終わる物語
世界から人間が消えていく。
歴史の中で恐らく初めて、魔物の国を出た魔物達。その侵略は留まるところを知らず、かつて人間が居た大地を我が物とし、次いで、東の国の人間達も滅ぼして、そこにも魔物が住み始める。
更に、その隣国にまで魔物の手は伸びて、アレットを先頭に、どんどんと人間のものだった土地へと魔物が流れ込んでいくのだ。
そうして全ての大地が、魔物達のものとなった。
*
最終章:ただいま
魔物達の生活は、随分と変わった。
まず、国土が三倍程度になった。
人間の国と東の国、それに東の国の隣国を合わせると、おおよそ、魔物の国2つ分となる。それら全てに魔物が住まい、そこにあった人間達の歴史を塗りつぶしながら、新たな歴史を築いていく。
4つの大陸はそれぞれに風土気候も異なるため、見合う暮らし方は異なる。少なくとも、元々の魔物の国より寒い地域は無く、その気温の問題だけでも、魔物は移住にあたって、その暮らしを大きく変える必要があった。
尤も、魔物達が力を合わせれば然程大きな問題でもなかった。その土地に合う作物の見立ては植物から生まれた魔物に任せれば間違いがなく、治水は水から生まれた魔物に任せれば恙なく行われる。
あらゆる環境から生まれ、あらゆる環境に生きることができる魔物達は、新たな土地を次々と、自分達のものにしていった。
……だが、そんな中でも、魔物達が何より大切にするものがある。
それは、他の魔物との協力。そして、自分達の内に宿る意志の確認。
人間達が滅びて久しい。だが、その脅威と、人間によって齎された悪夢を忘れてはならない。
歴史を繰り返してはいけないのだ。ここから先、この世界に人間の繁栄などあってはならない。そのためにも、魔物達は意志を一つにし、共に在ることが必要なのだ。大陸が分かれ、遠く隔たれた魔物同士でも、意志は同じくしていなければならないのだ。
最近生まれたばかりの魔物の中には、当然、人間を知らないものも居る。そんな魔物達にも人間の存在を伝えていく。
魔物達が意志を一つにしようと心がけていたのは、大陸ごとに分断され、大陸ごとに独自の生き物とならないため。
同じ魔物であっても、長い時と距離を隔てている内に、別の生き物になってしまうかもしれない。そして、別の生き物になってしまえば、きっとそこに争いが生まれる。人間と魔物がそうだったように。
……魔力の多寡にかかわらず、争いは幾らでも起こる。魔物達はそれをよく知っているのだ。
そして、それが如何に愚かなことかも知っている。だからこそ、皆が学び、賢明であろうとした。賢くないものはそれを自覚し、賢い者に判断を委ね、それに従った。
全ては、魔物の永遠の繁栄のため。悲劇を繰り返さぬため。
……魔物達は皆、悲しかったのだ。人間達に殺された同胞はもう、帰ってこない。それを忘れることはない。仲間達の眠る大地に、新たなものが築かれていっても。魔物達は、忘れない。決して。
そうして今日も、地を駆る者はそれぞれの大地を耕し、水を泳ぐ者はそれぞれの大地を繋ぎ、そして、空を飛ぶ者は細々とした調整を行い……そして、哨戒にあたっている。
海の外、空の彼方から来るかもしれない敵の存在を、警戒しなければならない。
魔物達は皆、この世界の仕組みを学んでいる。
魔力の多寡、その差が生じる為に勇者が生まれ、魔物を滅ぼそうとすること。人間という生き物は皆、そういう風にできているということ。そして、それに合わせて広がっていく世界のことも、どのようにして世界に新たな人間を生まないようにするかも、知っている。
だからこそ、海の果てに新たな大陸が生まれる可能性を、常に危惧していた。
……アレットも、危惧している。
アレットは大地を踏みしめ、ふ、と息を吐く。
幾度目かの冬の終わり。春の訪れ。……かつて人間を滅ぼしたのもこの季節だったな、と、アレットは笑う。
「長かったねえ」
金色の小鳥に話しかけると、小鳥は美しい声で囀った。すっかり聞き慣れた声にアレットは表情を緩ませて、海の彼方を眺める。
魔物達が世界中を覆い尽くした今、それでもアレットは、警戒を続けていた。次なる大地がまた、現れるのではないかと考えて。
そのために、この世界の魔力がある程度均一になるように、アレットは調整していた。アレット自身が蓄えた魔力を新たな大地に分け与えたり、魔物の国からの移住者を上手く割り振ったり。そうして全ての問題であろう、魔力の不均衡はかなり解消されたのだ。
「独りにも慣れちゃったな」
……この長い戦いの間、アレットは魔物達に囲まれていた。アレットを王と慕う魔物達は多く、また、アレットも彼らを導き、彼らに教え、これから先の未来を人間や世界の法則から守るための地盤を固めていく必要があったため。
だが……それでも、アレットと真の意味で共に在る者は、居なかった。否、アレットが誰かと共に在ることを自制していたためかもしれない。
「でも、やっと、約束を果たせるね」
何故、誰かと共に在ろうとしなかったのか、と言われれば、アレットと共に在るべき者達は皆、大地に還ったから。
そして、アレットもまた、そこへ還る必要があるからである。
それぞれの大地に魔力を分け与えても、どうしても、限界はあった。
アレットの中に眠る魔力は、どうしても、大きかったのだ。
どうにも処理できないそれを自覚した時、アレットは、悟った。
……魔力の不均衡の最後の一つは、魔王の存在そのものなのだ、と。
アレットは故郷の土を踏みしめた。
……何もない、大地だ。憎しみも怒りも無い、まっさらな、大地。人間が暴れていた痕跡は最早消え失せ、戦いの痕も徐々に消えていき……そこに再建されていく国の、なんと美しく、なんと暖かいことか。
アレットがずっと、齎したかったものだ。
長い長い復讐の果てに、ようやく、手に入れたものだ。
魔力を分配していき、新たに滅ぼした人間達から奪った魔力を足し……そうして調整していった結果、元々の魔物の国が、最も魔力の少ない場所となった。
そうなるように、アレットが調整していたのである。いつか、そこへ還りたいと、ずっとずっと、願っていたのだから。
……アレットを慕う魔物達も、それをなんとなく、理解していた。だから誰も何も言わず、アレットの好きなようにさせてやろう、と優しく、協力してくれたのである。アレットはそれを、心底ありがたく、嬉しく思う。
何度か季節が廻った魔物の国も、今、丁度春を迎えている。大地からは青々と草が芽吹いて、花がふわりと蕾をつけていた。
……アレットが昨年蒔いた種が芽吹いて、花をつけたのである。いつかソルと話していた通り、アレットは、魔王として働く傍らで、花から種を取り、その種をあちこちに蒔いていたのである。
「……花、咲きそうだね」
蕾を、つん、と指先で優しくつついて、アレットは笑う。金色の小鳥がアレットの肩ごしにそれを見下ろして、小さく囀った。
本当なら、これをソルと一緒に見たかった。一緒に旅をして、国中を巡って、そして、種を蒔いて……芽吹いては咲く花を見て、共に笑っていたかった。
花畑には当然、パクスが居るべきだった。元気に駆け回って、不器用な手つきで歪みの酷い花冠を作って、それを元気にアレットに贈ってくれたかもしれない。
ベラトールが居たなら、そんなパクスに花冠の作り方を教えてやっていただろう。彼女は案外器用だったし、面倒見も良かった。彼女が何かを望み、希望に満ちる姿を一度くらいは見たかった。
ヴィアは……どうだろうか。花の美しさを詩にしたためたりしていただろうか。ベラトールか姫かに花を贈って気取ってみせたりしたかもしれない。
ガーディウムは間違いなく、姫と共に居ただろう。静かに隣に控えて、そして、静かに喜びを感じて表情を僅かに緩めていたような気がする。
レリンキュア姫も、こんな花畑では穏やかな表情を浮かべているだろう。いつも鋭く研ぎ澄まされた刃物のような表情を見せていた姫も、花を愛で、ゆっくりと過ごすことがあっていい。
そして、フローレンも……きっと、穏やかに花を愛でて、太陽の光を浴びて、微笑んでいる。野草で茶を淹れているかもしれないし、持って来た素朴な焼き菓子のバスケットを広げているかもしれない。
……皆を想って、アレットは思う。ここまで進んでこられたのは、皆の意志を無駄にしたくなかったから。
そして、皆の意志を無駄にしたくなかったのは、彼らのことを愛していたからだ。
……愛する仲間達と別れ、独り、戦い続けることを、望んだわけではなかった。決して、アレットはそんなことは、望まなかった。
ただ、愛する者が死んだ後も、愛する者達が遺したものに縋って、ここまでやってきた。愛していたから。愛しているから。
それだけのことだった。
ずっと、寂しかった。
「……でも、やっと、あえるね」
魔物達に大地を与えた魔王アレットは、今、ようやく、故郷の大地に倒れ伏す。
約束を、ようやく、果たせる。
「頑張ったんだから、目いっぱい褒めてもらわなきゃ」
大地に還ったら、と、ずっと言ってきた。その『いつか』を心の支えにここまで来た。
……だから、アレットは大地に還る。ようやく、アレットは休むことができるのだ。
ソルの魔力の残滓、金色の小鳥を抱いて、目を閉じる。
ふ、と、アレットの髪を撫でる翼の感触があった。「お疲れ」と囁く懐かしい声も。
だが、それも風に溶け、大地に染み込み、消えていく。
そして、それきり、アレットは幸せな夢の中へと沈んでいった。
「ねえ、アレット、ちょっと屈んで?」
フローレンは、花畑の中に居た。柔らかな色の花が咲き誇る花畑は、かつて、アレットや城に勤める他の魔物達が遊びにやってきていた東の森の中。
「……アレット?」
困惑に動かずにいるアレットを、フローレンは不思議に思ったらしい。その手に編んだばかりの花冠を持ちながら、首を傾げる。
「……こう?」
アレットはそれに笑って、フローレンの言葉通り、屈む。するとフローレンが笑って、アレットの頭に花冠を被せた。ふわり、と甘く、花の香りがする。
「ふふ、やっぱり似合う。この色、アレットに似合うと思って編んだのよ」
「そっか。ありがとう」
微笑み返しながら、アレットはふと、顔を上げる。
……向こうに、皆の姿が見えた。
パクスが蝶を追いかけ回し、ソルに窘められ、ヴィアが何かを高らかに歌い、ベラトールに呆れられ、レリンキュア姫が呵々と笑い、ガーディウムが静かに微笑んでいる。
ああ、ただいま。
アレットは胸の内で呟いて、ようやく安息が訪れたことを知る。
「……ねえ、フローレン」
「何?」
そして幸福そうな笑みを浮かべたフローレンは、アレットを見つめる。その笑みに応えるようにアレットも笑って、やっと、あの時言えなかった言葉を、口にするのだ。
「ずっと、一緒に居てね」
ずっと、私もあなた達と一緒に死にたかった、と。
……だから、今、幸福だ、と。
あけましておめでとうございます。次回、最終回です。