輩。じゃあ、フローレンさん達は……」
「……あの子、戦えないの」
「そう、ですか……」
フローレンは戦士ではない。それほど多くの魔力は持たず、しかし穏やかな気性と気の利くところを買われて城の小間使いをしていた。警備を終えて戻ったアレット達はよく、フローレン達が用意しておいてくれた食事で空腹を満たし、笑い合った。そんな彼女達を守るのがアレット達、戦士の仕事であったのだ。
「ずっと地下に居るにしても……ね」
地下にずっと隠れていられれば良いのだろうが、それも永遠に、というわけにはいかない。戦乱の中、物資の補給ができなくなったなら、そこまでだ。飢えて死ぬ惨さなど、想像もしたくない。
「それに何より、戦士が足りない。戦力不足。戦いたい戦いたくない以前に、これじゃあ流石に戦えない」
「戦士……先輩と、俺!ですね!」
「そう!2人しかいない!」
アレットとパクスは顔を見合わせて、ため息を吐く。
「うう……馬鹿な俺にも分かりますよ。流石に2人っきりで人間の警備を突破して姫様をお救いするっていうのは、無謀ですよね……」
「そうだね……」
「すみません、先輩。俺がもっとたくさん居れば……!」
「それはそれで嫌だな……」
パクスが大量に居る様子を思い浮かべたアレットは、頭の中が『先輩!先輩!先輩!先輩!』と煩くなってきたため想像を打ち切った。
「……一応、ね?打てる手は打ってあるんだ」
アレットはため息交じりに話す。
「さっき人間と話して、処刑の日の警備の仕事を貰えることになった」
「ええっ!?先輩、どうしてそんな仕事を!?」
「つまり私がサボればそのまま、警備に穴が開くことになるからよ」
「成程!」
要は、警備の手を1人分緩めることができる。アレットの狙いはそこだった。他にも、人間側の警備の予定を事前に知ることができるかもしれない。そうすれば多少、マシだろうが……。
「……ってことは、先輩が警備に穴を開けて、俺が姫様をお救いすれば、それでなんとかなりませんか?」
「いくらなんでも現実的じゃないと思う。パクスが一騎当千の戦士なら……いや、それでも駄目か。脚が足りない」
アレットは頭の中で、ざっと想像する。
処刑の会場は、王都中心の広場。かつて魔王が演説し、大いに魔物達を沸かせたその広場で、レリンキュア姫は処刑されるのだ。
その周囲は、人間達の警備によって固められる。勿論、装備が支給されるだろう。魔物達が万一にでも反乱しないよう、徹底的に武装した人間が大量に配備されるはずだ。頭数が必要だからこそ、アレットは警備の役に就けそうなのだろうから。
……その包囲網を、アレットが1人で切り開くとしたら、どうなるだろう。
人間の武器である『銃』はアレットの趣味ではない。本気で戦うとしたら、ナイフ2本だ。それで、まずは唐突に2人、殺せる。
流石に数秒もすれば、人間達はアレットの反逆に気づくだろう。だが、混戦状態に持ち込めれば、人間の銃は役に立たない。同士討ちを狙いながら、もう何人か斬りつけて戦力を奪うことができるはずだ。そうしてある程度まで場が混乱すれば……きっと、魔物達の反乱が起こる。
姫の公開処刑を見に来る魔物も、ある程度は居るはずだ。反逆の時を狙う魔物は、きっと少なくない。彼らは機会さえあれば、きっと動き出す。人間1人を魔物1体で食い止める程度のことはするだろう。……その身を犠牲にしてでも。
民が巻き込まれることの是非は、今は考えない。考えて心をすり減らす余裕は、今のアレットには無い。なので今はただ、仮定を積み重ねていくだけにする。
……そうだ。そうしてもし道が拓けたなら、パクスが進める。
断頭台の上には、彼の跳躍で届くだろうか。届かなかったとしても、恐らく木組みで造られるであろう断頭台は、足がかりも多いはず。パクスの身体能力があれば、数秒もあれば登り切れるだろう。
そこで処刑人や警備の人間を、パクス1人で相手取ることになる。
……その時点で若干の不安が生じるが、もし、パクスがうまくやったとして……そこでもまた問題が発生する。
姫を連れて逃げる道が、無い。
そして……断頭台の上のパクスは、間違いなく銃のいい的になる。地上から狙われて、それきりだろう。
或いは、もし、断頭台の上から飛び降りて混戦の中へ紛れ込んだとしても……その先が、無い。
人間の追っ手を振り切るには、間違いなく、陸路では遅い。
「えーと、じゃあ、先輩が姫様を連れて逃げればなんとかなりませんか?」
「……どうだろう。銃で射落とされると思う」
そして、パクスが地上で人間の警備を引き付け、アレットが断頭台に上がったとして……駄目だ、とアレットは想像を打ち切ることになった。人間達の銃から逃れられるとは、到底思えない。
……そう。銃。
魔物が人間に苦戦した理由の1つが、銃の存在だ。人間は人間の技術をもってして、新しい武器を生み出した。それが銃である。
矢より速く飛ぶ鉛の弾は、アレットでも弾を見てから避けることは難しい。ましてやそれが、何十も浴びせられたなら……空を飛んで姫を連れて逃げるのも、難しいだろう。
「ソルなら、全弾避けて逃げられるかもしれないけれど」
「ソル隊長のアレはバケモンのそれですって。あれこそ現実味がないですよ、先輩」
「だよねえ」
アレットとパクスはそれぞれに、警備隊の隊長であったソル……鴉の魔物である彼のことを思い浮かべていた。
厳しくも気取らず、部下にも気安く接していたソルは、隊長であるだけあって姫の近衛に匹敵する力を有していた。その素早さと攻撃の鋭さは魔物の戦士随一であり、銃を相手にしてもまるで引けを取らない稀有な戦士であったのだ。
……だが、アレットも同じように、とは、当然いかない。アレットもソル同様に空飛ぶ者ではあるが、彼とはまるで性質が異なる。少なくとも、アレットの戦い方をするならば、銃弾を避けるより先に銃を故障させておくような、そういった戦い方になるだろう。
「……ということで、私とパクスの2人だと、どのみち姫の救助は厳しい。広場の魔物達がどれぐらい協力してくれるかも未知数だし……」
「あ。じゃあ、護送中を狙うっていうことですか?」
「それも難しいよ。まずどこを護送されてくるかが分からない。……それに、少なくとも広場で交戦すれば一緒に戦ってくれる魔物がいるかもしれないし、混戦状態になれば機が見いだせるかもしれない。でも、護送中を狙うとなると本当に私達2人で人間の軍隊を相手取らなきゃいけなくなる」
人間とて馬鹿ではないだろう。レリンキュア姫を護送してくる間、間違いなく警備は堅固であるはずだ。
「だから……うーん、毒を盛る、とか、かな。人間の軍勢を、戦う前になんとか減らすしかない……」
「そ、そんなことやってる時間、あるんですか?」
「無い。そっちでも人数がもう1人は欲しい……」
「あああー!もう駄目だ!」
力の弱い者が強い者を殺すにあたって、毒殺は常套手段である。
だが、それにはその分、入念な準備が必要になるのだ。人間に怪しまれず毒を盛るための立場も、より多くの人間に毒を食らわせることができる機を見計らうだけの時間も、そしてそもそもの毒物自体の入手も。……何もかもが足りない中で、あらゆるものが必要になる。今からそれらを用意して、果たして間に合うのだろうか。
……そうして、アレットとパクスは、ああでもないこうでもない、と話しながら開拓地への道を進んでいたのだが。
ぎゃあ、と、生き物の悲鳴が遠くから聞こえてくる。
アレットとパクスは顔を見合わせて、そっと、前方の様子を窺った。
「……半里ぐらいの距離。人間の悲鳴だと思う。それから、羽音。もう少し高さがあれば見えそうだけれど……うーん、見えないな」
「とりあえずその人間、多分死んでますね。ちょっとずつ、血の匂いがしてきましたし」
こういう時、アレットとパクスは中々優秀だ。アレットは音を聞けば概ねの距離や様子が分かり、パクスは鼻が良く利く。アレットの夜目が利くこともあり、アレットとパクスは王都警備隊の偵察役を担うことが多かった。
アレットはもう少々の視界を得るためにそっと御者台に戻り、パクスは速度を落として荷馬車を動かして進む。……すると。
「……わあ」
「うわー、派手にやりましたねえ、これ……」
そこにあったのは、壊れた荷馬車。そして、血だまりに沈む人間の死体。
どうやらここで、殺戮と略奪があったらしい。
「これ……人間がやったんですかね」
パクスは人間の死体を見て首を傾げる。
人間達は刃物を用いて、喉笛を一突きされたようだった。鉤爪や牙のそれではない、鋭く真っ直ぐな刺し傷を見ると、道具を用いて生き物を殺す者……つまり、人間による殺しに見える。
だが。
「……もし魔物だったら、すごく優秀な戦士だ、って思わない?」
アレットは、じわりと湧き上がる期待を、胸の内に確かに感じていた。
「見て」
アレットは地面を指し示す。そこには血だまりがあるばかりだ。だが。
「……あっ、もしかしてここ、人間の死体がもう1つありました?」
「うん。そんなかんじ、するよね」
アレットの目には、細かな血飛沫や破壊の痕が見えている。そこから考えると……どうも、『もう1人死んでいる』ように思えるのだ。そしてパクスは恐らく、血の匂いが1種類多いことに気づいたのだろう。
「人間が人間の死体を1つだけ持っていく理由は無いけれど、魔物が人間の死体を持っていく理由は、あるよね?」
「食べるためですね!」
「そう。だから……」
アレットは、人間達の死体を前に笑みを浮かべた。
「……探そう。ここで殺しをやったのが誰かは分からないけれど……味方になってくれるなら、すごく心強い」
すぱりと喉を一突きした、鋭い攻撃の痕。これを成し得る魔物の戦士であるならば、きっと、姫を攫って逃げる助けになるだろう。