西へ*1
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第二章:希望と独善
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「目が覚めたら飯ができてる、っつうのは最高だな」
「それは何より」
アレットはこんがりと焼けた肉の串をソルに渡しながら、にっこりと微笑んだ。
「沢山食べてね。いっぱい獲れたから」
……アレットと姫が仕留めた人間、実に3人分。これだけあれば、大食らいのパクスとガーディウムが居ても十分すぎる程の食料になるだろう。
「いやあ、美味い!自ら狩ったものを食らうというのも中々乙なものよなあ!」
姫はからからと笑いながら、焼いた肉を食っていく。
肉の串焼き、という粗野な料理ではあったが、姫は実に上品に、美しい所作でそれを食べた。尤も、本人としては少々行儀の悪い食べ方をしているつもりであったのだが。
「ガーディウム。遠慮は要らんぞ。たんと食え。根こそぎではなかったものの、お主の魔力も借りて転移の魔法を使ったのだぞ。使った分は食って補充せよ」
「はっ。仰せのままに!」
「おーおー……腹は壊すなよ?」
そしてガーディウムは姫の『よく食う』という言葉通り、実によく食べていた。ガーディウムだけで人間丸1人分を食ってしまうのではないかというほどの勢いである。
「ま、パクスもよく食っとけ。この中じゃ、お前が一番飯食ってなかったんだからな」
「はい!ありがとうございます、隊長!」
そしてパクスもまた、実によく食べていた。焼けた端からどんどん肉を食っていく様子を見て、ソルはどことなく嬉しそうにしている。世話焼きな気質故に、だろう。
「本当に、しっかり食べておかなきゃね」
アレットも、はむ、と小さな口で懸命に肉に齧りつきながら、ふと、ぼやく。
「……次も運よく食料が来てくれるとは限らないし」
……アレットの言葉に、パクス以外の皆が一様に頷くのだった。
アレット達は本来の予定ならば、ソルとガーディウムの隠れ家に寄って、そこで食料や旅の荷物を拾ってから各地の神殿を目指すはずであった。
だが、予期せぬ勇者の襲来によって、アレット達は転移の魔法で飛ばざるを得なかった。当然、旅の支度など何もできていないのである。
これから、冬が来る。旅の支度も無しに野営を繰り返すのは、いくら環境に適応するのが得意な魔物の一団とはいえ、少々無謀だろう。
「これから俺達は、姫を連れて各地の神殿を巡ることになる」
ガーディウムが苦い表情で、今後の予定を話し始める。
「当然、一朝一夕に終わるような旅ではない。神殿はそれぞれ、人間の手も及ばぬような場所に位置しているからな。俺達にしても、辿り着くには少々骨が折れる」
「位置は?」
「城の東西南北に1つずつ。そして……どこかに隠された神殿があると聞いているが」
「ま、古い言い伝えしか分かっておらん。そもそも邪神様のお力を解放せねばならんようなことにはここ千年余り、なっておらんからな」
既に先行きが不透明である。アレットは一抹の不安を覚えたが……姫はそれほど心配していない様子で笑った。
「ま、力同士は引かれ合うものよ。先に東西南北の4つの神殿を巡れば、自然と残りの場所も分かるであろうて」
「そういうもんですかあ?俺、よく分かんないんですけど……」
「そういうものだ。ま、理解できずともよい。妾の護衛をするというお前の任務に変わりは無かろう?」
「それもそうですね!」
そしてパクスも『不安が消えた!』というような顔をし始めたので、アレットも心配するのは止めた。なるようになる。なるようにしかならない。どのみち、自分達がすべきことは目の前に山積みなのだ。崩していけるところから山を崩していけばいい。
「5つの神殿全てを巡った時、姫様は魔王として君臨なさる。そして……魔物は人間に勝利するのだ!」
「ま、それ以外に勝ち筋が見えねえよな。……本当に、姫様は最後の希望だ」
そう。まだ、希望はある。たった1つであろうが、まだ、希望があるのだ。
アレット達はその希望の灯を絶やさぬよう、守り育てていかなければならない。死んでいった魔物達のためにも。
「さて……となると、我らに今必要なものは、第一に物資、か」
やがて、姫は次の肉の串を取りながら、そう言って唸った。
「軽装であるからなあ。今後毎回寝床にありつけるとは到底思えん。なら野営のための寝具程度は欲しい。更に言えば、火種や水や……薬も武器も、何もかもが不足しておろう?」
アレット達は魔物である。その適応能力を以てして環境に適応することもまた、ある程度は可能であるが……限度がある。食料を摂らずにいれば当然弱る。眠らずにいれば精神がすり減る。そして武器も無しに戦うのは、少々無謀だ。
「……よし。じゃあ、物資の確認をしておくか」
そこで、ソルが声を上げた。まずは現状の把握が第一だろう。
……だが、第一に声を上げたソルは、両手を開いてひらひらと振って見せた。
「ま、当然、俺達は何も持ってねえ。武器だけだ。皆は?何か持ってるか?」
『何も持っていない』という言葉通り、ソルは自分の武器であるナイフ2本以外は何も持ち合わせていないようだった。身軽に戦わなければならない空飛ぶ者故に、軽装であるのは仕方がないが。
「うむ……俺は多少、持ち物があるが」
そこにガーディウムがそんなことを言いつつ軽く手を挙げる。
「傷薬と包帯。肉を捌くためのナイフ。毒花の花粉。干し肉がほんの少し。……この程度だな」
「お前……よくそんなもの持って戦ってたなぁ」
「大した荷物でもないからな」
どうやら、ガーディウムはベルトに通した小さな鞄に、それだけの荷物を上手く詰めて常に携帯していたらしい。地を駆る者の特権だなあ、と、アレットは感嘆のため息を吐く。
「ええと、私も荷物はほとんど無い。薬草で作った薬がちょっとと、武器のナイフ2本でしょう?あとは……えーと、銃の弾だけ持ってる」
「なんでそんなもん持ってんだ」
「支給されたから。まあ、折角だし、と思って」
人間達にこれを投げつけてやればよかったかなあ、と思いつつ、アレットはそっと、銃弾を皆の前に置いた。今の今まで所持していることすら忘れていたのだから仕方がないが。
「えーと、俺は……アレット先輩から頂いた傷薬があります!以上です!」
「俺よりは荷物持ちだな」
「はい!」
「スライムの背比べであろうが」
パクスは胸を張っているが、まあ、ほとんど何も無いようなものである。アレットが人間からせしめてパクスに預けた薬についても、既に相当な量を使ってしまっており、缶にはごく少量しか残っていない有様なのだ。
「……さて、では妾の番か」
だが、そこでレリンキュア姫はにんまりと笑うと……懐から、あれこれを取り出し始めた。
「まず、蝋燭。ロープ。インクの小瓶と紙切れ。ペン……は作り直すべきか。折れたな。ああ、この油紙の包みは塩の塊だ。当面は持つであろう。食事を運んでくる者に毎度毎度塩を寄越せ味が薄いと言っていたら、その都度持ってくるのが面倒になったらしい。塊で塩を寄越してきたのだ。……そして、ちゃちではあるがナイフもあるぞ」
「ナイフっ!?なんで姫様がそんなもの持ってるんですか!?」
「燭台で作った。……塔の牢に幽閉されておったものでな。窓辺に来た鳥から羽は手に入ったが、ペンにするには羽の軸を削るナイフが欲しかったのだ」
「それで、作った……と」
「うむ。存外、牢の中というのも悪くはなかったぞ」
姫はからからと笑って、懐から取り出した品々を前に胸を張った。
蝋燭やインクは人間からせしめたものだろう。どうやら、姫は自分の世話をする人間達を手玉にとりつつ、牢での生活を送っていたらしい。何とも豪胆なことだ、と、アレットは感嘆のため息を吐いた。
「……ま、野営続きの生活で使えそうなものはそう多くないが」
「まあ、でも、多少の物資はお肉が運んできてくれましたから。ほら」
続いてアレットは、人間が持っていた荷物を皆に見せる。
「こいつらが脱走者だったのも幸運だったね。結構色々持ってたんだ」
「おおー!これはいいですね!」
人間達が持っていた荷物は、中々のものだった。
密に織られた毛織の野営用毛布。干し肉や押し麦など多少の食料。武器ではなく道具としてのナイフ。人間達の貨幣がそれなりに。蝋燭に火を灯して使うランプと替えの蝋燭が1本。それに、男性ものばかりだが着替えが一式。
それらが丈夫な大きい鞄に詰め込まれていたのだ。中々にありがたい物資の数々である。
「旅用の外套は……私と姫とソルなら使えるかな。ガーディウムとパクスには小さすぎるか」
「どうせ3着しかないのだ。そちらで使え。俺には毛皮がある」
「俺にも毛皮があります!先輩達で使ってください!」
人間が着ていた厚手の外套は、風除けや日除けになり、寝具にもなるだろう。これから冬を迎えるにあたって、防寒具の類があるのはありがたい。
「ううーん、着替えも私達で着るしかないね。パクスとガーディウムには悪いけれど、大きさが合わない以上はしょうがないか」
「俺は構いませんよ!……でも、男物ですよ?先輩、いいんですか?」
「贅沢言ってられないよ。姫様には申し訳ないけれど……」
「構わんぞ。裸でいるよりは、男物であろうが服を着ていた方が利口であろう?」
着替えの類が手に入ったのもありがたかった。……いずれ、ガーディウムとパクスの分も着替えを手に入れたいところではあるが。
「……ま、当面は食料を調達しながら進むとしようか。しょうがねえな」
……そして、食料については仕方がない。どのみち、人間が所持している程度の食料で、パクスやガーディウムの胃を満たし切ることなどできるはずがないのだから。
「今日みたいに食料が物資を持って歩いていてくれるといいんだけれどな」
アレットはそうぼやく。……どのみち、アレット達が満足に食事をし、物資も手に入れようと思うなら、野外を歩いている人間を適当に襲うのが最も現実的な手段であろう。
「よし。ならば街道沿いに行けばよかろう。荷運びしている人間なり、脱走した人間なり、何かは見つかりそうなものだからな」
「姫。それはあまりに危険です。勇者達と遭遇する可能性もあります」
だが、人間を見つけに行くということは、人間に見つかりに行くことにもなる。
……今のアレット達では、勇者に勝てない。姫が魔王としての力を手に入れるまでは、何としても勇者に見つかるわけにはいかないのだ。
「だが、これから冬になるのだぞ?必要なものは食料だけではない。物資もまた、必要となろう。どのみちどこかで、人間の集落を襲うなりして物資を手に入れなければならん」
「だとしてもそれを今行うべきでは……」
どちらかをとればどちらかが立ち行かない。ならばせめて、均衡を取りながら。結局はそういう結論になるのだろうが、それがどうにも難しい。
……そして、何より。
「あのー、皆さん。話の腰を折るようで申し訳ないんですけれど……」
パクスがおずおずと、手を挙げた。議論していた姫とガーディウムもぴたりと議論を止め、パクスの方を見る。パクスは急に静まり返った一同に困惑しながらも……皆に、問う。
「ところで、ここって、どこなんですか?」
……パクスの問いかけに対して、誰も、答えられない。
転移の魔法で適当に飛んだ以上、ここがどこなのか、誰にも分からないのである。
ということで、ソルが空へと飛び立った。上空から地形を見て、大まかな位置を知るためである。
ソルはこういった状況の為、国中の地理を頭の中に叩き込んでいる。アレットもソル同様にできるよう努力してはいるが、これはどうにも、ソルの方が得意なようだった。
「うーん……辰砂菊が生えてるから、多分、西の方、かな。となるとあっちに見える山って、北の神殿の方の山?」
そしてアレットはというと、植物から土地を判断するのが得意である。どの植物がどこに生えるのかはソルも把握しているが、こちらについてはどちらかというとアレットの方が得意である。
「魔法の動き方から考えて、北の方に動いたように思うがな。まあ、西に逸れたとも考えられるか」
姫は自らが用いた魔法の具合から、ある程度の位置を実感しているらしかったが、それも確かではない。何せ、あの時は状況が状況だった。
「なんとなく西の開拓地の更に西っぽい気がします!なんとなく!」
……そしてパクスはそう元気に発言したが、根拠はない。根拠が無くとも元気に主張ができる。これがパクスの持ち味である。
「ちょっと先に人間の集落がある。俺は見たことがねえ集落だが……その先に鉱山らしい山があった。切り崩した痕跡がある山なんて、この辺りじゃ王都の西の山ぐらいしかねえんじゃねえか?」
やがて、周囲を見終えたソルは下りてくると、そう言った。
「ということはここ、西の開拓地の近くじゃないですか!やったー!やっぱりそうだった!」
……どうやら、パクスの根拠のない勘が概ね的中していたらしい。なんとなく釈然としないものを感じつつアレットはパクスをじとっと見つめてみたが、パクスは只々嬉しそうなばかりである。そんなパクスを見ていたら色々なことがどうでもよくなってきたので、アレットは話を戻した。
「じゃあ、結構王都に近いんだ。なら人間を襲っている暇は無い、かな」
「ああー、そうですね。俺と先輩が荷馬車を牽いて歩いて往復して半日ちょっと、っていうところですもんね。なら、もう人間がこっちにきてもおかしくない、んですね……」
消えたレリンキュア姫を探すため、人間達が捜索の手を伸ばしていたのなら。その追手が今、この辺りまで到達したとして何らおかしくないのだ。
「ならひとまず、王都から距離を取ることを優先するか……」
「俺もそうすべきだと思うぞ。何よりもまず、姫の御身が大切だ。そして、次なる神殿を目指すのならば、西にも1つ、神殿があったはず。そちらを次の目的地として据えるべきだろう」
次々に話が進んでいく。そうしている間にもソルは焚火を消し、ガーディウムは残っていた肉の串をとって一口に食べ終え、パクスは両手に肉の串を持ってにこにこと立ち上がった。
……だが。
「待って」
アレットは、皆を止める。
「……逆に、まだ開拓地に情報が来てないんだったら、まだ、開拓地で物資を手に入れられると思う」
アレットの言葉に、ガーディウムは訝しげな顔をし、ソルと姫は気づいたように頷く。そしてパクスは肉に夢中である。
「これから先、人間達の警戒は全面的に強くなっていくと思う。なら、これが物資を手に入れる最後の機会になるかもしれない」
話しながら緊張と高揚に高鳴る胸を押さえ、アレットは申し出た。
「私、また人間のふりをして開拓地に行くよ。それで、必要なものを手に入れてくる」
アレットが、人間に近い姿をしている理由。それは人間達に寝返る為ではない。……人間を欺き、魔物の仲間達を助ける為なのだ。