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私達に棺は必要ない  作者: もちもち物質
第六章:憧憬【Somnium pacis sicut sol】
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贖罪*3

 レオは只々、衝撃を受けていた。

 同じ人間達からの嫉妬や羨望、それに合わせてやってくる憎しみの類には、慣れている。だが……こうまで純粋に、憎しみをぶつけられたことは無かったのである。

 ましてや、魔物が何を思っているのかなど、考えたことも無かった。ただぼんやりと……魔物もまた、この戦いを憂えているのだと、思っていた。それ故に、停戦と和平を喜ぶだろう、とも。すぐには受け入れ難いとしても、いずれ、皆が望んでそうなるだろう、と。

 ……だが、その考えがあまりに身勝手で傲慢だったことを知った。

 魔物は、人間に対して何の躊躇いも抱いていない。魔物を幾らでも殺せるレオが魔物を殺すことを躊躇うようには、魔物達は躊躇わないだろう。魔物が人間を殺さないのは、殺さないのではなく……殺せないから。ただ、それだけだったのだ。

 ……そしてレオは、反応が遅れた。自分自身の足元から世界が崩れるような衝撃を受けて、咄嗟に動けなかったのである。

 そして、その隙を見逃すほど甘くもない犬の魔物によって、レオはざっくりと、その左腕を切り裂かれていた。


 魔物の牙が左の胸に迫って、レオはようやく動いた。

 大きく距離を取って、次の攻撃を防ぐ。……咄嗟に動いていなかったなら、牙が貫いていたのは左腕ではなく、胸……心臓だっただろう。

 緊張に寒気が走る。だが、だからこそ、ここで動かないわけにはいかない。レオは数度、魔物の攻撃を防いで、そうしてようやく、左腕の痛みを感じ始める。

 痛い。どくどくと血が溢れ出ていくのが分かる。痛みは熱を伴って、レオの理性を徐々に奪っていく。

 自分はどこで間違えたのだろう。そもそも自分は何をしたかったのだったか。思い返してみても、明確な答えが出てこない。

 最初は、魔物をただ殺すことがレオの使命であった。命じられ、そのように動くと同時に……だが、レオ自身も、何も思わないわけではなかったのだ。

 魔物を殺すことで、世界が平和になると信じていた。完全なる善行として、レオは魔物を殺していたのだ。そうして魔物を殺して、魔王すら殺して……人間達から向けられる賞賛と感謝の声が、心地よかった。

 それが、自分の立場が揺らいだことで、少々、変化した。

 レオは『偽物の勇者』とまで言われ、今までの功績すらなかったことになろうとしていた。散々戦って、散々殺してきたのに、手のひらを返したような結末。……それはあまりにも、許し難かった。

 そうしてレオは、人間をも憎むようになった。特に、アシルに対しては、リュミエラについての負い目があると同時に、憎悪もまた、強く感じていたのだ。きっと。

 ……そして、フローレンだ。

 彼女が現れて、人間達の中で動き回っているのを見て……そこでようやく、レオは自身の行いを顧みた。

 自分の意思は何だったのかもよく分からないままに考え、すっかり悪くなった自身の立場を思えば今までが間違っていたことは明らかであって、そして、これからの行いを考えた時……レオは、フローレンの傍に、自分の居場所を見つけたような気がしたのだ。

 魔物と人間が共に在る場所。そこが、レオの居場所だと思えた。魔物を殺し、なのに人間からもよく思われなかった自分の、居場所。

 その居場所を生み出すために動いていれば、いつか、自分が望むものが手に入るように思えた。だからレオは、人間と魔物の和平について、積極的に動いてきたのだ。人間達の治安を維持しなくてはならず、そして今、人間との和平を望まない魔物を見つけたのだから、この魔物を殺さなくてはならない。

 ……そう。レオは、殺すことに解決を見出した。

 自分と意見を異にするものがあれば、それを殺していけばいい。そうして生き残った者が、正義である。

 一度、そうやってレオは生きてきたのだ。なら、二度目も同じことである。

 最早、自分が間違っているかどうかなど、レオは気にしなかった。魔物と分かり合えないことを憂う気にもならない。

 自分が間違っているというのならば……『お前は間違っている』と言う者を皆、殺せばよいだけの話なのだから。




 レオは剣を構える。相手が上位の魔物であろうとも、レオは勇者だ。何も恐れることは無い。そして何より、今のレオには迷いが無いのだ。自らの道を突き進むと決めた。そうしなければ自分の全てが失われる、と追い詰められた。それだけに、レオの剣は鋭い。

 犬の魔物は素早く、かつ力強い。それこそ、今までに戦ってきた魔物とは一線を画すような……魔王を相手にした時のような、そんな迫力さえある。

 だが、直情的だ。

 小細工を弄することなく、犬の魔物はただ真っ直ぐに突っ込んできた。それでも純粋な力と速さを伴う突進は、十分な脅威となったが……それを上回る力を持つ勇者が相手にとっては、十分に見切れる攻撃だった。

 他愛ない、と思う。この程度なら実戦経験の足りないアシル・グロワールにも倒せるだろう、とも。……そう思えば、形の無い苛立ちがレオの内側を満たしていく。

 ……そしてレオは、さっさと決着をつけるべく、剣を突き出す。




 パクスは知っている。ソルがより簡単に強くなる方法が、あるのだ。

 ……自分を食べればいい。パクスの中には、姫やガーディウム、ベラトールにヴィア……皆の魔力が貯めこまれている。それを、ソルが食べればいいのだ。そうすればソルは、強くなれる。今よりも確実に、強くなれる。

 でも、ソルはそうしようとしなかった。ソルは優しいので、パクスをそんな目に遭わせたくなかったのだろう。

 ……パクスは賢くはないが、愚かでもない。自分がソルの足枷になっていることくらい、とっくに分かっていた。

 だからパクスは戦った。

 アレットは勇者と勇者の同士討ちを狙っているらしいと知っていたが。

 ソルは儀式を中止してでもパクスを守りたいだろうと知っていたが。

 それでも、自分が枷になるのは嫌だった。魔物の未来のために全てを捧げる覚悟があった。

 そして何より……目の前の勇者が、憎かった。

 自分達から棺を奪った人間を、ただ、殺したかった。




 レオの剣が、パクスを貫いた。愚直なまでに真っ直ぐなパクスの挙動を読むのは、レオにとって容易いことだっただろう。

 ……だが。

 パクスは動く。自らの体を剣に刺し貫かれて尚、動く。

 あり得ない行動。普通の生き物であれば痛みに阻まれて止まるであろう挙動。それでもパクスは止まらない。自らの胸に突き刺さった剣をより深く突き刺すようにして、レオへ手を伸ばす。

 ただ、執念がパクスを動かしていた。怒りと、憎しみと……そして、どうしようもない悲しみが、パクスに手を伸ばさせる。

 レオが、自分に届くはずはないと信じていたその手が、届いた。

 爪が、レオに食い込む。


 そしてパクスが宣言した通り、パクスの爪はレオの右目を深々と抉りぬいていったのである。




 魔王にさえ許さなかったような攻撃を受けて、レオは、茫然とする。

 こんな魔物一匹から受けるべき傷ではなかっただろう、と自問する。

 レオは容赦なく剣を振るって、貫いたままだった魔物の胸を切り裂いていく。だが、それでも尚、魔物は動く。傷から血を零し、口元からもごぼごぼと血を吐きながら、それでも、動く。

 ぎらぎらといっそ狂気めいた飴色の瞳は、未だ強く意思を宿してレオを睨んでいる。

 ……そして、魔物の咢が大きくぐわりと開き……レオの右腕に噛み付こうとする。

 無論、そんなことを許すほどにレオは甘くない。目を奪われようとも、手負いの魔物一匹に腕までくれてやるほど甘くはない。レオはただ、剣を突き出せばいい。それだけで、愚直に突進してきた魔物は貫かれて死ぬ。

 ……はずだった。


「え」

 魔物の牙より先に、レオを貫いたものがあった。

 それは、刃。人間の手によって打たれた鋼の剣が、レオの胸を後ろから刺し貫いていた。


 レオは、自らの胸から生え出た刃を見下ろし、血を吐いた。次の瞬間、犬の魔物は容赦なくレオの右腕を噛み千切っていったが、レオにとっては最早そんなこと、どうでもよかった。

 ぎこちなくしか動かない首を回して、振り返る。それは、自分の胸を貫いた刃に見覚えがあったから。

「……て、めえ」

 そしてレオは振り向いた先で、青空色の目と見つめ合う。

 アシル・グロワールが、剣を握ったままレオを睨んでいた。

 ……それを確認するや否や、レオの体から力が抜ける。レオはそのままその場に崩れ落ちた。




 レオは荒く浅い呼吸を繰り返しながら、仰向けに倒れ伏していた。胸に空気が入っていかない。体が冷えて動かない。血が流れて消えていく。

 ……そして、青空色の目が、自分を見下ろしている。

「愚かな」

 吐き捨てるような言葉を聞きながら、レオはただ、薄れていく意識の中で思う。

 人のために戦ってきた。ただの農民がいきなり勇者となって戸惑ったが、それでも魔物の国へ渡って、ずっと、戦い続けてきた。

 そうして人を助けてきた。誰かの役に立ちたくて、誰かを幸せにしたくて、ずっと、ずっと、進み続けてきたのだ。勇者として。人を救う神の使いとして。

 ……なのに。

「誰が、俺を、助けてくれるんだ」

 散々今まで人を救うため戦ってきたのに、自分を救ってくれる人は誰も居ない。あまりに、空しい。

 レオの声は途切れ途切れに掠れる。それでもレオの声はアシルに届いたらしい。アシルはただ、不愉快そうに眉を顰めてレオを見下ろす。その目を見上げながら、レオは初めて自分の勇者の瞳を鏡で見た時のことを思い出す。

 神に選ばれたのだ、と喜んだ。

 自分にしかできない使命を与えられたことが嬉しかった。これから誰かに必要とされるのだと期待した。そして何より、神に必要とされたことが、嬉しかった。

 なのに。なのに。

「神様すら、俺を助けちゃくれない」

 今、神すら自分を見放した。神が選んだのは自分1人ではなかった。きっと、誰でもよかったのだろう。レオは特別な存在でもなんでもなかった。神はレオを愛してなどいなかったのだ。

 だが、自分を勇者にしたというのなら、その神様くらい自分を助けてくれたってよかったんじゃないか。こうなるなら、一体何故、神は自分を勇者にしたのか。愛するつもりも無いのに、何故。

「なん、の、ために、俺は」

 ……結局、何も得られなかった。名声は奪われ、妹を喪って、平和な世界すら創れないまま、誰にも救われずに死んでいく。

 大それた名誉など要らなかった。ただ、誰かの役に立ちたかった。そして、道具としてではなく、1人の人間として、必要とされたかった。

 ただ、愛されたかった。きっと。


 ちら、と横を見れば、いつの間にかフローレンが犬の魔物をレオから離れた場所に運び、そこで何か、話している様子が見られた。

 魔物ですら、ああして愛してもらえるのだ。美しく優しい生き物に最期を看取られて、幸せに死んでいくのに。

 最早、怒りすら湧いてこない。ただ、ありとあらゆる世界の全てへの憎悪と、あまりにも大きな空しさ……そして、深くレオを突き刺す悲しみが、今のレオの全てだった。

 誰からも必要とされず、ただ、レオは嘲笑う。

「勇、者……なんて、要らねえ、よな」

 自らを。そして、自分を見下ろす瞳を。

 俺もお前も、必要無い。神も世界も誰も、必要としていない。

 ……レオはどこか達観したような気持ちのまま、目を閉じる。そして意識が消えていくまでに、そう時間はかからなかった。




 アレットはパクスを退避させて、そこで止血を行っていた。だが、アレットの努力も空しく、パクスの傷口からはどんどん血が流れ出ていく。

 ……アレットにも、分かっていた。最早、どうしようもないと。

「どうして、こんなこと……パクス、ねえ、しっかりして」

 もっと言うべきことがあるだろうと理性は主張するが、アレットはただ混乱したまま、パクスを見つめるだけだ。

 ……すると、パクスは薄く目を開いて、そして、随分と嬉しそうに笑うのだ。

「ああ……先輩だあ」

 笑ってる場合じゃないでしょ、と怒ってやりたいような、私を見るだけでそんな顔しないでよ、と泣いてやりたいような、そんな気持ちがアレットの胸の内を吹き荒れる。

 渦巻く激しい感情がアレットから言葉を奪っている間に、パクスは細い息を吐きながら、そっと、話す。

「すみません、俺……どうしても、あいつを、殺してやりたかった」

 ……それは、愚かにして誇り高き、魔物の戦士の言葉だった。


「俺、先輩みたいに、頭良くないから。どうしていいか、分かんなかったんです」

 譫言のようにそう呟いて、それから、パクスはアレットの目を見つめる。

「ごめんなさい。俺は、わがままです。俺の、わがままで、こんなことしました。先輩が、もっとうまく、やってくれるの、わかってたけれど、でも。……やっぱり、馬鹿ですか、俺」

「……うん。馬鹿。すごく馬鹿」

 アレットもパクスの目を見つめ返して、そっと頭を、顎の裏を、撫でてやる。

「でも、それがパクスだから」

 愚かな可愛い後輩。……恐らく、この先に居るであろうソルの邪魔をさせたくなかったパクスは、ここで無謀にも戦ったのだ。そんなことをせずとも、ソルならば上手くやっただろうが……それでもパクスは戦いたかったのだろう。

『どうしてもあいつを殺してやりたかった』。パクスの言葉が、アレットにも理解できる。パクスの言葉を否定することは、できなかった。

「先輩、どうです、俺……隊長みたいに、なるのが、夢だったんですよ。隊長は、俺の、憧れで……俺、ちょっとは、隊長っぽかったですか」

「……うん。すごく、格好良かったよ、パクス」

 アレットはパクスを褒めて、撫でてやりながら、思う。

 ……できることなら、一緒に居てほしかった。格好悪くてもいいから、ずっと、一緒に。

 だが、そんなことは言わない。パクスが魔物であるのと同じように、アレットもまた、魔物だから。


「……先輩。俺、今なら、あいつらの気持ちが分かりますよ」

 そしてふと、パクスはそう漏らす。

「あいつらは、幸福だったんだ。……今、俺も、同じ気持ち、です」

 あいつら、というのが誰のことか、問わずとも分かる。

 魔物達だ。死んでいった、魔物達。アレット達を先へ行かせるために死んでいった魔物達全てが……幸福だった、と、いうのならば。パクスもまた、幸福だというのなら。それは、アレットにとって救いになる。

「何も、寂しくないですよ。先輩。きっと先輩と隊長が、人間を皆殺しにしてくれるし……魔物達は、楽しく、暮らしていけるように、なるし……俺は、勇者を殺せるくらい、頑張れた、し」

 パクスはぼんやりとしてきたらしい意識に引きずられているのか、今にも眠りそうな調子で話し、笑う。

「……先輩に手を握ってもらいながら死ねるっていうのも、最高ですよね」

 アレットは黙って、パクスの手を握った。随分と冷たく冷えてしまった手には、アレットの手のぬくもりが伝わっているだろうか。


 それから少しして、かさ、と物音が聞こえる。風に木の葉が舞う程度の微かな音と共にやってきたのは、ソルだ。

「隊長……綺麗に、なりましたね」

 ソルは魔力が上手くいき渡ったのか、毛艶がよくなった。濡れ羽色の羽はいよいよしっとりと美しく、陽光に艶めく様子は確かに、綺麗だ。

「……そういう台詞はせめてアレットに言え」

 そんな美しい『魔王』は、そっとパクスの傍ら、アレットの向かいに膝をつき、アレットが握っていない方の手を、握ってやる。

「うわあ、俺、すっげえ幸せ、なんじゃないですか、これ……」

 パクスは、とろけるように笑う。陽だまりでよく干した布団に埋もれた時もこんな顔だったなあ、などとアレットは思い出す。……もう一度、柔らかな布団に埋もれさせて、この顔を見たかった、とも。

「先輩、先輩。俺の死体から尻尾切り取って持ってっていいですよ」

「……それはやめておくよ。ぶんぶん振り回されてこその尻尾だから」

 アレットはパクスの尻尾を撫でる。すると、弱弱しくだが、尻尾がふるん、と揺れる。

 随分と長い間、ずっと、アレットを励まし続けてきた尻尾だ。魔王が死んでから人間に紛れて生きている間、ずっと、パクスが傍にいたからアレットは耐えてこられた。荷馬車を牽きながら笑顔でアレットと話し、ぶんぶんと尻尾を振るパクスが居たから。その笑顔に、尻尾に、明るさに、ずっと救われてきたのだ。

「私達が大地に還った後、存分にふわふわさせてね」

「はい。いっぱい、ふわふわ、してください」

「覚悟しとけよ。本当に遠慮なく撫でるからな」

「やったー、楽しみにしてます!」

 アレットとソルがそれぞれにパクスの尻尾を撫でてやると、パクスはこれまた随分と嬉しそうに笑い……そして、動かなくなった。

 永遠に。

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[良い点] 憎き勇者に一矢報いる事も出来て、大好きな二人に見送って貰えて良かったなぁ…(泣 [一言] パクスの最期の咆哮は立派でしたね。 もうふわふわ尻尾ブンブン丸が見れないなんて寂しいぜ…
[良い点] 感想返しを見て納得、まんまと騙されましたぁ~w 最初からパクスが先だったのですねぇ、実は…。
[一言] かわいそうなレオ。流され続けることの危険さと、自分で考える大事さを、知ることもできなかった。無念でしょうね。
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