殺し見殺し皆殺し*4
そうして朝が来る。魔物達の運命を決する日の朝が。
「いいか!今日は悪しき魔物達を真の意味で打ち払う日!今日を限りに魔物達はその力を失い、呪われた大地は我ら人間の手に戻って蘇ることだろう!」
兵士長の言葉が響き渡る中、士気がやや低い兵士達は整列して兵士長を見つめていた。
兵士達の数は当初の予定よりずっと少ない。毒にやられた兵士達が居た他、最後に合流するはずだった義勇兵の一団が到着せず消息を絶ったからである。
そして、銃もその大半が失われていた。火薬はほとんど燃え、或いは湿気って使い物にならない状況なのだ。銃本体だけが燃え残っていたとしても、役に立つはずがないのだから。
……だが、そんな『役に立たない』銃が、兵士達の手に握られている。
「かつて、魔物達に勝つことが難しかった我々だが、今の我々には銃がある!」
兵士長は朗々と語る。……アレットもまた、『火薬が込められていない』銃を手に、じっと兵士長の言葉を聞いていた。
「魔物共は銃を恐れている。奴らは撃たれるその時まで、弾が出るかどうかなど確かめる術がない。……銃を存分に、威嚇に使え」
馬鹿馬鹿しい話ではあるが、人間達は使い物にならなくなった多くの銃を、捨てはしなかった。
兵士達は皆、銃を手に整列している。銃を扱ったことが無いアレットも構え方を兵士長直々に教わり、堂に入った構え方ができるようになっていた。
……このような人間達を見て襲おうと思える魔物は、そう多くないだろう。
そう。魔物達は銃を恐れている。人間達の言う通り、魔物にとって怖いものは『勇者』と『銃』なのだ。その銃から弾が出るかどうかなど、確かめようもない。確かめられる時が来るとすれば、それは銃に撃たれる時なのだから。
「残った火薬と弾で威嚇射撃を行う。その後は魔物共が勝手に銃を恐れるのに任せて防壁を築け!」
……そして、火薬が完全に失われたわけではなかったのが災いした。
10丁の内の1丁でも弾を出す銃があったなら、残りの9丁も警戒せざるを得ない。何も知らない魔物達からしてみれば尚更だろう。
「魔物共を決して処刑台に近づけるな!奴らの目の前で悪しき魔王の姫の首を刎ねてやるのだ!」
だが、アレットは知っている。銃のほとんどが見掛け倒しの玩具に過ぎないということを。
……だから、アレットが道になる。
アレットが突破口となって、魔物達を希望ある未来へと導くのだ。
兵士達が王城を出る。そして先頭の兵士が門を出てすぐ、手近な魔物を撃ち殺した。
何の前触れもない、それでいて容赦のない行動にアレットも目を疑う。そして後から遅れて、じわり、と憎悪が滲み出てきた。
だが、アレットは未だ、人間達の隊に混じって動いていた。
……本来ならば、アレットは既に人間達から離れている。昨夜、銃の火薬を処理し終えたならアレットはもう人間達と共に居る必要が無かったからだ。
だが、事情が変わった。人間達は使えない銃をハッタリとして使おうとしている。それで魔物達を威嚇しようというのなら……アレットが人間達の中に入っておいた方が都合がいいだろうと考えた。
そして人間側としても、アレットを手放せない理由がある。
それは単純な人員不足。毒によってやられた人間の数を見て、兵士長は多くの兵士達の配置を変えた。そしてアレットは人間の国の中央部からやってきた兵士達に混じって、中央広場の警備に割り当てられたのである。
義勇兵としては有り得ない程の大抜擢なのだが、人数が足りない以上仕方がない。尤も、兵士長はアレットをこの任務に就かせることを少々嬉しく思っているらしかったが。
ということで、この先、どこかで本隊と『穏便に』別れなければならない。さもなければ、パクス達までもを見殺しにすることになりかねないのだ。
……約束したのだ。『蝙蝠は約束などすぐに違える』と言う者もあるが、アレットはその言葉通りになりたくなどない。
自分の加勢を待っているであろうパクスのためにも、隊を抜けなければならない。その結果怪しまれ、アレットが狙われることになろうとも。
……その時だった。
「魔物の姫だ。くれぐれも、処刑前に死なれないように」
兵士長が連れてきたその者に、アレットは目を奪われた。
……捕らえられ弱ってそれでも凛として前を向き、引きずられるでもなく颯爽と歩くその姿。
レリンキュア姫が、そこに居た。
レリンキュア姫は銀の髪を揺らし、金の瞳で人間共を睥睨し、やってきた。
……元は腰に届くほどに長かった髪は人間共に切られたのか、肩のあたりで不揃いに揺れている。だがその金の瞳はかつて見た時と何ら変わっていない。
側頭部から捻じれて伸びる角と背から伸びる翼は竜のそれ。角の先が折れ、翼が傷ついていても……それでも魔物の姫の名に恥じぬ美しさであった。
姫の目はゆったりと人間達の間を動き……そして、アレットに目を止めた。
アレットは他の人間達に気づかれぬよう、そっと、姫に対して敬意を示す仕草を取る。目を伏せ、片足を引き、僅かながら姿勢を低く。
……それに気づいたらしい姫は、少々愉快そうに笑みを浮かべた。口元を綻ばせ、より凛として前を向き、歩く。
余りに堂々とした姫の仕草を人間達は良く思わなかったらしいが、『生意気だぞ』などと口にした人間は射殺されそうなほどの視線でぎろりと睨みつけられ、青ざめて口を噤んだ。
姫がどのような目に遭っているか、というのは、アレット達も心配していた。姫は髪や角からみても分かる通り、傷を負っているようだ。だが……それ以上のことも無いように思われた。恐らく姫は、自らの魔力を用いて戦い、自らの身を最低限守ることに成功していたのだろう。
やはり、次期魔王は次期魔王である。
アレットは胸の内に燃える希望の火を確かに感じながら……姫の姿に勇気を得て、動く。
……その時だった。
ふっ、と日が陰る。そして……ドサ、と、兵士達の目の前に何かが落とされた。
先頭の兵士のみならず、多くの者がそれを見ることになり……悲鳴を上げた。
……それは、義勇兵として王城に到着するはずだった人間の、無残な死体であった。
「なっ……なんだ!?」
「酷い……こんなもの、誰が……」
人間達は自然と、死体が降ってきた先……上空を見上げる。アレットも、分かり切った答えを知るために視線を上に上げた。
……そこにあったのは、太陽の光を遮って滞空する、影の如く黒いその姿。漆黒の翼も漆黒の髪も、漆黒の瞳も何もかもが頼もしく、誇らしい。
ソルがそこに居て、人間達を見下ろしていると、人間達も我に返ったように動き出した。
「撃て!」
兵士長がそう指示をするや否や、銃が火を吹く。……だが、弾を出した銃はそうは多くない。そうでなくとも、ソルなら全弾、余裕を持って避けただろうが。
……そして、兵士達が銃に次の弾を込めたり、弾を込めるふりをしたりしているのをソルが待つはずもない。ソルは宙で翻ると、勢いよく人間達の列へと突っ込んだ。
ソルがその足で握ったナイフが人間達の首を狙う。黒い風が吹き抜けていったと思ったら、すぱり、と人間の頸動脈が切れている。血が吹き出して地面を汚し、兵士達の絶叫が通りに響いた。
「何をしている!怯むな!」
兵士長が鼓舞するも、兵士達の隊列は乱れたまま。ソルを攻撃するに至らない。……そして。
さっ、とソルは動いて、アレットの手から銃を奪った。
「あっ!」
にやり、と笑って、ソルは羽ばたいて消えていく。上空へと上がってしまったソルを追いかけるように銃弾が撃ち込まれるが、ソルはそれらを全てひらりと躱し、町の向こうへ消えていった。
「……追います!」
この機会を逃すアレットではない。アレットはすぐさまソルが飛んでいった方へと駆けていく。
「待て、アレット!」
兵士長はアレットを呼び留めたが、アレットは気にせず駆けていく。ここで多少怪しまれようが構わない。どうせすぐ、そんなことは関係がなくなるだろう。
アレットは走った。走って、走って……集荷所へ辿り着くと、集荷所の前で魔物が暴れているのが見えた。
彼らは皆、厩に繋がれていた魔物達である。パクスを筆頭に数人が、手足を枷で封じられつつも懸命に戦っていた。
「助けに来たよ!」
そこへアレットは飛び込んでいく。すると、人間達もパクスも、表情を明るくした。
「おお!アレット!来てくれたのか!よかっ……」
そしてそこでアレットは、躊躇することなく人間の喉をナイフですぱりと斬り裂いてやった。
「……え?」
人間達はそれを見て、何が起きたのか分からないような顔をしていた。……だが、アレットは躊躇うことなく、二人目の人間を殺すべく動く。
「あ、アレット!?どうしたんだ!?」
人間達の悲痛な疑問に答えることなく、アレットはすぐさま次の人間を殺す。心臓を一突きし、続いて三人目へ。
……アレットに対して友好的に接してきた人間達は、アレットが戦いにやってきたことで大いに混乱したらしい。すぐさま反撃に出ることもできないまま、ぽかんとしている間にアレットに殺されていく。
「ああ、流石、先輩……!」
パクスは目を輝かせてアレットの姿を見ていたが、人間達はそんな余裕も無いか、はたまた、最早どうしようもないということを悟ってただアレットを見つめ、アレットに殺されるのを待つか。
ここで一匹たりとも逃してはならない。アレットは逃げようとしている人間を優先して殺していく。ナイフを両手に握って、飛ぶように、舞うように人間を仕留めていく。
「……く、くそ!アレット!一体どうしたんだ!」
そうして最後に残っていたのは、逃げるでもなく呆然としていた人間である。アレットが最も会話してきた相手であったが、それだけに現実を受け入れられないらしい。
「アレット、アレット、正気に戻ってくれ。アレット……」
人間の恐れと逃避の入り混じった言葉を聞いて、『最初からずっと、正気なんだけれどなあ』と思いつつ、アレットはその人間の首をすぱりと掻き切った。
「はい、パクス。手を出して」
「はい!ありがとうございます、先輩!」
そうしてアレットは、パクスの手足の枷を外すことができた。
集荷所の前は、人間数人の死体と血だまりに汚れている。それを踏みつつ、アレットは次々に魔物達の枷の錠を外していった。
……魔物達は礼は言わなかった。今まで散々アレットのことを悪し様に言っていたのだ。今更礼を言う気分にはなれないのだろう。だが、アレットとしては別に構わない。彼らの気持ちが分かるから、などと言ってしまってはあまりに傲慢だろうが……欠片くらいは理解できると、思っているので。
「ほら皆!戦える奴は戦いに行くぞ!折角先輩に助けてもらったんだからその恩は戦って返せ!」
一方、その辺りをあまり考えず、よく言えばさっぱりとした、悪く言えば無神経な言葉を発しつつ、パクスは戦いの興奮に尻尾をぶんぶんと振っている。
……そして厩の魔物達は、そんなパクスを小突いたり悪態を吐いたりしつつも……中央広場の方へ向かって、動き始めていた。
「さあ先輩!行きましょう!今こそ暴れる時です!」
そしてパクスは久しぶりに自由になった両手両足を動かしながら、満面の笑みでそう、アレットに言った。
「……そうだね。よし。精一杯、暴れてこようか」
アレットもまた、戦いの気配に高揚と緊張を漲らせ、広場に向かって足を踏み出し……。
否。
アレットは翼を広げて、飛び立った。




