破滅への行進*4
「な……」
咄嗟に、アシルは言葉が出なかった。だが、否定の言葉が口から零れ出るより先に、フローレンの真剣な目が、真っ直ぐ射貫くように見つめていた。
「……危険です。彼は今、とても」
「それは、どういう……」
「だって、世界で一番大切な人を喪ったばかりなんですよ?傷ついていないわけがないし、冷静でいられるか、分からないから……放っておけません」
柘榴のような目が、自分以外の者を案じて揺れている。
フローレンの瞳に、そして言葉に、アシルは微かな焦燥を覚える。フローレンが自分以外の者を『放っておけない』となれば、アシルにとっても一大事だ。……だが。
「それに、エクラさんは、私にとっても大切な人だった」
……フローレンの悲し気な表情を見て、アシルの中の焦燥は吹き飛ぶ。
エクラ・スプランドールがフローレンによく懐いていたのは知っている。そして、フローレンがエクラ・スプランドールと睦まじく過ごしていたことも。
……レオがエクラを喪って失意の淵に沈んでいるのと同時に、フローレンもまた、傷ついていないわけが無いのだ。その事実は、こんな深夜にわざわざエクラの墓へ出かけていったフローレンの行動からも見て取れる。そんな彼女に今かけるべき言葉など、そう多くはない。
「ああ、分かった」
アシルは、フローレンの手を握り、その目をしかと見つめて言う。
「同行を許可する。だが、3つ、約束してほしい」
「約束……はい、何なりと」
ほっとしたように笑ってそう言うフローレンの警戒心の無さにアシルもまた安堵しながら、ゆっくりと言葉を選んで伝えていく。フローレンに言葉をしみこませるように。或いは、自分自身を安心させるために。
「まず、必ずここへ戻ってくること。期限はお前が設けてくれ」
「ええ……でしたら、3週間ほど。もし延長することになったら、その時は手紙でお伝えします。よろしいですか?」
「ああ。それでいい」
ひとまず、フローレンをこの場所へ帰ってくるよう約束させて、アシルは一つ、安堵した。
……そんなはずはない、とも思うのだが、どうにも、フローレンはどこかへふらりと行ってそのまま帰ってこないような、そんな危うい気配と共に在る。彼女のそんな性質のことを、今までは根無し草の傭兵崩れ故のものだと思っていたが、もしかすると、一度死んだ身であり、魔物として生まれた故のものなのかもしれない。
「2つ目に、適宜、報告を。……1日に1度、は多すぎるか?」
こんなことを言って呆れさせはしないだろうか、と思いつつ言ってみれば、フローレンはきょとん、としてからすぐ、くすくす笑い出す。
「ふふ……アシル様がお望みならば、1日に1度、手紙を書きますよ」
だが、フローレンは笑ってそう言ってくれるのだ。思いが通じ合っている安堵は、何よりも温かにアシルの心を解きほぐす。先程感じていた焦燥や不安は、最早すっかり消え失せた。
「そうか。ではそのようにしてくれ」
「はい。アシル様はちょっと寂しがり屋さんですね」
「あまり揶揄ってくれるな。……そして、3つ目だが」
少々気恥ずかしく思いつつも、アシルはフローレンの優しさに甘えて、最後の約束を伝える。
「フローレン。お前はお前自身のことを第一に考えて行動してくれ」
「私の、ですか……?いえ、しかし、私はこの国を……」
「分かっている。お前は愛国心の強い、非常に優秀な兵士だ。魔物になって尚、人の心を失わず、この国の……この世界のより良い未来の為に動くその姿を、俺も、好ましいと思っている」
フローレンの『困ったなあ』というような顔を前に、アシルは慌てて言葉を重ねる。
フローレンが今まで流れの傭兵をやっていたことも、傭兵をやりながら魔物の国で戦いに身を投じていたことも、分かっている。彼女は魔物として生まれ変わってもそれでも、人間の未来を考えて行動するほどの愛国者だ。そんな彼女が、自分自身よりも国やアシルのことを大切にしがちであることも分かっている。
「だが、今回ばかりは、お前を最優先にしてくれ。どうもお前は、時に自分を犠牲にしてでも目的を達成しようとするようだから……それをやるなら、俺が傍に居る時だけにしてほしい」
アシルの言葉に対して、フローレンはようやく、頷いてくれた。どうやらこれで彼女を失うことはなさそうだ、と安堵して、ついでに、もう少々釘をさしておくことにする。
「お前が居なくなったら、俺はどうなるか分からないぞ」
「えええ……そ、それは困りましたね」
フローレンはたじろぎ、困惑し……そして、大いに照れた様子でそうぼそぼそと言うと、所在なげに視線を彷徨わせる。その表情がなんとも愛おしくて、アシルはついつい、フローレンへと手を伸ばす。
「気を付けて、行ってくるんだぞ」
フローレンを腕の中に抱きしめながら改めてそう言えば、フローレンがくすくすと笑う。
「……はい。そして必ずや、成果をあげてみせます。それから、レオについてもお任せください」
温かさとくすぐったさを感じながら、アシルはこうして、フローレンを送り出すことを決めたのであった。
翌日。アレットはレオと共に、大聖堂へと向かうことになった。
道中は馬で行く。馬車にのんびり揺られていくことも考えたのだが、やはり身軽に素早く動けた方がいいだろう、ということで馬を2頭、城の兵舎から連れてきたのだ。……どのみち、馬を使う兵士が随分と死んだ直後のことだ。馬が2頭減ってもどこも困らない。むしろ、世話する馬が減ることで使用人が助かるくらいか。
「まさかお前もついてくるとはな」
「エクラさんのことは私にとっても他人事じゃないんだよ」
また、今回は2人きりの旅である。共は他にない。アシルの為にも城の警備を薄くするわけにはいかない、というレオの判断によるところであったが、どちらかといえばアシルは『フローレンが行くならいくらでも兵を付けたい』と思っていることだろう。
「それにしても、よく新王陛下が許可したな」
「まあ、ね。……大聖堂のことは、アシル様もちょっと重く見てらっしゃるみたいだよ」
アシルは『フローレンが心配だ』ということしか頭に残っていないだろうが、それはそれとして、現状、人間からの視点では『大聖堂が怪しい』ということにしかならないだろう。何せ、シャルール・クロワイアントの死は人間側に伝わっておらず、そして何より、墓地には得体の知れない『怪物』が現れたのだから。
「そうだな……大聖堂は一体、何考えてやがる」
「怪物を未だに生み出せてることもそうだし……お墓を狙ってきたのも、怖いなって思ってる」
「だな。勇者の力を奪おうとしてる、のかもしれねえ。そんなこと、絶対に許さねえけどな」
レオが静かに怒るのを横目に、アレットは大聖堂へと思いを馳せた。
……今までに散々、第一王子に与してアシルへの敵対を大っぴらにしてきた前科がある、とはいえ。大聖堂からしてみれば、今回掛けられる疑いは全く身に覚えのないものであるはずである。
「これから大聖堂はどう動くか、だね」
アレットはレオに言うようにして呟きながら、レオとはまるで異なることを考えつつ、また馬を走らせるのだった。
……哀れな大聖堂が、義憤に駆られた勇者によって滅ぼされるのも、そう遠くないだろう。
途中で休憩や宿泊を挟みつつ、アレットとレオは大聖堂へと到着した。
……尚、この道中もアレットはアシルに向けて手紙を書いては送っている。当然、手紙は送ってすぐアシルの元へ届くわけでもないので、アシルは今頃やきもきしているのだろうが……アレットからしてみればそれも願ったり叶ったりなのである。
そう。アレットはこの大聖堂行きに、3つ、目標を持っている。
1つ目は、大聖堂の解体。
大聖堂は、魔物も知らない魔法を知っている可能性がある。シャルール・クロワイアントが少々特異であったことは間違いないとしても、彼が行使していたものが大聖堂の他の者にも使えないとは限らないのだ。
となると、今後の魔物の国の安泰の為には、大聖堂を滅ぼしておくべきなのである。どうせ人間を皆殺しにするにせよ、先に敵の武器を滅ぼしておけるならその方が良いに決まっている。
2つ目は、アシルの操作だ。
アシルをより強く支配するために、ひとまずここで一旦距離を置こうとアレットは考えている。
ずっと近くにあると安心しているならば、執着を強めることもないだろう。アシルの精神状態が安定してしまっては、アレットは動きにくくなる。
だからこそ、レオと2人きり、という……つまりアシルからしてみれば『かつて自分の婚約者を奪った男と今の恋人が2人きりで居る状況』という、非常に危なっかしい状態を生み出し、より、アシルを盲目的にしていこうと思うのだ。
……そして実際、今、アシルはそうなりつつある。これにはアレットもにっこり笑うしかない。
そして3つ目は、レオの操作。
……エクラが死んだが、まだ、レオもアシルも生き残っている。その内アシルは操作しやすい勇者であるが、現状、レオはアレットが操り切れるまでにはできていない。
そして、どのみち勇者は残らず抹殺しておくべきだ。人間を滅ぼそうというのならば猶更である。前述の大聖堂以上に、勇者は魔物にとって脅威なのだから。
であるからして……ここでレオを、操作しておく。
エクラを喪った悲しみに付け込んで、取り入る。
エクラを喪った怒りを煽って、動かす。
そしてレオには暴走してもらう。人間達から見ても脅威と捉えられるように。……そう。このまま、レオを破滅にむかって行進させていくのだ。取り返しのつかないところまで動かしてしまえば、あとは人間がレオを殺すように仕向けることもできるだろう。
大聖堂へと踏み入ったレオの姿に、大聖堂の者達は大いに慌てた。後ろに控えるアレットの姿などどうでもいい、とばかりに(そして実際、どうでもいいのだろう。勇者と比べれば。)忙しなく動き回り、方々へ報告のため神官らが動き……『新王陛下からの命を受けて来た』と告げたレオとアレットは応接間に通され、そしてそのまま、しばらく待たされた。
「……慌ててやがるな」
「ね。何か隠そうとしてるのかな」
『墓の襲撃は大聖堂の仕業ではない。そもそもシャルール・クロワイアントは死んでいる』と知っているアレットからしてみれば、『単純にいきなり勇者が来たから対応に困ってるんだろうなあ』と分かるのだが、今のレオはとにかく疑心暗鬼だ。
レオは今も応接間の外、廊下でばたばたと動き回っているらしい神官達の様子に耳を澄ませながら、眉間に皺を寄せてより一層、疑念を募らせているらしい。
「……じゃあ、ちょっと私、見てこようか?」
というところで、アレットはそう、レオに提案してみる。
「……は?見てくる、って」
「忘れていませんか?私は傭兵崩れだけれど、密偵紛いの働きだって得意だよ」
アレットは頭の中で、『どうやって証拠を捏造しようかなあ』などと考えながら、にっこり笑ってみせるのだった。