零れた水*7
ソルとアレットは人間の城へと入り込んだ。
……念のため、道中でいくらか、魔力を抽出してみたのだが、上手くいかなかった。子猫ほどの怪物すら生まれないところを見ると、どうやら、人間の魔力はもう残っていないのか、或いは、そもそも集められるほどに魔力を持っていなかったか。
どちらにせよ、城の中へ入れば答えが分かることである。2人は人間の城の中……恐らくここに居るであろう、アシル・グロワールの意思を持った何者かを殺すため、進む。
人間の城の中は、奇妙な気配で満ちていた。
大聖堂で感じたような気配である。沢山の人間が死んで、そこに塵芥のように残っていた意思や魔力が寄せ集められて、無理矢理固められたような……そうした、雑多に混じり合って濁ったものの気配だ。
だが、それにしては気配が強い。……やはり、数多の意思を束ねる強い何かがあるのだろう、と思われた。そして、王城の中心、玉座に着きたがる意思など、そう多くはない。
「さて、いよいよお出ましだな」
ソルとアレットは、遂に玉座の間の扉を開く。魔王を殺しに来た時の勇者も、このようにして敵の本拠地の玉座の間へ踏み入ったらしい。なんとも皮肉なことだ、と思いつつ、中へ足を踏み入れる。
……すると、その中にはどろりとした青空色の塊が落ちていた。
「あれが、アシル・グロワールのなれの果て、か?」
玉座にへばりつくようにしているそれに、まともな理性など見られない。ただどろりとしているだけの塊には、アシル・グロワールどころか人間の面影すら残っていない。
だが、確かにそこに……勇者の力の気配を感じて、2人は身構える。
……身構えたソルとアレットにお構いなしに、青空色の塊は、ぶるり、と震えた。そして、まるで、『奪わせない』というかのように、ずるずると玉座へ這いあがっていく。
……否、玉座に、ではないのかもしれない。青空色の塊は、玉座に這い上がり、そして、そこに置いてあった王冠へ、ぬとぬとと吸い付いていく。
父である王を殺し、その返り血に塗れ、そして、『フローレン』が拾い上げてアシル・グロワールに被せた、その王冠。それが今、青空色の塊……アシル・グロワールと人間達のなれの果て、その哀れな生き物の執着の拠り所なのかもしれない。
さて、どうしたものか、と、ソルもアレットも悩む。ねっとりとした塊は、スライムに似てスライムとは異なる何かだ。少なくともヴィアは、もう少し上品にぷるんとしており、あのように粘つくことは無かったように思う。
あれがスライムと似た性質を持つのであれば、斬撃の類は効かないだろう。だがもし、スライムとはまた異なる性質を持つのであれば……それは全くの未知なるものである可能性が高い。
あのように青空色の、謎の生き物だ。今までに見たどのような魔物とも異なり……そもそも、魔物にしては理性も意思も感じられないそれは、きっと、ソルやアレットの知識の枠の中に収まらず……そして、強い。
そう、確かに思えた。
「……まずは、燃やしてみる?」
「そうだな。よし、遠慮はいらねえ。派手にやっちまえ」
アレットは身構えつつ、そっと、宙に巨大な火の玉を浮かべる。大人の一抱えよりあるそれを宙に浮かべても尚、青空色の塊はぶるんぶるんと震えながら、王冠と玉座に縋りついているばかりだ。
……アレットは、そこへ、容赦なく火の玉を落とした。火の玉が青空色の塊に触れるや否や、そこに高く太く火柱が立つ。玉座の間のシャンデリアはその熱と衝撃に耐えきれず、甲高い音を立てて割れ砕け、絨毯もタペストリーも、全てが燃えて灰になっていく。
そして、それらの中心。玉座の上に居た、人間のなれの果ては。
「フローレン、見つけた」
そう、言って、『笑った』。
先程まで顔など持たなかったただの塊が、ぐずぐずと溶けて、そして、こぽこぽと泡立つように膨れ上がる。そして塊の表面にはぬとり、と開く口が現れ、にやり、と笑うのである。まるで、人間のように。
「わ、私の魔法で強化しちゃった!?」
「いや……そうじゃねえように見える。あれは言葉通り、単にお前を『見つけた』だけだろう。元々、とんでもねえ量の魔力を持ってるみたいだな」
ソルとアレットが存分に警戒する最中にも、青空色の塊はごぼごぼと形を変えて、伸び上がり、ひしゃげ、そして……遂に、形をとる。
身長は然程高くなく、すらりと細身ながら引き締まった体。髪は少々造形が甘いのかぬとりとした質感をしていたが、黒く、うなじで括れる程度。
……そしてその足は逞しい鉤爪で、両腕は漆黒の翼だ。
「フローレン……こちらに」
そして優しく笑うその顔までもが、ソルそっくりに、よく似せてあった。
ソルもアレットもぽかん、とする中、玉座に座っていたもう1人のソルはゆっくりと立ち上がり、笑みを浮かべながら近づいてくる。
一歩、二歩、と近づいてくるにつれ、偽物のソルの中で、様々な気配が暴れる。恐らく、人間達の意思や魔力の寄せ集めであるのに、それを統率する意思があるものだから、他の意思や魔力が少々暴れるのだろう。
「……あいつ、なんで俺に化けたんだ?」
「さあ……強そうだからかな」
2人は油断することなく武器を構え、偽物のソルが近づいてくるのをじっと見守る。偽物の気配は、随分と奇妙だ。本物のソルの、鋭くも軽やかな気配とはまるで異なる、濁って重く淀んだ気配である。
これが人間のなれの果てかと思うと、敵ながら少々哀れにも思えた。
「フローレン、待たせたな。さあ、帰ろう」
偽物のソルは、本物のソルのことなどまるで目に入らない、とでも言うかのように、ただアレットだけを見つめている。浮かべられた笑みも、投げかけられた言葉も、随分と薄っぺらい。これを大切な仲間の姿でやられているものだから、アレットとしては少々、腹に据えかねる。
「ソル。やっちゃっていい?」
「まあ、好きにしろ。一撃入れたらもう戦闘になるだろうからな。でかいの一発お見舞いしてやれ」
ソルから許可を得て、アレットは早速、魔法を使う。少々の集中の後、偽物のソルの足元から凄まじい勢いで火柱が上がり、偽物の姿を飲み込んだ。
アレットが放った火柱は、強く強く、偽物のソルを焼いていく。偽物とはいえ、ソルによく似た姿をしたそれを焼くのはあまり愉快ではなかったが、これ以上、ソルのふりをされる方が余程腹立たしい。それだけに、アレットの魔法は容赦が無い。
生き物の肉も骨も焼く温度で炎が燃え盛り……そして、その後には何も残らない。
だが。
「フローレン」
玉座から青空色の塊がこぽこぽと湧き上がる。
「フローレン」
青空色の塊が伸び上がって、形をつくる。
「フローレン……」
……そうして再び、偽物のソルが現れる。玉座から立ち上がって、アレットへ手を伸ばし、微笑むのだ。
「……こりゃ参ったなあ」
「どうしようか、これ」
理性があるとは思い難いが、何も無いわけではなさそうだ。そして何より、『フローレン』への執着が、相当に強い。
どうやら、アシル・グロワールが残した意思は、随分と碌でもないものだったようだ。
「フローレン。早くこっちに来い」
偽物のソルは相も変わらず、アレットへの執着ぶりを見せている。これにはアレットも困るしかない。
「どういうことなんだろう……燃やしたはずなんだけどな」
「まあ、大方、魔力を使って瞬時に再生した、ってところなんだろうが……そんなに魔力があるのか?ここ」
「少なくとも、意思の方がどうこうなってるかんじはないよね。あれは一貫して同じ意思だと思う」
偽物のソルはまた、玉座から立ち上がってこちらへ向かってくる。同じようにアレットに笑いかけながら。先程と変わらない様子で。燃やされたことなどまるで、気になっていない、とでも言うかのように。
「……もう一回、燃やしてみる?」
「そうだな。やってみろ」
アレットは先程と同様に火柱を生み出す。火柱は偽物のソルをしっかりと捉えて、また、その肉や骨を焼き尽くす……はずだった。
だが、偽物のソルは炎を浴びても尚、そこに居たのである。
焼こうと思った相手が焼けなかった。アレットは警戒しながら、一歩ずつ近づいてくる偽物のソルを見つめる。
「フローレン、どうしてこっちへ来ないんだ。どうか来てくれ、フローレン」
見た目はソルにそっくりなのに、偽物の中身は全くの別物である。『ソルはそんなこと言わないんだよなあ』と思いつつ、アレットは深々とため息を吐いて、また偽物の様子を観察する。
……種が分からない。相手がどのように復活した分からず、そして、相手の狙いもよく分からない。
何故、瞬時に復活できるのか。その為の魔力はどこから来るのか。何故、ソルに化けているのか。『フローレン』に執着しているなら、化ける相手も『フローレン』にすればよいのではないか。そもそも、何故、『フローレン』に執着しているのか。
……ただ一つ、やたらと強い意思が『フローレン』に執着している、ということだけは理解できるが、それだけである。分からないことが多すぎる。
人間と魔物の長い歴史からしてみても、このような事態は初めてだろう。人間がここまで滅びに近づいたことは無く、そして、寄せ集めの魔力と意思が命を宿したことも無く。だから、目の前の生き物に対して、有効な対処が何も分からない。
「フローレン……」
偽物のソルが、アレットのものではない名で、アレットを呼ぶ。偽物のソルはその顔の造形こそソルそっくりながら、表情はソルのものではない。傲慢な優しさと利己的な愛を湛えたその表情は、間違いなく、アシル・グロワールのものである。
「気に入らねえなあ」
ソルが、前へ進み出る。
「俺の偽物気取りにしても、もうちょっと出来のいい芸を見せてほしいもんだ」
ソルがアレットを背に庇うようにして立って偽物の視線を遮れば、偽物は戸惑うような表情を浮かべ……そこでようやく、ソルの存在を認識したらしい。
「お前は、誰だ」
「俺?俺は魔物の国、王都警備隊隊長のソル。そして……」
偽物の目が、ぎらり、と光る。それは、青空の色をしていて、強く強く、憎悪に満ちていた。
「『魔王』でもあるな」
ソルがにやりと笑ってナイフを構えれば、偽物のソルの手から青空色の塊が伸び上がり、ナイフの形を取る。
……そして両者は、一気に衝突した。