空の彼方*4
王都へ向かっていたらしい人間の一団の先頭が、あっという間に火球に飲み込まれ、焼けていく。
人間達の苦しみと驚き、そして何より恐怖の悲鳴を聞いて、アレットはすぐに飛んでいく。
火球に呑まれて燃えていく仲間達を茫然と見ているだけの愚かな人間共へと迫り、そして、人間達が気づいた時にはもう、すぱり、とナイフで首を切っていた。
「な、なんだ、あれは!」
アレットを見て恐怖の声を上げる人間の喉を突き、アレットから逃げようとのろのろ動き出した者の心臓を刺し、そして、勇敢かつ無謀にもアレットに立ち向かってきた者の攻撃をひらりと躱して、その後ろに居た人間を火柱で焼く。
……勇者でもなんでもないただの人間は、殺すのに何の難しさもない。アレットはその人間の集団を、至極あっさりと、始末してしまえた。
「さて、ちょっと聞きたいんだけれど……」
そしてアレットは、アレットに立ち向かってきた勇敢かつ無謀な人間1人を残して全員殺した後で、その人間に尋ねる。
「あなた達、どこから来たの?」
ナイフを向けながら問えば、先程まで勇敢であった人間も震え上がった。……最早、自分が勝てる相手ではない、ということが明確に理解できたのだろう。
「答えないの?」
「ひ、東の海から!」
せっつけば、人間は喉の奥から絞り出すようにして、そう答えた。
東の海、と言われて、アレットは首を傾げる。人間の国は一通り殺して回った。それも、人間を殺した後、魔力の回収のためにもう一度、回ったのだ。殺し残しは無いだろう、と思われたが……。
「東の海を、越えてきた!」
人間がそう言うので、アレットは、驚くしかない。
東の海。それを、越えて、来た。
……つまり、この人間は人間の国ではない場所からやってきた、ということになる。
「うーん、確かに珍しい恰好だなあ……」
焼け焦げていない衣服を調べてみれば、少々風変わりである。少なくとも、アレットが今までに見てきた人間達の衣服とは、少々異なるように見えた。
「それで?今まで出てこなかった奴が、どうして海を越えてきたの?」
「そ、それは……どうも、この国から人が消え失せたらしい、と分かって……それで、この土地の、調査のため……」
どうやらこの人間達は、人間が居なくなってガラ空きになったこの国を易々と奪うため、ここへやってきたらしい。アレットはため息を吐くしかない。人間がこの国の外にも居て、それらがここへやってくる、だなんて。
「分かった、っていうのは、どうやって?ずっとこの国を見てたっていうこと?」
アレットが不思議に思ってそう尋ねると……人間は少しばかり、自信を取り戻したかのように、堂々と言った。
「神のお告げによって」
「……神の?」
「ああ、そうだ」
神が、何かを告げるとは。アレットはまるきり考えていなかったことを聞いて、只々、驚く。
魔物にとって神とは、意思の無いものである。もっと漠然として、大きく、具体性が無い。そういったものが、『お告げ』を下すのか。
「あなた達は神の言葉が分かるっていうこと?神が、あなた達に話しかけるの?どういった言葉で?」
「い、いや、神は言葉を使われない。ただ、我々がそれを読み取るだけだ」
アレットがたまらず聞いてみれば、人間は慌てて両手を顔の前で振る。アレットの様子が変わったのを恐れたのかもしれない。
「我々は、国の栄華の偏りを見出すことができる。そうしたものを読み取るのに長けた巫女達が居るのだ。その偏りは、人の数や、巫女の数、その他、様々な要素で決まるらしい、ということが分かっている」
人間の話を聞きながら、アレットは首を傾げる。なんとも、奇妙な話だ。『栄華』とは一体、何なのか。そして、巫女、とは。
「そして、一月と少し前……我々の国の外、西側に、ぽっかりと穴が開いたようだったらしい。そこの栄華が急激に消え失せた、と分かって……ならば、そこにあった何かが、滅びたのではないか、と……」
「……それで、ここに来たの?何のために?」
アレットが純粋な疑問を呈してみると、人間は、少々怖気づいたように口を噤んだ。だが、アレットは人間が黙ることを良しとしない。じっと見つめてやれば、人間はしどろもどろになりながら、言った。
「その、ここも、我が国の一部とできるのではないか、と……ならば、実態を調査した後、ここにも、栄華の偏りが生まれぬよう、巫女を派遣しなくては、と……その為に、此度は巫女をお連れして……しかし、どうも、つい先ほどの巫女の話では、ここから北に、とてつもなく大きな栄華があり、それを早急に取り除かねば、栄華の平等を実現することはできない、と……」
……今一つ、要領を得ない話である。ここから北というと、魔物の国であるが、そこは『栄華』がある、というのだろうか。
結局、『栄華』というものが何なのかもよく分からないが、それでも一つ、分かったことがある。
「そっか、人間って、魔物の国だけじゃなくて、他の人間の国も、侵略しようとするんだね」
やはり、人間という生き物とは相容れない、という、その事実だけは、理解できた。
それからアレットは、話を聞いていた人間を殺した。生かしておくのも嫌になるほど、身勝手で傲慢な生き物だったので。
……何せ、この人間は『この土地を我々のものとして拠点を整備したら、次は北の土地に赴き、栄華の偏りを正さなければ、と話していた』などと話したのだ。
要は、魔物の国を侵略する、と。……そう語る時の少々の誇らしさと、『正しいことをしている』と言わんばかりの自然さが、アレットからしてみれば、癪に障った。
「人間っていっつもこう」
アレットは少々愚痴りたいような、そんな気分である。そしてそんなやさぐれた気分の時は、殺したての人間達の肉を焚火で焼いて、熱々のそれにかぶりつくに限る。少々久しぶりの人間の肉を口にすれば、『まあ、美味しいよね』とアレットはにっこりすることになった。やはり、美味いものは心を穏やかにする。
「それにしても、人間の国の外に、また別の人間の国があるなんて」
アレットは空を見上げて、ため息を吐く。
……魔物にとってこの世界は、自分達の国と、自分達の国を侵略しようとする人間の国一つ。それだけだったのだ。もし人間の国が魔物の国を侵略しようとしなかったなら、魔物の国だけが魔物達にとっての世界だっただろう。
だが、どうやら世界にはまだまだ人間の国がありそうだ。……これはいけない。
「もしかして、きりがないんじゃないかな……」
人間の国1つを滅ぼすのにも、苦労した。それをあと何度繰り返せば、人間達を全滅させることができるだろう。アレットは途方に暮れるような気持ちで、人間の肉の串焼きを齧る。
『巫女』という人間を早々に殺してしまったのは、よくなかったかもしれない。アレットが燃やした人間達の中に、その『巫女』という人間が居たらしいのだ。
その人間であれば、『栄華』とやらを感じ取ることができたというのだから、『栄華』が何なのかも説明できただろう。
……つくづく、分からないことだらけだ。アレットの理解を超えて、外へ外へと世界が広げられていくような、そんな感覚である。
「世界が広くなったって、いいことなんか無いなあ」
人間は来るし、そいつらも身勝手だし、とアレットはまた、ため息を吐く。
……魔物の国に平穏な日々が訪れることは、無いのだろうか。
誰かに相談したいな、と、アレットは思う。
こういう時、独りであることは、不便だ。自分以外の考えを聞いてみたい。……だが、隣に居てくれたら、と思う者は、もう、誰も居ない。
「あなたが相談相手になってくれると嬉しいんだけどなあ」
金色の小鳥に話しかけてみると、小鳥は美しい声で囀って、首を傾げた。アレットはその様子を見て優しく笑みを浮かべ、小鳥をそっと撫でる。小鳥は相談には乗ってくれないが、こうして心に優しさを取り戻させてくれる。
「……まあ、こいつらが不帰となったら、また、人間達が動くかもしれないよね」
しばらくはここに留まることになるかなあ、と、アレットはため息交じりにそう決意した。
どうも、先程の人間達は、『栄華の偏り』とやらを正すことを生き甲斐にしているらしい。或いは、それが自然で当たり前で、だから履行されるべきことだ、というように思っているのかもしれないが。
そして、そんな外の人間達に好き勝手させておくと、アレットが滅ぼしたばかりの人間の国に、また人間が戻ってくることになりかねない。更に、この国に根を下ろした外の人間達は、間違いなく、魔物の国を狙いに来るだろう。
魔物の国はどうも、『栄華の偏りが大きい』らしいのだ。『栄華』とやらにこだわりがあるらしい人間からしてみれば、魔物の国は目障りな存在なのだろう。『自分達にとって当たり前だから』『自分達にとってそうすることが自然だから』。そうして何も疑問に思わず、人間達は魔物の国を、侵略しようとする。
……外の人間達が言う『栄華』が一体何なのかは、分からない。巫女とやらから聞くしか無いのだろうが……殺してしまったものから聞くわけにもいかない。
ならば、もうしばらくこの国で待って、次にまた外から来た人間があれば、そこから巫女を探し出して聞き出すのが手っ取り早いだろう。
「……まだまだ、休めないね」
アレットは小鳥に、或いは自分に向けてそう呟いて、空を見上げて決意を固めた。
……魔物の国を守るためにも、ここで、外から来る人間などに負けるわけにはいかない。魔王として。そして、皆の意志を継ぐ者として。
外から来る人間達から、必ず、自分達の大地を守ってみせる、と。
……そうして、一月。
アレットは人間の国で待っていたのだが。
「何も来ない!」
……何も来ないのだった。巫女どころか、人間1匹たりとも。来ないのだった。