空の彼方*6
魔力が偏る状態があると、東の人間にはそれが分かるという。
恐らく、今回の『偏り』とやらについては、人間の国から勇者が消え、そして人間の国にあった魔力を全てソルとパクスが回収し、それをアレットがすべて受け継ぎ……そして、アレットが魔物の国に帰ったことによって生まれたものだろう。
そう。アレットが魔物の国へ帰ると、人間が来る。そういうことなのだ。
言ってしまえば、アレットは今、人間の国丸ごと一つ分の魔力をこの身一つに収めている状態だ。アレット一人が移動するだけで魔力の偏りが生じる、というのは十分に納得のいく話だ。
何せ、今、この人間の国には本当に何も無い。
土地に染みこんだ魔力もほぼ消え失せ、聖堂に貯められた魔力も吸収しつくされた。そして勇者は見事に全滅して、そうして、勇者以外の人間すら、誰も居なくなった。
……ここまで何もない土地が、未だかつて、在っただろうか。
尤も、アレットも他の魔物達も、そしておそらく、この国にかつて生きていた人間達も、東の海を越えた先に他の人間が居るなどと、思ったことは無かっただろう。それほどまでに、今まで全く、交流は無かった、はずだ。
少なくともアレットが人間に混じって生活する中で、東の海の先に人間の国がまた別に在るなどとは聞いたことが無かった。人間達が東の国の存在を知っていたなら、一度くらいは話に出てもよかったように思うが。
……まるで、唐突に、国が一つ生まれたようにすら感じられる。
「こんなことは初めてだよ」
アレットはため息を吐いて、空を見上げる。
何もない空である。雲一つなく、昼間故に星も見えない。ただ、青い。何をどうすれば物事が解決するのか、手掛かりも得られず途方に暮れているアレットの気分に相応しいような、そんな空であった。
「ええと、魔物の国と、人間の国、それに、新しく、東の国……」
アレットは地面に木の枝で図を描きながら、考えをまとめることにする。
「……東の国の他にも、人間が住む国があるのかな」
まず、これ以上の可能性について、考える。……これについては、東の国の人間に尋ねるのが最も手っ取り早いだろう。また一度魔物の国へ戻り、東の国の人間をおびき寄せてから殺すついでに聞き出してもいいかもしれない。
「東の国の人間も空っぽにしたら、どうなるんだろ……」
続けてそう、少し考えて……アレットは、頭を振って考えを取りやめた。どうにも、『新たな人間がやってくる』ような気がしてならないのだ。
……人間の国のことは未だによく分からない。だが、今までとは事情が異なる。下手に動けば取り返しのつかないことになりかねない。既に人間の国の人間達を絶滅させてしまっているが、それによってどうしようもないことが起きていないとも限らないのだ。まずは、情報が欲しい。
「ひとまず、私がこの国に居ないと人間が来る、っていうことだけは確かめておこうかな……」
そうしてアレットは、現状の地盤を固めることから始めることにした。
魔物の国へ戻って二週間ほど。
復興を手伝ってあれこれ働いた後に再び人間の国へ戻ってみると、案の定、人間達がやってきていた。
アレットは嬉々としてそれに襲い掛かり、夕飯の肉を調達し……それから、幾らかの質問をする。
『この国と交流はあったか』と尋ねれば、『今までは海流が激しく、交流はおろか、発見すらできていなかった大地だ』という答えが得られ、『ここの他に国はあるか』と問えば、『一つ知っているが、そこは栄華が少々少ない』という答えが得られた。
アレットは得た情報について考えつつ質問していた人間を殺し、続いて、人間達が乗ってきた船を調べてみることにする。
……そこには、地図があった。海に島が2つあり、その内の片方が、この人間達の国であるらしい。もう片方がどのように扱われているかは分からないが、ひとまず、東の人間達にとっては長らく、世界とはこの2つの国だけのことだったのだろう。
「急に、世界が広がった、っていうかんじなのかな……」
東の国の人間達は、巫女の伝える声に従って、今まで渡ることのできなかった海域を越えてきた。そうでもなければ、ここに国があるなどとは分からなかったのだろう。
……そう。あまりにも、上手くいきすぎている。
「急に海流が変わって、急に国が、見つかった……急に、国が、増えた……」
アレットは呟きながら、尚も船の中を漁る。東の国のものであろう衣類や食料が見つかるが、それらはひとまず置いておく。
アレットが探しているのは、ただ1つ……東の国の歴史書である。
都合よく船に歴史書などが積み込まれているはずもなく、アレットの捜索は徒労に終わった。
しかし、丁度、船に乗っていた誰かの持ち物であろう日記帳だけは見つかったので、それを確認してみる。
……日記の中を、アレットは読むことができた。言い回しは少々異なるが、概ね、人間達の共通の言語である。そして、日記の最初のページを確認すると……どうも、アレットが人間の国を本当に滅ぼしたあの日のあたりから、日記が始まっているらしいということが分かる。
日記の冒頭は、『今まで使っていた日記帳のページが無くなったので、次の一冊に移ることにした』というような内容であった。この内容通りなら、特に何も不審な点は無い。
だが……。
「……引っかかる、なあ」
アレットにはどうも、日記の日付が気にかかる。
『偶々』アレット達が人間のなれの果てを殺した日に、『偶々』この人間の日記帳は始まりの一ページを刻むことになった。別に、おかしなことではない。そんな偶然、探せば幾らでもあるだろう。
だが、それでもアレットには、何かが引っかかるのだ。
その後も船の中を探ったが、大した資料は見つからなかった。幸いにして、それでいて不思議なことに、使われている言語自体は、どの人間の国でも同じらしい。アレットも東の国の記録などを読むのに然程苦労せずに済んだ。
……今まで国交が無かった国同士で言語が同じである、という点にもアレットは引っかかったが。
そうして船の中を見終わったアレットは、眠り、起きて、人間達の肉を食べ、また眠り……そうして、気分を切り替えた。
何も見つからないというのなら、探さねばならない。手掛かりが無いなら、初めからもう一度、辿ればいい。
アレットは再び、王城へと向かった。ソルと共に人間のなれの果てと戦った玉座の間へと、進む。
「……懐かしいような気分だなあ」
意識して言葉を口にしながら入り込んだ玉座の間は、あの時のそのままになっていた。それもそうである。荒らす者も最早、この国には居ない。
ぼろぼろになった玉座。罅割れた大理石の床。その上で、すっかり残骸となった王冠。
……死体はどこにもない。ソルのものはアレットが全て食らってしまったし、人間のなれの果ては、倒した後、消えてしまった。血痕一つ残っていない玉座の間は、どうにも、ここで戦いがあったようには思えない程である。
だが、ここは確かに戦場であった。
ここで戦い、ここで独りになった。
……ソルを思い出して、アレットは『懐かしい』どころではない気分になる。まだ『懐かしい』と割り切れない思いが、アレットの中に渦巻いているのだ。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。
「あの時、確かに、介入があったと思うのだけれどなあ……」
思い出す。
天から降り注ぐ魔力が、人間達のなれの果てを、復活させた。
一度滅びた人間を、もう一度、蘇らせたのだ。
「……そもそも、どうして勇者が生まれるんだろう」
アレット達は今まで、勇者が生まれる経緯を、『周囲の魔力を得て勇者になる』のだと思っていた。だからこそ、ソルとパクスは人間の国中を巡って魔力を回収し、今後勇者が生まれないようにしたのだ。
……だが。もし、人間の言う通り、本当に『神が勇者を選ぶ』のだとしたら。
人間のなれの果てに力が降り注いだ時のように、魔力が天から、唐突に、何の脈絡もなく、降り注ぐのだとしたら。
無論、神が意思を持っているかは別である。意思も意図も無く、ただの現象として……ただ、魔力が特定の人間に降り注ぐように、できているのだとしたら。
何故、天は人間に味方するのか、と思ったが……その理由が、もし、『魔力の偏りをなくすため』であったなら。
世界が、そのようにできているのだ、というのなら。
「……辻褄が合っちゃうのが、嫌だなあ」
アレットはぼんやりと、空を見上げる。
ここ最近、空を見上げることが多くなった。そこにソルが飛んでいる訳でもないのに、アレットは何とは無しに、空を見上げる。
大地を見つめる覚悟がまだできていないということなのか、それとも、そこに敵がいると思うからなのか。アレット自身にも、よく分からなかったが。
「確認する方法は……無い、よなあ。うーん、でも……」
アレットが空を見上げて立ち上がると、金色の小鳥が荷物袋から飛び出して、囀りながらアレットの肩に留まった。まるで、アレットを勇気づけるかのように。
「……でも、やれることは、やらなきゃね。皆に、ソルに、顔向けできないもん」
アレットは、託されたのだ。全てを。ならば、アレットの全てを以てして、託されたものを全うするしかない。
アレットは飛び立つ。空へ。空へ。空の彼方、海の向こう、そして……。
……東の国と、その隣にあるという国。更にそれらを超えた先に、『何も無い』ことを、確かめるために。