破滅への行進*8
フローレンへの思慕を自覚してからのレオは、できるだけフローレンを避けるようになった。
フローレンが居ない間に見回りを済ませ、他の兵士を連れて大聖堂の残党の制圧に赴く。そうしたレオの行動をフローレンは心配そうにしていたが、アシルはどちらかといえば、喜んだ。アシルはフローレンがレオと行動を共にすることを、快く思っていなかったのだから、当然と言えば当然だが。
……そうしてレオは、フローレンという抑止力を失い、どんどんと仕事にのめり込むようになった。
このままではいけない、と思ったのだ。レオは、アシルから再び婚約者を奪うような真似はしたくなかったのである。だから、何もかも忘れるために、ひたすら、動き続けることを選んだ。
……リュミエラのことは、深い負い目として、レオの中に刻まれている。
アシルに対して……自分とは異なり、生まれた時から寝食に困らず生きてこられた尊い身分の相手に対して、憎しみを覚えたことが無いと言えば嘘になる。だが、今のレオは、アシルが苦労してきたことも知っており、何より、フローレンを深く深く愛していることを、知っているのだ。
だからこそ、レオがフローレンを想うことは許されない。そう、分かっているからこそ、レオはがむしゃらに進み続ける。エクラの死からも、フローレンへの思いからも目を背けて。
そうしてレオが働けば働くほど、王都は静かになっていった。
少しの悪事も見逃さない見回りに、民衆がすっかり辟易したのである。レオが王都の外から捕らえてきた『罪人』を見れば、それが冤罪によって連れてこられた罪無き人なのではないかと囁き合うようになった。そして……何か自分達がしでかせば、同じことになる、とも。
レオの行動を止める者は居ない。新王はまだまだ玉座を離れて仕事ができない程に忙しく、また、休憩の時間はそのほとんどをフローレンと共に過ごしている。レオの行動はまだ、新王の耳に入っていないらしい。
そしてフローレンもまた、レオが意図して離れている上、アシルに捕まえられているため、レオを止められる位置に居ない。
次第にレオの暴走ぶりは熱を帯びていき、レオは次第に民衆からの支持を失っていく。或いは、暴力的で刹那的な一派からの支持を強め、より一層、暴走していく。レオを案じる民も居たが、それでもレオは、止まらない。
……それはまるで、破滅への行進。だが、それにも、レオはまだ気づかない。
「何?スプランドールが?」
そうして、レオの暴走にレオより先に気づいたのは、アシルだった。というのも、フローレンがレオより先に相談しに来たからである。
「はい。どうも、最近の取り締まりが厳しすぎるとか……市場の人達からそう聞きました」
心配そうにそう告げられ、アシルは悩み始める。
……アシルは当然、レオに個人的な恨みがある。婚約者を奪われた恨みがあること以前に、第一王子側に担ぎ上げられたレオによって随分と苦しめられた時期もあったのだ。恨みはごく当たり前のものである。
だが……リュミエラについては、最早どうでもいい。むしろ、リュミエラを簒奪されていなければフローレンとの出会いも無かったと思えば、むしろあんなろくでもない女を奪い取ってくれたことに対して感謝の念すら湧き上がってくる程だ。
そして第一王子も最早死んだ。レオ本人は道具としてあちこちで使われていただけであり……無論、道具としてただ使われていた愚かさについて思うところはあるが、だが、それは善性とは関係の無いものだ。然程、気にならなかった。
そう。そこまでなら、アシルはレオに対して、『まあ上手く使ってやろう』という程度で済んでいたのである。だが、最近のレオは……エクラを喪ったことから、フローレンの同情を買って、そして、フローレンをアシルから奪っていたのである。
……レオがどちらかといえば、アシルとフローレンの仲を応援している、ということは、アシルにも分かっていた。だが、分かっているからこそ……自分達の仲を応援する立場でありながら、妹の死にかこつけてフローレンをアシルから引き離していたことに、どうも、納得がいかない。
良くも悪くも、アシルは家族に恵まれなかった。よって、家族を失う痛みというものを、今一つ、理解できなかったのである。自分にとって理解できない感情を理由にフローレンを連れ回しているレオは、アシルの個人的感情からしてみれば、十分すぎる程に恨みの対象となったのである。
だが。
「レオが心配です」
……フローレンは、そう言う。
心優しいフローレンは、レオのことをずっと心配していた。だからこそ、レオの旅への同行を申し出たり、何かにつけてレオの面倒を見たりしていたのだ。
そう。愛しのフローレンが心配している相手のことを、アシルは無碍には扱えない。レオがフローレンを連れ回していると同時に、フローレンが自ら望んでレオに寄り添っているのだから、そんなフローレンの気持ちを踏みにじるかもしれない選択など、アシルには取れないのだ。
「そうか。……そうだな」
複雑な気持ちのまま、アシルは考える。個人的な感情と、統治者としての判断は別でなければならない。だが、同時に個人的な感情を避け続けては、やはり均衡を欠くことになるだろう。既に今、レオに遠慮し過ぎていたためにレオの評判がここまで落ちているのだから。
「少し、俺から話をしてみよう。奴も一度、立ち止まって周囲を見回す必要がありそうだ」
……結局、アシルはこう、決定した。
アシルは統治者であり、統治する者の中にはレオも含まれる。そしてレオは勇者としての力を持つ……言ってしまえば、この国の武力の1つなのだ。余計に、アシルの統治が必要なのである。
「何かあったら教えてくださいね」
フローレンは変わらずレオを心配していたが、それがまた、少しばかりアシルの心を逆撫でする。つまらない嫉妬だ、見苦しいぞ、と内心で自分に言い聞かせるが、どうも、胸がざわつく。
……結局、フローレンがレオを呼びに行っている間中ずっと、アシルはそわそわと落ち着かない気分で過ごすことになるのだった。
そうして少しの後、レオはアシルの執務室を訪れていた。
「……まあ、座れ」
アシルがぎこちなく椅子を勧めてくるのに従って、レオはそこに座る。豪奢な布張りの椅子は座り心地も良かったが、レオもまた少々緊張していたため、そんなことを感じる余裕は無い。
「では、早速、本題に入るが……」
ここでフローレンの淹れた茶でもあれば場が和むのだろうが、生憎、今はそれが無い。ただ何もないテーブルを挟んで、アシルとレオは2人、向き合うこととなり……。
「……お前の取り締まりが厳しすぎる、と、民衆から苦情が入っている」
そして切り出された内容に、レオは、衝撃を受けることになるのである。
「……俺は、この国の治安維持のためにやってるだけだ」
レオは咄嗟にそう弁明した。もっと他に主張すべきこともあるだろう、と自分でも思いながら、ひとまず、他に言葉が出てこなかったので。
「ああ、だろうな。だが、何事も行き過ぎは良い結果を齎さない。澄みすぎた水には魚が住まないのと同じように」
アシルは少々呆れたようにそう言ってため息を吐く。レオは、違う、と主張したい気持ちもあったが、何から伝えればいいのか分からない。ただ、レオは、自分の中に抱えた思いを丸ごと無視して何か言われるのは耐え難かった。
「それでも、だ。……国の為を思うなら、見回りの頻度を減らした方がいい。また、些細なことであるならば取り締まるな」
ため息交じりにそう言うアシルに、反感を覚える。何も知らないくせに偉そうに、と。
実際に働いているのは、レオだ。アシルは実働からはすっかり離れて、玉座と会議室を行き来しているだけである。町の現状を知らず、レオが取り締まった者達がどんな者であったかも知らないのだろう。そして何より、レオが何を喪い、何を失って、そして何を思っているかなど、何も知らないのだ。
がむしゃらに働いたのは、この国の為だ。レオも、この国がより良いものになることを強く望んでいる。それと同時に、エクラの死を忘れるためであり、そして、何より……フローレンを忘れるためだった。
アシルがフローレンを深く愛していることを知っていたから。だから、レオはフローレンを諦めることにしたのだ。だが、そんなレオの内心も、アシルは知らない。
「いずれお前に騎士団を1つ任せようかとも思っていたのだが……このままではそういう訳にもいかないな」
そうしてアシルはただ、玉座の上に居る。ただ与える側として、何も知らず、何も失うことなく。
……そう。アシルは何も失っていなかった。
寝食に困らぬ生活をして、勇者としての力を得て、この国の頂点に立ち……そしてその隣には、フローレンが居る。
一方、自分はどうだ。全てを失った。
貧しい農民として生まれ、『唯一の』勇者という価値を失い、最愛の妹を喪い……そして、フローレンには、手が届かない。
「頭を冷やせ、スプランドール。3日間の謹慎を命じる」
レオは、思い出す。レオは今まで、アシルに対して負い目があったからこそ押し殺していたが……。
……アシルが、憎かったのである。
レオが謹慎処分になった、と聞いたアレットは、いよいよか、と思う。
レオの暴走ぶりは民衆から伝え聞いていた。であるからして、レオに謹慎処分を言い渡したアシルの判断は、民衆からしてみれば正しいものだろう。だが、レオはそうは思わないはずである。
となれば、レオの次の行動は何となく、想像できる。
……より認められようと。より認めさせようと。彼はより焦っていくはずである。例えば、第一王子の遺物を揺り起こすなどして。
第一王子の遺物については、レオにも分かる位置にある。第一王子が使用していた兵器や研究途中の資料などは全て、新王の管理の下、地下牢獄の一部へと安置されているのだ。
そして、レオは現状、町の警備を行っている。当然、地下牢獄へ罪人を運ぶ機会も多く、例の兵器がそこにあることも知っており……そして何より、レオが地下牢獄に入っていても不審に思う者は誰も居ない。ならばレオは、シャルール・クロワイアントの手がかりを探すためか、はたまたレオ自身も知らない新たな情報を得るためか、それらを調べに行くことだろう。
……それを確認したら、適当な言いがかりをつけてアシルに警戒を促せばいい。『第一王子が使っていた兵器にレオが興味を抱いている』とでも言えば、よりレオを締め付けるようアシルは動くだろう。
また、もしレオが第一王子の兵器を調べに動かなかったとしても、それはそれで構わない。どうせレオのことだ、何かにつけて動くことは間違いない。これでレオが大人しくなるようならアレットが嗾ければよいだけのこと。そうしてレオが動けば、どのみち、それをアシルに警戒させることができるのだ。
そうして勇者2人の対立が深まれば……アレットは労せずして、勇者を1人、上手くいけば2人とも、ここで始末することができる。
……だが、レオは少々、アレットの予想とは異なる動き方をした。
そう。手柄を何か上げなければ、と、レオは焦ったのだ。なんとか手柄を上げ、アシルを黙らせねばならない、と。
だが、レオは自身の無能をよく理解していた。シャルール・クロワイアントに操られたのも、第一王子側に加担することになったのも、善悪も何も考えず、手当たり次第に魔物を殺したのも……レオに能力が足りないためである。
知力の不足は、レオの中に強い劣等感となって刻み込まれていた。それは、アレットが思っている以上に。
だからこそ……レオは、第一王子の兵器には、手を出さない。何故ならば、愚かな自分が調べたところで城の学者達が考え、今も尚分析している兵器の謎など解明する術がないと分かっているからだ。
そして、シャルール・クロワイアントへの手がかりがそこにあったとしても、レオ以前に誰かが調べているだろう、と考えた。それらに調べて分からないものを、レオが調べてもどうにもならないだろう、と。
……レオは自分の能力に対して、無力感さえ、覚えていたのである。最近、あまりに空回りすることが多かった。それをフローレンに慰められ、励まされて力を得ていたが……それを恥じる程度には、自信を喪失していた。自分にある力は、勇者としての力……『魔物』にもよく似た、平和な世では何の役にも立たない、この武力だけなのだ、と。
だからこそレオは、謹慎が明けて真っ先にエクラの墓へ赴く。王都郊外の、あまり人の立ち入らない場所。それも、夜中ともなれば人気はまるで無い。
そこでレオは、ただ静かに、これからの自分の身の振り方を考えることにしたのだ。その為に、ただ静かに物事を考えるためだけに、エクラの墓を訪れた。レオが誰にも迷惑を掛けず心の内を整理できる場所は、もう、ここにしか無かったのだ。
「……ん?」
そして、レオは、かすかな気配を感じ取る。
……それは、レオに唯一残された、勇者としての力に反応する気配。ここに存在するはずの無いものの気配だ。
それは、魔物の気配である。