燃える開拓地*3
アレットは迷った。
今、アレットが取れる手段は3つ。
1つ目は、今すぐに怪しい人間に襲い掛かること。
2つ目は、大声を上げて仲間達に知らせること。
3つ目は、この場を離れて仲間達に知らせに行くこと。
……どれも、利点と欠点がある。この場を離れては他の人間を見逃す可能性があるが、大声を出せば今逃げているあの人間が気づいてしまうだろう。
アレットの得意とする戦い方は、奇襲や不意打ち。今、この状況でなら逃げていく人間に不意打ちを一撃入れられるだろう。そして、その一撃で仕留められなかったとしても、傷を負った人間は追うのが簡単になる。何せ、血の匂いに非常に敏感な者がこちらには2人もいるのだから。
……そう考えて、アレットはすぐさま人間に向けて急降下した。
一撃。それで仕留めるつもりで。或いは……仕留めきれずとも、必ず血を流させるつもりで。
魔法を使っている以上、相手はそれなりに力のある人間の戦士である可能性が高い。だが、アレットは臆することなく、相手に襲い掛かる。
風を切って飛び、アレットはみるみる人間に迫る。
近づいていくにつれ、人間の姿がよく見えるようになってきた。
小さな体躯は子供のそれ。目立つことを考えずに火を灯したのも、子供故の思考の至らなさ故なのだろう。
その人間の子供は呼吸を荒げて必死に走っているが、大した速度でもない。アレットが追い付くのは、容易かった。
……そして、アレットがいよいよ迫るその瞬間、人間の子供はようやく背後から迫るアレットに気づいて振り向き、そして、悲鳴を上げる。
咄嗟に突き出された手から、火の玉が飛んだ。だがアレットはそれを容易く躱し……振り返った人間の胸へ、鋭い蹴りを食らわせていた。
肋骨の向こう側、肺を押し潰して空気を吐き出させた感触を靴底から感じ取り、アレットは顔を顰めた。相手が人間である以上情けは無用だが、子供の姿をした生き物を攻撃するのは、少々気が咎めなくもない。特に、フローレンと共に暮らしていた、魔物の子供達をずっと見てきたアレットにとっては。
空気を全て吐かされた人間の子供は、アレットの足が離れていくと同時、ひゅう、と細く鋭く息を吸って……そのまま気絶した。
アレットはそれを見届けて、人間の子供を担ぎ上げる。麦の詰まった麻袋程度の重さしかないそれは、持ち上げるのにも大した力は必要なかった。アレットはそのまま、気絶した人間の子供を持って、仲間の元へと戻ることにしたのであった。
アレットが開拓地の中央付近へ戻ると、そこには丁度、仲間達が戻ってきていた。仲間達は皆、アレットが担いでいる人間の子供に目をやって少々驚いたような顔をする。
「アレット。そいつはどうした?」
「逃げていくのが見えたから仕留めちゃった」
「生き残りが居たのか……気づかなかったが」
「隠し通路があったみたい。一応、確認しておく?」
アレットは先程人間が出てきたあたりへ皆を連れていき、そこでやはり、隠し通路を発見した。土に半ば埋もれた隠し扉は地下へと続いている。そしてその地下には、人間の死体がいくつもあった。
「この地下室に生き残りが居たのか。隠し通路まであったとは……くそ、俺も目が利けばな」
「ま、まあ、アレット先輩が見つけて仕留めたわけですし!大丈夫ですよソル隊長!ね!ね!」
どうやら、ソル達が踏み込んだ地下室の奥に隠し通路があり、そこから1人、先程の人間が逃げ出したらしかった。ソルは自らの失態を悔いているようであったが、これだけ爆発が起きて生き物の気配が乱れ、そして多くの人間が死んでその血の香りに諸々が分からなくなった以上、隠し通路を通って逃げる人間を見つけることは難しかっただろう。
「……む。アレット。こいつはまだ生きているのか?」
そしてガーディウムが、アレットが担いだままの人間の様子に気づく。
「ああ、ええとね……こいつ、魔法を使ってたんだ。それで、ひとまず生かしたままにしてる」
「魔法を?」
アレットが答えると、ガーディウムは訝し気に例の人間を観察する。見た目はただの子供だが、確かに、見ていれば魔力が感じられた。ガーディウムの内にある魔力とわずかに干渉し合うような、そんな感覚がある。
「ほう。これは珍しいな」
姫はガーディウムの横からひょい、と顔を覗かせて、ガーディウムよろしくしげしげと人間を眺める。
「人間の中でも魔力を持つ者が偶に居ると聞くが……ま、大方、子供の内に魔力の多いこの土地へ連れてこられた結果なのであろうな。すっかり魔力が体の奥底から根付いているように見受けられる」
姫は気絶したままの人間の頬をつつき……そして、言った。
「……ひとまず今宵の晩餐にでも、こやつを食らうべきであろうなあ。ヴィアも居ることであるし」
「なっ!わ、私は決して幼女趣味ではありません、姫君!どうか不名誉な誤解は」
「誰がそんな話をしておる」
「あー!姫!姫!俺には分かりますよ!やっぱり小さい人間は肉が柔らかくて美味いですよね!ちょっと可愛そうですけど……でも美味い!」
「味の問題でもないわ。お主ら、話を聞かんか」
ヴィアとパクスがそれぞれに騒ぎ出し、姫にぺし、と額を叩かれる。ヴィアの方はまるで堪えた様子が無いが、パクスは『痛ぁ!』と悲鳴を上げて大人しくなった。
「アレット。こやつは魔法を使っていたのだったな?」
「はい。間違いなく」
「ならばこやつはそれなりに多くの魔力を持っている、ということに外ならん。魔力を多く持つ生き物を食らえばその分、魔力を得られる。ヴィアの回復も早かろう」
ヴィアは爆弾を運び、爆発させるために自分の体の一部を文字通り削っている。回復の為には体の材料である水と魔力、そして回復の為の時間が必要であるらしい。ならば、ひとまず水と魔力はすぐにでも与えたいところである。
「よいか?アレット」
「はい。魔物の仲間ではないという確認のために生かしておいただけですから」
……実のところ、魔物と『魔力を持った人間』の差は曖昧である。魔力を持ち魔物として成長した蝙蝠がアレットであるならば、魔力を持った人間が成長するに従い、人間の魔物になるのかもしれない。
だが、アレット達はそれを早々に切り捨てた。……そんな理屈で動いていたら、勇者と戦うことなどできないのだから。
「……ガーディウム。仕留めるのは眠っている間にしてやれ。せめてもの情けだ。あまり、苦しめぬように」
「御意。……ソル、ナイフを貸してくれ」
ガーディウムは気絶してぐったりとしている人間の頭を俯かせると、露わになった延髄にさっとナイフの刃を滑り込ませた。
切れ味の良いナイフは人間の首の骨と骨の間にするりと潜り込み、そのまま神経をすぱりと切り離す。大して苦しませない死なせ方だ。実際、人間の子供はガーディウムの腕の中で、眠りから醒めぬまま静かに死んだ。
「よし。血を抜くか」
「なら、その血は是非、私が頂きたい。血はスライムにとっては中々良い薬になるのでね。ついでに血抜きもお手伝いしようじゃないか」
ヴィアは嬉々として人間の首の切り口へと近づいていくと、手袋を外して透明な手を血の滴る切り口へと宛がった。
……すると、ヴィアの体が次第に血に染まっていく。どうやら血を吸っているらしい。手が真っ赤に染まり、恐らく服の下に隠れた部分もが赤く染まり……そうして最終的に、頭部までもが血に染まっていく。
「ヴィア、どうだ?魔力は補給できそうか?」
「ああ。これは中々良いね。悪くない感覚だ」
やがて人間の血がすっかり抜き取られると、ヴィアは満足げに離れていった。その体は最早すっかり赤く染まっていたが、その赤さも次第に薄れていく。消化が進んでいるということなのだろう。
「肉はどうする?お前も食うか?」
「そうだね……折角だ。少々頂こうか」
「よし、言ったな?なら手伝え。捌かねえと。おい、パクス。お前は火、起こしとけ」
「先輩!先輩!向こうで家が燃えてますけど、そこで焼いたら駄目ですか!?」
「……この際それでいいことにするか。確かにめんどくせえもんな」
そうして皆で食事の準備を始めることになった。ソルが人間を捌いて肉にして、姫がそれを串に刺し、アレットが塩を振ってそれを炙る。その間にパクスとガーディウムとヴィアは人間達の住居跡地を回って食料になりそうなものを集めてくる。
物資の多くは爆発や火災によって駄目になっていたが、それでも、瓶に罅が入っただけの瓶詰や地下に貯蔵されていた塩や砂糖、外で燻製に掛けて干しておいたらしい干し肉の束などは十分に食べられそうであった。
「うわー、うまそー」
そうして物資を集めてきたパクスは、アレットの手元を見てにこにこと笑う。
「焚火の音!滴る脂!こんがり焼けていく肉の、いい香り!ああー、最高!」
「もうすぐ焼けるからもうちょっと待ってね」
焼けていく肉を眺めるパクスの幸せそうな顔は、アレットをも思わず笑顔にさせてしまう。
「元気な尻尾よなあ、お主のは」
そして、姫がパクスの尻尾をそっと撫でる。パクスの尻尾は先程からぱたぱたと動きっぱなしである。
「ま、たっぷり食えよ。他の人間も捌いてるからな」
「はい!たっぷり食います!やったー!」
魔力を持った子供以外にも、人間の死体はいくつもある。それらをそのまま放っておいてもいいのだが、折角ならいくつかは食べていきたい。よって、ソルは次々に適当な死体を捌いて肉へと作り変えていくのであった。
「ふうむ、不思議なものだ。先ほどまで人間だったものが、今はもう、肉に見える……」
「そんなもんだよね。はい、焼けたよ」
「ありがとう、お嬢さん。ではお先に失礼して……」
アレットが笑って肉の串を差し出せば、ヴィアはそれをそっと体内へと潜り込ませた。スライムの食事に咀嚼という概念は無い。ただ、体内に浮かぶ肉の串が徐々に消化され、徐々に小さくなって消えていくだけなのだ。
「血を飲んでも感じたが、やはり魔力が少々多いな。これなら回復も早いだろう」
「それはよかった。いっぱい食べてね。今回の功労者はヴィアなんだから」
アレットは次々に焼けていく肉の串をヴィアとパクスに渡していく。ヴィアの消化吸収の速度には限りがあるようだが、パクスの食べる速度には限りがあまり無い。渡した端から消えていく肉の串を見て、アレットはまた笑顔になるのだった。
それからしばらく、肉を焼いては食べ、食べては焼いて過ごした。
食べられる時に食べておいた方がいい。特にここから先で人間と出くわすとしたら、それは間違いなく勇者の追手である。食べている余裕はまず無い。
今後のことも考えて、人間の肉を思う存分食べ、そして同時に保存の利きそうな食料はこの先の旅に持っていきたい。パクスとガーディウムが集めてきた食料を検分して、この場で食べるものと持っていくものとに仕分けていく。同時に、人間の肉も食べきれない分は塩漬けにして皮袋に詰め、持っていくことにする。
「蝋燭がもうちょっと手に入ればよかったかなあ」
「燃えちまったもんはしょうがねえな」
一方、食料以外の物資については、あまり芳しくなかった。どうやら大方、燃えてしまったらしい。
……だが。全てが燃えてしまったわけでもない。
「姫。こちらは私のものにしてよいでしょうか?」
肉を食う傍ら、ふと、ヴィアが懐から取り出したものは、銃であった。
「ほう。銃か」
「人間達の家屋にありましたので奪って参りました。如何でしょう?非力なスライムが戦うには丁度良いかと思うのですが。幸い、我らには火薬もあります。銃弾は別途用意していく必要がありましょうが……」
姫はヴィアの手から銃を受け取ると、しげしげと眺めた。
「……ふむ」
そして、姫はちらりとヴィアを見た。ヴィアは表情のない頭部を姫に向けたまま、特に動じない。
……そこで姫は、ふと笑って、言った。
「さてはお主、これを手に入れるために妾達についてくることを決めたな?」