西の神殿にて*2
「……これは、これは」
ヴィアはゆっくりと、失われたばかりの手を振る。ふり、ふり、と動かされるにつれ、透明な粘液がとろとろと動き、そして、空虚な手首の先に手を形作った。
「失敬。お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね」
手袋が失われ、ヴィアの手は透明な粘液そのものとなっている。手の形をしてはいるもののどこか生物らしさの無いその手を見て、その場に居た皆が凍り付く。
ヴィアの手は、この宝物庫の罠の恐ろしさを十分に思い知らせた。
「ここの宝石には触れない方がよさそうですね」
「成程……よくできておるものよ」
ヴィアはどうやら、宝物の中の宝石に触れたらしい。そして、突如として上がった炎によって、その手を失うことになったのだ。
「ヴィアがスライムで良かった、と言うべきかもな。……スライムだからこそ手を失ってもまあ何とかなるし、何より、火に弱い分すぐ手が消えて宝石を落とした」
ソルはヴィアの前に置かれたままの指輪を見つめてそう言った。
……確かに、スライムのように火ですぐさま燃え融けてしまう体でもなければ、即座に宝石から手を離すことはできなかっただろう。そしてその分重傷を負っていたか……はたまた、この部屋中の宝石に伝播して、全ての罠が起動していたか。
下手すればここに居る皆が死んでいた。……その事実に皆、戦慄する。
流石、神の力が残された神殿。一筋縄ではいかないらしい。
「こ、こわー……え、あの、姫様ぁ。神殿って、皆こういうかんじなんですか?」
「北の神殿は流石にここまででもなかったがな。ま、扉を開けていきなり古代の魔導人形が襲い掛かってはきたが、それだけだった」
姫に問うたパクスは姫の答えに、『怖っ!本当に怖っ!』と慄いた。
「要は、試練を乗り越えられぬ者を魔王にするわけにはいかぬ、ということであろうな」
ため息を吐きつつ姫はそう言う。……確かに、生半可な覚悟でここに臨む魔物や、或いは人間共に神の力を渡してしまう訳にはいかない。これはそのための防衛策なのだろうが……。
「困ったものよなあ。恐らくはこの中に、例の宝玉が紛れ込んでおるのだろう?だが、『ハズレ』に触れればその代償として片手くらいは失う、ということか。全く……」
姫は厭そうに宝物庫を見回し、『悪趣味よなあー』とぼやく。
「姫。それでしたら、代わりに俺が。姫のお体に傷をつけることなど許しませぬ」
「馬鹿か。妾が手を失っても戦えるがな、ガーディウム。お主が手を失ったら戦力が落ちるであろうが」
ガーディウムの申し出を蹴り飛ばして、姫はまた、ため息を吐く。ガーディウムは悔し気に唸っていたが、姫はまるで気にしない。
「それでしたら私の出番、ということでしょうね、姫君?」
「そもそもハズレを引くな、という話であろう?二度も罠にかかるような愚者に魔王が務まると、神に言えるか?」
そしてヴィアの申し出をも弾き飛ばして、姫は唸る。
「……そう。これは魔王になるための試練、なのであろうな」
煌びやかな宝物庫の景色が、己を試す番人のように、見え始めた。
「ええー!試練なんて、そんな意地悪なことしなくたっていいのに!」
「資格無き者が王になっては悲惨であるからなあ。ここでの『意地悪』より余程、性質が悪いわ」
パクスの無邪気と言うべきか考え無しというべきか、そういった発言に姫は複雑そうな表情を浮かべる。
レリンキュア姫としても、『意地悪』が無ければそれに越したことは無い。だが同時に、自らが『資格無き王』などになりたくないという思いもある。
「……そして妾が目指すべきは、家臣を使い潰して正解を得る王などではない。自らの叡智によって正解を勝ち取る王でありたいのだ」
魔物達の死体で道を築く手段を自ら選ぼうなどとは思わない。自らが手を下さず他者にのみ被害があるように立ちまわりたいとも思わない。
だからこそ、証明しなければならない。レリンキュア姫はそういった、賢く誇り高き魔物である、と。
「成程、ただの意地悪じゃないんですね!……あれっ!?じゃあ、偶々一発で当たりを引いちゃう奴が居たらどうするんですか!?」
「……阿呆のような話であるが、ま、それだけの豪運があるならそれはそれで魔王向きやもしれぬなあ……」
姫はふと、『パクスなら案外、その豪運でいけるのでは』と思ったが、ひとまず考えることをやめた。わざわざ賭けに出る必要も無い。
「さて。では早速考えていくとするか」
姫は腕を組み、考え始める。
「まず、この部屋の宝石は全て、何らかの力を持っているらしい、ということよな」
見渡す限り、全ての宝石から何らかの力を感じる。要は、そのほぼ全てが罠、ということなのだろうが。……尚、このように触れただけで手が燃え落ちるような宝石は非常に貴重である。ここにはその非常に貴重な石がいくつもいくつも、罠の為だけに存在しているようだが。
「そしてこの中に神の力があるのだとすれば、その強大な気配を隠すために封印の類があるのだろうな」
だが、恐らくは『罠の為の貴重な石』という情報も、また罠なのだ。
神の力を秘めた宝玉があるならば、その力が容易に感じ取れるはずである。特に、既に1つ、神の力の欠片を手に入れている姫には。
……だが、見渡す限り、それらしい宝玉は見つからない。神の力の気配すら感じられないのだ。となれば、ここに神の力の宝玉は無い、ということか……『封印されているか』である。
魔力を覆い隠して分かりづらくするための魔法、というものは確かに存在している。魔物が自らの能力を低く偽る為であったり、捕らえた敵の能力を封じて枷とするためであったり。魔物の姫やガーディウムはそういった魔法を使うことができる。姫の場合は自らの能力と気配を隠すため、ガーディウムは捕らえた相手を封じるための習得であったが。
「封印の力がどのように動き、どこを封印しているかが分かれば……答えが分かる、はずだ。多分な。うむ……」
……だが、そこまで分かっていても、姫の表情は晴れない。
どの宝石を見ても、それが封印なのか罠なのか、はたまた神の力の宝玉なのかが分からないのだ。それだけに封印が優秀であるということか、或いは……もしや、本当にこの場には封印も何も……神の力の宝玉さえも、無いのか。
「ガーディウム。どう思う」
姫は結局、ガーディウムに意見を求めた。昔から姫に付き従い『王女の盾』として生きてきたガーディウムは、姫にとっては幼馴染か何かのようなものなのである。意見を問うことも今までに多かった。無論、役立ったかどうかはまた別だが。
「俺が思うこと、ですか?」
「そうだ。この部屋について、何か思うところは無いか?」
役に立つ立たないをさておいて姫がガーディウムに問うのは、自分以外の目から見たものを知りたかったからだ。
ガーディウムの目、ガーディウムの耳、ガーディウムの感性。それらは全て、姫とは全く異なるもので、それ故に、まるきり答えの分からない問題と相対する時にはその、『全く異なるもの』が役立つ。
どこから取りかかればよいか分からない問題を前にしたならば、ひとまず様々なものの捉え方を試す。様々なものの見方を経て、問題を捉え直す。そうしてレリンキュア姫は、これまでの問題を解決してきた。
……そしてこれから、魔王としてこの国の問題に立ち向かう時、やはりこのようにして問題を解決していくのだろうと思っている。
「どうだ、ガーディウム」
そして姫は、悩むガーディウムをせっつく。すると。
「……まるきり分からん、と思っております」
「ほう」
少々情けなさそうな顔をしながら、ガーディウムはそう、言った。
「封印の宝石があるのかと思って見てみても、どれもこれも全て罠に見えます。そして、神の力の宝玉らしいものを探そうと思っても、まるで見つからないのです」
そう話したガーディウムは、びしり、と深く頭を下げた。
「自らの未熟を恥じております!」
「あー、恥じんでよい、よい。この『意地悪』相手に恥じてなどやるな。全く、悪趣味な仕掛けよなあ……」
姫は自分の胸の位置まで下がったガーディウムの頭をもそもそ、と撫でてやりながらため息を吐いた。やはり、この部屋はまともにものを見せる気が無いらしい。
石に込められた魔法を探ろうにも大した違いは見当たらず、そもそも、1つ1つ検分していくには数が多すぎるのだ。そしてやはり、特別な力を秘めたものなど無いように見えるが。
「……アレット。どう思う」
そして姫は、次いでアレットに問う。
アレットとは長い付き合いでもないが、姫はアレットのことを信用している。戦士としても、同じ魔物としても。
「……私も、分かりません。姫より魔力の少ない私には、石に込められた魔法なんて分からなくても当然かもしれませんが」
アレットはそう答えて……だが、諦めたような顔はしていなかった。
「まあ、分からないので……分からないなりに、他の違いが無いか、探しています」
「ほう」
「込められた魔法が分からないんだったら、もっと他の方法で探さなきゃ。手あたり次第に触ってみる以外にも、きっと方法があると思うんです。何か、たった1つだけが特別だって分かるようなやり方が」
姫は、ふむ、と頷く。
確かにアレットの言う通り。この試練は、少々『意地悪』に過ぎる。魔法の気配を辿るのは容易ではない。特に、それが隠されたものであるならば。
……『巧妙に隠したから見つけてみろ』というのならば、もっとやり方はいくらでもあっただろう。それこそ、そういった試練なのであれば罠は必要ない。
ならば恐らく、この試練の意図は別のところにある。
姫は宝石の数々をじっと見つめる。
指輪に嵌め込まれた深紅の宝石。ナイフの柄に嵌め込まれた真珠。透き通った緑の石を嵌め込んだブローチ。式典用の鎧の胸にある、蜂蜜色の宝石。……そして。
「神よ。中々面白い問題であったぞ。悪趣味だがな」
姫は、ある宝石の前に立つ。それは、煌びやかな王冠に嵌め込まれた、一際美しく輝く黄金色の宝石であった。
……この宝物庫に入る前に見た『偽物』とほとんど同じ、瓜二つの宝石だ。碌な力を感じられないところまでも。
「魔王たれ、というのであれば、確かに王冠が最も相応しかろう!」
そして姫は……そう笑って、王冠へ、手を伸ばした。
かっ、と光が満ちる。
余りに強い光に、アレット達の目が眩む。……しばらくして光が収まると、宝物庫の中はすっかり穏やかな雰囲気になっていた。
先程まで、侵入者を攻撃しようと待ち構えていた罠の数々が、すっかり気配を潜めている。試しに、とばかり、ヴィアが宝石をつんつんつついてみるが、今度はヴィアの手が燃え落ちるようなことは無かった。
「ふむ。どうやらこれで正解らしいな。はー、全く、悪趣味だが……ここも終点ではない、と。それだけのことか」
姫はにやりと笑うと……王冠を持って宝物庫を出ていく。アレット達もそれに続くと、姫は祭壇に戻り、祭壇の台座の上……『偽物』が置かれていた台座に、取ってきた王冠を載せる。
……すると。
「よしよし。いよいよらしいな」
アレット達の眼前で音を立てて、祭壇が動く。……そうして祭壇が退いた跡には、下りの階段が現れていた。
……アレットは思わず緊張しながらも納得していた。
下り階段の向こうから漂ってくる気配は……あまりにも、強大。
であるからして……この向こうに、神の力があるのだろう。