西の神殿にて*1
「あっ!俺にも見えた!見えましたよ!あれですよね!あれですよね!」
ガーディウムに次いで身長の高いパクスにも見えたらしく、はしゃいだ声を上げる。アレット達もそちらを見てみれば……。
「パクス、ちょっと退いて、見えない」
……はしゃぐパクスの背に阻まれて、前が見えなかった。
パクスはガーディウムに次いで、身長が高い。この中で最も小柄なアレットと比べてしまえば、更に高く見える。これにはアレットも少々、文句を言いたくなるのである。
「はい!気が利かなくてすみません、先輩!どうぞ!」
「わわわわ、抱っこしなくてもいいよ!」
するとパクスは振り返り、にっこにっこと満面の笑みを浮かべながらひょいとアレットを抱き上げた。アレットは慌てたが、空飛ぶ者特有の軽い体躯のアレット程度、パクスには何ら負担ではないだろう。
……そしてアレットの眼前には、山の間に聳える神殿の姿が見えていた。
黒大理石でできているらしい神殿は沈みかけた太陽の光に強く照らされ、光の金と影の漆黒とにきっぱりと分かたれて見えた。
荘厳なその姿に、アレットは自分達を見守っているのかもしれない神を想う。
魔物達は、人間が信仰するようには神を想っていない。自分達とこの世に満ちる魔力の源であるのかもしれないそれについて、ただ静かに想う。その気持ちは晴れ渡った高い高い空の下、聳える山を見上げるような気持ちにも似ていた。
「……あれが、西の神殿」
呆然としたような気持ちでそう呟いて、アレットは神殿を眺める。
姫に力を与え、自分達を……魔物達を救うかもしれない力が、そこにあると信じて。
一頻り神殿を眺めたアレットは、よいしょ、とパクスの腕の中で身じろぎする。
「見えたから放して」
「はい!」
パクスはアレットの動作に気づき、さっ、とアレットを放した。降ろすでもなくただ手を放されただけだが、アレットには何ら問題が無い。すとん、と何事もなく着地して、アレットは……神殿を見た感動より先に、こちらを片付けることにした。
「あのね。確かに私はパクスより身長が低いけれど、私は飛べるんだよ?抱き上げなくっていいよ。子供じゃあるまいし……」
少々不満たらしくそう言ってやれば、パクスは『あっ、そうだった!』というような顔をする。
「うわ、すみません!ついうっかり!先輩が俺の図体のせいで見えないんじゃあ持ち上げなきゃ、と思って!」
「……パクスは私を一体何だと思ってるの?」
「先輩です!」
……そして、元気よく、そして嬉しそうに発された返事を聞いて、アレットはただ、パクスの頭を撫でることにした。そしてパクスは、『先輩!?どうしたんですか!?俺、何かしましたっけ!?』と困惑しながら喜んでいた。
アレット達はその日の夜の内に、神殿へ入ることにした。
理由は単純である。まず、夜の内であれば人間達が居たとしても目を欺ける。夜目の大して利かない人間達相手であれば、アレットの目が大いに役立つだろう。
そしてもう1つの理由は……寒いからである。
「寒いわ!なんだ、この寒さは!」
「山ですので……」
冬の山は、酷く冷える。神殿の周辺を含む山頂付近は既に雪に覆われているような有様である。寒くない訳がない。
「はあー……全く、神殿というものはどうしてこう天井が高いのだ。寒いであろうに!」
「姫様。風が無いだけマシだって思いましょうや」
神殿の内部は多少、外部よりは暖かい。だが、雪風が凌げる、という程度のものである。長らく誰も入ってこなかったであろう石造りの建物の内部は、酷く冷え切っていた。
「……ここが、神殿かあ」
そしてアレットは神殿の内部を見回す。
神殿は、内部も黒大理石でできていた。高い天井まで一直線に伸びる柱が一列に並び、入り口から神殿の奥まで続いている。
取り立てて華美な装飾は無い。床も柱も、少々彫刻がある程度なものである。……だが、それ故に荘厳であった。
この、大きな建造物を生み出すのに、一体どれほどの魔物が携わったのだろうか。継ぎ目なく続く大理石の床や柱を見る限り、これは魔物の手によるものではなく……正に、ここに力を残していった神による所業なのではないかとさえ思えた。
神殿の奥、祭壇を見たアレットは、ここが神聖な場所であると深く実感する。
「おお、実に美しい……」
祭壇へ近づいた一行は、祭壇に祀られているものを見る。そこにあったのは、宝玉。
黄金色の宝玉は、祭壇の上の台座の上にそっと安置されていた。
「姫君。これは一体何でしょう?さぞ名のある宝玉なのではありませんか?この輝き、美しさ、正に姫君のためにある宝玉と言えましょう!」
宝玉を見たヴィアは興奮気味にそう言うが……。
「……ふむ」
姫は宝玉にそっと触れ、そして、首を傾げた。
「……どうやら偽物のようだな」
「偽物……偽物なんですか!?えっ!?何が!?」
「落ち着け」
姫の言葉を聞いたパクスが慌て始めて、ソルの翼ですぱん、と後頭部を叩かれる。『落ち着きます!』と叫んだパクスは決して落ち着いてはいないのだろうが、ひとまず静かにはなった。
「この宝玉が、だ。……本来ならばこれは神の力の結晶なのだが、この石からは碌な力が感じられん」
言われて、アレット達は揃って宝玉を覗き込む。……確かに、宝玉からは魔力らしいものが感じられなかった。
アレット達魔物は、自分の魔力の過多によって感じ取れる魔力に差がある。基本的には、魔力を多く持つ者の方が魔力に敏感である。つまり、この中では姫が最も、魔力に敏感であるのだが……その姫に頼らずとも、この石が『偽物』であるということは、アレット達全員に分かった。
「ま、戸締りもしておらん神殿の、入ってすぐのところに神の力の結晶を置いておく訳がなかろうなあ……」
姫は少々呆れたような顔でため息を吐き、祭壇を見上げた。祭壇の奥の壁には、神話を描いたのであろうレリーフが飾られていた。即ち、神の力が満ち、魔物達が生まれていくその様子を描いたものだ。
大きな扉ほどの大きさをしたそれを、姫はじっと、見つめる。
「ふむ……ま、これか。よっこらしょ……ああ、駄目か」
そして姫はそのレリーフに手を掛け、何やら動かそうとし、断念した。
「この奥に道がありそうな気配がするのだが……」
「俺がやりましょう」
姫が断念したところでガーディウムが進み出て、そっとレリーフに手を掛け、力を掛けた。……すると、徐々にレリーフがずれていく。
「おおー!すごい!すごい!道がありますよ!」
「そうだねえ」
興奮するパクスを宥めて、アレットはズレていくレリーフを見つめ……首を傾げた。
国一番の力を有するであろうガーディウムが、このように力を込めても徐々にしかズレていかないレリーフに、違和感がある。これではまるきり誰も彼も、拒んでいるようではないか。
或いは、神殿を破壊することを厭わない人間共にこそ、この奥の道は相応しい、ということになってしまう。それではあまりに……あまりに、不自然だ。この神殿は、魔物を生み出した神の力の在る所。それが、このように魔物を拒む仕掛けになっているとは思い難い。
……で、あるからして。
「ええと……このあたりとか?」
アレットは、祭壇の手前、祭壇の横で跪く。そして……。
「あ、やっぱり」
祭壇の淵にぐるりと施された彫刻の一角に、小さな宝石が埋め込まれているのが分かった。これは跪かねば分からないだろう。つまり、『邪神』に跪く気のない人間共には決して見つけられないであろうものだ。
アレットはその宝石に触れる。途端、ぴりり、と魔力がぶつかり合ってアレットの指先を少々痺れさせた。……そして。
「うおおおおっ!?」
全力でレリーフを動かそうとしていたガーディウムが、吹っ飛んだ。どうやら、レリーフが急にするりと動いたことにより勢い余ったらしい。
「あ、ごめん」
何事か、と目を瞬かせるガーディウムにアレットが謝ると、一連を見ていた姫はからからと、それはそれは楽しそうに笑うのだった。
「よし。では道も開けたところで、先へ進むとするか。ガーディウム、入れるか」
「ええ。姫は俺の後ろからお願いします」
そうして一行は、レリーフの後ろに隠されていた道へと進む。レリーフの奥の道も黒大理石でできており、何やら不思議な気持ちにさせられる。
「この神殿、まるで、黒大理石だけでできた山を掘り抜いて神殿の形にしたみたい」
「ふふふ……アレット。実際、そうなのかもしれぬぞ」
アレットが感想を述べると、振り返った姫がにやりと笑って、言う。
「何せ、この神殿は神の力の在る所。神が実際にこの神殿をお創り給うたとしても何らおかしくあるまい?」
……レリンキュア姫の知る限り、この神殿は、建設された記録が無い。それは、それだけ古くに建設されたということであり……同時に、『魔物の手で造られたものではない』という可能性をも浮上させる。
案外本当に、神によって造られたのかもしれない。その『神』とやらが何なのかは、レリンキュア姫にも分からなかったが。
「よし……抜けたようだな」
そして、皆が進んでいくとやがて下り階段があり、その先の通路をも抜けて……その先で皆は、美しい世界を見た。
「うわあ……すごい」
その部屋は恐らく、宝物庫であった。
宝物庫の中、アレットは美しいものを見た感動に、ほう、とため息を吐いた。
繊細な金細工の指輪。色とりどりの宝石があしらわれた首飾り。女性の髪を飾るためであろう冠も、如何にも式典用らしい錫杖も、全てが煌びやかである。
「へえ……綺麗なモンだな」
ソルは鴉であるからか、光り物が嫌いではない。見事な細工の宝石を見ては表情を綻ばせた。
「ふむ……無いな」
だが、その中で姫は、首を傾げる。
「この中に『本物』があってもよさそうなものだが」
……美しい黄金も宝石も、今、姫が求めるものではない。姫が求めているのはただ一つ。神の力を宿した宝玉のみである。
「どう思う、アレット」
「うーん、別の場所にある、っていうことか……いや、でも、ここに在るもの全部、魔法の品に見えますね」
アレットも宝物庫をきょろきょろと見回して、首を傾げる。
……ただ、『本物』である神の力を宿した宝玉が無いだけなら、別の場所を探す。だが……今、ここにある宝物の数々もまた、魔法の品であるようなのだ。確かに感じられる魔力がここに在る。アレットはその感覚を無視できず、首を傾げるばかりなのだ。
「ここにある宝物全部が……っていうことはないですか?」
「無いな。だとしたら少なすぎる」
姫も唸りつつ首を傾げる。アレットと姫が揃って首を傾げていると、いつの間にかパクスがそっとアレットの横に並び、2人を真似して首を傾げ始めた。それを見たソルがけらけらと笑ってパクスの頭をすぱんと翼で叩く。
「うーん……そもそもこの部屋は何のためにある場所なんでしょうか」
ソルとパクスのやりとりを眺めながら、アレットは考える。
……この宝物庫は、何のためにあるのか。
宝物庫が隠されている理由は分かる。宝物を盗まれないため。実に簡単なことだ。
だが、この神殿には神の力が残されているはず。それがどこにも見当たらず、ただ宝物だけが保管されている理由が分からない。
更に、この宝物庫の品々は全て、魔法の力を持った品に見える。意味も無くこのようなものを用意しておく訳がない。
……本当に、神の力以外の宝物をこの神殿に隠すためだったのか。何故、わざわざこの神殿に。
「意味があるとしたら……やっぱり、神の力を隠し、守るためだと思うんですけれど……」
……その時だった。
「うわああ!?」
ジュッ、という嫌な音と共に、ヴィアの悲鳴が響く。はっとして皆が身構える中、ヴィアは呆然と、手を見ていた。
……白手袋に包まれていた手は、今やすっかり、その形を失っていた。焼け焦げた手袋の残骸がひらりと床に舞う。
どうやら、この宝物庫は侵入者に対して中々手厳しいらしい。