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私達に棺は必要ない  作者: もちもち物質
第七章:裁き【arrêt du soleil】
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空の彼方*7

 こんなに長く飛ぶのは初めてだった。

 蝙蝠は、それほど長い距離を飛ぶわけではない。魔物の国の端から端へ移動するような、そんな大規模な移動はしないのだ。ましてや、飛ぶにしても、休みながら飛ぶものである。全く休む場所の無い、海と空しかない場所を、延々と飛んでいくなどあり得ない。

 ……それでもアレットは、そうした。東の海を越え、そこに在る新たな人間の国を見ながら、更に飛び……その果てへ。


 東の国は、確かに在った。アレットはそれを確認した。

 東の国の隣国だという国も、確かに在った。詳しくは見なかったが、やはり人間らしい生き物が活動している様子を遥か上空からちらりと確認した。

 そして、その先へ。海と空しか無い、大地の無い場所を、ひたすら、アレットは飛ぶ。

「魔王が墜落して溺死、なんて、洒落にならないよねえ」

 過酷な旅路であった。己を支えるものは、己の翼だけ。黒絹のようだとヴィアが褒めそやし、パクスが『かっこいい!』と大層気に入っていた翼は、大きく風を裂いて、何もない場所を突き進む原動力となる。

 ……力尽きたら、落ちるだけだ。そして落ちたら海の藻屑と消えることになる。引き際は見誤らないようにしつつ、限界まで進む。

 金色の小鳥は飛ぶ力を失って、アレットの懐で休んでいる。アレットは懐のぬくもりを支えにして、ひたすら、飛ぶ。


 そうして、人間の国から東の国まで進んだ時の、十倍にも及ぶ距離を飛んだ頃。

「そろそろ、限界、かな……」

 空と海しか無い場所で、アレットは、激しく渦巻く海流を見下ろし、呟いた。

 振り返っても最早、空と海しか見えない。ここから先にも、空と海しか見えない。ただ、海はあり得ないほどに激しく渦巻いて、泳いで進むことはおろか、船で進むことすら難しいように見える。

 そもそも、東の国を出てしばらくした頃から、海はずっとこの調子であった。激しく渦巻き、荒れ狂い……『今までは海流の都合で人間の国を発見できなかった』と東の国の人間が話していたことも、納得がいく。

「まるで、何も無いのを隠してるみたい」

 随分と都合よく作られている世界を目の当たりにして、アレットは言い知れぬ不安のようなものを感じた。

 ……だが、そろそろ翼を動かすのも限界である。アレットはそっと、元来た方へ引き返し、飛んでいくことにした。




 少々引き際を見誤ったのか、アレットは東の国に差し掛かったあたりで限界を迎えた。

 休憩、休憩、と、慌てて東の国に降り立って、アレットはそこで翼を休める。久しぶりに大地を踏んで翼を背中へ折り畳めば、思わず安堵の息が漏れる。

 人間に見つからないようにしなきゃなあ、と思いつつ……しかし、ふと、思い出す。

「……東の国の人間って、魔力の偏りが分かるんだっけ?」

 魔力が異様に多かったり、或いは、異様に少なかったりすると、この国の人間にはそれが分かるのだという。

 ならば、アレットが今ここに居ることも、東の国の人間達にはもう分かっていることなのかもしれない。

「あんまり長くは休めなさそうだなあ。はあ……」

 できることならこのまま眠ってしまいたいくらいだったのだが、それは叶わないだろう。アレットはため息を深々と吐きつつ、人間が来るまでの少しの間だけでも、羽を休めることにした。


 結局、30分もしない内に人間達がやってきた。近隣の町か村かに居たらしい巫女が、戦士を引き連れてやってきたのである。

 仕方なく、アレットは飛び立ち、人間の国の方へと飛び去ることにした。侵攻してしまうのは矜持に反する。攻め込んできたなら応戦するが、手を出される前に手を出すのは、魔物として許しがたい。

 疲れ切った羽を動かして、なんとか人間の国まで帰りつくと、アレットは改めてそこで休むことにする。

「ああ、疲れた!」

 もう今日は動かないからね、と誰にともなく宣言して、アレットは崩れた王城の一室……かつて客間であったそこの梁からぶら下がって休む。

 ぷらん、とぶら下がってしまうと、心が落ち着き、体が休まる。やはり蝙蝠はこうでなくては、とアレットは満足して、そのまま目を閉じ、暫し眠った。




 ……夢の中でも、アレットは空と海しかない場所を飛んでいた。

『ああ、これ、夢だな』と分かる夢である。意識は妙にはっきりとして、しかし、体は現実感の無いふわふわとした調子に動く。少々軽やかに過ぎる体を夢の中で動かせば、一つの羽ばたきでぐんぐんと進んだ。

 そうして、現実にはあり得ない速度で進んでいくアレットは……何も見つけられない。

 どんなに進んでも、空と海があるだけ。あまりに代わり映えの無い景色を見ていると、進んでいるのに進んでいないような、そんな気分にさせられる。

 どこまで行っても、空と海。彼方まで全て青く青いだけの景色を前に、アレットは……己の無力感を、ぼんやりと、感じていた。


 根本から全てを解決したいと、思っていた。

 魔物が虐げられることの無い未来が欲しくて、人間を滅ぼした。

 だが、新たな国が現れ、今、そこの人間達が、こちらへ攻め入ろうとしている。これでは同じことの繰り返しになるだろう。

 ……そう。同じことの繰り返しになる。

 恐らく、アレットが東の国を滅ぼし、その隣国までもを滅ぼした時……また新たな国が、世界に生まれるのだろう。

『元々そこにあったもの』として。




 ……東の国がずっとそこに在ったということを、アレットは信じていない。

 自分達が見つけていなかっただけだとしても、それにしても人間の国とも一切交流が無かった国が、そこに存在していた、などとは思えない。

 魔物は、寒い山の中に住むか、比較的暖かい草原に住むかで姿が変わる。パクスのような犬の魔物は、寒い地域に住めば毛が長くよりフワフワになりがちで、温かい場所ではさらりと短い毛が生え揃うことが多い。ウサギの魔物であれば、寒い地域では耳が小さくなる傾向にあり、他にも、毛の色が雪のように白くなるものも多い。

 そうやって、生き物は、住む場所によって姿を変える。魔物達は、それを知っている。

 だが、あの人間達はどうだろう。東の国は人間の国と異なる環境であることは間違いない。何せ、衣類が少々異なっていた。着ているものが違うのだから、素材が採れる採れないといった理由や、そもそも快適な温度などが異なるはず。当然、他の環境も異なるのだろう。築き上げてきた文化も、異なるはずだ。

 ……だが、今まで本当に交流が無かったのなら、互いの暮らしや文化を真似ることも、無かったはずなのに、滅びた人間の国の人間達も、東の国の人間達も、姿形はほとんど同じなのだ。船の中を見る限り、生活用品の類も然程違いがあるように見えなかった。

 根付く文化が異なり、環境も異なっているのに。そして何より、元が同じだったとしても、魔物の記憶にすら残らない程長く長く、断絶していたというのに。それだというのに姿はほとんど同じであり、言葉も同じである。文字も、簡略化されたり複雑化したりしてよさそうなものを、まるで変化が無い。

 どう考えても、おかしい。


 戯れに、ソルと話したことがある。『魔物が特に誰にも教えられなくてもある程度の意思を持ち、生きていけるのは何故か』と。

 魔物は人間のように、親から生まれるものではない。魔力から生まれるものなのだ。それ故に、孤独にぽつん、と生まれて孤独に育つ魔物も居る。

 だが、そうした魔物達も、育つ。餌をとる方法を知らずとも餌を取り、眠る場所を知らずとも寝床を用意し……そして、もし、孤独に生まれた魔物が別の魔物と出会ったとしても、初めての邂逅に、然程戸惑わない。アレットもソルも、そうだった。『ああ、仲間だ』とすぐ理解する。何故なら皆、魔物だから。

 ……そうした意思、或いは知識を持った状態で、魔物は生まれてくる。それについてソルは『魔物ってのは1つの生き物で、俺とお前も毛の一本ずつか羽の一枚ずつか、そういったところなんじゃねえのか』と笑って言っていた。

 アレットはそれに『それもアリだなあ』などと思ったものだが……もしかすると、本当に、そうかもしれないのだ。

 魔物だけではなく、この世界全体が。1つの『世界』という生き物であり……そこに、魔物や人間や魔力を、均衡がとれるように生み出しているだけなのかもしれない。




 そうして考え、考え、考えて……幾度目かの夜、アレットは目を覚ます。

 梁からふわりと床に降りると、大きく伸びをして、窓から外を眺める。星空に月が浮かんで、何とも美しい眺めだ。

「……皆だったら、何て言うかなあ」

 この状態だと、誰かに相談することもできない。アレットには国一つ分の魔力があり、あらゆることを成すことができるというのに、その判断をたった1人で下さねばならない、というのはあまりにも負担だった。

「まず、パクスは簡単だ。『何のことですか!?』って言って混乱してる」

 1つ1つ、想像してみる。パクスについては想像が簡単だ。『俺、馬鹿だから分かりません!』と元気に宣言して理解を諦める。間違いない。……人間の国が東に突然『増えた』状況だって、パクスにはよく理解できないに違いない。だからこそ、パクスはいい奴なのだ。

「ベラトールは、気に食わない、って言いそうだなあ」

 それから、ベラトール。……彼女は、『この世界が何者かの意思で動かされている』ような状況を厭うのではないだろうか。

 人間を滅ぼして滅ぼして滅ぼして……その先を、見ようとするのかもしれない。

「フローレンは多分、現状維持を提案する」

 優しいフローレンは、きっと、この状況を受け入れる。東の国の人間が魔物の国へ攻め入ってくるまでは、何もしないことを提案するだろう。

 こちらから手を出すことはしない。きっと、フローレンなら。

「姫様は……うーん、どうするだろう。この状況の解明のためにもうちょっと実験するかも」

 レリンキュア姫は、もしかするとこの状況をアレットよりもっと深く理解できるのかもしれない。そして、その理解を確かめる為に東の国を滅ぼしたり、人間の国の大地を沈めたりするのかもしれない。

「ガーディウムは姫に従うだろうけれど……あんまり派手なことはしたくないだろうなあ。取り返しのつかないことを恐れるだろうし」

 ガーディウムはきっと、慎重に動きたがる。この状況を確認するにしても、書物や記録から何かを読み取れないか、もっと細かく調べるだろう。

 アレットの探し方では取りこぼしている情報も、あるのかもしれない。ガーディウムが居ればそれらも回収できたのかもしれないが。

「ヴィアは……う、うーん、駄目だ、想像がつかない……絶対に突飛なことを言ってくる……」

 ヴィアはきっと斬新なことを言ってくるのだろう。ただし、アレットはヴィアではないのでその斬新な発言にまるで想像が及ばないが。……だが、少々実現が難しいそれをレリンキュア姫や他の皆につつかれたり窘められたりするのかもしれない、と思うと、笑みが零れる。

「……ソルは、何て言うかな」

 ソルはきっと、先に喋らない。アレットがアレットの意見を言ってから、考える。

 ……だから、アレットは先に、自分の意見を、考えなければならない。


 アレットは1人で居るのが、あまり好きではない。元々、魔物達からは『蝙蝠である』という理由で少々煙たがられていたアレットだ。ようやく王都警備隊という居場所を見つけて1人ではなくなり、『ああ、私、1人で居るより、皆と一緒に居たかったんだな』と気づき……それから人間の侵攻とアレット達の旅とを経て、また1人になってしまった。

 皆と共に居ることを知らなければ、今、然程苦しくなかったのかもしれない。他者の温もりを知ってから孤独に陥るということは、温かな部屋から冷たい雪風の中へ出ていくと、余計に辛いのと同種のものなのかもしれない。

 ……だが、知らなければよかった、などとは、思えないのだ。

「……うん。そうだね。何も、無駄じゃなかった」

 アレットにとって、皆と居た日々は、かけがえのないものだ。

 知らなければよかった、などと思ってはいけない。1人残されることがあっても、大切な過去を裏切ることはしたくない。

「この世界がこうなのも、皆が死んだのも、私が生き残ってしまったのも、無駄だったことにしたくない。何も、間違ってなんて、なかった」

 皆で進んできたこの道を、間違っていたことにしたくない。ここまで来た以上、突き進むまでだ。

「人間の国が滅びたのには、意味があった」

 ……ソルとパクスが徹底して、魔力を奪った大地。この大地に人間も魔力も無くなったために、『世界』が新たな国を生み出して均衡を取ろうとしたというのならば。

 生み出したまっさらな大地に、意味を、求めるならば。

 ……そこに、種を蒔こうと思う。


「……全て、新しい大地にしよう。魔物達の、ための。魔物達のため、だけの」

 アレットの横で、金色の小鳥が美しく囀る。まるで、ソルが『いいんじゃねえの』と笑うようで、嬉しかった。

 そして決意したアレットの目には、窓の外……海の向こうから、やってくる幾多の船が、見え始めた。

「さあ、私達の世界に手を出そうとするような、愚かな人間は皆殺しにしなきゃね」

 アレットはもう、迷わない。世界の仕組みがどうであろうと。そこに求めるものは、魔物達の安寧。そして、突き進んできた道の、正しさ。

「正しいのは、私達だ」

 そして、未来。


 アレットは窓から飛び出し、東から来る船団へと向かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] いや、本当に凄い。 現在一人きりの状況で、ここまで……ひよっこ人間の私とは、やはり経験値が違いすぎる、のだろうか。 経験値のせいにしたら、甘いと言われるだろうか。 むうー、私も頑張ります………
[良い点] 世界がどこから始まったのか、とか考え出すと、もしかしたら読者だけはわかるかもしれませんね 残酷すぎますが…… ここまで来ると正しく、命とはなんなのかという段階ですねえ やってることは腸内の…
[良い点] おっと、ついにアレットが旧人間大陸にいる間でも人間が攻めてくる様になりましたか…。 土壇場の勇者化といい世界の拡張といい、一貫性のある自然法則ではなく、やはり何らかの意志を感じますねぇ。 …
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