遺す者*1
アレット達は即座に神殿を離れた。荷作りもそこそこに、ただ、神殿から距離を取る。
先頭を行くのはアレットだ。既に外は夜の帳に包まれて暗い。哨戒の為、アレットが最前線にいるべきである。
その後ろに続くのはパクスと、パクスの背に乗ったヴィア。ヴィアはその体の半分程度がパクスによって運ばれている。パクスからしてみればこの程度は負担でもない。また、音に体を震わせて音を聞き、光を周囲から取り入れ感知することで周囲を見るヴィアがパクスと共に行動することで索敵能力を向上させることもできる。
その後ろに、姫を抱きかかえたままのガーディウムが続く。……姫の疲労と消耗は激しかった。このまま静かに休ませたいところだが、それは叶わない。せめて、と、ガーディウムが姫を運んでいるが、その分、多少は速度は落ちていた。
そして最後はソルが担当していた。ソルは今、人間程度かそれ以下にしか物が見えていないが、それでも音を聞き、気配を感じて敵を察知することはできる。パクスにくっついたヴィアの残り半分がソルの脚に纏わりつき、ソルに足りない索敵能力を補おうともしていた。
「ソル!後方は!?」
「まだ大丈夫だ!何も聞こえてこねえ!」
ソルから報告を受けながら、アレットは只々前を警戒して飛び続ける。
……一瞬の油断が命取りになる。アレットは緊張の糸を張り詰めさせて、必死に周囲の様子を探っていた。
山岳地帯である分、見通しは悪い。岩陰に何かが潜んでいるのではないかと考えれば、どこまでも疑念は付きまとう。だが……アレットはこの場で最も目が利き、耳が利く者である。人間よりも……勇者よりも更に、アレットの目が勝るだろう。
夜は蝙蝠の時間だ。人間などに、負けるものか。
アレットは心の内で強く強く思いながら、一片の油断も無く、哨戒の任務を果たし続ける。
「……前方、人間3名!大したことはなさそうだから私とパクスで行く!」
早速、獲物を見つけたアレットはパクスと共に真っ直ぐ前へと向かっていった。
アレットが見つけた人間の数は3。大したことはない。どうせこの辺りを探索していた人間のはぐれたものか、はたまた開拓地の類を脱走してきたものか。戦士としての心得も碌になさそうなそれらを、アレットはあっという間に殺していく。
急降下しながら人間達へ襲い掛かり、一番近くに居た者の首を切る。そうして人間達が空のアレットに唖然としている内に、パクスが大地を駆って迫り、あっという間にもう1人、人間の首を折ってしまう。そしてその頃にはアレットがもう1人殺していて、あっさりと片付いた。
「勇者の追手の類じゃなさそうだね」
「はい。ただのはぐれ人間みたいですよね」
組織的に動いている人間ではないなら、まだやりようはある。強さも大したものではなく、何より、人数が少ない。それであれば前方の安全確保は然程難しくないだろう。
「後方は……」
ならば後方は、と後ろを向いたアレットは、そこで神殿の方から強い魔法の気配を感じ取った。
……そろそろ、決断の時が迫ってきている。
一方、ガーディウムは焦りを感じていた。
腕の中でぐったりとしている姫は、到底戦える状態ではなく、何か大きな魔法を使おうものならそれだけで倒れてしまいそうな有様である。
……もし、勇者が追ってきたとしても、姫は戦力に数えられない。それどころか、前回皆の命を救った瞬間移動の魔法も使えない可能性が高い。
このまま勇者に追いつかれれば、皆、命は無いだろう。だが、果たしてこのまま逃げ切れるだろうか?
確かに、神殿の隠し通路からやって来た者の姿を見たわけではない。あれが勇者であるのかどうかも分からない。だが……神殿を同じく巡っている魔物が居るとはあまり思えず、それ以上に、勇者が神殿を見回っている可能性の方が高いだろうと予想できた。何せ、王城から神殿へと続く魔法仕掛けの通路は既に発見されているはずなのだから。
本当なら、勇者に立ち向かい、勇者を殺してやれればよいのだ。だが、それは叶わない。力が及ばないということの、なんと空しいことか。
「……ガーディウム」
歯噛みするガーディウムに、姫がそっと呼びかける。
「覚えておるか」
「……何をです」
「言ったであろう?妾が死んだなら、その肉はお主が食らえ、と」
ちら、と姫の顔を見て、ガーディウムは後悔した。姫はぐったりとしながらも、確かにはっきりとした意識の下で、そう言っていた。うわ言を言うような様子ではない。そのはっきりとした意思が、ガーディウムには酷なのである。
「だが思い直してな。流石にお主1人で妾1人分を食うのは難しいかと」
「お戯れを」
「心臓だ。ガーディウム。妾の心臓を食え。ついでに目だな。あとは食えるだけ好きなところを食えばよい」
「姫!お止めください!」
ガーディウムは遂に吠えた。じわじわと背筋を這い上がってくる恐怖に抵抗するために。そうでもしなければ、あまりにも惨い現実に引きずり込まれそうで。
「……死ぬおつもりですか」
「……死ぬつもりはない……と言いたいところだがな」
姫はふうとため息を吐くと、ひらり、と手を振ってみせた。
「……ま、よいであろう。降ろせ」
姫はガーディウムの腕の中で身じろぎする。ガーディウムは躊躇いながらもそっと姫を地面に下ろすと、姫は自身の体を支えているのも難しいらしく、ふらつきながら地面にしゃがみこんだ。
「よし……また適当に飛ぶことになろうなあ。全く、二度とは使いたくなかったが……三度目は使わずとも済みそうか。ふふ……」
そして弱り切った体で、姫が魔法の準備を始めている。なんの魔法かはすぐに分かった。瞬間移動の魔法である。王都の前で勇者から逃げるためについ先日使われたばかりの。
「姫!」
ガーディウムは姫の様子に動揺する。自らの命を懸けて守るべき存在が、守られることを諦めてしまっているように見えた。ならば、ガーディウムがここに居る意味が無い。
姫がじっと、魔法に集中し始めるのを見て……ガーディウムはいよいよ、途方に暮れる。
どうしたらよいのか、まるで答えが見えなかった。
「姫は大丈夫なのか」
やがて、姫が魔法の準備を始めたと見て戻ってきたソルが、ガーディウムにそう尋ねる。だが、ガーディウムは黙って曖昧に首を振ることしかできない。
……大丈夫な訳が、ない。それどころか、姫は自分自身の死を、既に受け入れているのではないだろうかとすら思える。
「姫!」
「魔法の邪魔をするでない」
ソルが呼びかけても、姫は魔法から離れる気が無いらしい。だが、この状態の姫が魔法を使って、果たして無事でいられるのか。……無事でいる気が無い姫が、果たして、本当に。
やがてアレットとパクスも戻ってきて、ソルとパクスとにくっついていたヴィアはくっつき直して元の1体へと戻る。そうして皆で姫を囲む中、姫は着実に、魔法を進行させていく。
……ガーディウムは足元の地面が消えていくような感覚を味わいながら、ただ、どうすることもできずに姫を見つめる。
すっかり血の気の無い顔で魔法に向き合う姫を見ていると、胸の内を食い荒らされるかのような心地がする。
このようなはずではなかったのだ。
このようなことにならないよう、ガーディウム達『王女の盾』が居るはずだったのだ。ガーディウムもまた、そう望んでいた。
だが……姫はこのようになると、きっと、分かっていた。分かっていて、そう望んで……姫は今、死に向かっている。
ガーディウム自身、何に絶望しているのやらよく分からなくなってきた。
姫の命が消えゆくことに絶望しているのか。それを止められない自分に絶望しているのか。はたまた……姫が望んでいることを望めない自分に絶望しているのか。
姫の心は分からないままだった。他者の内側など見通せるはずが無いと分かっていても、それでも、もう少しは分かっているつもりであったのだ。だが……。
……何故、姫は死ぬつもりで居るのか。自分がこんなにも、生きていてくれと願っているのに。それがどうにも、納得できない。
「姫。無茶しないでくださいよ。あなたは魔物全体の希望だ。あなたが死んじまったら、どうやって勇者を倒すんですか」
ガーディウムがただ姫を見守る最中、ソルは遂に、姫の肩を掴んでそう呼びかけた。だが、姫は肩で息をつきながら、にやりと笑って答えるのだ。
「何、簡単なことよ。妾が神の力の欠片から魔力を得たように、妾の肉から魔力を得ればよい」
「姫様、何を……」
「そうして『次の』魔王を、生み出せ」
ソルも、アレットもヴィアも、動揺した。パクスだけは意味がよく分からず首を傾げていたが……そんな周囲の様子など目に入らず、ただ、ガーディウムは姫を見つめる。
「ガーディウム」
姫の黄金の瞳が、じっとガーディウムを見つめていた。
「忘れておらぬだろうな?」
細められた目は、笑っているようにも泣いているようにも、安堵しているようにも見えた。
……そして次の瞬間、姫の魔法が完成する。
一同の姿はふっと掻き消え、雪がそこへ降り積もっていくばかりとなった。