零れた水*3
ソルとアレットはその日の内に、小さな村を3つ、そして南に位置する大きめの町を1つ、滅ぼした。それぞれの場所には未だ、王都陥落の報せが届いていなかったらしい。まるで警戒心の無い様子の村や町を滅ぼすのは、まるで難しいところの無い、つまらない作業であった。
「急いだ方がいいな」
「そうだね。この速さだと間に合わないかも」
だが、ソルとアレットは急いでいる。人間達の脅威は、その数にある。生き残っている全ての人間が銃を持ってソルとアレットへ同時に立ち向かってきたならば、流石にこちらも痛手を負う。いくら『魔王』といえども、死ぬかもしれない。であるからして、人間達が団結するより先に、どんどん殺していく必要がある。
数さえ揃わなければ、人間達など脅威ではない。勇者のような者でもない限り、人間は1人では何もできやしないのだ。
「逃げられるかもしれないから、海沿いに行った方がいいかもね」
……そして、ソルとアレットが急ぐ理由はもう1つある。
それは単純に、『獲物を逃がさないため』。
人間達が逃げて、魔物の国にでも行ってしまったら非常に面倒なことになる。だからこそ、アレット達は急いでいた。人間達が人間の国に居る間に、皆殺しにしなければならないのだから。
……1人でも生き残ったら、その人間はきっと、魔物への復讐を望むだろう。そうなれば歴史の繰り返しになる。それでは駄目なのだ。こんなことはもう、この代で終わりにしなければ。
「だな。まあ、一番でかい港はこれで潰した、ってことになるのか?」
「そうだね。ここをさっさと潰せたのはよかったと思うよ」
……ソルとアレットが今日滅ぼした南の町は、港町であった。南の町は魔物の国へ向かうための港を有する場所であるため、さっさと滅ぼしておきたかったのである。
念には念を入れて、ということで、船は全て、破壊した。人間達は泳ぎが苦手らしい。『水を泳ぐもの』がそれなりに居る魔物達とは違うのだ。よって、船が無ければ、連中が魔物の国へやってくる危険は限りなく少なくなるのである。
造船中であったらしいものまでもを破壊する徹底ぶりで、ソルとアレットは人間の国の出口を潰した。これで後は、陸に閉じ込められた人間達を追い回しては殺していくだけである。
翌日は予定通り、海沿いに回って、船があれば破壊し、人間が居れば殺した。
大きな港でなくとも多少は漁村の類があったので、それらは優先的に潰す。
魔物の国に被害を出すわけにはいかない。人間はもう1人たりとも、魔物の国の大地を踏ませない。その意思はたった2人分であったが、ソルとアレットはたった2人で、何千人、何万人もの人間を殺していった。
「地図があると分かりやすくていいよね。ええと、この近くにも町があるみたいだから寄って行こうか」
「分かった。じゃあ、そこを見たら、東半分の海沿いは全部見終えたってことでいいか」
「うん。残り半分。それが終わったら真ん中に残してある町を狙っていこうね」
侵攻は順調だ。人間達の脱出経路を先に潰しておいて、大聖堂を最後に残しておく。人間達は1人では強くなく、そもそも、1人では生きていくことすら難しいという。街を焼かれて逃げ出した人間は逃げ出したまま1人で彷徨うことができず、救いを求めて大聖堂へと集まっていくのだ。撃ち漏らしを探しに行く手間が大分省ける。
「お肉食べ放題だねえ」
「だな。そろそろ人間の肉も食べ飽きてきた。まあ、食うけど」
「私は飽きないけれどなあ。ソルが料理してくれるし」
焚火を熾し、そこに鍋を掛け、今もソルが肉を焼いている。そこらで仕留めた人間の肉だ。今、人間の肉は余りあるほどに手に入る。ただ腐らせるのも勿体ない、と食っているようなものなのだ。
「久しぶりだったんだもん。ソルが作ってくれるご飯」
「ははは。まあ、そうか。そうだな……」
ソルは焚火の明かりに黒い髪も瞳も照らしながら、鍋を覗き込み、俯き加減に笑う。
「長かったな。たった半年かそこらだったが。今までのどんな半年より、長かった」
「……うん」
肉が焼けていく香ばしい香りに、焚火の煙の香りが混ざる。春の夜の、まだ冷たい空気の中では焚火の熱が嬉しいが、それでもまだ少々寒いアレットは、ソルの隣に座り込んで、一緒に鍋を覗き込む。
肉に焼き色が付いたところで、ソルはそこに皮を剥いて雑に切った芋をごろごろと放り込む。それから水が鍋に注がれ、じゅわり、と音を立てて湯気が上がった。アレットはそれを、小さく歓声を上げつつ見守る。……どうやら今日は、シチューになるらしい。
「人間を滅ぼした後も、仕事が山のようにあるだろうな。一度滅びかけた魔物の国を立て直さなきゃならねえ」
「それは私達以外の人達の方が得意かもね」
「だな。まあ、魔物の戦士の仕事が無くなるのはいいことだ」
本来、戦士など、居ない方がいい。居なくていいなら、それに越したことは無い。
だが、必要だ。必要だった。ずっと。……人間という愚かな生き物が刃を向けてくるから。例え魔物が一切の武力を持たなくとも人間は襲ってきただろうし、むしろ、魔物が武力を持っていなかったなら、より嬉々として襲ってきただろう。人間相手に和平など、実現しようがなかった。
……だから、滅ぼさねばならない。
魔物の戦士達が剣を置く日を実現するために、人間を、滅ぼさねば。
「俺達は俺達の仕事を完遂しねえとなあ。じゃなきゃ、この半年……いや、この3年の意味が、無い」
ソルはまた根菜の類を適当に剥いて切っては鍋に放り込んでいく。それを横で見ながら、アレットは……ふと、思う。
「ねえ、そういえばさ、ソル」
「うん?」
「魔王様がお亡くなりになってからの2年。ソルは、どうやって過ごしてた?」
アレットが人間に紛れて荷運びの仕事をしながら、フローレンと子供達を守っていた2年間。その間、パクスは荷車を牽くために働かされており、アレットの傍にいたが……ソルがどうしていたのか、アレットは知らない。
「多分、意図して話してなかったでしょ」
アレットがそう言えば、ソルは頷くでも首を横に振るでもなく、ただ、苦い顔で少々じっとりとした目をアレットに向けた。
「……楽しい話じゃねえぞ」
「だろうね」
ソルが敢えて話さなかったものだ。ガーディウムには話してあったのかもしれないが、少なくとも、アレットやパクスには聞かせたくないものだったのだろう。
「でも、話したいのかな、って思ったから」
……だが、聞かせられない、とソルが勝手に判断することを、アレットは良しとはしない。特に、時折、ソルの表情に陰りが見えることに、アレットは気づいていたので。
「話したい……のか?俺は」
「いや、それは自分で決めてよ……」
ソルは、きょとん、とした後、戸惑ったような顔でアレットを見る。だがソルの気持ちはソルにしか分からない。結論を出すのは、ソルだ。
「ソルが話して気持ちが整理できるなら、私は幾らでも聞くよ。聞いて傷つくような軟弱な魔物でもないし」
「……そうか」
アレットにできるのは、支えになることだけだ。……だが、それはきっと、無力ではない。アレットもかつて、フローレンやパクスと苦しみを分け合って、何とかやってこられたのだから。
「……じゃ、芋が煮えるまで、ちょっと話すか」
そうして、ソルはそう言って、あの日からのことを話し始めた。
「まず、あの日からだな。魔王が勇者に殺されて、それからだ。……あの時、俺は民衆の避難を優先してた」
ソルは話し始め、そして早速、苦い表情を浮かべている。
あの日のことは、全ての魔物にとって思い出したくない記憶である。平穏を奪われ踏み躙られて、絶望と憎悪の中に生きることになった、あの始まりの日のことは。
「隊員が王都に多く残ってることは知ってた。だが、あのまま王都に居たら、人間達に何をされるか分かったもんじゃない。だからひとまず、魔物の避難を……王都から東の方に森があるだろ。あそこに皆を先導した」
「ああ、あそこ……あそこなら食料も採れるね」
アレットの記憶に残る東の森は、自然豊かな美しい場所だ。
森の木々には木の実がたわわに実り、泉には清らかな水が湧き、薬草の類も豊富に生える。アレット達王都警備隊の面々の休日の過ごし方の1つは、東の森へ遊びに行くことだった。アレットもパクスも、あそこが好きだった。
「……あそこなら、人間が攻め込んできても不意打ちが利く。人間の数を削れば後は俺達だけでもなんとかできる。そう思って東の森を選んだ。ま、結果から言っちまえば、上手くいったよ。王都陥落後も俺達はしばらく、あそこで抗戦してた。……結構いい戦果だったんだ。自分で言うのもアレだが、よくやったもんだな」
ソルはそう言って、少々力無くも笑ってみせる。ソルは身軽な空飛ぶ者らしく、足場の悪い場所での戦いや不意打ち混じりの戦いが得意だ。彼が指揮すれば、戦えない魔物を多く抱えた一団であってもそれなりに抗戦できただろう。
「……だが、一月か二月した頃。森に火、点けられてな」
だが、人間は後先構わずこの国を滅ぼす勢いなのだ。森の美しさにもそこに生き伸びる魔物の命にも、人間は価値を見出さないらしい。
そして人間の技術は大したもので……人間は極めてよく燃える油を持っていたらしい。それも、森を囲み切れるほどの量を、わざわざ人間の国から持ち込んだのだ。銃といい、空気に溶ける毒といい、よく燃える油といい、人間は厭な武器ばかり持っている。
「地下の遺跡、あっただろ。あそこを食料貯蔵庫代わりに使ってたから、戦えねえ奴は全員潜らせた。だが、火で炙られて魔物1匹出てこないとなれば、人間共は間違いなく地下も探しに来る。だから……それで、隊の者だけで先に出ていくことにした」
……アレットは只々、痛ましく思う。要は、身代わりだ。自分達が死地へ赴くことで、残った魔物達に活路を残そうとした。そのために、王都警備隊の隊員達、魔物の戦士達は……。
「戦えない奴らは、戦いが収まった後で森を脱出して、南の方へ逃げろ、ってことにして……だがな」
ソルは視線を焚火に落としながら、ふ、と笑う。その瞳には憎悪より憂いの色が濃い。
「駄目だった。戦えねえ奴らが、言ったんだ。『もう生きていく気力がない』ってな」
守って生かして、なんとかやってきた。それなのに、守って生かしてきた相手からそう言われたなら……どれほど、空しいことだろう。
「だが、人間達に殺されるのは癪だ。ついでに、捕まって好き勝手されるのは、もっと嫌だな。誰だってそうだろ」
ソルはそう言って、それから息を詰まらせたように暫し、黙る。
「……だから、殺した」
そうして唐突に発された言葉は、随分と乾いて硬かった。
その手で守ってきた者達を、その手で殺す。魔物の戦士としての矛盾を、それでもソルは、やってのけたのだろう。彼の表情がそれを物語っている。
「全員だ。全員、そこで殺した。それで、食った。戦える奴らで……戦えない奴らを殺して、食って……守るべき民を殺して食って、強くなった感覚があった。魔力の補給ができたってことなんだろうが……守るべきものを失って強くなって、一体、何になるのかって思ったな」
ソルの話を聞いて思い起こされるのは、フローレンのことだ。……守るべき相手を踏み台にして、アレットは今、ここに居る。そうするしかなかったが、そうしたかった訳では、なかった。
「だからな、アレット。お前は姫を食ったのが同胞食らいの一回目だったんだろうが……俺は、もう、何回もやった後だったんだよ」
そういえば、ソルは落ち着いていたなあ、とアレットは思い出す。あの時のアレットは、ただ悲しみが追いついていないだけだったが……ソルは本当に、落ち着いていた。あれはそういうことだったんだな、と、アレットはようやく理解した。
「……で、まあ、仲間を食った俺達は、それから人間達への反撃に出た。魔力が補給できたもんだから、それなりに戦えた。だが……まあ、囲まれてたからな。何人か、そこで死んだな。誰が死んだか、もう、思い出せねえが……」
「……そう」
アレットには何人か、心当たりがある。自分と同じ隊で働いていた仲間達。その内の何人かとは……その毛皮や角と、人間達の市で再会したので。
あの時の悲しみも憤りも、覚えている。覚えているが、思い出したくはない。今もまだ……或いは永遠に、気持ちに整理がつかない。
「俺はできるだけ、囮になった。人間は数だけは居やがるからな。俺が引き付けておけば、他の隊員がやりやすくなっただろうし……まあ、何より、卑怯な、ことに……」
ソルは静かに息を吐いて、静かに零す。囁きのような声は、それでも確かにアレットへ届く。
「生きる気が、無かった。俺も」
……それを聞いた途端、アレットは思わず、ソルへ手を伸ばし、強く抱きしめる。
生きる気力を失った我らが隊長が、それでも生き残ったことに感謝し、ある種、死より惨い生を与えられたことを憐れみ、そして、今ここで共に立つ仲間のことを思い出してもらうために。
「……今は大丈夫だ。生きる気がある無しはさておき、人間を殺す気力は有り余ってるからな」
ソルは苦笑しつつ、アレットの背に翼を回して、ぽふ、と軽く背を叩く。
「うん……気力を無くされたら困るよ」
「ああ。お前をまた1人にする気はねえよ」
アレットはソルの顔を見ないまま、ただ、翼に埋もれる。
……ソルは、今も尚、生きる気力を失ったままなのだろう。ただそれでも、人間への憎しみや仲間達への責任感が、ソルを動かしている。
アレットは、そんな隊長を心から尊敬し、そして同時に、哀れに思った。
救ってやりたい、と思う。だが、どうやっても救えないとも、分かっている。
どうしようもない気持ちを抱えて、アレットはただ、ソルを強く抱きしめていた。
……ソルはそんなアレットの後頭部を見て、ふ、と笑う。『救われた』というような顔で。




