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私達に棺は必要ない  作者: もちもち物質
第二章:希望と独善【Spem relinquere】
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西の神殿にて*4

その日から、レリンキュア姫は儀式を始めた。

神殿の内部は魔力に満ち、儀式に適した場所である。神の力の宝玉が安置されていた小部屋で、レリンキュア姫は集中していた。

宝玉は複雑なやり方で神の力を封印している。欠片とはいえ、神の力だ。そのように莫大なものを封印しておいておくためには幾重にも魔力を折りたたみ、固めて固めて複雑な封印を施しておくしかないのである。

また、宝玉の形をしていることからも封印の固さが増していた。このように石の形で封印された魔力は長年の保存にも耐える安定性を持つが、その分、封印を解くのに時間がかかる。石は石でも、琥珀や真珠、黒玉など、生物由来の石に魔力を封印してあるならば、魔力を自らのものにするのも多少簡単になるのだが。

「……花だの肉だのにでも封印してあればのー、食うだけでよかろうに……全く」

姫はぼやきつつ水を飲むと、また集中して封印を解きにかかる。

封印が解けた端から、魔力が解れて溢れ出してくるのを、自らの物にすべく重ね合わせ、共鳴させて一体化していかなければならない。

複雑な封印を解く傍らでもまた複雑な作業を行っている姫は、随分と疲れていた。だが、疲れているからといって休んでいる訳にはいかない。

……もし、勇者達が王城を探索し、『魔法仕掛けの通路』の存在を知っていたなら。この3年の間できっと、それが一体どのようなものなのか、大凡の判断は付いているだろう。

そこで『神殿』の存在を知られたならば。

……今、ここに勇者が現れることも不安要素であるが、この先、そう遠くない未来に勇者が神殿に先回りし、神の力を破壊するようなこともまた不安を呼ぶ。

気持ちが、急く。

「……よし」

姫は焦燥を押しとどめ、目を閉じる。

これから続くのは、形の見えない魔力を手繰る……ともすればひどく儚く曖昧な作業。だが、そこに多大なる精神力を必要とするともなれば、迷いや焦りを抱いたまま続けることなどできない。

……この繊細な儀式は、下手をすれば命に係わる。自分のものではない魔力を自分のものにしようとしている状況だが、神の力は必ずしも姫に友好的ではない。油断すれば逆流した魔力が姫の体を引き裂くかもしれず、或いは、魔力によって精神を破壊されるかもしれないのだ。

であるからして、あくまでも、落ち着いて。慎重に。

一国の姫として気持ちを切り替え、姫は再び、儀式に臨むのであった。




「よお、ガーディウム。交代だ」

ソルはガーディウムに声を掛け、ついでにその肩を軽く翼で叩く。

ガーディウムの肩に載っていた雪が払われ、ガーディウムははっとした。

「どうした、そんなツラして。ちらちらとしか降ってねえのに、雪、積もってるぞ。頭にも」

「ああ……いや、何でもない」

ガーディウムはどことなく上の空であった。いつも岩のように堅牢な様子を見せるガーディウムにしては珍しい様子である。ましてや、見張りの途中であるというのに。

「何かあるなら言っとけよ。お互い、いつ『言えなく』なるかも分からねえ」

ソルはガーディウムの隣にどっかりと腰を下ろして、じ、とガーディウムを見つめる。ソルの視線の先でアイスブルーの瞳が揺れて、狼狽を伝えた。

「……おい、ガーディウム」

「ああ……いや、悪い。ぼんやりしていた」

ガーディウムはばつの悪そうな顔で居住まいを正すと、一つ咳払いをする。そしてしばらく、雪の積もった地面に視線を落とし、何かを口に出そうとしては躊躇う様子を見せた。

……ガーディウムは、あまり器用ではない。手先のそれは人並みであろうが、精神のそれが、不器用なのだ。ソルはガーディウムをそう、評価している。

「姫のことか」

なのでソルは、そう投げかけてみた。するとガーディウムは弾かれたように顔を上げ、目を見開いてソルをまじまじと見つめてくるものだから、ソルはつい、笑みを漏らした。

「そのくらい分かる。お前が悩むんだから、どうせそんなこったろう、ってな」

「そ、そうか……」

恥じ入るような表情で耳と尻尾をしゅんと垂れさせるガーディウムを見て、ソルはけらけらと笑った。こういった仕草が、どことなくパクスに似ていて面白いのだ。……パクスがもう少し齢を重ね、魔力を蓄えてより強くなったなら、ガーディウムのようになるのかもしれない。そう考えると益々愉快である。


「……ソル。一つ、聞かせてほしい」

ソルの笑いが収まり、ガーディウムの中で何らかの決心が固まったらしい頃、ガーディウムは顔を上げてソルに向き直った。

「姫は、死ぬおつもりだと思うか」




「……は?」

咄嗟に、ソルは何も言えなかった。一体何のことだ、と思ったが、それを口に出すには……ガーディウムの表情が、あまりにも真剣で、焦燥に満ちていたからだ。

「姫は……姫は、仰っておいでであったな。『勇者が現れたなら儀式を中断して魔法仕掛けの通路に飛び込む』と」

「ああ……確かにそう、聞いたが」

今後の方針はしかと、ソルも覚えている。

何事も無ければ徒歩でここを出る。多少の戦闘なら、儀式を行う姫以外の皆で戦って何とかする。そして……どうしようもないように思われる状況であるならば、姫の儀式を中断して、魔法仕掛けの通路に、飛び込む。確かにそう、決まっている。

だが。

「……儀式を中断する、となれば、姫の御身が無事では済まないだろう」

ガーディウムは眉間に深く皺を寄せて、そう、言った。

「以前、北の神殿で姫が神の力を手に入れられた時。そのような話を他の『盾』達がしているのを、聞いた」


ソルは、ぽかん、とするしかない。そんな話は初耳であった。

それもそのはず、ソルはあくまでも、自らの肉体を強化して戦う戦士。姫のように魔法を体の外に出すような技術はほとんど持ち合わせておらず、それ故に、その手の話について学んだこともほとんど無い。

あくまでも王都警備隊の隊長としてやっていくために、ある程度の教養を修めた、という程度のものでしかないのだ。であるからして……初耳である。儀式を中断した時、術者の命に危険がある、など。

「そりゃ……本当か。多少の魔法の跳ね返りはあるだろうが、そんな、死ぬほどの……」

「神の力ともなれば、そういったことにもなりかねんらしい。……『盾』の中で一番、魔術に秀でた者の言葉だ」

ガーディウムの言葉に、ソルは確信する。ひとまず、『下手に儀式を中断すれば命に係わる』という情報は真実と見ていい、と。

「じゃあ姫様は……どうなんだ?儀式を中断させねえのが一番だっていうことにしても……なんで、姫はそんな決断をされた?姫に何かあれば、俺達だって打つ手が無くなる。なら、ギリギリまで姫を守って戦った方がいい、ってことになるんじゃあねえのか」

「分からん。分からんから、困っている」

ソルが問えば、ガーディウムは自らの毛を掻きつつ、深々とため息を吐いた。

「……俺は姫のお心が分からん。姫にも、俺の心はお分かりにならんのだろうが……それにしても、分からん。分からんのだ……」

この場にアレットが居たなら、ガーディウムが前の開拓地で姫と会話していた内容を思い出したかもしれない。だが、ソルはそんなことは知らず……それでいて、決して愚かではない。聡いソルは、ガーディウムが悩むものが何か、概ね、分かっている。

「姫が何を望んでおいでなのか。俺達はどのようにしてその望みを叶えればいいのか。何も……」

「……ま、言われねえってことは、望まれてねえってことだろ」

ソルはそう言って、ガーディウムの肩に翼を回した。がっしりとした人狼の肩は如何にも頼もしいが、このように屈強な戦士でもこのように悩むのだ。それがソルには、なんとなく嬉しい。


「……姫は、自分で望む通りに動けるお方だろ。そして、誰よりもこの国を愛しておられる」

ソルはそう言ってガーディウムをじっと見つめた。

「もし姫が、自らの命を蔑ろにしておいでなら……それでも魔物の未来が潰えないようにできてるっつうことだ」

「おい、ソル!」

途端、激高したガーディウムがソルに掴みかかったが、ソルが尚もじっとガーディウムを見つめれば、ガーディウムは頭が冷えてきたのか、次第にソルの胸倉を掴む手の力が弱くなっていく。

「お前がそれを許せねえっていうんなら……姫に直接、言ってこい。儀式の中断によって姫にどんな影響が出るのか。それで死ぬおつもりじゃあねえのか。……その上で、お前が何を考えているのかも伝えてこいよ」

「だが……」

「分からねえだろ。言わなきゃ分からねえんだ。……で、俺達はいつ『言えなく』なるか分からねえんだぞ」

……ソルは今、生き残っている。だからこそ、『言えなく』なった経験は無い。当然ながら。

だが……『聞けなく』なった経験は、いくつもあった。3年前のあの日から、ガーディウムに会うまでの日々は、正にその連続で……だからこそ余計に、思うのだ。あの時彼らが考えていたことを、永遠に聞き損なったのだな、と。

「どんな無礼だって許されるさ。こんな状況なんだからな」

ソルは座り直すと、ばし、とガーディウムの背を翼で強く叩いた。

「とりあえず中、入れ。交代の時間だからな。で、飯食ってこい。アレットが用意してる」

「……ああ」

ガーディウムがのろのろと神殿の中へ入っていくのを見送って、ソルは神殿の外、山の斜面へと視線をやった。

……雪が降り積もる。冷えた空気より尚、凛とした漆黒の瞳で、見張りの為にじっと前を見つめる。

そうしながらソルは少々、物思いに耽るのだ。『もし、俺がガーディウムの立場だったらどうだったかなぁ』と。




「お帰り、ガーディウム。ご飯、できてるよ。はい、どうぞ」

神殿に入ったガーディウムに、アレットがスープの椀を差し出してきた。ガーディウムはありがたくそれを受け取ると、椀を通して伝わる熱に指先がじんわりと温まって解れていくのを感じる。長い間雪の中で見張りをしていた分、体が冷えていたらしい。ガーディウム自身にはそのような自覚は無かったが。

「それから、こっちもどうぞ。肉の残り、焼いてみたんだけれど……」

「ああ、美味そうだ。ありがとう」

スープの他に焼いた肉も添えられたのを見て、ガーディウムは表情を綻ばせる。押し麦や野草と塩漬け肉で作ったらしいスープはアレットが作ったのであるから味は良いだろう。だがやはり、ガーディウムはできることなら肉を食らいたい性分である。

こんがりと焼けた肉の香りと、スープに使われたらしい香草の香りがふわりと漂って鼻腔をくすぐる。そうしてみてようやく、ガーディウムは自分が空腹であることに気づいた。

「早速頂くとしよう」

「あっ、待って。……ついでで悪いんだけれど、これ、姫様に届けてきてもらえるかな」

早速食事を、と思った矢先、アレットはガーディウムにそう頼み、次いで、もう1つの椀にスープを注ぎ、焼いた肉を葉に包んだものを添えた。

「私、この後パクスが戻ってきたらパクスにご飯、あげなきゃいけないから……」

「分かった。頼まれよう」

申し訳なさそうなアレットに『気にするな』と軽く手を振って、ガーディウムは2人分の食事を持ち、地下へと進むことにした。

……先程、ソルに言われた言葉が頭の中で渦巻いている。




ガーディウムは、地下通路の途中、神の力の宝玉が安置されていた例の隠し部屋の様子をそっと、伺った。

……その中で姫は、朝に見た時と変わりなく、宝玉の封印を解き、宝玉の魔力を我がものとするための儀式を行っていた。ぴしりと伸ばした背筋も、ゆったりと組まれた脚も、閉じられた瞳も、全てが凛として美しい。

「……ガーディウム。どうした。見ておらんで入ってこい」

しばらく姫に見惚れていたガーディウムは、姫の呆れたような声によって我に返る。

見てみれば、姫は片目を開け、ふう、とため息を吐きつつガーディウムを見ていた。ガーディウムは慌てて室内へ入ると、そこで姫の分の食事を手近な台の上に乗せる。

「食事です。召し上がりますか」

「うむ……その方が良さそうだ。そろそろ腹が減ったせいで集中が続かなんでな。一時休息としよう」

姫はそれからしばらく、何事か集中すると……ふ、と肩の力を抜く。どうやら、魔法を一段落させたらしい。無論、今も尚、宝玉と姫とは魔法で繋がっているような状態であるため、下手に動くと恐ろしいことが起こるのだろうが。

「よし。よしよし!これはアレットの作だな?分かるぞ分かるぞ!美味そうよなあ……ふふふ」

そして姫はその場から動かないまま、椀と匙とを取ってスープを飲み始めた。にこにことなんとも嬉しそうにスープを飲む表情はなんとも柔らかく、先程までの凛とした表情とは随分異なる。

「……何だ、ガーディウム。そちらはお主の分であろう?早く食ってしまえ。冷めるぞ」

一頻りスープを飲んだ姫は、ガーディウムにそう、呼びかける。ガーディウムは姫に許可を得てから姫を囲む魔法の紋様の外側に座り、自身の食事を摂り始めた。

スープは予想通り、美味かった。麦の素朴な香ばしさと野草の爽やかな苦み、そして塩漬けの肉の旨味と少々強い塩気が疲れた体に行き渡る。麦を入れたためか少々とろりとしたスープを飲み込めば、胃の腑から体が温まる。ガーディウムはしばし、その心地よさを味わった。

「一番料理が上手いのはソルであろうが、妾はアレットの作るものも中々良いと思うぞ。気取ったところが無いのがいい」

「ソルとて気取ってはいないと思いますが」

「そこがまた鼻につくのだ」

姫はにやりと笑いつつ、そんなことを言う。……確かに、『気取らずに気取ったものが出来上がる』というのは少々腹立たしい、のかもしれない。ガーディウムとしては美味いものが食えるならば特に文句は無いのだが。

「そして肉!いやあ、やはりこれが良いな。生きている心地がする!」

「俺もそう思います」

ガーディウムも心の底から同意しつつ、姫と同じように肉を噛み始める。開拓地の人間の残りであるその肉は、表面に塩をあててあったからか、はたまた気温の低い山の道中であったからか、大して傷んでもおらず、美味しく食べられるものであった。それが香ばしく焼かれているのだから、食欲を刺激しない訳がない。


……そうしてしばし、姫とガーディウムはそれぞれに肉を食べ進めていたのだが。

「ところで……のう、ガーディウム。何か聞きたいことでもあったか」

唐突に、姫がそう言う。

まるで、心の内を見透かされたようで、ガーディウムはどきりとする。はっとして顔を上げてみれば、楽し気に細められた黄金の瞳と目が合った。

「お主が何を考えているのやら、さっぱり分からんが。分からんなりに、付き合いは長いのでな」

姫はガーディウムの反応を見て益々満足気に、にんまりと笑った。細められた目がまるで夜空に輝く三日月のようで、ガーディウムはなんとも不思議な気分になる。

「話してみよ。無礼は見逃してやるぞ」

……ソルにああ言われても、ガーディウムは姫に問う気は無かった。姫の言葉に従うことこそが『王女の盾』であるガーディウムの行動の指針なのだから。

だが……。


「姫。あなたは死ぬ気なのですか」

……三日月のような瞳を見て、話す気になった。

どうにもこのままでは、取り返しのつかないことになりそうで。


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