珍妙な協力者*1
「びっくりしたなー、もうー!いきなり俺の上に降ってくるんですもん!」
洞窟の中に戻ると、人影が4つ。ソルはナイフを手にしつつもやれやれとため息を吐いており、パクスは毛を逆立ててぷりぷりと怒っていたが、臨戦態勢、というわけでもない。
「……おい、ガーディウム」
そして、姫は……呆れた顔で、目の前に片膝をつき、姫の片手を取る『それ』を、指差した。
「これをつまみだせ」
『それ』は、小洒落て少々気障な格好をしていた。人間用の黒いコートの中に深紅のシャツを身に着け、帽子を片手に持ち、その手には白い手袋。
……だが、その服の中身は人間ではない。
コートの袖口と手袋の間からちらりと除くのは、人間の腕ではなく、かといってパクスやガーディウムのような獣の腕でもなく、ソルのような翼でもなく……ただ透き通った、粘液。
「おお、麗しの姫君!つまみ出せ、など、そのようなことをどうか仰らないで頂きたい!どうか、片隅でもよいのです。貴女のお傍に置いていただきたい」
姫の前で朗々と語るその存在は、匂いもせず、気配も薄い魔物。
「スライム……?」
アレットが首を傾げると、それはくるりと振り向いた。
本来ならば顔が在るべき箇所にあるのは、透明な粘液。こぽり、と中で泡を立てている様子は、人間が見れば只々異形の怪物に見えるだろう。
「おお!これはこれは……何と美しいお嬢さんだ」
スライムは大仰に両腕を広げてアレットへ近づくと、少々たじろぐアレットの前へやってきて、舞台役者のような一礼をした。そして姫にそうしていたようにそっと傅くと、アレットの手を取って、その手の甲に口付けた。……否、それには目も耳も口もありはしないのだから、口付けたのか頬ずりしたのかもよく分からないが。
そして、只々戸惑うアレットに向けて、それは笑うように顔の中で泡を蠢かせた。
「お嬢さん、さては魔法がお得意ですね?私に誘惑の魔法を掛けておられるようだ。貴女の柘榴のような瞳から目が離せませんよ」
……アレットは、ソルを見る。『どうしようか』と。
するとソルは肩を竦めて『どうしようもねえ』と返事をしてきたのだった。
「や、やめ……ああ、どうしてこのようなことを!」
「大人しくしていろ。無為に体を失いたくなければな」
それから。
姫の『やれ』というただ一言において、ガーディウムが動いた。ガーディウムはあっという間にスライムへと襲い掛かり、それを地面へ引き倒し、首にあたる部分を押し潰すようにして捩じ切り……胴体と分けて、手の中でいつでも握り潰せるように持ち上げてしまった。
スライムというものは、基本的に物理的な攻撃に対して非常に強い。殴られてもうにょんと変形するだけで終わる。切断されてもくっついてしまえば元通り。毒の類にも動じないが、その代わり、炎や氷には人間よりも弱い。
……であるからして、ガーディウムの牽制も無意味といえば無意味であるように見える。だが、スライムは物理的な攻撃に対して、必ずしも無敵であるという訳でもない。
スライムは水と魔力と時間があれば体を取り戻すこともできるが、それが間に合わない速度でごく細かくすり潰されてしまえば、スライムはそれだけ体を失うことになる。そうして一定以下の大きさにまで減らされてしまったスライムは魔力を失い、自我を保てず……命をも失ってしまうのである。
つまり、今、ガーディウムがスライムの一部を握りしめているのは、トレントの太い枝を一本、いつでも折れるようにしている状態。或いは、鳥の風切り羽をいつでも引き抜けるようにしている状態。はたまた、人間の肝臓の3分の1ほどをいつでも切除できるようにしている状態。……そんなところなのだ。
「全く、魔物であれば妾の配下ということになろうが……変わった奴よのー。はー、やれやれ」
姫はなんとも呆れたようにスライムを眺めて、はあ、とため息を吐く。スライムのせいで一気に気疲れしたらしい。
「ええと、パクス。報告を」
そんな姫を見つつ、アレットはひとまず、パクスに尋ねる。アレットとガーディウムが外を見張っている間、パクスの悲鳴が聞こえてきていた。パクスに聞くのが一番早いだろうと思ったのである。
「あ、はい。とはいっても……こいつがそこからうにょうにょ、って出てきたんですよ。で、俺の上に!俺の上に、ぼと、べちょっ、て落ちてきて!びっくりしました!」
……そしてパクスは、丁度パクスが寝ていた場所の真上、岩石の割れ目を示した。
岩石の割れ目は、親指の関節一つ分程度の幅である。到底生物が通れるような幅ではない。だが……確かに、服を着ただけのスライムであるならば、通り抜けることもできるだろう。
「スライムかあ。気配も匂いも無かったから気づかなかったな。しかも、洞窟の中から来るなんて……」
「俺もです!こんなの来るなんて思ってませんでしたからびっくりしましたよ!本当に!」
パクスは毛を逆立たせてスライムに対して威嚇する。尤も、スライムはパクスをまるで見ていなかったが。
「麗しの姫君、どうかご慈悲を!私は何の罪もない、哀れなスライムです!ただ貴女のしもべとなってお傍に置いていただきたいだけの」
「妾は気障男は好かん。他を当たれ」
……謎のスライムは姫に声を掛けてはあしらわれている。ガーディウムもそろそろ我慢の限界なのか、眉間には深々と皺が寄り、スライムの一部を掴んだ手がぶるぶると震えている。
「……先輩はああいうの、好きですか?」
「うーん……苦手」
「わあ、よかったー!俺もなんか苦手です!全身の毛がこう、ぶわぶわー、てなりますよね!」
パクスとアレットもそんな結論を出して笑い合い……しかし、笑っている場合でもない。この謎のスライムはどうにかしなければならないだろう。
「おい、テメエ。目的は何だ」
ガーディウムの手に握られたスライムに向かって、ソルは剣呑に尋ねた。
「姫に危害を加えるつもりなら、殺す。俺達の邪魔をする気なら、殺す。人間に与する奴なら、殺す。さあ、マトモな答えを言ってみろ」
闇夜より暗い漆黒の瞳がぎろりとスライムを睨みつける。その鋭い目にスライムは少々怯えたように震えあがり、地面に倒れ伏したままの体の方で、ぶんぶん、と両手を振ってみせた。
「姫君に危害など、とんでもない!君達の邪魔をするつもりも無ければ、人間に利益を与えたいとも思っていないとも!」
「じゃあ何だ。何故俺達を襲った?」
ソルはスライムの手にあたる部分をその鉤爪の足で踏みつけながら、まるで警戒を緩めずにそう問う。……すると、ぬるり、とスライムはソルの足をすり抜けて這い出て、頭部の無い姿でソルの前に立った。
「やれやれ。少々誤解が生じているようだが……そもそも、私の住処に侵入してきたのは君達だ」
頭部が無くてもソルとそう変わらない体躯でそう言ったスライムは、コートの襟を正しながら、ちら、とアレットと姫を見て、ガーディウムの手の中の頭部に泡をこぽこぽと蠢かせる。
「ああ、無論、美しいお嬢さん方は大歓迎ですとも!……男は歓迎していないが」
「アレット先輩!なんか俺、腹立ってきました!殺していいですか!?」
「もうちょっと待ってからね」
「はい!もうちょっと待ってから殺します!……もういいですか!?」
「まだもうちょっと待ってね」
アレットはパクスをそっとスライムから引き離しつつ、洞窟の中を確認する。
……確かに、実に野営向きの洞窟ではあった。ここに魔物が住んでいる可能性を考えなかった訳ではないが、生き物の生活の痕跡は洞窟内には無かったため、岩の罅割れの向こう側にスライムの住居があるかもしれない、などとは思わなかった。
だが確かに、天井付近の罅割れを見てみれば、スライムの気配が微かにある。スライムという魔物が気配も匂いも限りなく薄い生き物であるにしても、もっと注意深ければ気づけたかもしれなかった。
「じゃあ、テメエの目的は何だ?住居の奪還か?出てけって言いてえならさっさとそう言え」
「いやいや。私もそう狭量ではないつもりだとも。歓迎していなかった相手であろうとも、同じく魔王様の魔力によって生きる魔物同士。一晩の宿を提供することはやぶさかではないさ」
ソルの問いかけに対し、スライムは両手を広げて少しおどけたように返す。
「じれってえな。さっさと結論から言え」
それに対して、ソルは少々焦れたらしい。焚火の中から太い枝を一本持ってくると、それをスライムに突きつけた。言わずもがな、スライムという魔物にとって火は大敵である。案の定、スライムはソルから半歩ほど後退り、今度こそはっきりと、目的を述べたのである。
「私も何か、姫君のお役に立ちたいと思ったまでさ!」
「……役に立ちたい、だと?」
姫が『何故そうなる』とでも言いたげな顔でスライムに目を向けると、スライムは如何にも真摯に、言葉を重ねていく。
「ええ。宿が必要ならいくらでも休んでいかれればいい。物資が必要なら蓄えを全て差し上げましょう。そしてもし、私の力が必要なら……是非、姫君の旅路にご一緒させていただきたい」
「要らん」
そして姫はその真摯な言葉をバッサリと切って捨てた。ソルがヒュウ、と口笛を吹いたが、アレットも正にそういった気分である。
だが、スライムはまだ食い下がる。
「まあ、そう仰らず。確かに私は他の魔物とは異なり、このようなみじめな体を持つスライムですが……この不定形の体故に、他の魔物では侵入できない隙間に入り込むことができます。例えば……」
スライムの手袋が、天井の岩の罅割れを示す。
「あの程度の隙間、石造りの建物であればどこかには必ず存在していると言っても過言ではない。それは姫君のいらっしゃった城であっても同じこと」
……そしてスライムはその手袋の指を一本立てて、人間であれば唇があるであろう位置に真っ直ぐ添え、言った。
「……人間の城に潜り込み、火薬に火を点けることだって、できるのです」




