殺し見殺し皆殺し*7
魔物の戦士としての力を存分に発揮する時が来た。勇者相手では到底勝てないアレット達であるが、人間達を相手に戦う分にはまるで遜色がない。
アレットは空を駆け、人間目がけてナイフを繰り出す。喉を裂き、目を潰し、心臓を貫き。……手あたり次第。それでいて、正確。アレットの攻撃は無慈悲に人間の命を奪っていった。
……アレットがこのように暴れまわることができるのは、前方で舞うように戦っているソルのおかげでもある。ソルは銃を持った人間達を一手に引き受けていた。
ソルを狙った銃弾は、全て無駄になる。人間達はそれでもソルを狙わざるを得ない。何故なら、ソルを狙い続けることでしかソルに殺されるまでの時間を延ばす手段が無いからだ。
そしてパクスもよく働いた。空からやってくるアレットやソルとは異なり、人間と同じ高さから人間を襲うパクスの存在は人間にとって強い恐怖の対象となったらしい。
パクスの攻撃はアレットやソルのものより大ぶりで、無駄も多い。だが、必要以上に大きく開かれた咢が。必要以上に大きく振り回される爪が。……それらがより強く人間を怯ませることも確かなのである。
……勇者は未だ、姫の魔法によって封じられている。おかげでアレット達は存分に、人間達を殺すことができた。
市井の魔物達を襲っていた人間を殺し、勇者を閉じ込める氷を破壊しようとしていた人間を殺し、逃げようとしていた人間も殺す。
過去の鬱憤を晴らすように。そしてこの先の未来にかかる霧を少しでも払えるように。アレット達は懸命に戦った。
迫っていた人間の剣を紙一重で躱し、代わりに人間の首に蹴りを入れて脊髄を破壊してやったアレットは、ちら、と姫とガーディウムを振り返る。
姫は転移の魔法を使っているらしい。アレットには魔法の詳細が分からないが、本来ならば3分では準備が足りないような魔法なのだろうということは分かった。それをレリンキュア姫は、意地と矜持をかけて、『3分』で収めようとしている。
……姫の魔法は強力だ。勇者を封じたことからも分かる通り、アレットには到底できないことを、姫なら実現できる。改めて、姫を守る意義を思い知らされた。
そしてガーディウムは、姫に迫る人間を払っていた。
アレットやソル、パクスが逃した数名の人間達は、魔物の姫を生かしておいてはならぬとばかり、真っ直ぐ姫に向かっていったのだ。だがそこは『姫君の盾』ガーディウム。そんな人間共を姫に近づける訳がない。姫へ刃や銃口を向けた人間達は、あっという間に物言わぬ躯となって地面に崩れ落ちることになった。
流石は『姫君の盾』。魔物の中でも飛びぬけた能力を持つガーディウムは、その称号に恥じぬ戦いぶりで確かに姫を守っている。
……姫を守るために戦うその姿が、どこか生き生きとして見えた。
勇者が封じられているならば、人間達の攻撃から姫を守り続けることもそう難しくなかった。
より多くの銃がこの場に用意されていたならばまた状況は異なっただろうが、この場に居合わせた兵士達は数こそ多かれども、武装は粗末なものであったのだ。
……勇者がここに現れた意味も、兵士達の武装の意味も、アレット達には分からなかったが。だが、今はとにかく、ガーディウムと姫に従って動くしかない。
そうして戦い続けて……そろそろ、3分になる。
ふと見れば、ソルが撤退してきていた。アレットはそれを見て、パクスを呼びつつ姫の元へと向かう。追いかけてくる人間達は適当に足蹴にしつつ、アレットは姫のもとへ飛んで……。
飛ぼうとしたアレットを、ビシリ、と響いた音が立ち止まらせた。
それに次いで、ばらばらと、なにかが降り注ぐ音。
恐る恐る振り返ってみたが、見るまでもなかったかもしれない。勇者を封じていた氷が……割れ砕けていた。
残り数十秒で3分だ。だが、勇者は数十秒もあれば姫達へ十分に迫れるだろう。
そして勇者がこちらに到達した時……転移の魔法を行使している最中の姫は反撃に出られない。そもそも、勇者を姫に近づけてしまえば、転移の魔法に勇者も巻き込む可能性がある。勇者から逃れるための魔法に勇者を巻き込むわけにはいかない。
ならば、勇者に対抗できる手段は……。
……アレットはほんの1秒ほどの逡巡の後、勇者を見据えた。
アレットが為すべきことはただ1つ。自らの身を犠牲にしてでも、姫を守り抜き、逃がすことだ。
アレットは意を決して、氷の欠片の降り注ぐ中、こちらへと迫りくる勇者に向けて、地面を蹴って……。
「待て、アレット!」
だが、アレットの腕を、ソルが引く。振り返って見たソルの表情には様々な感情が入り乱れ……だが、強い決意がソルを保たせていた。
「……彼らに、任せるぞ」
……改めて勇者の方を見たアレットは、あまりに悲惨な光景を目の当たりにする。
戦う力を持たない魔物達が勇者へと向かって行く、そんな光景を。
本来アレット達が守るべき、弱い魔物達。彼らは当然、勇者に対抗し得る力など持ち合わせていない。つまり、彼らが勇者に向かっていくということは、即ち、死にに行くようなものである。
だがそれでも彼らが向かっていくのは……その身、その肉、その骨を、勇者を防ぐ防壁とするためであった。
勇者のもとへ向かっていった魔物達が、次々に殺されていく。勇者は先程まで氷の壁を破っていたからか、即座に魔法を使うことができないらしい。だが、その剣は確実に素早く、近づいてきた魔物達を殺していくのだ。
だが、魔物達は次々と勇者の下へ進んでいく。王都の街門から脱出してきた魔物達が、続々と、勇者の前へと。
その数に、勇者も手を焼いているらしかった。すぐさまアレット達や姫へ手を伸ばしたいだろうに、それを魔物達が許さない。魔物達は少しでも勇者を足止めしようと、必死に勇者に手を伸ばし、その爪で引っ掻き、その拳で殴り、体重をかけ……彼らは今、アレット達に守られることなく、逆に、アレット達を守っている。彼らの命を、次々と犠牲にしながら。
「ま、待てよ!おい、な、なんで……」
パクスの悲鳴のような声を聞いてそちらを見れば、パクスと同じ厩に繋がれていた魔物達が、勇者に向けて歩いていくのが見えた。
「これは俺達の仕事だ。お前は『先輩』とよろしくやってろ」
「戦える奴はまだ戦わなきゃならねえんだろ。お前はお前の仕事をすればいい」
すれ違いざまにパクスの背をばし、と叩きつつ、その魔物達は意を決したように勇者へと向かっていき……そして、勇者の前に立ちはだかる魔物達の中に紛れて、見えなくなった。
「……お、俺も」
「馬鹿!お前はこっちだ!あいつらの行動を無駄にする気か!」
彼らに続こうとしたパクスの首根っこが、ソルの鉤爪にがしりと掴まれる。そしてそのまま、吠えるパクスを引きずるようにしてソルは姫の下へと向かっていった。
……そしてアレットは、動けない。
「フローレン」
呆然と、アレットは呟く。
勇者へと向かっていく魔物達の中に、自分が守り、そうすることで心の支えとしてきた少女が居た。
牝鹿の脚は勇ましく地面を蹴って、勇者へと向かっていく。そうして、どんどんと魔物達が斬り殺されていく中へと。
「フローレン!」
「進め!姫様を逃がすの!私達の希望を、勇者に奪わせはしない!」
アレットの叫ぶ声は、届いているのかいないのか。フローレンはアレットを振り返ることも無く、魔物達を鼓舞し、勇者へと掴みかかっていく。
「どうせ殺されるんだもの!今ここで、姫様のために死んでやる!」
フローレンの手が、勇者の髪を掴んだ。髪を引かれるままに顔を仰向けさせた勇者の喉へ、魔物達の牙が迫る。
「行って、アレット!私達に……」
……そして勇者の剣が、勇者に迫った魔物達の首を刎ねていった。
自分自身の中で何かが崩れていくような、そんな気がした。そして崩壊は自分の外へ。足元から世界中へと広がっていく。そんな気さえ、した。
……だが、アレットは倒れない。アレットの中で、フローレンの声が、木霊するから。
『棺は必要ない』。
弔う時間も手間も、必要ない。心の一欠片すら、必要ない。
それら全ては……魔物達の、未来のために。
「……分かってる!」
自らの命より未来を願った彼女の強く美しい意思は、確かにアレットを支え、アレットを導いている。
アレットは勇者と魔物達に背を向け、飛び立った。
魔物達は魔物達の死骸を踏み、またも勇者へと襲い掛かっていく。そして皆、死んでいくのだろう。
だが……それが、無駄だったことにならないように。
今、アレットにできるのは、それだけであるから。
そしてアレット達が姫の下に集まった瞬間。
彼ら5人の姿がふっと掻き消えた。
転移の魔法がアレット達を運び、後には勇者と多くの死体が残るばかりであった。