燃える開拓地*4
ヴィアが凍り付いたように動かなくなる。表情というもののないスライムであってもこのように心が読めるというのは、不思議なものだった。
「……まさか。そんなことはありませんとも。姫君のお役に立ちたいと思うこの心は」
「本物であろうな。だが、それとは別に目的があったとして、何らおかしなことではあるまい?」
ようやく言葉を紡いだヴィアに、姫は重ねるように言う。
「銃を手に入れたい理由があったか」
そして姫は戯れに、銃口をヴィアへと向ける。
「それとも、強さを欲していると?」
「……私は」
凍り付いた場で、途切れたヴィアの声と火の燃える音だけが響く。アレット達も何も言葉を発することができず、ただ姫をじっと見ていたが……。
「ま、構わん。ほれ、銃だ。好きに使え。どうせ妾は使わんのでな」
姫はそう言って銃をヴィアへ放って寄越した。ヴィアは慌てて銃を受け止めると、何か言いたげに頭部の中でもぞもぞと気泡を揺らす。
「お主が魔物達の未来のために働くというのならば、その過程で何を思おうが、ついでに何かを成そうが、咎めるつもりは無い。好きにせよ。そして、お主の働きに期待しておるぞ」
姫がそう言って、この話は終わり、とばかりに立ち上がると、ヴィアは姫の後ろで傅いた。
「……姫君の寛大なお心に感謝いたします」
「うむ」
姫はあっさりと返事をすると、アレットの元へやってきて肉の串をもう一本、持っていく。
「……おい、ヴィア。どういうことだ」
姫が離れてしまってからも尚、傅いたまま俯いていたヴィアへ、ガーディウムが詰め寄った。
「まさか姫に仇為すつもりか?」
「いや、そんなことはない。そんなことはないとも!」
ヴィアは慌ててそう弁明すると、また、頭の中で気泡を揺らした。
「……害意は無い。姫君や君達に協力することも真実だ」
そして確かめるようにそう言って……ふと、ガーディウムを真っ向から見つめる。
「今はそれだけ、信じてほしい」
その後、ガーディウムはヴィアから離れ、姫の元へとやってきた。姫はアレットの隣で瓦礫に座り、肉の串を品よく食べ進めているところであった。ガーディウムに気づくと、姫は顔を上げる。
「どうした、ガーディウム」
「姫。ヴィアは一体、何を考えておるのでしょうか」
ガーディウムが問うと、姫はその金色の瞳をぱちり、と瞬かせて、答えた。
「分からん」
「なんと……」
……意外な返答であった。ガーディウムにとって姫は英知に富み、ガーディウムには見えないものを見、聞こえないものを聞くような……そういった主君であったので。
だが、姫はガーディウムの思いを見透かしたように、拗ねたような顔をしてみせる。
「……分からんに決まっておるだろう。妾を何だと思っておるのだ」
「次期魔王、と……」
「阿呆め。魔王が全知全能であるならば勇者などとっくに捻り殺しておるわ」
更にため息を吐いて、姫は脚を組み替える。
「お主よりは賢かろうが、だからといって全てが分かるわけでもない。特に、他者の心などというものは分からぬものの筆頭であろう」
ガーディウムは少々納得のいかないような気持ちで姫を見つめる。
姫ならば何もかも見通せるような気がしていた。今も、如何にも賢そうに細められた黄金の瞳は、ガーディウムの心をも見透かすようにじっとこちらへ向けられているというのに。
「ま、わざわざ勇者に追われると分かっている旅路へ、同行を決めたのだ。何か、命に代えても成し遂げたいことがあるのだろう。そしてヴィアの目的は我らと行動を共にすることである程度達成できるものなのであろうなあ」
姫はそう言って、『だから心配は要らない』とでも言うかのようにガーディウムを見て……。
「……姫には、俺の心も分かりませんか」
……つい気になって、ガーディウムはそう、尋ねていた。
姫は全てを知っているような気がする。それこそ、城で姫を守っていた時からの長い付き合いの中で、そう思わされることは幾度となくあった。
ガーディウムの次なる行動を先読みしているようであったし、実際、姫はそのように動いていることが多かった。まるで、ガーディウムの癖も好みも知り尽くしているかのようだったのだ。ガーディウムが鍛錬を終える丁度その時に姫がやってきてガーディウムが好む香りの茶を差し入れていったり、ガーディウムの失せ物をガーディウムより早く見つけ出したり。
……だから、自分の心は全て姫に見透かされているのだろう、と。ガーディウムはそう、思っていたのである。
だが、姫はきょとん、としてから遠慮なく笑い出す。
「分からん、分からん。……ああ、無論、ヴィアよりは分かりやすいがな。だが、付き合いが長い分、推測しやすくなったというだけのことよ」
笑いに笑って、姫はそれから、面白がるようにガーディウムの胸を細い指でつんつんとつついてみせた。
「そしてついでに忠告しておくが、お主は少々、妾に夢を見過ぎだ。次期魔王といえども、お主らと大した違いは無いぞ」
「そう仰られましても……」
「力もそう。魔力もそう。性質とてさして変わらん。お主に妾の心が分からぬように、妾もまた、お主の心は分からんのだ」
ガーディウムにとって、姫は最後の希望であり……同時に、それ以上の、仕えるべき主君である。それを、『さして変わらん』と言われてしまうと、何とも妙な気分になった。
「……ま、ゆめゆめ忘れぬことだ。他者の心など、外側からいくら推測しようともそれは推測に過ぎぬ。本人の口から出た言葉であっても偽りかもしれぬ。ままならんことにな」
ガーディウムは思う。
姫にとってそれほどまでに心が見えぬというのであれば、自分にはより見えていないのではないか、と。それによって、姫に無礼を働いていたら、というところまで考えて……だが、そこでガーディウムの眼前に肉の串が差し出された。
「ま、食え食え。悩むな。お主が悩んだところで大した益にならんだろうが」
戸惑いつつも、ガーディウムは串を受け取る。そして、姫が肉を食らい始めたのを見て、ガーディウムも肉を食べてしまうことにする。
肉は美味かった。香ばしく焼けた表面の硬さも、その風味も、程よくついた塩味も。そして何より、ガーディウムは空腹であり、それ以上に元々よく食べる性質なのである。
「……美味いか?」
「はい」
「であろうなあ。顔に出ておる」
問われて即答すれば、姫はからからと笑う。……そして、姫の楽し気な表情を見ると、ついどこか安堵し、気持ちが解れてしまうのがガーディウムである。
「……お主の場合、偽りなど口にしないであろう?要は馬鹿ということだが。ま、その分こちらも要らぬ推測を繰り返さずともよいのがお主の美点よなあ」
どことなく調子を取り戻したガーディウムは、姫に『勿体なきお言葉』とだけ返し、また肉を食う。姫は『勿体ないか……?』と何とも言えない顔をしていたが。
……姫は、『大した違いは無い』と言うが、ガーディウムにとって、姫は自分とは一線を画す存在なのである。姫がどう思おうともそれは変わらない。
だが……姫がどのように考えているかを知ったことは、決して無駄ではないだろう。理解できずとも、ひとまず、姫の考えは尊重されるべきだ。ガーディウムはそう納得し……だが、特に何かを変えるでもなく、今後を過ごすことになるのだろう。
何せ、ガーディウムは『要は馬鹿』なのである。愚直であり、真摯であり……それゆえに『馬鹿』なのである。
その夜はそのまま野営して、翌朝。アレット達は撤収の準備をしていた。
「より西へ向かうことになるな。……さーて、どれくらい歩けばいいんだか」
人間を食べた形跡を隠しながら、ソルがぼやく。
火薬を用いた攻撃を主としてここを破壊したので、傍目には人間が人間を襲ったように見えるだろう。そうすることで人間達の追手の目をくらませる狙いがあった。なので後片付けもしっかりと行わなければならない。肉を調理した形跡があれば、人間達は怪しむだろう。
「ここからだと、真っ直ぐ歩くにしても、3日くらい?」
「だな。で、実際は道が悪いから……俺とお前と姫は飛ぶとしても、パクスとガーディウムとヴィアは飛べねえからなあ……」
「いっそのこと、ヴィアを3分割して私と姫とソルで分担して運ぶっていうのは?」
「あー、そうだな。そうやって進むか……」
アレットとソルはそんな相談をしつつ、焼いた肉から脂が落ちた瓦礫を適当に砕き、火を点けて燃やし尽くしていく。燃えてしまえば証拠も何もかも消えるのだから楽なものだ。
「で、西の神殿で神の力の封印を解いて、姫はまた、魔王に一歩近づく、ってわけだ」
「うん」
ここから先は、純粋な旅路……人間と戦うことなく進むことができる道になるはずである。勇者達が追ってきたとして、アレット達にそう追いつける訳がない。仮に勇者が姫と同じように瞬間移動の魔法を使えたとしても、どこに移動すればいいのか分からない状況でその魔法が役に立つとも思えない。
「その後は……多分、西の神殿にもどっかへ繋がる魔法仕掛けがあるだろ。それを探して、それが繋がってる方面へ旅に出ればいい、ってかんじか」
「ああ、そういえばそういうの、あったね。王城にあった魔法仕掛けの通路を使って、姫は北の神殿に行ったんだっけ」
「ああ。もし魔法仕掛けのなんとやらが無かったとしても、姫の瞬間移動の魔法で上手くやって頂けばいいだろうしな」
移動手段としては、こちらに圧倒的な利がある。……姫が瞬間移動の魔法を使える他、神殿には恐らく、古い魔法仕掛けの通路があるはずなのである。3年前、姫とガーディウムをはじめとした王女の盾達を北の神殿へと瞬時に逃れさせたような、そういった通路が。
「……勇者と出くわしたら、今度こそ間に合わねえだろうな」
「……うん。出くわさないように進むしかないね」
アレット達の持つ利を最大限に生かしながら、今はひたすら、勇者から逃げ続けて神殿を巡り切るしかない。
「もし、それでも、勇者と出くわしたら……」
そして、もしそれにも失敗したなら。勇者と出会ってしまったなら。その『もしも』を考えて、そして目の前にフローレン達の姿を見たような気がして、アレットは、呟き……。
「やめろ」
ソルの硬い声に、アレットはそっと口を噤んだ。途端、フローレン達の姿もアレットの脳裏からふわりと掻き消えていく。アレットの目の前には、燃え残った瓦礫だけがある。
「……ま、考え無しで居ろとは言えねえが。縁起でもねえことばっかり考えててもしょうがねえ。その時はその時だ」
少々ばつの悪そうな顔をしつつ、ソルはそう言って……それから、ふと、アレットの背を叩いた。
「少なくとも……最初に自分が、なんて、考えんなよ」
「分かってるよ」
……そう答えながらも、アレットは同時に、思うのだ。
『最後』は厭だなあ、と。
そうしてアレット達は出発する。
目指す先は西の神殿。魔物の国の最西端に位置する場所だ。
「なんか俺、すごく元気です!なんでだろうなあ、いっぱい肉、食ったからかなあ!」
「魔力を持つ人間の肉を食った分、魔力が増えているのかもしれんぞ。かく言う妾も調子が良い」
るんるんと鼻歌でも歌いだしかねない勢いのパクスは姫と共にガーディウムの後ろを歩き、更にその後ろにヴィアとアレット、そして最後尾にソル、と並んで皆で進む。
「なんだか楽しくなってきたなあ!歌ってもいいですか?らららー、海のー、青さーにー、とけるー……」
「おーいパクスー、うるせえぞー。黙って歩け、黙って!周りに人間が居たらどうすんだ!」
許可も待たずに歌い出したパクスはソルに一喝されて『すみません!』とすぐさま黙った。その横では姫がからからと笑い、前ではガーディウムが少々呆れたように肩を揺らしている。
「……山道を歩いている時に海の歌を歌うとは。一体どのような考えだろうか。お嬢さん、どう思われますか?」
「どのような考え、って……うーん、特に何も考えていないと思う。パクスだし」
そしてアレットもヴィアと並んで歩きつつ、西へ西へと進んでいく。背後から差す太陽の光が、アレット達の足元に長く影を生み出していた。
自分の影を踏みながら、アレットはふと、ヴィアを見る。
……ヴィアの懐には銃が入っている。ヴィアはそれをまるで思い出させないように振舞っているが。
ヴィアも何かを抱えている。アレットも、そうだ。この場に居る皆が、そうだ。
そうして一日歩き続けて、野営を挟み、再び翌朝、歩き続けて……。
そんな日を3日ほど繰り返した頃。
「……見えたぞ!神殿だ!」
ガーディウムがそう、歓喜に満ちた声を上げたのだった。