西へ*2
朝。アレットは1人、開拓地へ向けて歩き始めた。夜通し真っ直ぐ歩けば、人間の足でも王都から開拓地までは辿り着く。不審なこともないだろう。
少々の緊張を覚えながらもアレットは開拓地へ入り、そして……人々が起き出して間もないそこで、そっと、集荷所の戸を叩いた。
「すみません!緊急事態です!皆さん、できるだけ集まってください!」
そう、声を掛けつつ。
「アレット、どうした!?」
すっかり顔馴染みとなっている人間達は、ぞろぞろと出てきては、疲れ切ったアレットの表情を見て何事かと驚く。
「王都が、魔物の、反乱で……今、荒れているんです。もしかしたらもう、落ちているかも」
そして途切れ途切れのアレットの言葉を聞いて、人間達は驚くのだ。……当然である。王都が魔物達の手によって荒れに荒れたという話は、今だここへは伝わっていない。伝える余裕も無いだろう。恐らく、伝わるのは今日の昼以降。昨日の内には王都の混乱を鎮静化させるので手一杯だっただろうから。
「それで、私達だけ、逃がしてもらって……王都の状態を、ここに伝えるように、って……」
「そ、そりゃ……ああ、アレット。お前だけでも無事でよかった!」
「ほら、入れ入れ。まさか歩いてきたのか?そりゃあ疲れただろう!」
そうしてアレットはするり、と集荷所の中へ入り込むことに成功する。……更に。
「王都からの連絡を皆さんにお伝えしたいので……できるだけ多くの方に、お集まり願えませんか?」
そんな要望を、出しつつ。
集荷所の中に人間達が集まってくる。そして、疲れた顔をしつつも気丈にそこに居るアレットを見て声を掛けたり、アレットに茶を出したりしていくのだ。
そうして人間達が十分に集まったところで、アレットは王都の惨状を話し始める。
到着しなかった義勇兵。盛られた毒。焼けた倉庫。……そして、暴れまわる魔物に、殺されていった人間達の様子。
アレットはそれらを、人間の義勇兵としての目線で思い出し、それでいてあくまでも俯瞰的に、客観的に語った。……ついでに少々の主観を交えて、人間の中に反逆者が居たとしか思えない、とも伝えてみる。混乱を招ければしめたもの。人間が人間に注意を向けて無駄な労力をかけてくれる分にはありがたいのだから。
……そして、事実、未だにあの時倉庫の火薬に火を点けたのが誰か、アレットは知らない。人間がやった、とも思えるが……。
そうして一通り、王都の様子を話した後、アレットを労わる人間達に、アレットは切り出す。
「ええと、それから、お願いがあって……食料と物資を少し、分けて頂きたいんです。私達5人分の」
「……は?」
アレットは、アレットを案ずる人間達に、そう、願い出た。
「5人?5人ってえと……」
「開拓地の外に4人、待ってます。私達、ここの次は南の町へ行かなきゃいけないんです。今、自由に動けて情報をちゃんと渡しに行ける兵士はそう多くないから」
アレットの言葉に、人間達は顔を見合わせる。
どう考えても、不審だろう。否、不審というよりは、『不可解』なのだろうが。
アレットが1人で逃げ延びてきたならまだしも、ここに姿を現さない者が4人居る、ということは、人間達にとってはあまりにも理解できない状況のはず。
「ただ、その……ええと、その人達、ここにはちょっと、入りづらいらしいので」
だがアレットは臆さない。気まずげにそう言って、頬を掻く。
「……前、ここから逃げ出した人達が居た、っていう話、してましたよね」
「ああ……ま、まさか」
「はい。あの人達と、中央の集荷所で行き会って。それで、中央で一緒に義勇兵として参加しました。それで、一緒に西門を守っていたんです」
アレットがそう言うと、人間達は驚きの表情を浮かべた。
逃げ出した元犯罪者達が、義勇兵として参戦したということに驚き、そんな『柄の悪い』連中とアレットが共に行動しているということにも驚いている。……だが、驚きこそすれ、疑いはしない。
「けれど、中央の方からもう、魔物の手が伸びてきて……生き残ったのは、私達だけでした」
アレットが疲れた表情でそう零せば、人間達は『大丈夫か』とアレットを案じ、顔を見合わせて困惑する。……人間達にとっては、魔物の姫の公開処刑が失敗に終わったという事実だけでも十分な困惑の材料となるのだろう。
「魔物相手にもっと戦う予定だったんですけれど……私達が守っていた西門が劣勢になってきたのを見て、兵士長様から直々に、西の開拓地へ向かって情報を流すように、と仰せつかりました。その命を受けて、生き残った私達だけでも、と……」
そう伝えて、アレットは、ぽつり、と呟く。
「……王都の皆は、無事でしょうか」
……それに答える人間は居ない。だが、それでいい。
答えが無いということは、疑いの声も糾弾も無いということなのだから。……アレットを包むのは、人間達の気遣いと気まずさ、そして温かな心だけなのだ。
「……ああ、そうだ。それから、これ。忘れちゃうところだった」
それからアレットは、暗くなった空気を振り払うように笑って、懐をまさぐる。
「……他の4人から、預かってきました。少ないけれど埋め合わせにしてくれ、ですって」
アレットは懐から皮袋を取り出し、そっと差し出した。……明け方に殺した人間達が所持していたものである。中身は貨幣だ。
人間3人が持っていた貨幣は集めればそれなりの額になった。その半分程を詰めた皮袋を、アレットはそっと差し出す。
「これ……」
「『他の4人』が義勇兵として働いて得たお給金の一部です。汚いお金じゃないですよ」
実際は何の関係もない人間の血で汚れた金なのだが、知らなければそんなことは分からない。アレットが少し申し訳なさそうに笑って貨幣の皮袋を差し出せば、人間達は顔を見合わせつつ、それを受け取った。
「私達、もう行かなきゃいけないんです。もうお会いできないかも」
「そんな……」
そして、人間達が貨幣を受け取ったのを確認して、アレットは早速、そう切り出す。
「南西の農地と南の町にも連絡に行くように言付かっているんです。もうそっちには南門を守っていた人達が到着しているかもしれないけれど……」
「そうか……おい、何が必要だ。必要なものがあれば持っていけ」
「ありがとうございます。ええと……野営用の毛布とか、防寒具の類があれば、それを5つお願いします。それから食料も、もし分けて頂けたら」
申し訳なさそうにそう申し出れば、人間達は早速、倉庫へ向かってそこで防寒具の類を探し始めた。食料も、アレット達5人がひとまず南西の農地に辿り着くまでの日数分、押し麦と干し肉、干した果物に素朴なパンなどを用意し始める。
『急な出立だったから、鞄が無いんですよ』とアレットが申し訳なさそうに言えば、それらは大きな背嚢に詰められたのだった。
恐らく鉱山用と思しき背嚢は、とにかく大きい。これだけ大きいなら他の荷物ともまとめられそうだ。そしてパクスかガーディウムが背負うことになりそうである。
……まあ、多分パクスだろうなあ、などと思いつつ、アレットは人間達に礼を言って荷作りを共に進めていくのであった。
そうして一刻ほどで、アレットの荷作りは終わった。ひとまずこれで、簡単な野営はできるようになっただろう。
「それにしても……犯罪者連中と一緒で、本当に大丈夫なのか、アレット」
「はい。皆さん、いい人達ですよ。それに、義勇兵として魔物達と戦った仲ですから。大丈夫です」
出発に先立ちアレットを案ずる人間達を安心させるようにそう言って、アレットは深々と、頭を下げた。
「本当にありがとうございます。皆さんもどうか、お気をつけて」
食料や蝋燭にランプ、燐寸に小さな鍋などが詰まった背嚢を背負い、防寒具や毛布の包みを抱え、アレットは人間達を気遣う言葉を投げかけた。
「ああ……なあ、アレット。本当に大丈夫か?俺達も付いていった方がいいんじゃないか?」
「いいえ。魔物が王都から溢れてこないとも限りませんから……戦える人間だけで行った方が、よさそうです」
人間が付いてきたらきたで食料にするだけだが、朝、たらふく食べたばかりである。今はいいかなあ、と考えたアレットは、人間の申し出をそっと断った。
「それでは皆さん、お元気で!本当にありがとう!」
アレットは手を振りながら、西の開拓地を後にした。アレットの見送りには多くの人間が集まり、1人1人、アレットとの別れを惜しんだ。
何せ、この時世であるから再会は保証できない。そう思ったのか、中には涙しながらアレットの手を握る者も居た。
アレットも存分に別れを惜しみつつ、しかし、待っている仲間と使命のために、と、急いで開拓地を出る。振り返り振り返り手を振って別れて……そして。
……どん、と、鉱山の方で爆音が響いた。
「わあ。……大丈夫かなあ」
のんびりとそう呟きつつ、アレットはソル達との集合場所へ向かって、のんびりと歩を進める。
眺める先、鉱山からは微かに喧噪の音が聞こえてきている。
アレットはくすくすと笑いつつ、鉱山で暴れているであろう者達の姿を想像して楽しむのだった。
……今、ソルとパクスとガーディウムが、揃って鉱山で暴れているはずである。