珍妙な協力者*2
スライムの言葉は、その場に居た4人には概ね、能力の使い方として捉えられた。『火薬に火を点ける』ということの意味をよく理解していないパクスだけは首を傾げていたが。
……だが、アレットにだけは、異なる意味として捉えられる。
「……あなたが?」
アレットは思わず、声を発した。
「あなたがあの時、銃の処理を?」
このスライムの言うことが本当であるならば、アレットはこのスライムの存在を、以前より知っていたということになる。
……ずっと、引っかかっていた。
アレットが人間達に混じって過ごし、彼らの力を可能な限り削ごうとしていた、あの時。
最終的に人間達に毒を盛り……そして、本来ならば、アレットが、火薬に水を撒いて全て駄目にする予定だったのだ。そう。本来ならば。
「おや。ご存じでしたか。ふむ……」
スライムはそんなアレットへ向き直ると……そっと、頭の無い体を折り曲げて、アレットの首筋に本来頭部がある箇所を近づけた。
「……成程、血の香りがする。微かに、硝煙の香りも。……どうやら貴女も戦士のようだ」
スライムは少々、アレットに対して態度を固くした。侮れない、と感じ取ったらしい。
「私、あの時、城に居たの。それで……」
「ではもしかして、人間達が毒に倒れていったのは」
「そう。あれをやったのは、私」
更に、アレットがそう言って不敵に笑ってみせるとスライムは……ごぽごぽと頭部の中で泡を生じさせた。どうやら、笑っているらしい。体の方は手袋同士が打ち合わされて拍手の形を取って、やがて……その手袋は、アレットの手をぎゅっと握った。
「成程、成程……面白い!そういうことでしたか!いやはや、随分と上手くいったものだと思っていたが……まさか、裏側ではそんなことになっていたとは!」
「私もあの時、びっくりしたよ。誰がやったんだろう、って、ずっと思ってた」
アレットがスライムの手を握り返してやると、スライムはまたごぽごぽと頭部の泡を蠢かせ……そして、姫に向き直る。
「姫君。如何でしょう?私の有用性はきっと、こちらの美しい戦士が証明してくださる。私には確かに、人間に大きな被害を与えた実績があるのです!」
「本当に貴様がやったかどうかは分からんことであろう?」
「だとしても、私には同じことができます。……やってみせましょう。あなたに仇為す人間達の住処に潜り込み、音もなく、気配もなく、匂いすら感じ取れぬまま、奴らの命綱を切り落としてみせましょう!」
スライムは少々興奮しているらしい。スライムはいよいよ大仰に両腕を広げ、朗々と語って姫の前に立つ。その動きも台詞も、少々芝居がかって舞台役者のそれのように思える。案外、本当に役者をやっていたのかもね、とアレットは思った。
「……アレット。どう思う」
それから姫は、アレットに向き直った。
「このよく分からん奴を旅に同行させるべきか?」
「う、うーん……それは何とも言えませんけれど」
尋ねられたアレットは苦笑交じりにそう答え、それにスライムは『なんと』と少々衝撃を受けたような声を上げた。だが、アレットとしてもこのスライムのことがよく分かっているとは言い難い。
「まあ、能力については、確かかと思います。ええと、そうだなあ……ねえ。あなたが火薬に火を点けるまでの手段を教えて。できるだけ詳しく」
「ふむ、よいでしょう。ではまず、私が火薬というものの存在を知ったあの事件から」
「当日の動きだけでいいや」
ひとまずアレットは、スライムが本当にあの日、火薬に火を点けた張本人であるという確認をしたかった。スライムはその意図を理解できないでも無いだろうに少々残念そうにおどけてみせて、それからようやく、答え始める。
「まず、私は食材と共に運ばれました。リンゴの木箱の中に体の一部を潜ませて、城へと運ばれ……適当なところで食糧庫を脱出し、石材の隙間を通って城内を探索し、どこに火薬があるかを突き止めました。そうして私はかつての食堂へ潜り込み、そこで火薬の箱を見つけ……厨房にあった燐寸を使って、火薬に火を点けたのです」
成程。ひとまず、このスライムは確かに城へ侵入していたようだ。そうでなければ、かつて魔物達が食堂として使っていた場所が倉庫になっているなど、誰が想像するだろう。
「分かった。じゃあ、実際に火を点けた後は?」
「そのまま火に巻かれました」
……そして続いた答えに、アレットは言葉を失う。火に巻かれた、となれば、スライムの体では到底生き残れないはず。
「……ああ、いやいや、そんな顔をなさらないで頂きたい!スライムというものは体の一部を切り離して使うことができる生き物です。動きはとろく、力も弱く、火にも氷にも弱いみじめな躰ではありますが……同時に、多少の融通は利くものなのですよ。体の一部が燃えたところで大した問題ではないのです」
「そ、そう……」
体の一部を失う覚悟で、このスライムは城内に潜入したらしい。それはスライムという種族であるが故なのだろうが……それ以上に、自らが傷つくことを恐れぬ強い意思があってのことだろう。
「えーと、姫。私はこのスライムの功績を保証します」
やがてアレットは、そう結論を出した。
「性格はともかく、実際に人間達に危害を加える意思はありそうですから。……もし私が火薬に水をかけて処理していたとしても、乾いた火薬が使われていたかもしれない。そうしたら、もっと私達は苦戦していたでしょう」
「ほう。そうか」
姫はアレットの言葉に頷き……唸った。
「……厄介よの。もう少々まともな奴なら、すぐにでも旅への同行を許しておるのだが」
姫は何とも言えない顔でスライムを見やり、はあ、とため息を吐いた。
「姫。どうぞご一考を。私はスライムです故、食料も必要とはしません。姫君の旅の重荷になることは無いでしょう」
「だが煩い」
またもバッサリと切り捨てた姫は、『どう思う』というようにガーディウムへと目を向けた。……それに対して、ガーディウムは、困る。姫の御身を守る為ならばどんな手段でも使ってやろうと思っているガーディウムであるが、この奇妙なスライムをその手段として使うかどうかは迷うところだ。
「何を仰る。私はスライムですよ?鴉や狼より余程静かな性質ですとも!何せ、息を吸ったり吐いたりすることも無ければ、心臓を動かす必要も無いのですから!姫が静寂を好まれるということでしたら正に私こそお供にぴったりかと」
「……じゃあ、さっきから姫様とうちの副長に粉掛けてんのは何なんだ、おい」
ソルが心底頭の痛そうな顔をすると、スライムは驚いたように両手を広げてみせた。
「なんと!美しいお嬢さんが居たなら褒め称えるのが紳士としての礼儀だろう!?」
益々頭の痛そうな顔になったソルのことは気にせず、スライムは姫の前に傅く。
「姫。私は長らく、貴女にお仕えしたいと思っておりました。私がまだ、魔王様の残り湯から生まれた小さな小さなスライムであったころから、城の中で姫のお姿をお見掛けする度、この美しくも誇り高いお方のために命を燃やしたいと強く願っていたのです」
切々と語るスライムの言葉を横で聞いていたパクスは『魔王の残り湯……』と何とも言えない顔をしていたが、アレットも似たような気持ちである。
「そして今は、人間が畏れ知らずにも我らが王を害し、この国を蹂躙している!ならば一介のスライムと言えども、立ち上がらずにはいられますまい!」
……このスライム自身への評価はさておき、心はアレット達も同じである。
人間を殺し、魔物の国を取り戻すこと。それがアレット達……否、全ての魔物共通の望み。
その望みを叶えるために立ち上がる。最後の希望である姫の為、己の全てを費やしたいと思う気持ちは、皆にあるものだろう。
「どうか、私を役立たせていただきたい。そして……」
スライムは切々と語り、姫の手を握った。
「どうか、どうか。美しい貴女のお傍で、視線と憧れを送ることをお許しください……」
……姫が鼻白んだ様子でスライムを冷たく見下ろす。そして。
「先輩!」
「よし!」
パクスがいよいよ我慢の限界であったらしいので、アレットも許可を出した。途端、アレットに解き放たれたパクスはすぐさまスライムにとびかかっていき、その透明な粘液にがぶがぶと噛みつく。
「やったー!オラッ、くたばれ!くたばれこの気障スライム!」
スライムは『あああああああ』と情けない悲鳴を上げていたが、まあ、パクスに噛みつかれた程度でスライムがそうそう死ぬわけもない。アレット達はのんびりと、パクスの憂さ晴らしを見守るのだった。
やがてパクスが『なんか噛んでも噛んでもこいつ死なないですね!』と気づいたところで、アレットはそっとパクスを引き戻した。ひとまずパクスの憂さは晴れたらしいので。
スライムはパクスに噛みつかれ続けた故にか、少々よれよれ、とした姿で服装を正して立ち上がる。『なんということだ……』とぼやいていたが、それを気にする者はここには居ない。
「……ガーディウム。この珍妙なスライムを殺せるか?」
「はい。こやつ、知恵は多少回るようですが、戦うことに向いているとは言い難いようです。殺すのにはそう手間取りますまい」
「そうか。何秒かかる」
「5秒もあれば十分かと」
姫とガーディウムが、少々剣呑な目をスライムに向ける。スライムはガーディウムの手の中に握られたままの頭部と共に、少しばかり、震えた。
だが、スライムは退かない。じっと、姫の前に傅いたまま、ガーディウムの気配に集中し、ガーディウムが動けば自らも動く、とあれこれ考えているらしかったが……。
「よし」
そんなスライムの姿を見ていた姫は一つ頷くと、スライムの手をぎゅっと握りしめた。それこそ、手袋の下のスライムを握り潰してやろうとするかのように。
「お主、名を何という」
だが、姫はそう言って笑う。……名を尋ねられたスライムは、ごぽごぽ、と頭部の中で泡を動かして歓喜を表した。
「私はヴィア。貴女の手となり足となり、必ずやお役に立ってみせます!」
「そうか。まあ、励め。ついでに、下手なことをしないようにな。下手なことをすれば妾の盾がお主を5秒で殺すと言っておるぞ」
姫は握りしめていた手をぱっと放すと、ガーディウムの手の中でごぽごぽと煩い粘液の塊を取り上げ、ヴィアの首の上へと放った。放られた頭部は、うにゅ、と伸びて首へと繋がり、そしてもだもだ、と少々蠢いた後、無事に頭らしい形で首の上に収まった。
「妾は寝る。引き続き、見張りに励め。見張りは……ふむ、よし。ガーディウム。早速だがヴィアを働かせるぞ。共に見張りの任に就け」
「御意。……いいな?ヴィア」
「勿論!姫君のお役に立てるのであれば、喜んで!」
2人の返事に姫は笑うと、アレットの手を取ってすたすたと奥へ進み、先程まで眠っていた場所へ戻っていく。
「え、あ、姫」
「よしよし、アレットよ。お主は妾と共寝するのだ」
姫は何やら鼻歌でも歌いかねない機嫌の良さでアレットを寝床へと連れ込むと、アレットにもアレットの分の毛布をかけ始めた。
アレットは戸惑ったが、ガーディウムがヴィアを伴って洞窟の外へ出ていってしまうのを見送ってしまえば、いよいよアレットは姫の隣で眠るしかなくなってしまう。
……だが。
「……よし、行ったか」
そうして静かになったところで、姫はもそもそと起きだした。アレットも姫に倣って、もそもそと起きだす。
「やれやれ。珍妙な拾い物をしたが……吉と出るか、凶と出るか、だな」
起き上がった姫がそう言えば、姫が起き上がることを予測していたらしいソルが頷き、一方完全に眠るつもりでいたらしいパクスが『えっ!?寝ないんですか!?』と驚きながら飛び上がった。
「アイツを引き入れて良かったんですか、姫。危険じゃあないですかね」
そしてソルが声を潜めてそう言えば、姫はふふん、と笑ってみせた。
「元より、使えるものは全て使わねばならぬ状況であろう?……それに、のう、ソルよ。お主が妾の立場なら、あのスライムをどうした?」
姫がそう問えば、ソルは少し考え……ふは、と息を吐き出すように笑った。
「……ま、妙だが役には立ちそうだ。確かに俺なら仲間に引き入れたでしょうね」
「そうであろうて」
ソルの反応に、アレットも納得する。……ソルは王都警備隊の隊長でありながら、少々風変わりな隊員ばかり集める癖があった。
蝙蝠であるが故に他の魔物達からの評判がそれほど良くないアレットを連れてきて副隊長の座に据えたり。あまり頭が良くない一方で攻撃への思い切りが良いことを見込んでパクスを連れてきたり。……他にも、妙な仲間を好き好んで集めていたのだ。
そのせいで王都警備隊の評判は然程良くはなく……だが同時に、長所と短所を上手く組み合わせ、『王女の盾』に匹敵するほどの戦果をも上げてきたのである。
「あのスライム……ヴィア、っていいましたっけ?あいつは俺なら、偵察に使う。体の一部を切り離させて、その一部は捨てさせる覚悟で使いますよ。それに合わせてアレットが人間のところに潜り込んで陽動できりゃあ完璧だ」
「すごいこと考えますね、隊長……」
「あいつ自身も納得しそうだしな。納得しねえならさせねえが」
ソルはそう言って……ふと、姫の服の裾に目を止める。
……そこには目立たないようにして、ごく小さなスライムの欠片が貼り付いていたのである。
「……頭が回る奴はいいねぇ。歓迎するぜ、ヴィア」
そしてソルは姫の服の裾に手を伸ばし、逃げようとしていたヴィアの欠片を容易くつまみ上げた。ソルの指先につままれながら、透明な粘液がぷるぷるともがき震えるのを見て、ソルと姫は揃って少々嗜虐的な笑みを浮かべる。
「しっかり働いてくれよ?」
「ま、ひとまずは次の開拓地でのお主の働きに期待しようではないか。のう、ヴィア?」
もそもそ、ぷるぷる、と震える小さな小さなスライムは、鴉と竜とに挟まれてさぞかし生きた心地がしなかっただろう。アレットはその様子を見てにこやかに笑うと、ソルにつままれたままのスライムをつんつんとつついてみるのだった。