遺す者*3
2章終了です。次回更新は6月1日(水)を予定しております。
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「魔物の気配がある……いや、あった、のか」
勇者は黄金細工の通路を見つめ、顔を顰めた。
そこにあったのは、確かな魔物の気配。隠し部屋らしい場所では何かの儀式を行っていたような痕跡がある。恐らく、勇者以外の人間のほとんどが感知できないものであろうが……微かに漂う気配は、魔法のものである。
「勇者様!やはり駄目です。どうにも開きません」
顔を顰める勇者の元に、兵士達が戻ってきた。彼らはこの隠し通路を検分していたのだが……突き当りの階段の先、恐らく地下から地上へ出るための扉が、何故か開かないのだという。
「おかしいな。ならば……必ず、そこに魔物が居るだろう。……恐らく、魔物の姫だ。必ず、殺さなければならない」
勇者はため息交じりに、兵士達を押し退けて開かない扉の前までやって来た。
「貸せ」
そして扉を動かそうとしていた兵士達を退かして、勇者自ら、扉を確かめ始めた。
……すると、深く観察するまでもなくすぐに分かる。どうやらこの扉は凍り付いているらしい、と。
これに勇者はにやりと笑う。魔物の姫が王都前から逃げ出した際、氷の魔法を大規模に展開していたことを思い出したのである。
このように扉が凍り付いているのであれば、その先に魔物の姫が居る可能性は高い。……勇者は早速、炎の魔法を用いて扉を破壊しにかかった。
それから一刻後。勇者は神殿の中を全て検分し終えて、『魔物の姫には逃げられた』という結論を出さざるを得なかった。
「……くそ」
確かにここに魔物が居た証拠は残っている。調理の跡らしいものがあったり、人間の骨と思しきものが神殿の外に捨てられていたり。……そしてやはり、魔法の残り香がある。確かにここに、魔法を使う者が居たのだろう。それは間違いない。
だが……。
「勇者様!足跡を辿りましたが、途中で途切れました……」
戻ってきた兵士の報告を聞いて、勇者はため息を吐く。どうやらまた、魔物の姫は謎の魔法で逃げおおせたらしい。
「くそ、邪神の力、か……?」
……憎むべき邪神の力。魔物の使う魔法は、勇者が使う神の力とは異なり、穢れた悍ましい力である。そしてその力の源である邪神を祀るのが、この神殿の役割なのだろうと見て取れた。
勇者はこれと似たような邪神の神殿を今までに見たことがある。かつての魔王城の奥から繋がる通路の先にも、似たような神殿があり……そして。
「南からここへ繋がっていたが……奇妙なものだ」
勇者達はここへ、南の神殿からやって来た。魔物の姫を取り逃がしたことについて、祖国からやって来た者達に報告する必要があったため、一度南へ戻っていたのである。
そしてその帰り道、奇妙な建造物を見つけ、内部を破壊しながら探索し……そして、古代魔法の産物である、隠し通路を見つけた。
その隠し通路はここへ繋がっていた。外の様子を見る限り、南の神殿から大きく離れた位置であることは間違いない。大方、王都から西か東か、どちらかであろうが。
「……魔物の姫は神殿を巡っているのか?」
そして、偶々やってきたここで、何かの儀式の跡や魔物の痕跡を見つけることができた。更に、凍り付いていた扉は……間違いなく、魔物の姫によるものだろう。
ここには間違いなく、魔物の姫達が居た。……そしてまた、逃げられたのだ。
勇者は歯噛みしながらも、冷静に施策を巡らせる。逃げられたとしても追い付けばいい。追いつくためには……回り込むことだ。
そう考えた勇者は、ふと、思い出す。
「……南へ戻るぞ。うまくいけば奴らを待ち伏せできるかもしれない」
勇者は周囲の兵にそう伝えると、早速、元来た道……古代魔法の隠し通路へと向かっていった。
南とここが繋がっていることは既に分かっている。であるからして、一度、ここから戻れば……。
「……発動しないな」
そして勇者は、首を傾げることになる。何故か、行きは使えたはずの古代魔法が、使えない。
「くそ、魔物の姫が何かしたか……」
腹立ち紛れに床を蹴り、勇者は踵を返す。
「歩いて出るしかないか。……おい!皆、外に出ろ!出発だ!」
「い、今、ですか!?」
更に、兵士達の反応は勇者を苛立たせた。
「今すぐに、だ!魔物の姫をこれ以上逃がし続けるわけにはいかない!」
「ですが……今、外はこの有様で……」
おろおろとする兵士を押し退けて勇者は外に出る。……そして、目を疑った。
「なっ……これは……」
「先程から急に、吹雪き始めました」
轟々と音を立て、吹雪が勇者達の視界を遮る。ほんの少し先さえ白銀に煙ってよく見えない。もうじき夜明けだというのに、太陽の光は届かないらしかった。
「なんと運の悪い……」
流石の勇者も、出立を諦める。この状態で雪山に出て無事でいられると思い上がれるほど、勇者は愚かではなかった。
そうして吹雪が止むまでの間、勇者達は邪神の神殿への逗留を余儀なくされた。
そして外の吹雪をじっと見つめながら、勇者はただ、焦燥にじわじわと炙られ続けていた。
……急がねばならないのだ。すぐにでも、自らの有用性を証明しなければならない。『勇者』がまだこの世界に必要であると、証明しなければ。
そうして魔物の姫を殺した後には、魔物の掃討作戦を行うことになるだろうか。或いは……。
……考えに沈みながら、勇者はじっと、吹雪を睨む。
魔物を憎む多くの心が、勇者を今も支えていた。
*****
魔物達は南へと進んでいた。
現在地は恐らく、王都の南西。アレットがよく行っていた西の開拓地から真南に半日進んだあたり、だろうか。丁度良く目印になる大きな木が見えていたため、現在地を大まかに把握することができた。
弱い朝陽がぼんやりと差し込む中、ちらほらと雪が舞う。真冬の雲越しに差す弱い陽光を受けて白銀に輝くそれは、どこか姫の髪を思わせる色合いであった。
皆、ただ黙って進んでいた。
歩みは力強かったが、どうにも空気が重かった。からからと明るく笑う姫はもう居ない。姫は既に、皆の腹の中だ。
……力尽きた姫に魔法を使わせ、挙句、その体を食らったことの是非については、最早、考えるまでも無い。
是、である。
普通にやっていては到底手が届かないであろう勇者を引きずり降ろして殺してやるためには、少しでも多くの力が必要だ。その為に死んだ者の体を食らうことは……実に、理に適っているのだ。
理に適っているからこそ、皆、姫の死を受け入れた。姫が死んだとして、それを食らって力を得られるならば、『魔王』を生み出すために何の問題も無い、と。
……その一方でどうしても、割り切れない思いはあったが。それでも彼らは立ち止まるわけにはいかない。自らのちっぽけな心より、いずれ来る未来のために動かねばならない。
皆、弔われることなく死んでいくべきだ。死者が生者の枷になるべきではない。
皆が個ではなく、1つの集団として動いている。感傷など要らない。何かを想うのは全て終わってからでいい。
そうして再び、あの幸福な日々を。未来に。
……それが姫の望みであり、魔物達全員の望みだ。
「分かってる、はずなんだけれどなあ……」
アレットは小さく呟いて、細く弱くため息を吐いた。
また勇者へと一歩近づいたはずだ。魔物達に安寧の日々を齎すために前進できたはずだ。
その為の犠牲を悔いるつもりは無い。フローレンもレリンキュア姫も……皆の死は、正しかった。正しかったのだと、思いたい。
だが……それでも、寂しい。
少しずつ消化が進んでいく腹の中と、それに伴って体の奥底から湧き出るような力とを感じながら、アレットはただ、森の中を歩いている。
歩いて歩いて歩いて、大分進んだところで皆は一度、休憩することにした。
この辺り……南の土地は魔物の国の中では比較的温暖であり、草木もよく茂る。大きな森があるのも南や東の特徴であり……つまり、街道を外れてしまえば、歩きにくい土地が広がっているのだ。
今、皆が居るのもそういった場所であった。
雪がちらついてはいたが、常緑樹の下に潜り込んでしまえば雪風を凌げる。皆は木の下に腰を下ろして、一息ついた。
「……俺、休憩しなくても大丈夫なぐらい、元気なんですよ」
そんな中、パクスがふと、そう言った。
「姫様が、姫様が……ああなってしまって、悲しいはずなのに……魔物の希望を食っちゃったはず、なのに……ものすごく、体は元気なんです」
パクスが口にした事実は、皆が感じていたことだ。
……体が軽い。疲れにくい。一歩一歩が、力強い。
それは即ち、魔物としての力の向上。姫を食らって得た魔力によるもの、なのだろう。
「……これは、姫様のお力なんでしょうか」
「ああ。そうだ」
迷うようなパクスに、ソルが即座に頷いた。
「姫は、俺達に自分を食うように仰った。その判断は絶対に、間違ってねえ。……姫が魔物唯一の希望だったかもしれねえが、今は、俺達全員が、魔物達の希望だ。それだけの力が、今の俺達にはあるはずだ」
姫の遺志と力は、確かにここに在る。皆がそれぞれに、確かな力を感じた。
「確かに不義理で不道徳かもしれねえが……俺達は戦士だ。義理も道徳も捨て置いて進むしかねえ。それで、いつかは……」
ソルは遠い空を眺めるようにしてそう言うと……手を握りしめて、薄く笑った。
「……自分自身が、その『不義理と不道徳』を、笑って許さなきゃあ、な」
ソルの言葉に、誰も何も言わなかった。全員がその覚悟を決めていたからだ。
……次に自分が死ぬべき状況になれば、迷いなく死ぬ。
そして自らの体と魔力を仲間へ明け渡し、未来へ希望を遺す。
その覚悟が、皆の胸の内に確かに芽生えている。それは休憩を挟まず延々と歩き通してきた間に、それぞれの中で固まったものなのだろう。
「……そうだね」
アレットは僅かに微笑んで、赤い瞳を細めた。
「私達に棺は必要ない」
弔いも、嘆きも、必要ない。振り返る暇はない。未来へ手を伸ばして伸ばして、それでも足りないのかもしれないのだから。
「すべての個は全の為に……か」
ふと、思い出したようにガーディウムが声を上げ、そして、降る雪に向かって首を垂れる。
「……俺は変わらず、姫に忠誠を誓おう。俺は姫の願われた通り、魔物の未来の為に全てを捧ぐ。この身も、魔力も、魂も、全てを。……それ以外、俺にはもう何も残ってはおらんのだ」
地面に向けられたまま、ともすれば空虚にさえ見えるアイスブルーの瞳は、ただじっと、唯一縋るべき使命を見つめている。
ガーディウムに残された道は、これしか無い。であるからして、命の限り、その唯一の道を突き進むことができるだろう。
「ならば私も……必ずや、人間共に復讐を。その為になら、我が身など惜しくも無い!」
続いてヴィアがそう声を上げれば、パクスもソルも、アレットも同様に頷く。
「俺も、どこまでも皆に付いていきますよ!」
「おい、パクス。付いてくる、じゃなくて周りに誰も居なくなっても働けよ?」
「そうだね。今後、誰が死んでも恨みっこなしね。パクスより先に私が死ぬかもしれないし」
ソルもアレットもあっさりとそう言って笑えば、パクスは『嫌ですぅうう!』と悲鳴を上げたが。……だが、いつかそのような時が来たとしても、きっとパクスなら大丈夫だろう、とソルとアレットは微笑むのだ。彼もまた、立派な魔物の戦士であり……自分達と同じものを見て、同じものを愛しているのだから。
「……今後誰が死んでも、か」
そろそろ休憩も終わろうか、という頃、ふと、ソルはぼやいた。
「さーて……貧乏くじは誰になるかね」
その呟きは誰の耳にも届かなかっただろう。ちら、とソルを見たアレット以外には。
ソルはアレットに『気にするな』と軽く翼を上げてみせてから、ふと、目を細める。
……『最後』は厭だ。
だがそれと同時に、誰かを『最後』にするのは……特に、孤独を嫌う者にその役を担わせたくもない。
そう考えて、ソルは……ただ、ため息を吐き出すにとどめた。
「……考えるだけ無駄か」
結局は、望んだとおりに事が運ぶことなど期待できない。全てを擲って尚、足りないかもしれないこの旅路に何かを期待しようという方が余程無理がある。
……だが、せめて。
旅の結末がどうであれ、道中が幸いなものであるように。ソルはそう、祈るのだった。
そうしてもうしばらく、森を進む。
足元の悪い森を進むにあたって最も苦労していたのはソルだろうか。
何せ、空飛ぶ者であるソルは地面を進むこと自体が然程得意ではない。本当であれば空を飛んで森の上空を行きたいところであるが、森の上に出ると、如何せん目立つ。少なくとも日中はこうして森の中を進むべきである、という結論に至った。
同じく移動に少々難があるのがヴィアである。
こちらは元々戦士ですらなく、そして、移動速度の遅さに定評のあるスライムである。ヴィアは普通のスライムとは異なり、人間のように四肢を形作り、その脚を動かすことで人間並みの、それでいて人間より安定感のある移動を実現していたが、それでも戦士のそれには敵わない。
「いやはや……足手纏いにはなるまいと思っていましたが……」
ヴィアは木の根に躓いて、慌てて頭部から粘液を伸ばして地面への衝突を免れる。そのまま地面にとろりと粘液の形で広がってしまってから再び人間の形に戻り、やれやれ、とばかりに両手を掲げてみせた。
「これでは人間並みですね」
「スライムが人間並みの速度で動くっていうこと自体、すごいと思うけれどね」
アレットはヴィアの帽子が地面に落ちたのを拾い上げてやりつつ、彼を励まして進んでいく。
「ま、一度魔法の移動を挟んだ以上、勇者が真っ直ぐ追ってくる訳はねえ。急ぐよりは慎重に行きたいところだしな。ゆっくり行こうぜ」
そしてソルもヴィアをすたすたと抜かしていきつつ、少々地面に苦戦しつつ、進んでいく。
「先輩!先輩!やっぱり俺がヴィアを運んだ方が早くないですか!?」
「まあ、そうかもしれないけれど、皆、体の調子に慣れた方がいいでしょう?」
そして誰よりも元気なのがパクスである。姫の力を得た分、体がすこぶる絶好調であるらしい。一人で遠くの方まで駆けていっては再び戻ってきて、そして再びまた駆けていく、というような落ち着きのない行動を取っていた。
……パクスもこの通りだが、全員が体の調子の良さを感じている。今までになく力が湧き、そして……少々、加減が難しい。
「む……」
ガーディウムが軽く握った木の枝が、ばきり、と折れる。どうやら力の加減が未だによく分かっていないらしい。
「あー……慣れるのに一番時間がかかりそうだよな、ガーディウムは」
「そうだな……元より、器用な性分ではない」
ガーディウムは顔を顰めつつ、再び別な木の枝を握り、こうか?と力加減を見る。
……このような有様であるので、自らの体を用いて移動し、その中で力の加減を覚える、というのが一行の方針である。
急ぐよりは、慎重に。……急くあまり、姫のように身を壊してはならないのだから。
そうしてしばらく、進んだ頃。
「助けて!誰か助けてください!」
……前方から聞こえてきた悲鳴に、一行は顔を見合わせる。
人間より優れた目で前方の様子をじっと見てみると……必死にこちらへ駆けてくる人間達の姿があった。