西の神殿にて*5
「は?死ぬ気は無いが?」
ガーディウムの問いかけに、姫はきょとんとして、そう答えた。
「……何だ?妾が死ぬと思ったのか?」
「……儀式を中断して、通路に飛び込む、と仰っておいででしたので」
ガーディウムが弁明するような気持ちでそういえば、姫はころころと笑い出す。ガーディウムとしてはまるで笑い事ではないのだが、姫にはどうも、これが面白いらしい。
「そうか、そうか!儀式を下手に中断すれば術者が死ぬと、知っておったか!……ああ、北の神殿で何か聞いたのか。成程な、それは迂闊であった」
姫はくつくつと笑って肩を揺らして……そして、ふと、唐突に言った。
「そうよなあ……ガーディウム。妾が死んだら、その肉はお主が食らえ」
「俺を残して逝かれるのですか」
ガーディウムは半ば無意識に、そんなことを言った。言ってしまってから自分の言葉に気づいて、一体何を言っているのだ、と焦る。
一方、姫はガーディウムの言葉にぽかんとしていた。まるで予想していなかった言葉だったのだろう。
……だが、数秒後、姫はからからと笑い出す。
「お主が……お主がそのようなことを言うか!一体どうしたのだ、ガーディウムよ。そんなに不安か」
「……俺は姫をお守りするために生きております。俺が生き残っても意味が無いではありませんか」
「そうか?お主が残らねば誰が妾の肉を食らい、魔力を受け継ぐのだ?」
ガーディウムは唖然とする。
姫が、『自らが死ぬ準備』を考えていたという事実に、ただ、驚き何も考えられなくなった。
「……そう遠くなく、妾は死ぬであろうな。何、これはつまらぬ予感でしかないが」
「御冗談を」
「だが、自らが死んで、それで『はいお終い』という訳にはいかん。この国を魔物達の手に取り戻すためには、妾が死んだ後のことまで考えねばならぬ」
姫はあくまでも可能性として、自らの死を考えている。ガーディウムが想定しなかった……『それを考えなければならない状況になったなら全て終わりだ』と考えていた部分まで、姫は考えているのだ。
「無論、すぐ死ぬつもりは無い。ここに勇者が来なければ、儀式を中断してやる義理も無い。……勇者は来そうか?」
「いえ、そのようには……」
「そうか。なら、妾はすぐには死なぬか」
姫は肩を揺らしつつ、焼いた肉の最後の一片を口にする。優雅に咀嚼するその様子をガーディウムが半ば呆然と見ていると、姫は、にやり、と笑った。
「覚悟はしておけよ、ガーディウム。……石から魔力を得るよりは、妾の肉から魔力を得る方が余程簡単であろうて」
ガーディウムは答えられなかった。ただ……そんな時が永遠に来ないことを、願った。
そして同時に……『俺は姫程には強くないのだ』と、深く思った。
それからも姫の儀式は続き、アレット達は3度目の日の出を迎える。
「今日の夜、儀式が終わるんだよね」
「ああ。そういうことになる」
今のところ、敵襲は無い。アレットが夜に、ソルが朝に上空からの偵察を行ったが、そこでも特に異常は無かった。
「十分に警戒するぞ。人間が居たならばすぐさま殺さねばならない」
「うん」
ガーディウムは焦りを感じていた。姫が死の覚悟を決めているというのであれば、姫から死を遠ざけねばならない。
……それを横目に見て、アレットはガーディウムの心中を察した。
ガーディウムとソルとの間であった会話について、アレットはソルからその概要だけを聞いていた。それを聞いた上で、今のガーディウムの様子を見ると……何故焦っているのか、分かってしまうのだ。
「ねえ、ガーディウム。姫は、死ぬおつもりじゃ、ないよね?」
「……『すぐ死ぬつもりは無い』と仰った」
ガーディウムの返答は重く、硬い。それを聞いたアレットの表情もまた、強張る。
「……すぐじゃなくて、いつかは、死ぬおつもりなのかな」
「俺には分からん。姫のお心など。だが……あの方の仰る言葉に、無意味なものなど無いだろう」
アレットは、ちら、とガーディウムの様子を窺う。ガーディウムはじっと前を向いて、それでいて心はどこか、別の場所に置いてきたような有様であった。
「無事に、終わればいいが」
……ガーディウムはそう言って、また思考の海に沈んでいく。アレットはそれを見送ると、自身の見張りへと戻る。
姫の心が、ガーディウムより多少、分かってしまうような、そんな気になりながら。
そして、その日の夜。
「皆の者ー!無事に儀式が終わったぞ!」
見張りをしていたパクスとヴィア、そして夕食の支度をしていたソルとアレットとガーディウムの元へ、姫が颯爽とやってきた。
「ほれ、見てみよ!」
姫はその手に透き通った氷の塊を浮かべると……それを神殿の祭壇前へと投げつけた。
途端、祭壇といいその周りの壁といい床と言い、はたまた天井までもが凍りつく。ビシビシと音を立てながら広がっていく氷の檻に、アレット達はぽかんとした。
「やはり力は良いなあ!」
からからと笑って、姫は如何にも機嫌良さそうに言う。その様子を見ていると、ガーディウムの心配は何だったのかと言いたくもなるが、何事も無いなら何事も無い方が良い。皆、姫の儀式の無事を祈り、ガーディウムの落ち着きの無い様子を見て心配して、この3日を過ごしてきたのだ。安堵もひとしおであった。
「ふふふ。これが、神の力の欠片2個分の魔法よ」
「すごい!よく分からないけどすごい!すごいですよ姫様!」
「ふはは。まるで中身のない賞賛であるがその軽さが実に良いぞ、パクス!褒めて遣わす!」
「わーい褒められた!」
パクスがふりふりと尻尾を振る横で、ソルは凍り付いた祭壇周りを眺めている。どうやら、魔力の程を見ているらしい。
「……ちなみに、実感としてはどの程度ですか、姫様。勇者に勝てる程度のお力にはなりましたかね」
「それは厳しかろうな」
そして姫はソルの問いに、あっさりとそう答えた。
「……魔力を操る技量だけならば妾の方が上であろう。だが、勇者のあの、圧倒的な魔力は……神の力の欠片2つをもってしても、敵わぬように思う」
「なんかそれ腹立ちますね!生意気だぞ、勇者!」
パクスの尻尾が今度は怒りと興奮の為か、ますます激しくぶんぶんと振られる。姫はそれにからからと笑い、如何にも機嫌良さそうにしていたが……だが、ふと、姫の体が傾ぐ。
「姫!」
慌ててガーディウムが支えれば、姫はガーディウムの腕にしっかり体重を預け、ふう、とため息を吐く。
「全く、ままならんな……疲れがきたようだ」
「それはそうでしょうとも!3日もの間、儀式をされていたのですから……」
ガーディウムはそのまま姫を横抱きにすると、姫を寝床へと運び始める。
「疲れた。寝る。何か来たら叩き起こせ」
姫はそう言うと、アレット達にひらひらと手を振って見せ、そのままガーディウムに運ばれていくのだった。
「……ま、無事に済んでよかったな」
「ね。もし途中で襲撃があったら……大変なことになってただろうから」
姫を見送って、ソルとアレットは胸を撫で下ろす。パクスは『姫様が心配ですね!』と耳をしょんぼり垂れさせていたが。
「いやはや……麗しの姫君が神の力を得て、ますます強く光り輝かんばかりの存在となられてしまった……」
ヴィアは如何にも気障たらしいことを言いつつ、少々大仰に驚いたような仕草をしてみせる。
「しかし、姫君のあれほどのお力があってもまだ、勇者には勝てないというのは……嗚呼。何とも歯がゆいものだ」
「そうだね。……早く、勇者なんて簡単に捻り潰せるくらいのお力を、姫様が手に入れられるといいのだけれど」
姫は神の力の欠片を集めて、今後ますます強くなっていくだろう。そうしていずれ、勇者を葬り去る程の力を手に入れる。魔物の国が魔物の手に戻る、そんな日が来るはずなのだ。
その日を空しい夢物語としないためにも、アレット達は姫を守っていかねばならないのだ。
「とりあえず、次は南だよね」
「ああ。……南の方は人間の出入りが激しい。だが食料の調達は必要だ。となると……」
「また私の出番、っていうことになりそうだね。任せて!」
となれば、アレット達が為すべきことはそう多くない。次なる旅に向けて、早速準備を始めるのだ。
「今度はどうしようかな。燃やしちゃう?」
「南の町……って規模が大きいんじゃねえのか?燃やすわけにはいかねえだろ」
「まあ、あまり不要な騒ぎは起こさない方が賢明だろう。私もあまり南に詳しくはないが……」
となれば、やはり物資の調達に留めておくべきか。人間の数が多いなら却って、上手く人混みに溶け込んで情報収集などができるかもしれないが……。
「南の方は俺とアレット先輩は何度か行ってますよ!だからちょっとは分かります!美味そうな匂いがする街角とか知ってますよ!」
「それに何の意味があるのだね……?」
パクスの言葉に気が抜けつつ、アレットは笑い、そう遠くなく再び自分の活躍の場があることを嬉しく思い……そして。
「……何の音だろう」
ふと、アレット達は、物音を聞き取る。
次いで、何か強大な気配。
……その気配にアレット達が気づくや否や。
「皆!ここを出るぞ!」
ガーディウムに支えられたまま、姫が戻ってきた。その顔には血の気が無い。疲労のせいでもあるのだろうが……。
「何者かが魔法の隠し通路を使ったと見える!となれば……」
皆が、姫の指さす方、姫が先程戯れに凍り付かせた祭壇を見て……その氷に閉ざされた向こうに、恐怖と憎悪の気配を感じた。
「……いよいよ、勇者のお出ましやもしれん」
ガン、と、祭壇の下の隠し通路を内側から叩く音がする。
……そこに勇者が居るのなら、アレット達は今すぐにでも、逃げなくてはならない。