破滅への行進*6
翌日、大聖堂は混乱に陥った。
勇者レオ・スプランドールが大神官に剣を突き付け、『国を欺き、勇者を貶め、神に背いた罪』として数々の罪を並べ立てたからである。
その罪は大聖堂の人々には幾らか覚えがあり、そして幾らかはまるで知らないものであった。
例えば、横領。……大聖堂の上層部、一部の者達にとっては最早暗黙の了解であったそれが白日の下に晒されたのである。大神官は『誤解だ』と騒いでいたが、庇い立てする者は誰も居ない。何せ、確たる証拠である裏帳簿が出てきたのだ。ここで大神官の味方に付くような愚か者は、少なくとも上層部には1人も居なかった。
そして大神官の罪はそれだけに留まらず……なんと、魔物の術にまで手を出していたというのだから、大聖堂の人々は大いに驚いた。
果ては、先日盛大に葬儀が執り行われた勇者エクラ・スプランドールの遺体から神の力を奪い取ろうとした、という罪状までもが挙げられ、これにより大聖堂はより一層の混乱に飲み込まれたのである。
大神官は『身に覚えが無い、誓ってそのようなことはしていない』と申し立てたが、こちらもやはり、何らかの魔法について記した帳面や人骨、そして何より、王都の墓地を襲った竜についての証言が出てきたことによって確たる罪とされたのである。
……大神官は『何が起こっているのか分からない』というような唖然とした表情のまま、レオの手によって拘束され、そして、大聖堂の地下牢獄に放り込まれた。
同時に、『事情を知っていたであろう大聖堂の上層部』についても全くのお咎めなしという訳にはいかず、彼らも勇者のその圧倒的な力によって拘束され、勇者からの尋問を受ける。
中には逃げ出そうとする者も居たが、勇者の力を前にして逃げおおせることなどできない。結局、逃げようとした者は皆『反抗の意思あり』と判断され、より厳重に、より過酷な牢獄生活を送ることになったのである。
そして、そんな者達の様子を窺い知った他の神官達は、大神官の罪についての証言を積極的に行うようになった。
その証言の内のどの程度が真実であったかなど、分からない。神官達は自分だけでも助かろうと、こぞって証言をするようになったからである。証言の中には虚言も含まれていたのかもしれない。
……だが、結局のところはどうでもいいのだ。虚言であろうが証言は証言として扱い、『大聖堂の腐敗は全体的に蔓延している』と結論付ければそれで済む話である。
勿論、ある程度は証言が正しいものであるかどうか検証するふりはして見せた。ある程度そういったことをしておかねば、公正な印象を与えられないためである。検証する証言はある程度選んで、調べ、そして裏付けとなる物品や証言を新たに手に入れ……そうしていく内に、『大神官の罪』自体を疑う者は、誰も居なくなった。
……ある種、勇者による恐怖政治でもあった。
勇者が目を付けた神官達は皆、武力によって投獄された。そして投獄された後には、それが真実であるかどうかなど関係なく証言によってより罪を重くされ、そして投獄された皆があらゆる罪状を掲げられ有罪と判断されたのである。
察しのいい者は、『勇者に逆らえば正しかろうが投獄され、処刑される』と気づいて口を噤んだ。こうなれば最早、勇者は畏怖の対象であると同時に……腫物ともなるのである。
そうして、レオとアレットは王都へ戻ることになった。
大聖堂の主要役職は皆、拘束されて荷馬車に乗せられている。……彼らは王都の牢獄へと護送され、そしてそこで処刑されるのだ。
「結構、時間かかっちゃったね」
「だな。……まさか大聖堂で尋問まですることになるとは思ってなかった」
レオは慣れない仕事を行って、ぐったりと疲れ切っている。アレットはそれに笑って『お疲れ様』と労ってやりつつ、王都で待つアシルのことを考える。
「……それにしても、忙しくて手紙を送れない日が2日くらいあったから、アシル様、心配してなければいいんだけれど」
「……心配はしてるだろうけどな」
そう。アレットは大聖堂で過ごす傍ら、意図して手紙を書かない日を設けた。翌日の手紙には『昨夜は手紙を書く時間が取れず申し訳ありませんでした』というような内容を添えていたが、アシルはやきもきする時間を、少なくとも2日分は過ごしたことだろう。
「それに、三週間をちょっと過ぎちゃうかもしれない」
「……まあ、それは仕方ねえだろ。まさかこんなに護送する罪人が増えるとは思わなかったしな」
そして、アシルとの約束である3週間を少々過ぎるように、アレットは調整していた。……具体的には、連絡が取りづらく、報告もしづらく、かつ遅れても仕方がないと思える状況……大聖堂から王都までの帰還の道程に、時間がかかるようにしておいたのである。
こうすることで、アレットの予定で帰還が予定の日より1日、遅れることになる。アシルは間違いなく気を揉むだろう。存分に心配して、存分に憔悴すればよい。
「ああ、アシル様、あんまり心配してらっしゃらないといいけれど……」
「……いや、だから、心配は絶対にするだろ、あいつ」
レオの言葉にアレットはより一層頭を抱える様子を見せつつ、のんびりと御者台で揺られて、王都への道を進む。
……アシルはさておき、大聖堂を解体するよい機会だ。機会を逃さないように、確実に、彼らを滅ぼさねば。
「フローレン!」
アシルの執務室へ向かうと早速、『待ち侘びた!』と言わずとも分かる様子でアシルが寄ってきた。
「ただいま戻りました。帰還が遅れ、申し訳ありません」
「ああ、とても心配した。何かあったのではないかと……いや、勿論、帰ってくると言った以上、必ず帰ってくるだろうとは思っていたが、その、お前の意思でどうにもできない障害があったのではないか、とも、考えてしまって……」
なんともおろおろと落ち着きのないアシルを見て、アレットは苦笑するしかない。1日待たせただけでこれである。出がけに聞いた『お前が居なくなったら、俺はどうなるか分からないぞ』は嘘偽りのない言葉だろう。
「あー……悪いんだが、先に報告、いいか」
だが、『さあ3週間と1日ぶりのフローレンだ!』とばかり意気込んだアシルに、レオが水を差す。それに合わせてアレットもぴしりと居住まいを正し、報告を行う兵士としての姿勢を取れば、アシルもレオに文句は言えない。未練がましい目でアレットをじっと見つめつつ、黙ってレオに報告を促した。
「大聖堂の連中を捕縛してきた」
「……ああ、報告にあった連中か」
そして報告が始まれば、アシルといえども頭を切り替えないわけにはいかない。険しい表情で頷き、そして、アレットからの手紙の内の1通……大聖堂で捕らえ、護送する予定の者のリストを見て、また一層表情を険しくする。
「上層部がほとんど全員、か」
「ああ。揃いも揃って、だ」
それからリストに名のある者1人1人について詳しい罪状を説明していけば、その中の1、2人についてアシルは『それはもしや冤罪では?』と気づいたようだったのだが、レオの剣幕とアレットの沈んだ表情を前に、そんなことを言いだす気は失せたらしい。
アシルとしても、大聖堂が潰れれば今後、やりやすくなるのだ。冤罪だろうが何だろうが、高位の神官達を始末する機会をわざわざ失う必要も無い。
「まあ、これで大聖堂はしばらく大人しくなるだろうが……」
「いや、まだだ」
そして、アシルがこの結果に満足しても、レオはまだ満足しない。
「まだ、シャルールが見つかってない」
……そう。レオにとっては、新生王家の安定より、死んだ妹を守ることこそが重要なのである。
「あいつらが何を狙ってるかはもう、分かってる。エクラの墓だ。エクラの勇者としての力を、奪おうとしてる!」
レオの言葉は、アシルも無視できない。何せ、アシルもレオも、勇者だ。エクラはレオの妹であると同時に、勇者なのである。そのエクラの墓が狙われ、そこから魔力を奪う算段で大神官が動いていたように見える、という状況下、アシルとレオが警戒しないわけにはいかない。
「その力を何に使うかも疑問だな。怪物を新たに生み出そうとしている、ということなのか、或いは……勇者、か」
「ああ。だから、そんなことが起こる前にシャルールを見つけ出してやる」
ましてや、シャルール・クロワイアントの狙いによっては、新生王家を転覆させる武力ともなりかねないのだ。いよいよ警戒を強めつつ……アシルはふと、表情を曇らせる。
「だが……どのようにして、シャルール・クロワイアントを見つけ出す?奴は大聖堂には居なかったのだったな?」
そう。シャルール・クロワイアントは大聖堂に居ない。それどころか、この世のどこにももはや存在しないのだが、そうとは知らずに勇者2人はシャルール・クロワイアントを探すことになる。
「今日連れてきた奴らを処刑する前に拷問にかけてシャルールの情報を吐かせる」
「……知っている者が居ればいいが。今までにも尋問は行っているのだろう?」
レオはとにかく、動いていたいのである。エクラを喪った悲しみから逃れるには、前へ前へと進み続けるしかない。それが暴走であっても、盲目的であっても、構わずに。
「ならば、また奴がエクラの墓を狙いに来るとみて、待ち構えた方がいい。いつ来るかも分からない相手を待ち伏せるのは非効率的だろうが……」
一方、アシルはレオよりも状況がよく見えており、頭も冷えている。レオのように猪突猛進する気は無く、新たに生まれ変わったばかりのこの国が再び覆されることなど無いよう、慎重に動きたい構えである。
アシルは国の安定のため。レオは妹を喪った悲しみをぶつけるため。それぞれの動機が、既に死んだシャルール・クロワイアントに向かっている訳だが……動機が違うだけに、それぞれの提案する方策は異なるのだ。
「待ち伏せ?そんなんじゃ相手に準備の時間を与えることになる。そもそも、エクラに何かあったらどうするんだ」
「冷静になれ、スプランドール。お前がシャルール・クロワイアントを探し回る間にも、奴が墓地へ現れるかもしれないのだぞ」
焦るレオと、多少冷静なアシル。目的も今の感情も異なる2人の間に流れる空気は、少々険悪なものとなる。
「……あの、ひとまず一旦、休憩にしましょう」
そこでアレットは、取りなすように笑って、2人に呼び掛けるのだ。
「お茶、淹れます。疲れたままじゃ、良い案は出てきませんよ」
「おい、休んでる暇なんて……」
レオはアレットの提案に反発したが、アレットはそんなレオを真っ向から睨むようにして見つめて、言ってやる。
「駄目。休むの。……焦る気持ちは、分かるけれど。でも、そのせいでレオが体を壊すようじゃ、意味が無いでしょ。そんなの、誰も望んでない」
はっとしたような様子のレオを見て、アレットは今度は、優しく笑う。
「……ね。休憩にしよう」
「……ああ」
まるで迷子になった幼い子供のような、そんな頼りなさを見せるレオの手を握って微笑みかけてやってから、アレットは茶の準備をすべく退室した。
……今日はアシルよりレオの好みに合わせて茶を淹れてやろう、と考えながら。
そうして3人で、アシルの執務室のテーブルを囲み、茶を飲むことになった。
やや甘めの茶は、アシルの好みではないだろう。だが、レオはこの甘い香りと味とに多少、心を落ち着けることができたようだ。
「ええと……シャルール・クロワイアントのことは気になりますが、まずは、確実にできることからやっていきませんか」
そこで、アレットは会話の主導権を握る。勇者2人が焦燥や懸念に憑りつかれている今なら、アレットの意見がするりと通るのだ。
「大聖堂をこのままにしておいては、また、シャルール・クロワイアントに協力しかねないのではないでしょうか。まずは、大聖堂の監視を徹底すべきかと」
「成程な……確かにフローレンの言う通りだ。大聖堂をこのまま野放しにしておいて良いことは何もない。シャルール・クロワイアントに力を与える可能性もある上、下手をすれば第二第三のシャルール・クロワイアントが生まれかねん」
アシルがアレットに同調すれば、レオも少し頭が冷えたのか、頷いた。ひとまず、大聖堂を潰すことには賛同してくれるらしい。
「……よし。今回護送されてきた罪人共を、できる限り早く処刑できるよう取り計らおう」
「拷問は俺がやる」
ひとまず、やるべきことが決まれば人間は動き出す。目標が見えないからこそ、人間は彷徨い歩くのだ。そして、そんな彷徨う人間は、こちらへ進め、次はこちらへ、とアレットが提示してやれば、実によく、その通りに動く。
……そうして、ひとまず勇者2人は、大聖堂潰しに全力を向けることとなったのだった。