空の彼方*5
「うう、もしかして、もう来てくれないのかなあ……」
アレットは一人、焚火の前でしょんぼりと肩を落としている。金色の小鳥がアレットを慰めるように肩に留まって囀っているが、音といえばその囀りと薪の爆ぜる音、そしてアレットのため息とぼやきくらいのものである。
「来ないなら来ないでいいんだけど。でも、もう二度と来ないでくれるとも限らないしなあ……」
もう、海の外から人間が攻めてくるようなことが無ければそれでいいのだ。だが、恐らく、そうではない。何かの拍子に人間達はきっと、滅びたこの国を侵略し、そして、魔物の国を狙うだろう。歴史をそのまま繰り返すように。
「……東の海とやらを、越えてみるべきかなあ。いや、でも、魔物側から侵略するのも、後々に禍根を残しそうだし。今までの歴史でも、魔物が先に手を出したことは無いし、そこは守りたいしなあ……」
そしてアレットは悩みつつ、焚火に掛けた鍋の中、スープの味を見る。塩漬けにして保存した人間の肉が良い出汁を生んで、中々美味かった。
「もう少し、待ってみようかなあ。うーん……」
待つにしても、これ以上は本当にただ、待つだけになる。というのも、アレットは今日、王城にあった目ぼしい書物を全て読み終えたところだからである。
王城には案の定、勇者に関する記録が多く残されていた。過去の勇者達がどのような能力を持っていて、そして、どのようにして『惜しくも悪しき魔王に敗れた』のか。それらがよく分かった。
だが、それくらいである。精々、『勇者とは神に選ばれた者である』『強く神聖な力を持つ』『魔力を持つ勇者は魔物とは異なり、神の祝福を得ている』など、よく聞く話が見られたくらいなものであった。後は精々、歴代の勇者が王家に謀殺されてきた歴史が少々、垣間見えた程度か。
……人間の国での収穫は、碌に無い。となれば、東の国を越えてきたというあの人間達がまたやってくるのを待ちたいところだが。
「食料もそろそろなくなっちゃうしなあ。あ、美味しい」
スープを飲み始めつつ、アレットはため息を吐く。……殺した人間の肉は全て捌いて塩漬けにしたり干したりして保存して、後は野草を採取したり人間の町に残された保存食を漁ったりして生活しているが、今食べているのが、最後の人間の肉である。
食べているスープからは魔力が少々感じられる。『巫女』と呼ばれていた人間の肉なのかもしれない。となると、東の海を越えた国では、魔力持ちの人間が排斥されず、重用されている、ということだろうか。
……まとまりのない思考を重ねて、アレットはスープを食べ終わる頃、決めた。
やっぱり一度、魔物の国へ帰ろう、と。
その夜、アレットは魔物の国へと帰った。一月ほど離れていた魔物の国の空気が懐かしい。
そのまま夜通し空を飛び、アレットは王都へと戻る。……ひとまず、東の海の向こうの人間の存在を、多くの魔物が知っていた方がいい。今後、魔物達の脅威となるかもしれない存在である。下手にアレットだけが情報を持ったまま死ぬようなことがあってはいけないのだ。
アレットは王都に到着してすぐ、顔を知っている魔物を見つけては、東の海の向こうから来たという人間達の話をした。人間を滅ぼした後にやってきた人間の話は、多くの魔物達にとって脅威として認識される。
ソルとアレットが滅ぼした人間達は、銃を持っていた。更に、空気に溶ける毒などの兵器も開発していたらしい。東の海の人間達がその類を所有していないとも限らない。警戒するに越したことは無いだろう。
それからアレットは、アレットがまとめた人間の国での調べ物の成果を王城の文官達に提出した。こんなものがあったよ、と、数冊の本と共にメモを渡せば、文官達は大いに喜んだ。彼らは今、丁度、歴史の編纂を行っているところだが、人間の国の事情がよく分からず、困っていたところだったという。
文官達を助けるために、アレットはそのまま2、3日王城に滞在し、人間や人間の国、そして勇者や兵器のあれこれについて解説する役目を担った。人間に混じって生きていたアレットのような魔物は貴重である。アレットの説明は、文官達にとってみれば非常にありがたかったらしく、アレットは大層感謝された。
……そうしてアレットは王城で働き、城下の復興を少々手伝い、食料を調達して……魔物の国に二週間ほど滞在した後、人間の国の様子をまた見に行くことにしたのだった。
そうしてアレットは夜、人間の国へと到着した。のだが……。
「ええー……居るよ」
嬉しいのか、嫌なのか、自分でもよく分からない気持ちのままにアレットは呟く。
……東の海を越えてきたと思しき人間達が、人間の国の海岸近くで野営していたのである。
アレットはそのまま目を凝らして、人間達の様子を見る。……服の意匠などを見る限り、やはり、前回見た人間達と同じようなものであるように見える。東の海の向こうの人間で間違いないだろう。
海岸近くには、船らしきものが泊められている。二艘あるところを見ると、前回アレットが殺した人間達が乗ってきた船が、あの内の一艘なのかもしれない。
「……さて、と」
アレットはそのまま耳を澄まして、集中する。そうすれば、穏やかな夜風が流れるだけの静かな夜、談笑する人間達の会話を盗み聞くことなど、造作もないのだ。
「先に来たはずの皆はどうしたんだろうな。巫女様、奴らの『栄華』は感じられますか?」
「いえ……少なくとも、昨日、船の上で感じ取った時には、何も……この土地には、栄華がまるきり無い状態でした。半月前と同じです」
戦士らしい人間と、少々風変わりな格好をした人間が話している。その話を他の人間達も聞いているところを見ると、あの2人が代表格なのだろう。そして、風変わりな格好をした方が、『巫女様』と呼ばれていた。なら、あいつから話を聞けばいいのだろう。
「もう一度、この土地の栄華を見てみましょう。近づいて初めて見えるものもあるかもしれませんから」
それから『巫女』と呼ばれる人間は目を閉じ、何か集中し始めた。……魔法の気配がする。やはり、『巫女』という人間は、魔力持ちであるらしい。
……そして。
「なっ……」
巫女が、はっとして目を見開く。
「ど、どうしたんです、巫女様」
「信じられない」
周囲の人間が慄く中、巫女は驚きと戸惑いを表情に浮かべ、ゆるゆると首を横に振りつつ、囁くように言う。
「凄まじく巨大な栄華が……強い力が、この地に、生まれています!」
「ええっ!?」
「そ、それは一体……?」
「分かりません。しかし、あまりにも唐突です。昨日、船の上で探った段階ではまるでこんな気配、無かったのに……」
巫女は戸惑いながら、そっと周囲を見て……そして、ふ、と、アレットの方を見て、その表情を凍り付かせた。
「……あ」
そして、驚きと戸惑いを恐怖に変えて、巫女は、震える腕で、アレットの方を指し示す。
「あちらの方、から、凄まじい、栄華が……繁栄を通り越して、破滅へと導くほどの、強い栄華が、感じ取れます」
アレットのことは、見えていないはずである。だが、感じ取れるものは、あるらしい。
……やはり、魔力、だろうか。
そろそろもういいかな、と、アレットは人間達の方へ飛ぶ。
「な、何か来ます!何か、恐ろしいほどの力が……!」
そして巫女の声がどんどんと近づいてくる中、アレットは飛びながらナイフを抜き放ち……そして。
「あ、ああっ!なんだ、これは!?」
アレットの姿をようやくその目で確認した人間達を、殺しにかかった。
戦士らしい人間達が応戦したが、アレットの敵ではない。ひらり、と剣を躱して刺し殺す。繰り出された槍を軽々と蹴り飛ばして、胸を突いてやる。
人間達の抵抗など、アレットにとってはまるで何の意味も無かった。立ち向かってくる者は殺し、逃げようとしている者も殺し、そうしてアレットは踊るように戦って……そうしてすぐに、生き残る人間は巫女だけとなった。
「聞きたいことがあるんだけれど」
恐怖によって今にも失神しそうな巫女の前に立って、アレットは返り血を浴びた顔でにっこりと笑った。
「『栄華』って、何?」
それから、巫女は度々失神しながらも話した。
『栄華』というものは、この人間達にとっての力の源であり……その力があるところに繁栄が約束されるらしい。
そして、その『栄華』を操作することができる人間が『巫女』であり、一握りしか居ないがために、東の国では重用されているのだとか。
「ふーん。その栄華っていうものを使うと、どんなことができるの?」
「そ、それは……栄華の偏りを見出したり、大地をより豊かなものへ変えたり、岩を砕き、道を拓いたり……そうしたことが、できます」
アレットが穏やかに問えば、巫女は只々顔面を蒼白にしながら答えた。時折、『殺さないで』とか細い声で呟いたが、それは聞こえないふりをする。
「偏りが分かる、っていうのは、栄華っていうのの量が分かる、っていうこと?」
「はい。巫女は、栄華が偏らないよう、この世界がまんべんなく等しくあるよう働くのが役目なのです。だから、大きな栄華が生まれれば、また別の場所に栄華が生まれるよう働かねばならず……栄華の消えた土地があれば、その土地に栄華を齎すよう働かねばなりません」
栄華、というものが力であることは理解できた。また、偏りを生んではいけないもの、でもあるらしい。
「ふーん。じゃあ、この土地に栄華が全然無いから、あなた達はここに来たんだ」
「は、はい。その通りです」
「それで、この土地をどうするつもりだったの?」
「それは……」
巫女は口籠ったが、アレットが表情を変えずにベルトのナイフに手を伸ばした途端、話し始めた。
「当然、神の御意志に従って、ここに我々が住まい、この土地を正しく導くのです」
「成程。つまり、この土地を侵略するつもりだったんだ」
「い、いえ、決してこれは、侵略では!そ、それに、今は、この大地にも栄華が大きく存在していますから」
「じゃあ、ここの北にある大地は?」
青ざめた巫女に続けて聞いてやれば、巫女は、不思議そうに目を細め、北の大地……魔物の国のある方を、見つめた。
そして。
「……栄華が、正しく導かれていないならば、我々が、手を……」
そう、口にした瞬間。アレットは巫女の首を刎ね飛ばした。
「私が魔物の国に居る間にだけ、人間が来るのかな」
死んだばかりの人間達の肉を焼いて食べつつ、アレットは呟く。
まさかそんなはずも無いだろう、と思いつつ……ふ、と、アレットは、思う。
「……まさか、本当に?」
『栄華の偏り』。人間達は、そう言っていた。
その『栄華』とやらが何のことか、アレットにはさっぱり分からなかったが……もしや、『栄華』というものは、アレット達が『魔力』と呼ぶ、それではないのだろうか。