零れた水*6
人間達の死体で溢れかえる大聖堂で、ソルとアレットは残党を探しては狩っていた。
大聖堂の地下には聖職者達が身を寄せ合い、震えながら隠れていたので殺した。
大聖堂の客間には貴族らしい人間が隠れていたので殺した。
中庭の植え込みの陰に隠れていた人間も、鐘撞塔に居た人間も、皆、探し出して殺した。
そして、大聖堂の上空から周辺を見回して、抜け道から逃げ出した人間を発見したら、追いかけて殺した。
……そうして大聖堂から命の気配がすっかりなくなった後、2人は大聖堂に残留した魔力を怪物へと変じて、食らうことにした。
「また血の腕になられちゃたまらねえからな」
「ね。……うーん、人間がたくさん死んだところには魔力が溜まる、っていうのはちょっと嫌だなあ」
「意思はもっと、だな」
「うん」
血の腕の発生を目の当たりにしたおかげで、ソルもアレットも、人間の魔力と意思が集まって1つの魔物になる事例を知ってしまった。これから先は、人間を殺した後に、更にその後始末までしなければならないだろう。今までに人間を殺して回った全ての地でも同じことである。
「人間如きが一体なんの意思を持ってるって言うんだか」
脆弱な意思が集まって1つの魔物を成すに足りる量になったとして、その質は劣悪だ。血の腕もそうだったが、数多の意思が束ねられたとはいえ、それらは真っ当に理性を伴うものではなく、ただ漠然とした感情の群れに過ぎないのだ。
『死にたくない』。『救われたい』。『どうして誰も助けてくれないのか』。……そんな意思ばかりが集まって1つの大きな意思になったところで、そこに本来の魔物が持つ意思の輝きや誇り高さが宿るわけはない。やはり、寄せ集めは所詮寄せ集めに過ぎないのだ。
……だが。
「……『勇者の意思』が他の意思を率いるようなことがあったら、厄介極まりねえな」
ソルが危惧しているのは、やはり、アシル・グロワールである。
人間達の意思がばらばらであったとしても、そこに1つ、強い強い意思が紛れ込んだなら。数多の意思の寄せ集めが、強い強い1つの意思によって統一されることがあったなら。
……きっと、それは脅威になる。やはり、人間最大の武器はその数なのである。1人1人はほとんどが大したことも無い生き物だが、その数が揃うことで人間は真価を発揮する。それは変わらない真実なのだろう。……尤も、その真価を発揮するのが生きている間ではなく死後、というのが何とも皮肉であったが。
「地道に人間達の残留意思を叩き潰していくしかないのかな」
「まあ、現状、それ以外に方法はねえからな……」
ソルとアレットは顔を見合わせて、ため息を吐く。
どうやら2人が魔物の国に帰れるようになるまで、まだまだ掛かりそうである。
その日一日を掛けて、大聖堂を徹底的に掃除した。人間達を殺しに殺した後は、魔力を抽出して怪物と成し、その怪物を倒して産物である酒を飲み、魔力を吸収した。
人間達の魔力の寄せ集めは、如何にも寄せ集めらしい怪物になった。頭は熊で脚は獅子、尾は狐で角は鹿、というような具合である。そんな怪物であるので、体の動かし方も覚束ないものであった。殺すのにも然程手間がかからず、実に『質より量』といった具合である。
そうしてソルとアレットは大聖堂をしっかり掃除し終えて……そして、再び王都へ戻る前に、再び海岸線を見に行くことにした。もし、人間の意思や屑ほどの魔力の寄せ集めが魔物になったとしたら、自力で泳いで魔物の国へ渡りかねない。なので、先に海岸近くの掃除のやり直しから行うことにしたのである。
2人の掃除は、然程面白くもなく進んだ。
何せ、生きた人間は居ない。そこに在るか無いかという程度の魔力と、残っているのかどうかソルとアレットには分からない人間の意思とやらの残骸……そういったものがあるばかりなのだから。
それでも、ソルが魔力を抽出して怪物を生み出す魔法を行使すれば、子猫くらいの大きさの怪物は生まれた。2人はそれを殺しては、ほんの一匙分の酒を適当に摂取して、そうして先へ進んだ。
……そして時折、生き残った人間を見つけることもあった。そうなれば2人は嬉々として人間を殺し、そして、そこに残っているかもしれない諸々を処理してまた次へ進む。……人間が死んだ後の残り滓を処理しているよりは、生きた人間を狩る方がまだ、楽しめる。やりがいもある。そして何より、生きた人間を殺せば新鮮な食事にありつけるのだ。
ソルもアレットも、『そういえば人間が絶滅したらこれ、もう食べられないんだな』とふと思い至り、大切に人間の肉を食べている。……人間の肉は殊更に旨いわけでもないが、自分の手で殺した人間の肉を焚火でこんがりと焼き、少々肌寒い春の夜の空気の中、湯気を立てるそれに齧りつくのは他にない楽しみでもあるのだ。
結局、海岸沿いに魔物の再発生は無かった。南の大きめの町ですら、そうであった。
南の町は港町として栄え、人間の数も多かっただけに、ここが何もないのは少々拍子抜け、といったところである。……つまり、その程度の数の人間が死んだ程度では、魔物は生まれない、ということなのだろう。それだけ、大聖堂で死んだ人間が多かったとも言える。
……そして、大聖堂で死んだ人間の数であのように魔物が生まれたのなら、王都でも魔物が生まれていておかしくない、とも、言えるだろう。
その夜、ソルとアレットは海岸沿いで野営することにした。
波が寄せては返す音を聞きながら夕食を摂る。今日の夕食は、野草や香草と海で捕れた魚のスープ。芋めいた野草の根をほっくりと焼いたもの。そして、こんがりと焼いた人間の肉だ。
スープはソルが適当に放り込んだ野草がよい香りで、魚の臭みをまるで感じさせない。捌く技術の高さも旨味の要因だろう。
野草の根は、アレットがうきうきしながら掘り起こしてきたものだ。じっくりと焼き上げるとほくほくとして、更に、じわりと甘みが引き出されて美味いのである。
そして、人間の肉は変わらない美味さだった。香ばしく焼けた肉の表面を噛み破れば、中に閉じ込められた肉汁が溢れ出す。火傷しそうなほどに熱いが、肌寒い夜にはその熱さがまた、美味かった。
「あー、美味しい!やっぱりソルのごはんが一番美味しい!同列一位でフローレンのごはんも一番美味しいけれど!」
「そいつはどうも」
アレットは今までずっと人間の食べ物を食べていたこともあり、ソルが作る食事が随分と美味く感じるのである。代わり映えのしない人間の肉を焼いただけのものも、一度それを絶たれていたアレットにはまた格別な美味さなのだ。
……そして何より、信頼し、尊敬できる仲間と共にする食卓というものは、アレットにとって特別なものであった。
「美味しいなあ……美味しいなあ……」
「……おい、アレット。お前、パクスに似てきてないか?」
「えっ……うーん、喜べばいいのか心配すればいいのか」
「……どっちもだな」
食事に満面の笑みを浮かべるアレットを見て、ソルは苦笑する。自分達の可愛い後輩も、食事の度に『うまい!』と騒いでいた。当時は随分と煩い奴だ、と思っていたが、それが今となっては、只々懐かしい。
ぱちり、と爆ぜる薪を眺めながら、ふと、アレットは思う。かつて当たり前にあった光景。パクスが居て、他の隊員も居て……皆で焚火を囲んだあの日は、もう二度と返ってこないが。だが、再び魔物の国に平穏な日々が戻ってきたなら……。
「ねえ、ソル。ソルは魔物の国に帰ったら、何がしたい?」
今までとは違う、けれど穏やかな日々を漠然と夢見て、アレットは問う。恐らく、この旅路に着いてから初めての、希望を見つめる言葉だ。
「帰ったら、したいこと、か……難しいな」
そしてそれは、ソルも同じだったらしい。今まではただ、憎悪に囚われ、復讐だけを胸に、生きていた。だが……この戦いが終わったなら、何か、別のことができるだろう。
「私はね、最初に王城の復旧。皆でご飯食べた食堂を元通りにして……そこでソルがご飯作るの」
「俺が、かよ」
ソルは苦笑しつつ、『それも悪くねえなあ』と呟く。戦士が必要なくなったなら、料理人への転向も悪くない。そう。いずれ、戦士は皆、剣を置く日が来るのだから。
「あとね……花の種を、蒔きたい」
そしてアレットは、笑みを漏らしながら歌うように言う。
「大地に皆が還ったなら、そこを花でいっぱいにしたい。皆が好きだった花で、荒れ地を精一杯飾りたい」
「悪くねえな」
ソルは、あまり花を愛でる習慣がない。無論、花を見れば美しいと思いはするが、『花の種を蒔く』というのはソルには無かった発想だ。自分のものではない温かく柔らかな考えを聞いて、ソルもまた、笑みを漏らす。
「パクスのためにお前の茶の材料も植えといてやれ。あいつはお前の茶が好きだから」
「ふふ。そうだね。……フローレンが好きだから、黄金野薔薇をたくさん植えなきゃ。あれの実がね、甘酸っぱくて美味しいお茶になるんだ」
「花じゃなくて実が目当てか」
「勿論花も綺麗だよ。あの花は姫にきっと似合う」
他愛ない話をして、笑う。『ベラトールはきっと小さな花が好きだと思う』『ああ、成程な』だとか、『ヴィアは真っ赤な薔薇が似合うんじゃないかな』『まあ、そういう奴だよな……』だとか、『ガーディウムが好きそうな花に心当たりがねえ』『姫っぽいお花なら大体なんでも好きじゃないかな』だとか、話は次々と湧いて出た。
……そこでアレットは、改めて問う。
「ソルは?ソルは何がしたい?」
ソルはアレットに問われて、考えて……そして、話しながら思いついていたことを、口にするのだ。
「お前を連れて、旅に出たい」
「今、人間の国をぐるぐる周ってるだろ。面白くもねえが」
「まあ、そうだよね……撃ち漏らしを探す旅っていうのは、あんまり楽しくない」
アレットが苦い顔をするのを苦笑しながら見て、ソルもまた、苦笑した。ソルとしても、人間の国を巡るのに少々嫌気が差してきた。
「だが、魔物の国なら、どこをどう見て回ったって、きっと楽しいだろ」
人間の国では醜いものばかり見た。人間の愚かさも、傲慢さも、弱さも、もう沢山だ。だから、魔物の国で美しいものを見たい。再び芽吹く文化を。気高い仲間達を。破壊から立ち直る強さを。そういったものを、見たい。……アレットと、共に。
「魔物の国中を巡って、困ってるところがありゃ助ければいいし、そうじゃなくても……ま、楽しいだろ、多分」
「……そうだね。うん。絶対、楽しい」
アレットはにっこりと笑って、ソルに賛同する。
「ああ、じゃあ、私、ソルについていきながら、あちこちで花の種を蒔くよ。そうしたら、何周したって楽しい。前回通った時に蒔いた種が芽吹いているのが見られるから」
きっと、色々なことが変わっていく。魔物の国は魔物の手に戻り、復興して、種は芽吹き、花開く。
「……あー、楽しみだなあ」
「さっさと旅に出るためにも、さっさと終わらせねえとな」
そうして2人は、決意を新たにする。希望を胸に。そして、いよいよ最後となる復讐心を燃やして。
王都の方を、睨む。
……凝り固まっているであろう、数多の人間の意思を、今度こそ掃除するために。
そして、ようやく見えた、明るい未来を手にするために。
王都の様子は、2人が去った時から変わっていないように見えた。
尤も、実際は多少の変化があったのだろう。様子を見に入ってみた民家には、明らかに盗みの痕跡があった。また、道端の兵士の死体を漁って、懐から財布を抜き出し、その中身を盗んだような痕跡も見られる。
……どうやら人間が死に絶えた王都でここぞとばかりに盗みを働く者がいたらしい。人間の国が滅びゆく中で人間の国の通貨など持っていても仕方がないだろうに。人間とは愚かなものである。
「生きてる奴がまだ居そうだな」
「かもね。まあ、ここで盗みを働いていた奴が大聖堂に行って死んだ、とも考えられるから、何とも言えないけれど」
2人はそんな話をしつつ、調度品や何かの木箱、そして建材といったものの残骸を踏みつつ、滅びた王都を歩く。
「……生きてる奴がいるから、この気配があるんだと思うか?」
歩きながら、2人は確かな気配を感じていた。
「ううん。人間の気配じゃ、無いよね」
気配は、王城……その中心の方から、確かに、感じられる。
「王のお出まし、ってことか」
ソルは、にやり、と笑って王城を睨んだ。
……人間の王を殺すのも2度目になるな、と思いつつ。