殺し見殺し皆殺し*3
アレットは一週間余りを王城で過ごし、時折暇を見ては集荷所を訪ねた。義勇兵が来る時を見計らうためでもあり、パクスの無事を確認するためでもある。
その結果、義勇兵達の馬車に遅れが生じた場合でも、王都南東の街道は通る、ということが分かった。それならばいい、とアレットは胸を撫でおろす。何せ、今から襲撃予定地を変更するのは中々難しい。できることなら全てが予定通りに進んでくれればよいのだが。
……また、厩を覗いた結果、パクスの尻尾がぶんぶんと振られる様子を見ることができた。つまり、パクスの無事が確認できた以上のことがあったという訳でもないのだが……これはアレットにとって何やら元気が出る光景なのである。振り回される尻尾を見てアレットは元気を出し、王城での生活にも力を入れた。
王城には、人間の国からやってきた兵士達が続々と到着していた。100や200ではない。正確な数はアレットには分からなかったが……500は下らないだろうと思われた。更にここに義勇兵達が加われば、600か700になるのだろうか。
そして、銃もまた、増えていた。
アレットが計算していた数に収まらない程の銃が運び込まれてきたのである。これにはアレットも驚いたが……どうやら、新たに人間の国からやってきた兵士達は皆、銃を支給されてきているらしいのである。人間達の間で銃が高級品ではなくなってきているらしい、と知り、アレットは少々身震いする。
……『たかが』魔物の国で行われる公開処刑に臨むにあたって、人間達はこれでも手を抜いているらしい。魔物が反旗を翻すにしても、十分に制圧できる程度だろうと踏んでいるのだ。それでこの数なのだから、恐ろしい。
……だからこそ、アレットは確実に人間達に毒を盛り、銃を処理しなければならない。
……そして、アレットが動く前夜。
アレットは王城の一室で眠りに就こうとしていた。天井からぶら下がるでもなく、ごく普通の人間らしく寝台に潜り込んで。
アレットは珍しくも女性の義勇兵ということで、小さいながらも部屋一つを丸ごと貸し出されていた。それをありがたく思いつつ、存分に『羽を伸ばして』寛いでいるわけなのだが……。
「……眠れないなあ」
いよいよ、明日なのだ。明日、アレットは人間達に毒を盛り、毒が効く間に銃を始末する。
そして明後日は、レリンキュア姫の公開処刑。魔物達の運命の変わる日だ。
……今頃、ソルとガーディウムが義勇兵の馬車を襲って奴らを皆殺しにしているところだろう。その成功を信じて、アレットは動くしかない。
彼らが上手くやったかどうかだけは、アレットにも分かる。明日、義勇兵の馬車が到着しなければ、それはソルとガーディウムが上手くやったということになる。だが、分かるのはあくまでも結果の一部だけ。どうにもやきもきさせられる。
……今、アレットが不安なのは、準備が足りていないからだ。
もっと準備の時間があれば、市井の魔物達を逃がす計画も立てられたかもしれない。或いは、より詳しく銃の仕組みを調べて銃の排除にあたることもできたかもしれず、また、毒をより多く調達して、人間共を一気に殺すこともできたかもしれない。パクスを逃がす算段も、もっと上手くつけられたかもしれないのだ。
何もかもが突貫工事の継ぎ接ぎだ。だが、それでもアレット達はやらなければならない。
『神よ、どうか』と祈りながら、アレットは一人、眠れない夜を過ごした。
きっとこれが最後の、『何もない』夜になる。そんな気配を感じながら。
翌朝。アレットは何事もないように起き、人間達のために働いてやることにする。
厨房へ入り、そこで朝餉の支度をしていた人間達に挨拶し、共に朝餉の準備を進める。
焼き立てのパンが甘く香り、焼かれた腸詰が爆ぜる音やスープの鍋がくつくつと煮える音が響く。平和な、実に平和な風景だ。
……だが、今既に、義勇兵達は死に絶えているはず。既に物事は始まっているのだ。アレットはあくまでもそれを気取られないように振舞いつつ、逸る心をどうにか抑えつけて宥めていた。
「それにしても、いよいよ明日か」
料理を進めながら、厨房の人間がアレットに声を掛けてくる。
「いよいよ出番だな、アレット。大丈夫か?」
「勿論。やっぱり私は傭兵ですから。戦ってこそのものです」
少々心配そうな人間にそう言ってやりつつ、アレットは人間と並んで腸詰を炙る。ぱちりと爆ぜる腸詰の皮の、香ばしく焦げた香りが空腹を際立たせた。
「できればお前みたいな子には戦ってほしくないような気がするけれどな。どうだ、傭兵をやめて厨房の小間使いとして働くっていうのは」
「あはは、嬉しいですけれど、遠慮します。確か今日、他の義勇兵の皆さんも到着する予定ですし。彼らと共に私も戦いますよ」
アレットはそうにこやかに返事をしつつ、その『義勇兵の皆さん』が今頃どうなっているか、また不安に駆られる。ソルとガーディウムは、上手くやれただろうか。
アレットはそわそわしながら朝食を配膳し、そわそわしながら朝食を腹に収めた。そうして空腹が満たされれば、なんだかんだ、少々落ち着いてくるのだから生き物の体というものは何とも単純である。
「アレット。今日も美味かったぞ」
そうして一息ついたアレットのところに、人間が一人、やってくる。『兵士長』の位に就いているらしいその人間は、アレットを大層気にかけている様子だった。
「それは良かったですけれど、私じゃなくて厨房の皆さんに言ってあげてくださいよ。私、芋の皮むきぐらいしかやってません。あ、でも、腸詰を炙ったのは半分ぐらい私です」
アレットが笑ってそう返してやれば兵士長は少々微笑んで、アレットの隣の席に腰かけた。
「……いよいよ、明日だな」
「ええ」
明日。明日だ。明日、アレットは隣で物憂げな顔をしているこの男を殺すだろう。否、アレットではなくソルかパクスかガーディウムか……はたまた、市井の魔物達かが殺すのかもしれないが。
「その……死ぬなよ、アレット」
「勿論です。今まで生き残ってきたぐらいですから、私、引き際は弁えてる方ですよ」
少々おどけてそう言ってみれば、兵士長はアレットを見つめてまた微笑んで……何か言おうとしているような、迷うような、そんな表情を見せた。
「義勇兵の馬車は朝一番に到着予定でしたっけ」
そんな兵士長へ、先に話題を提供してやりつつアレットは現状の把握に徹する。
……義勇兵達の馬車が到着するのは昼前くらいになる予定である。『義勇兵、未だ到着せず』と報告が上がるのは昼過ぎか、夕方前か。そんなところだろう。
「ああ……昼前に到着する予定だと聞いているが」
「ということは、お昼ご飯は倍量用意しなきゃいけませんね」
これから用意する食事が無駄になることを期待しながら、アレットはそんなことを言う。更に、今日の昼の献立はまた芋だろうか、などと考えを進めていき……。
「アレット」
「あ、はい」
兵士長に呼ばれて意識を戻しつつそちらを向けば、兵士長は存外に真剣な顔でアレットを見ていた。
「……明日の戦いが終わったら、また茶を淹れろ。俺はあれが気に入っているんだ」
「ふふ。お望みとあらば、いくらでも淹れますよ」
どうやら兵士長とやらはアレットのことを随分と気に入ったらしい。となれば、これ以上の会話は不要だろう。既に好意を持たれているのならば、それ以上を望む必要は無い。
殺すのに必要な油断さえ誘えれば、後はなんだっていい。アレットはにっこり笑って、兵士長に茶のお代わりなどを勧めてみるのだった。
昼食の支度をしながら度々、アレットは通りすがる兵士に『義勇兵の方々は到着しましたか?』と聞いてみた。彼らの返事は皆、『まだのようだ』とのことで、その返事を聞く度にアレットはほっとした。安堵の代わりに心配を表情に出さなければならないという点において少々苦労しつつ、緊張を隠すように昼食の支度を手伝い続けた。
そして昼食が終わっても、義勇兵は到着しない。これにはそろそろ、兵士達にも焦りが見え始める。アレットがそわそわしていても目立たなくなったのがありがたい。
「義勇兵の皆さん、どうしたんでしょうか」
「さあ……途中に道の悪い場所があるからな、そこで時間を食っているのかもしれない」
アレットは手近な兵士に話しかけながら、如何にも『心配だ』というような顔をしてみせる。そしてついでにそわそわと、ソルやガーディウムの仕事が上手くいったかどうか、情報を少しでも集めようと右往左往し……そして。
「……少し、様子を見てこい」
兵士長がそう、兵士数名に命じるのを見て、アレットは今が自分の動く時だと感じ取った。
兵士数名が馬に乗って南東へ駆けていく。一刻もすれば、彼らはそこで無残な死体と化した義勇兵団を見つけることになるだろう。
或いは……ソルとガーディウムが本当に上手くやってくれたのなら、様子を見に行った彼らもまた、帰らぬ人となるはずだ。
そしてその間にアレットが為すべきことは2つ。
1つは毒の混入。もう1つは銃の処理。
兵士達が毒に苦しんで混乱状態となったところで動けば、銃は処理できるはず。急患が大量に出ている状況なら、水を持ってうろうろしていてもそうは怪しまれまい。特に、銃の倉庫には薬も保管してあった。アレットが火薬に水を撒くその瞬間まで、アレットの行動を不審に思うものはそうは居ないはず。
……と、いうことで。
アレットはソルとガーディウムから託された毒薬の瓶を片手に、厨房へと向かった。
兵士達を選んで毒を飲ませるにあたって、アレットは様々に思案していた。何に混入すれば、厨房の人間が毒に気づく前に兵士達が毒を食らうだろうか、と。
また、下手に毒入りの食事を残されてもまずい。どうにかして全ての毒をしっかりと兵士達に食わせなければならない。貴重な毒を少しでも無駄にすることはできないのだ。
「義勇兵の到着が遅れているからね。昼食に作った分を兵士さん以外の皆で食べるとして……兵士さん達には美味い物食って戦いに行ってほしいからね」
「……ありがとうございます、料理長」
厨房の人間は、死地へ赴く兵士達の為に少々豪華な夕餉を用意することにしたらしい。塊肉をじっくりと焼き上げ、丁寧に出汁を取ったスープには滑らかにすり潰した芋を加えてとろりと仕上げ、一月ほど前から仕込んであるという果物の洋酒漬けをたっぷりと練り込んでケーキを焼き……。
……スープに毒を混ぜようか、と思ったアレットだったが、そうなるとどうしても、1人分あたりの毒は薄まってしまう。また、味の違和感にも気づかれやすいだろう。
多少苦くても『そういうものか』と見過ごされやすく、それでいて、兵士の半分程度に行き渡るものに毒を仕込めれば丁度いいが……。
「ところでアレット。今日もお茶は頼んでいいか?」
そこで厨房の人間にそう問われて、アレットは気づく。
「……はい!お任せください!」
薬缶2個分の内の1個に毒を入れれば丁度いいか、と。
アレットは茶の準備を終えて、薬缶2つを厨房の外の廊下のテーブルに出しておいた。兵士達が来て王城の人間の数が増えて以来、厨房は何かと忙しない。場所が開くならそれに越したことは無いので、アレットの茶の薬缶やパンの籠については掛け布をした上で廊下に移動させておくのが最近の倣いとなっている。
……そして廊下はよく人が通る。廊下に出ていた茶に誰が毒を入れたとしてもおかしくはない。今後もアレットが王城の人間達と一緒に動くことはまず無いだろうが、一応、保身のためにできることはしておくに限る。この先、いつ何があるかなど分かりはしないのだから。
そうしてアレットは厨房の支度を手伝い続け、肉を焼き、フルーツケーキを切り分けて……スープの大鍋を食堂へと運ぶ。
薬缶は敢えて、別の者が運ぶように仕向けた。スープを取り分けるアレットから少し離れたところで兵士達が薬缶に群がっているのを見て、アレットはにっこり微笑んだ。
そうして食事が始まる。食事中に茶を飲む者も、食後に残しておく者も居るが、毒が効いてくるまでにはおおよそ一刻から二刻程度の時間がかかる。『他の兵士が毒にやられたのを見て茶を飲むのをやめる』ということはまず無いだろう。
アレットは兵士達が食事をしているのを見ながら、毒を入れなかった方の薬缶に残っていた茶を自分のカップに注ぎ、自分も食事を始めることにした。こんがりと焼けた肉も芋のスープも、ふんわりとしたパンもフルーツケーキも、アレットを十分に楽しませ、腹を満たしてくれた。
毒の入っていない茶も、アレットが自分の好みに合わせて作ったものだ。アレットが気に入らないわけはない。そうしてアレットはたっぷりと食事を楽しんで、兵士達がどんどんと食事を終えていくのを見送り……。
……その時だった。
轟、と何か音が聞こえる。次いで、誰かの叫びも。
「な、何事だ!?」
兵士長が真っ先に動いてそちらへ向かう。アレットもその後を追いかけ、他の兵士達もぞろぞろと後からやってくる。
音のする方へ、と向かっていくと……そこには、信じがたい光景があった。
「……な、何が起こった!?」
音の出処は、倉庫だった。かつて魔物達の食堂であったそこは、今……火に包まれている。
めらめらと燃え盛る火薬の棚を見て、アレットは、『ああ、火薬って燃えるんだっけ。なら、こういう手もあったなあ』と、どこか遠く思うのだった。
急いで水が運ばれ、火は消し止められた。だが、火薬は大部分が焼けており、そして鎮火させるために水をかけたため、残った火薬もすっかり湿気ってしまっている。
「くそ、一体誰が……!」
兵士長は呆然としながらも憤っている。兵士達は居心地の悪さと銃を失った不安を抱えておろおろするばかり。
「本当に、一体、誰が……」
……そしてアレットは、兵士長と同じことを、兵士長とは異なる理由で思っている。
本来なら、この倉庫の火薬はアレットが水をかけて駄目にする予定だった。ただ静かに湿気るだけなら、当日の朝、いざ銃を使おうという時に気づいて対処のしようも無い、という状況を招くことができる。
……だが、今、この倉庫の火薬には火が点けられてこの有様となっている。当然だが、アレットは火を点けていない。ならば一体、誰が。
「魔物の仕業か……!」
兵士長が辺りを見回す。その視界の中にはアレットも入っているのだが、兵士長はアレットが魔物だということには気づいていない様子であった。
「今すぐ城の中を捜索しろ!不審なものがあればすぐに知らせるように!」
そして兵士長はすぐさまそう命令を出し、兵士達による捜索が始まったのである。
……だが。
「……うっ」
城内を捜索していた兵士の一人が、急に蹲る。
「えっ?あの、大丈夫ですか?」
傍に居る者はアレットだけだ。アレットが駆け寄ると、その兵士はがくがくと震えながらも何かを伝えようとし……ますます震えを強めながら、ついには床に崩れ落ちる。
どうやら毒が回ったらしい。
「え、あ……あの、人を呼んできますね!」
アレットはそう言い残して兵士の傍を離れると、他の兵士達の様子を見に駆け出した。
それから一刻ほどして、被害の全容が明らかになる。
「武器庫には火が放たれ、火薬は全て使えない。更には毒が盛られていたらしいな。兵士のおよそ3分の1が毒にやられ、その内の4分の1は死んだ。何事も無かった者は400程度でしかない」
暗い面持ちで兵士長はそう、言葉を連ねる。
……どうやら、アレットが予期していた以上に、事は上手く運んでいるらしい。
「これは……魔物の仕業か。武器庫に火を点け、食事に毒を盛るとは……!」
実際のところ、火を放った魔物と毒を盛った魔物は別である。毒を盛ったのはアレットだが、火を放ったのは……誰なのか、アレットには分からない。
人間が支配する王城へと忍び込んで火を放てるくらいだ、余程気配の薄い魔物か、それとも……。
「くそ……義勇兵達が到着しないところを見ると、奴らもやられたか」
「まだ分かりませんよ。まだ、確認に行った人達も戻ってきていませんし……」
アレットが兵士長をとりなすようにそう言うと、兵士長は深々とため息を吐いた。
「なら、あいつらも死んだのだろうな」
「そんな……」
まあそうだろうな、と思いつつ、アレットは絶句して見せた。……どうやらソルとガーディウムは上手くやったらしい。それに内心、ほくそ笑む。
「……明日の公開処刑を前にして、このような失態を演じるとは」
兵士長は絶望と錯乱の淵にありながら、未だ、思索を巡らせているらしい。
最早正解などどこにも無い問題に対して考える人間をそっと見つめて、アレットはこの後どのように動くかを考え……。
「……残っている銃をかき集めろ。王城外に滞在している義勇兵達にも、連絡を」
兵士長はそう、兵士達に命令した。
「策がある。皆に聞かせたい」
……そしてアレットも、しかと兵士長の言葉に集中することになったのである。