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私達に棺は必要ない  作者: もちもち物質
第七章:裁き【arrêt du soleil】
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空の彼方*1

 何度か朝が来て、何度か夜になった。その間、アレットは一心不乱にソルを食らい続け、そして、幾度目かの夜に、ようやく、その全てを体に収めた。

 骨は焼いて粉にして飲んだ。血は床の間に染みてしまわなかった分は全て飲み干した。髪の一括りと漆黒の羽の幾らかは、アレットの荷物袋の中にある。全てを食らって自分の内へ収めてしまうにしても、目で見て手で触れられる形見が欲しかったので。

 焼いて止血していたはずの胸の刺し傷は、気づけば綺麗に消えていた。魔力が増えたことによるものなのか、はたまた、ソルが食われる時に何かしたのか。……アレットが無意識に何かしたのかもしれなかったが、それを考える余力は無い。


 ……そうしてようやく、滅びた国の玉座の間は静かになる。

 人間は死んだ。そして、仲間も。

 静かな場所、冷たい部屋。生命の気配は欠片もなく、魔力の気配すら、ここに僅かに残ったソルの残り香だけ。

 そこへアレットはそっと身を横たえる。大理石の床が、ひやり、と冷たい。

 ……1人になってしまった。

 覚悟はしていた。どうせこうなるだろうとどこか自棄的に思っていた。

 だが、こうなることを望んでいたわけでは、なかったのだ。

 できることなら、もっと、ちゃんと、皆で生きていたかった。

「……ちょっと疲れちゃったなあ」

 誰も聞くものが居ない床の上、誰に言うでもなくそう呟いて、アレットは目を閉じた。

 今だけは……太陽が昇るまでは、少しだけ、休みたい。アレットはそのまま、眠りに就いた。




 アレットが目を覚ました時、夜が終わっていた。

 きらり、と輝く地平線の向こうから、太陽が徐々に顔を出す。紺色の空は次第に白み、雲は黄金色に染め上げられていく。……夜明けだ。

 太陽の光は、アレットにまで届いた。冷たい石の床の上に寝ころんでいたアレットは、じわり、と陽光に温められて、そして。

「これで、全部だね」

 ようやく、この場に残ったソルの魔力を回収する気になれた。

 ソルが使っていたのを見て覚えた魔法で、ソルの魔力の残滓に命を吹き込む。ソルを一欠片たりとも人間の国に残していきたくない。全て連れて帰るのだ。

 床へ染みてしまった血も、どうにも食べるのが難しかった羽も、それら全てが太陽の光に溶けるように消えていった。そして残った魔力は、朝陽の中にあっても尚眩く、温かく光り輝いている。

 ……光は空気の中で凝って、小鳥の姿になった。

 広げた翼もふんわりした胸も、太陽の光の柔らかな金色。小さな体で精一杯囀り、夜明けを告げる歌を歌う。風の声でも自身の咀嚼音でもない音を久しぶりに聞いて、アレットは何か、言い知れぬ喜びと寂しさを感じた。

 小鳥は小さく儚く可愛らしくも、どこか堂々として美しい。柔らかな金の羽毛を撫でれば、小鳥は自慢げにまた囀る。ならば、と、アレットはそっと、手の中に小鳥を包み込んだ。

 手の中にすぽりと収められても、小鳥は落ち着いていた。アレットの指先が小鳥をそっと、撫でる。淡く輝く美しい小鳥は、アレットの手の中、気持ちよさそうにしていた。

「……ねえ、あなたのこと、このまま連れて行ってもいい?」

 返事は無い。小鳥の口からは囀りが聞こえるだけである。

「どうか、もう少しだけ一緒に居てね、ソル」

 もうソルではないそれに、アレットは話しかける。

「約束、したもんね」

 そうしてアレットは手の中に小鳥を包むと、翼を広げた。

 蝙蝠の翼は大きく広がって、そして、空へと羽ばたく。

 空へ。空へ。……人間を勇者にしようとする何者かが在るかもしれない、空へ。




 夜明けの空は酷く明るい。アレットには少々、明るすぎる程に。

 紺色だった空は次第に青空色へと染め上げられていき、やがて、アレットは青空色の中にぽつんと浮かぶようにして空を飛ぶようになる。

 空には何も無い。人間に力を与えた何者かが存在しているわけでもなく、魔力の残滓らしきものすら無い。只々、何も無いのだ。

「どうしようね」

 ここに何かがあったなら、楽だった。

 人間に加担しようとした何者かを殺して、魔物の安寧をより強固なものにすればいい。それだけのことだったのだ。アレットは、『神』でも何でも、憎み、殺す自信があった。

 ……だが、実際には何も無かったのである。心の置き場すら失ったような気持ちで、アレットはただ、空を彷徨い続けた。


 やがて、空は黄昏れて、夜の気配が色濃くなっていく。

 アレットはただ空を彷徨い、そこに在るかも分からない何かを探し、そして、何もないことを確認するとまたふわふわと彷徨うように飛んでいく。

 ……人間のなれの果てに力を与えたものが、何か、あってしかるべきなのだ。何も無しに、あのように、まるで勇者の力のような……あんな力を得られるなど、おかしな話である。

 あの時、世界に人間と呼べる生き物があの化け物以外に存在していなかったとしても、勇者を勇者たらしめる力を齎した何者かは、きっとどこかに居るはず。

 ……そう。思えば、勇者が生まれるのもおかしな話なのだ。


 人間は元々、魔力を持たない。それが何故か莫大な魔力を与えられ、理不尽な力を持って魔物に立ち向かってくるのが勇者である。

 人間は生きるのに魔力を必要としない生き物である。だからか、得た魔力の量の割に凄まじく強い威力の魔法を操ることができる、のだろう。

 そして、『その力は神より与えられる』のだと、人間達の神話にはあるらしい。その神話通り、人間は唐突に魔力を得て勇者となる。……レオ・スプランドールはそうだった。アシル・グロワールとエクラ・スプランドールは神ではない者に魔力を与えられて勇者となったわけだが。

 ……魔物には、起こらない現象である。魔物が急に魔力を得て強くなることはない。勇者はあくまでも、人間にしか生まれないのだ。

 だからこそ、魔物にとって勇者はあまりに理不尽であったのだ。ずっと。

 魔物の王は、長年を生き、また、先代から魔力を受け継ぐことによって魔力を得て、そして、その魔力を保ち続けられるよう、自らの中で精製し、高め……そうして強さを得ている。勇者とはまるきり、仕組みが異なるのだ。

「勇者って、何なんだろうね」

 アレットは金の小鳥に話しかける。小鳥は優しく囀って、アレットを微笑ませた。

 ……アレットは、まだ、飛べる。在るか分からない、居るか分からない存在を探し続けて、空を彷徨うことができるのだ。




 途中、人間の国に降り立って、休憩を摂った。

 アレットは最早、食事など要らないほどに多くの魔力を得てきたが、それでもなんとなく、一日に一度くらいは食事を摂りたいと思うのである。……少なくとも、ソルやパクスなら、アレットに食事を食べさせたがっただろう。

「ソルみたいには上手く作れないんだけどなあ」

 アレットはそう呟きつつ、人間の国の廃墟を漁って得た麦で粥を作り、干し肉やピクルスの瓶詰を食べる。

 ……食事がどうにも、味気ない。ずっと、ソルが作る食事を食べていたからかもしれないし、1人での食事というものはこういうものなのかもしれない。

「1人だと、ご飯を作る気力もあんまり湧かないものだね」

 小鳥に麦粥を少々分けてやりつつ、アレットは、ふ、と息を吐く。

 かつて、フローレンが食堂で作ってくれた食事が美味しかったのは、皆のために作っていたからかもしれない。フローレンが1人だったなら、きっと、彼女の手で作られる食事はもっと味気なかっただろう。

「まあ、食べるのも私だしなあ」

 食事が味気なくて文句を言う者は居ない。食事を上手く作っても喜んでくれる者は居ない。

 春の夜の風はまだ冷たい。




 食事を摂って、睡眠を摂ったら、アレットはまた、空を飛ぶ。

 人間の国の隅から隅まで、そして空の大分高いところまでを探し尽くして、それでも何も、見つからない。

 せめて生き残っている人間でも見つかれば張り合いがあったのだろうが、それすら無い。本当に人肉はあれで食べ納めだったなあ、とアレットはいつぞやのソルとの食事を思い出す。

「どこにも何も無い、っていうのは、ちょっとおかしいと思うんだけどな」

 何かは見つかってほしい。そうすれば、安心できるから。

 これで終わりだ、と言われても、納得できないのだ。魔物の国の安寧を、確信できない。

 次に勇者が生まれた時、アレットが魔物を守り切ることができるか分からない。また、アレットが居なくても、魔物の国は平和でなければならないのだ。


「……そうだ」

 そう考えていたアレットは、ふと、魔物の国のことを思い出す。

 自分が愛し、自分が大切にしている国。何よりも無事であってほしい場所に、何か、異変が起きていやしないだろうか。

 少なくとも、勇者を殺し、そのなれの果ても殺して、人間を皆殺しにしたのだ。何かが起きていても、おかしくはない。

 或いは……何も起きていなかったとしても、ちゃんと、見ておきたかった。自分達が守った場所が、どうなっているか。


 ……そうして、アレットは魔物の国へと向かった。

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[良い点] 悲しむ時すらアレットにはなく、そろそろ真相編突入ですね。まあなんとなく思われていたことが、そろそろ出てくるかもしれませんね 世界、そして人類、やたら小さく数もいないし、国が一個だし……みた…
[気になる点] 不安感を煽るこの引きの上手さよ。人間と魔物が表裏一体で片方が滅びればもう片方も滅びるみたいな「よくある」設定ではないと信じる。 というか、その設定がよくあったと覚えているから「実際ど…
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