破滅への行進*3
「も、もうだめ。もうのめない……」
「そうか。お疲れ」
……そうしてアレットが限界を迎えたところで、ソルは酒の壺を足で掴む。……壺は然程軽くなっていない。何せ、アレットは壺の中身を半分も減らせていないのだ。アレットは然程、酒に強くない。仲間達の中で底無しに酒を飲むのはパクスくらいなものである。
「よし。人間共に見つかる前にさっさとずらかるぞ」
ばさり、と羽ばたいて、ソルは空へと浮く。パクスも名残惜し気にアレットを見つめつつ、ソルの方へと進んでいった。
「あ、ちょっとまって。この竜の死体はどうするの」
「適当に誤魔化してくれ。お前が討伐したってことにしてもいい」
それもなんかなあ、と思いつつ、アレットはソルとパクスを見送る。寂しくとも、見送らなければならない。このままここに2人が居て、人間にでも見つかったなら、碌なことにはならないだろうから。
「うん。そっちも上手くやってね」
「また会いましょうね、先輩!話の続きはその時にまた!」
ソルは音も無く羽ばたいて城壁を越え、パクスもぴょこんと跳ねるようにしてあっさりと城壁を越えていく。人間達が築き上げた城壁など、ソルにもパクスにも一飛びで越えられるのだ。
……そうしてソルとパクスが去っていった後で、アレットは寂寥感を胸に……エクラの魔力から生み出した竜の遺体を、眺めた。
これ、どうしようかなあ、と。
どう足掻いても、竜の死体など見つからないわけがない。仕方なく、アレットは竜の脚の噛み痕をナイフで刺し貫いて刺し傷に偽装し、少々墓場の様子をそれらしくして……そして、夜が明けない内にさっさと報告してしまうべく、王城へ戻る。
アレットは一度、自分の部屋へ戻り、そこで少々の偽装のためにランプを1つ、手に持つ。火を灯せば暗い城内がふわりと明るくなり、普通の人間でもある程度足元が見えるようになる。
「レオ!起きてる!?」
そうしてランプ片手にアレットが向かった先は、王城の客室。レオが寝泊まりしている部屋である。
レオは平民であるが勇者である。王都の復興と防衛、そして『残党』狩りのためには武力が必要であり、かつ、今この国にまともな武力など第二騎士団くらいしか残っていない以上、レオは手放すことのできない人材として王城に住む場所を与えられているのだ。
アレットはその部屋のドアを叩く。いざとなったら窓から入ってやるぞ、と思いつつドアを叩いていたところ、やがて、がちゃり、とドアが開き、眠そうなレオが顔を出した。
「おい、フローレン、どうしたんだよ」
そして眠いところを起こされて少々不機嫌そうなレオに、アレットは如何にも焦ったように言う。
「怪物が出たの!……エクラさんのお墓を、狙ってきた!」
エクラの墓を狙って怪物が出た、と言えば、それだけでレオは眠たげな顔から一転、焦りと怒りを露わに墓場へと向かっていく。
アレットはランプを手にレオを追いかけ、案の定、暗くて墓地の方向が分からなくなっていたレオに追いつき、ランプを掲げて道案内をしてやる。
……そうして墓地へ辿り着けば、先程アレットがソルとパクスと協力して倒した竜の死体が見つかる。
「な、んだよ、これ……」
「……分からない。でも、前に王都を襲ってきた怪物と同じ感じがした。私1人でも倒せるくらいには、弱かったし……」
アレットが如何にもそれらしく嘘を語れば、レオは竜の死体をランプで照らして、『確かに動きが鈍そうだよな』などと言う。竜の眼窩には、アレットがナイフを突き刺した痕跡が残っているのだ。実際の竜の眼窩を刺せるとしたら、竜の動きが大層鈍い、という可能性を真っ先に考えるのだろう。実際は、ソルの闇の魔法によって目くらましした隙をアレットが人ならざる速度で刺し貫いただけなのだが。
「前、王都を襲ったやつと同じ、ってことは……シャルールが生み出したんじゃねえか、っていう、アレか」
「確かなことは、言えないけれど。でも、あれに近かったのは確かだよ」
「エクラの墓を狙ってきた、ってのは……くそ、魔力とやら目当てか」
アレットが言葉少なに嘘を語れば、レオは怒りを露わに虚空を睨む。
「あの野郎……今、あいつどこに居るんだ」
……そう。
アレットとソルとパクス以外に、シャルール・クロワイアントが死んだことを知る者は居ないのだ。
レオも当然、それを知らない。
「大聖堂が匿ってる、のかな……うーん、元々、第一王子派だった組織だから……」
「……成程な。大聖堂はシャルールのことがないにしろ、潰しておくべきか」
アレットが少々煽っただけで、レオに火が付いた。憎悪に満たされるレオを横目に、アレットは内心でにっこりと笑う。
どうやら、人間同士の戦いはまだ続きそうだ。
「ところで、フローレン」
墓地から王城へ戻る道すがら。今後の話をしていたところ、レオはふと、アレットを見て、少々気まずげに問う。
「お前、まだ新王陛下には報告してねえのかよ」
新王、とは、アシル・グロワールのことである。……レオはアシルへの負い目があるためか、アシルのことを名前では呼ぼうとしない。アレットは一瞬頭が追い付かなかったが、すぐにアシルのことと思い至り……そして、少々眉尻を下げつつ、答える。
「うん……だって、エクラさんに関係することかもしれなかったから。アシル様より先に、あなたに伝えた方がいいかと思って」
アレットがそう答え、如何にも心配そうな顔でレオを見つめ返すと、レオはきょとん、とした後、ふ、と視線を逸らして苦笑した。
「そりゃ……ありがてえけど。いいのかよ」
「別にいいと思うよ。だってあなたはこの国の未来のために動いてる。別に、アシル様の敵っていうわけでもないし、今、実働はアシル様じゃなくてあなたが担当しているもの、多いわけだし」
今度はアレットがきょとんとしてみせながらそう答えれば、レオは少々面食らったような顔をする。どう反応していいのやら考えあぐねているようであった。
「私、エクラさんのことは大切にしたいし……私よりあなたがそうしたいっていうことも、分かってるつもり。それでいて、私はあなたのこと、それなりに信頼してる。だから、こういう時はアシル様よりあなたを優先するよ」
「……そうかよ」
レオは照れたような、そんな顔でそっぽを向く。アレットはそれにくすくす笑いつつ、冗談めかして続けてやるのだ。
「うん。まあ、あと、夜中にアシル様を叩き起こすのはちょっと気が退けたっていうか……」
「お、俺を叩き起こすのは気が退けないってのか」
「まあ、あなたってそういうかんじだよね」
少々わざとらしく怒って見せるレオに笑ってやれば、レオもやがて、笑顔を見せるようになる。
「ところでお前、酒でも飲んだのかよ。妙に元気だな」
「そりゃあね。私だってエクラさんと飲みたいときくらいあるもん」
そうしてアレットはレオと2人、笑いながら王城へ戻る。勿論、アシル・グロワールを叩き起こして報告するため。
……そうして一時間後には、アシルは夜明け前に起こされ、しかし自分を起こしたのが他ならぬ愛しのフローレンであったために不機嫌になることも無く……だが、一緒にレオも居るのを見つけて、これは何かあったか、と緊張を強めることになる。
「寝起きのところ悪いが、緊急事態だ」
「どうやらそうらしいな」
レオの言葉の裏に、何者かへの怒りを見出して、アシルは眉を顰める。レオが最近、エクラを喪った悲しみから立ち直るため、町の治安維持に買って出ていることはアシルも知っていた。そんなレオが怒ることといえば……死んだ妹のことだろう、とも、見当が付く。
「エクラの墓を狙って、怪物が出たらしい」
「何だと!?」
だが、流石に予想していなかった内容が飛び出してきて、アシルは面食らう。
「怪物、というと……」
「シャルール・クロワイアントが嗾けてきたやつに近かったらしい。……だよな、フローレン」
「はい。実際に交戦したのは私です。然程強くなく、動きは鈍く、そう手間取らずに勝てましたが」
死体は墓地にそのまま残してあります、とフローレンが言うのを聞いて、アシルはますます混乱する。まさか、フローレンが夜中に墓地へ出かけて、しかもそこで、怪物との戦闘になったとは。
「な、何故深夜に墓地へ?いや、その前に、怪我は?怪我は無いだろうな?」
「大丈夫です。怪我はありませんよ。それで、深夜に墓地へ行ったのは……その、少し、眠れなくて」
フローレンが少々気まずげにそう言うのを聞いて、アシルはますます心配になる。
フローレンの心情を思えば、死んだエクラの墓参りに行くことも理解できるが、それにしても、1人で戦っていたとは……。
「……まあ、そういうわけで、シャルールがまだ何かしてる可能性が高い。エクラの墓を狙ってきたなら、俺もあんたも狙われる可能性がある」
アシルの思考を遮るように、レオが話を続ける。それにアシルも心配を一旦横に置いて、外敵からの侵略へと思考を向けることにした。
「或いは、レオやアシル様に危害を加えるためにこのようなことをしたのかもしれません。……たまたま私が墓地に居なかったら、きっと、エクラさんの墓は暴かれていたでしょうから」
「成程な……シャルール・クロワイアントは兄上の側についていたからな。大聖堂諸共、何かしようとしていたとしてもおかしくはない」
大聖堂は、新たな国にとって脅威となりかねない。元々、民意を王家へ代弁する組織としての面も持ち合わせていた大聖堂だ。アシルの即位をよく思わない神官が集まって何かしでかそうとしていないとも限らない。
そして何より……フローレンの証言と墓場で見つかるであろう竜の死体から考えれば、シャルール・クロワイアントかそれに与する何者かが行動を起こしたことは間違いないのだ。
「そういうわけで、俺は大聖堂に行きたい」
「……調査に、ということか」
「ああ。或いは、討伐に」
ぎらり、と怒りに光る眼で、レオはそう言う。少々性急であるようにも思えたが……怪物を墓地へ向かわせたのがシャルール・クロワイアントであることはほぼ間違いないだろう。となればどのみち、大聖堂は無関係とは言い難い。
「分かった。だが、兵は……」
「分かってる。俺1人で十分だ。まだ反乱を起こそうとしてる奴がいないとも限らない。城の守りと監視の目は減らさない方がいい」
アシルはレオに黙って頷き返す。
レオはこのところ、よく働く。エクラを喪った悲しみの反動でこのように働いているのだろうと思われたが、それと同時に、物事をよく考えて動くようにもなってきた。
これならばレオを騎士団長として1つ騎士団を作ってもいいかもしれない。アシルはそのように考えつつ、『夜が明けたらもう出発する』と出て行ったレオを見送った。
「さて……それにしても災難だったな、フローレン」
「いえ。幸いでした。私が居たからこそ、エクラさんのお墓を守れたのですから」
レオが居なくなった室内で、アシルはフローレンへと向き合う。そして気丈に振舞うフローレンを見てまた愛おしさを募らせ……そこで、妙に決意の強い柘榴色の瞳に気づく。
「アシル様。お願いがあります」
「……何だ?」
フローレンの頼みなら何でも聞いてやりたい、と思いつつ、どこか心配か焦りのようなものを覚えつつ、アシルが問えば……。
「私をレオに同行させてください」
フローレンは、そう、言ったのである。