空の彼方*3
王都で手に入れてきた情報は、多岐に渡った。
例えば、魔王の儀式についての情報であったり、かつて神へ捧げていた祈りとやらの情報であったり。
魔王は毎年、秋になったら国中を巡っていた。魔物達が冬を乗り越えられるよう、そして春に魔物達が生まれてくるよう、魔力を国中へ行き渡らせていたのである。
そして魔王は春になると、神へ祈りを捧げた。冬を越えたことを喜び、そして、また多くの仲間達が生まれてくることを祈った。その折にも、各地を巡っていたのは、アレットの記憶にも残っている。
……要は、魔王は魔王の魔力を定期的に、各地へ分け与えるべし、とされているようなのである。
アレットの知らない魔王の儀式についても、同様であった。魔力を定期的に分け与えるように……まるで、『魔王の中に一定以上に魔力を貯めこまないように』としていたかのようにも見える、そんな儀式の在り様であったのだ。
当然だが、魔力は多ければ多いほど強くなる。
魔力が潤沢であるからこそ、今、アレットは外に出す魔法を行使することができている。ソルも闇でできた手を上手く使っていたが、あれも、魔王になれる程の潤沢な魔力があってこその代物である。
レリンキュア姫の魔法についても、そうであった。彼女は氷の魔法を得意としていたが、あれもまた、魔力の産物である。
……外に出す魔法だけではなく、体を内から強化する内なる魔法についても、魔力を要する。パクスは外に出す魔法の適正がまるでなかったようだが、その分、得た魔力は全て、身体能力の強化へと繋がっていた。だからこそパクスはあの恐ろしい速度で地を駆け、獲物に迫り、そして易々とそれを引き裂いていったのだ。
そう。魔力は、多ければ多いほど、強い。魔王だけでなく、全ての魔物にとってそうであり……そして同時に、『100体の魔物に1ずつの魔力がある状態』より、『1体の魔物に100の魔力がある状態』の方が、より戦力として理想的であるということも、分かってきた。
何故ならば、そうしなければ、勇者に対抗できないからである。
勇者という強すぎる個を相手に戦うには、魔物も強い個を以てして迎え撃たなければならない。……人間の脅威はその数であるが、それ以上に、勇者が、脅威なのだ。その脅威に立ち向かうためには、やはり、強い魔王が必要なのである。
だが。
「それでも、魔力を分け与える理由は……うーん、何だろう」
どう調べても、やはり、歴代の魔王達は、魔力を自分だけに留まらせないようにしていたように見えるのである。
……防衛の点では、悪手だ。だがそれでも魔力を分け与えたのは、純粋に、国内の魔力が足りないから、だろうか。それとも、多くの魔物が居た方が、より多くの魔力を循環させられるからか。
「……もうちょっと調べてみようかなあ」
各地の史跡を調べながら、アレットは何か、落ち着かないような気分になる。
もっと調べて行けば、こんな気分も鎮まるのだろうか。
それから数日に渡って、アレットは各地を飛び回り、そこかしこで魔物達による復興の様子を見て元気づけられ、それと並行して史跡の情報を集めていった。
史跡からは新たに、魔力に命を吹き込む術を知ることができたが、それはソルが使っていた魔法である。『もう知ってるよ』とアレットは内心で愚痴りつつ、それでも史跡を一通り掃除して、後世に残すべく整えてやった。
……そうして、20日もすれば、かつてのソル並みに速く飛ぶアレットは、魔物の国をほとんど全て、見終えてしまう。より念入りに探せば、未だどの魔物にも見つかっていない古い石碑の1つや2つはあるのだろうが、流石にそこまでしている余裕は無い。
そうして分かったことは、魔王が魔力を分け与えていたこと。そして、『そうすることで世の平和が保たれる』というような記述だけであった。
「何かあるんだろうけれど……」
長い魔物の歴史の上で、魔王がずっとこうしてきた以上……そして、それまでずっと、人間が魔物の国を今回のように蹂躙することは無かった、という点を踏まえても、やはり、各所に残る伝承は正しいのだろう。
だが……それを守っていたはずの魔王は勇者レオ・スプランドールに敗れ、魔物の国は人間に支配された。
「……やっぱり、このままじゃ、駄目、なんだろうなあ」
今まで通りにやっていたのでは、また同じように勇者が現れ、魔物の国が滅ぼされることになりかねない。それを防ぐために人間を皆殺しにしたが……それだけではどうにも、安心できない。
この世界の仕組みを理解した上で、対策したい。
……この大地に、そしてアレットの中に眠る仲間達に、報いるためにも。
考えるべき点は、まずは、勇者レオ・スプランドールと魔王の戦いだろう。
何故、魔王はあの時、敗けたのだろうか。
今までの魔物の国の歴史を考えると、勇者と魔王の戦いで勇者が勝つことは無かった。魔王が勝利するか、相打ちになるのだ。そして、勇者の遺体は人間の国へ送り返され、また、100年程度の平和が続いたのである。
……いつも、人間が勝手に攻め入ってきた。過去に何かあったわけでもない。ただ、侵略しようとして失敗しては、人間達はそれを逆恨みしていた。それだけのことである。
また、アレットが人間達に混じって生活する内に、『ああ、もしかして人間達は正しく歴史を伝える能力が無いのかな』とも気づいたが……人間達はどうやら、『魔物が侵略してきたのだ』というように歴史を書き換えて自国内に流布してきたようなのだ。
長く生きてきた魔物達からしてみれば、『いや、攻めてきたのも勝手に逃げ帰ったのも全部人間だったよ』と言えるのだが、人間達にそれを伝える術は無かった。
……よって、人間側には、まともに勇者と魔王の歴史が残っていない。そして、魔物の国にも、大した記録は残っていなかった。
だが、必ず、何かあったはずなのだ。
レオ・スプランドールが魔王に勝った。その理由は、魔王の弱化にあったのか、レオ・スプランドールの強化にあったのか。
シャルール・クロワイアントが何かした可能性もある。何せあの人間は、アシル・グロワールをも勇者へと変えたのだから。
そう。人間に魔力を与えることで、人為的に勇者を生み出すことができてしまう、ということが分かっている。ならば、レオ・スプランドールにも魔力を与えることで、強い勇者へと変えることができたはずである。
……となれば、その術を人間達から完全に奪ってしまえば、もう、魔王を殺す勇者は生まれない、のだろうか。
「そもそも、勇者を生まないようにできればいいんだけれど」
アレットは呟きながら、空を見上げる。
暮れ泥む空の彼方、鳥の番が飛んでいるのが見えた。アレットはそれを見上げて微笑みつつ、再度の人間の国行きを決める。
……まだ、調べられるものが、人間の国にもあるだろう。
そしてどうやら、これ以上の情報は、人間側しか持っていなかったようなので。
アレットは翌朝、また空へと飛び立った。
また、海を越えていく。魔物の国と人間の国とを隔てる海は、今日も高く波が揺れ、少々荒れた様子である。空飛ぶアレットにはまるきり関係がないが、ここを船で行こうとしたならば船の制御が大変だろう。『私、飛べてよかったなあ』などと思いつつ、アレットは人間の国に向けて羽を動かし……人間の国で得たい情報を、考える。
まず、レオ・スプランドールやシャルール・クロワイアントの詳しい動きを記したもの、それに類する記録があれば、それを見たい。魔王が敗れた理由がそこにあるのではないかと、アレットには思われるのだ。
そして、勇者に関する伝承があればそれを全て集めたい。それらを読み解き、理解して……そして全て燃やすつもりだ。人間が『勇者』に辿り着けるような情報は全て、消していった方がいいだろう。今後もし人間の生き残りが居て、彼らが『勇者』について知ったなら……それらが魔物を滅ぼす力となる。その芽など、摘んでおくに限る。
魔物の国も人間の国も、自由に調べられるようになったのだ。ようやく、この世界と神と魔力、そして勇者と魔王について、調べることができるようになった。
ようやく、今までの出来事が何だったのか、説明がつくのだろう。
アレットは少々期待しながら、人間の国へ向けて、どんどん加速していくのだった。
人間の国は、相変わらず静かである。植物の気配はあるが、人間はおろか、大きめの獣程度であろうとも、存在しているかどうか、怪しい。
「まずは、王城と大聖堂、かなあ」
人間達の記録があるとすれば、そのどちらかだろう。アレットは早速、ここからより近い大聖堂に向けて羽を動かしていく。
大聖堂の中は、相変わらずの荒れようであった。要は、アレットとソルが人間達を殺し、そこに残った魔力までもを全て奪い尽くした、あの時のままなのだ。
少なくとも、生きた人間の気配は無い。……皮肉なことに、人間が居なくなった大聖堂は、静謐で、神聖な場所であるように感じられた。
そんな大聖堂の中を、アレットはそっと歩いていく。
書庫らしい場所を見つけて、まずはそこで、それらしい本を手あたり次第に読むことにした。寝食も忘れて本を読んでいれば、金色の小鳥がアレットをつついて注意を引いてくるので、アレットはそれに笑いかけ、食事と睡眠を摂るようにした。
そうして何度か小鳥につつかれつつ、アレットは本を読み、本を読んで……人間の国の神話の類を一通り、読み終えたのであった。
「うーん、人間にとっての神って、ぼんやりし過ぎじゃないかな」
そしてアレットは、そんな感想を漏らした。
……人間にとって、魔法とは半ば、神話の中の力であるらしい。少なくとも、勇者以外の人間は魔法など使うことができない、とされており、それ故に、魔力持ちの人間は見つかれば排斥され、概ね殺されることになるのだ。
そんな状況であるので、人間達にとっての『魔力』は、半ば非現実のものとして語られていた。
神についても、まるで童話か何かのように書かれている。『魔王という巨悪が現れた時、神が人を勇者として選び、その者が魔王を打ち倒す希望の光となる』『神が人間の国を創り給うた』『神はいつも人間を見守っておられる』『善なる行いをする者に神は手を差し伸べるであろう』……そんな書かれ方ばかりであるので、一体何が真実であるのやら、よく分からない。
勇者についての記述も、似たようなものである。
『勇者とは神の使いである』『悪しき魔物が力を増すほどに、神は人間を憐れんで、より強い希望の光を齎す』『勇者は魔を滅ぼさんとする神の意思の表れである』『善い行いをした者が勇者として選ばれる』……。そんな記述があちこちに並んでいるが、具体的なところはよく分からない。
これらの記述が全て真実だとするならば、魔物は人間に滅ぼされるために神に生み出された、などということになる。そしてそれならば、魔物側で神が神として伝わっており、ごく自然に信仰されている理由が分からない。
魔物達が神に騙されている、というには、あまりにも辻褄が合いすぎているのだ。
……そもそも、魔物達にとって、神とは、意思在る個として考えられていない。アレット自身もはっきりと言葉にできるものではないが、漠然と、神とは意思を持たずして動き、動かすものだと、そう、思っている。そこに善も悪も無い、と。
「神の意思についての記述は、人間が勝手にそう解釈し、勝手に書き記したもの、として……うーん、その他も信憑性には欠ける、んだよなあ」
アレットは大量の本から抜粋してまとめたメモを眺めて、唸る。
……神についての文献が多いであろう大聖堂でも、これである。王城には何か、有るだろうか。
「何も無かったら、いよいよ打つ手が無いんだけど……」
アレットは少々気落ちしつつも、次は王都に向かうことにする。
王城には勇者に関する記録があるはずだ。滅びたばかりの王家は、勇者を祖先とした一族であったらしいので。
アレットは大聖堂の塔の上に立ち、王都の方を眺め……そして、あり得ないものを見た。
「……え?」
それは、遥か遠くに動くもの。
獣ではなく、二本の脚で立って歩く……人間。
人間の国に、人間が居る。
その異常な光景に、アレットはしばし硬直し……しかし、次の瞬間、その人間達に向けて火球を放っていた。