破滅への行進*2
アシルは政治に忙しく、当面、細かなことに気を配る余裕はなさそうだった。
そして、レオは残党狩りに忙しい。……エクラを殺したのと同じ毒を、多くの民に向けて使った何者かが居る。その事実はレオを義憤に駆り立て、そして、良くも悪くも前向きに行動するための原動力となったのだ。
……そんな2人の勇者を横目に、アレットは町の復興やアシルの目の届かない個所の手伝い、そして、レオの手伝いを行っていた。
レオの仕事は然程多くない。精々、帯剣した状態で町を見回り、そこで『勇者』を慕う民を安心させ、同時に自身が勇者であることを思い出し……そして、時折起こる小競り合いの類の仲裁に入り、少々度が過ぎたそれには容赦なく立ち向かう。それらがレオの仕事であった。
アレットはできる限り、そんなレオと共に過ごす時間を取るようにした。共に見回りに出かけ、近況を尋ね、昼食を運び、食事の席を共にして、雑談に興じる。
……エクラについて語るにはまだ、レオの傷は癒えていないようであったが、アレットはそれに触れないように気を付ける様子を見せつつ、できる限りレオに寄り添い、そしてふとエクラについて思い出しては落ち込むレオを励ましてやったのである。
何のため、といえば、当然これも、人間の国の滅亡の為なのだが……それとはまた別に、レオの信頼を得て、レオの予定を把握し、レオに見つからないように行動するためでもあった。
そうすることで、レオからアレットへの監視を掻い潜ることができる。尤も、今のレオにアレットを警戒するような余裕は無いだろうが……それでも、ふとした時に目に入る何かが無いとも限らない。アレットは存分に警戒して……そして遂に、その時を迎えたのである。
夜、アレットは王都の外れの共同墓地へ駆けていく。『フローレン殿』と宛名の書かれた手紙を握って。
……どこかで手紙の集荷所に紛れ込ませたのであろうその手紙には、こう、書いてあった。
『新月の深夜、墓場で待つ』と。
月の無い夜は暗い。だが、この暗さこそがアレットの得意とする舞台だ。
何の迷いも無く、アレットは王都の通りを抜けていく。音もほとんどなく軽やかに走るアレットに気づく人間は居ない。そもそも、こんな時刻、こんな暗闇の中を駆けていく人間が居るなどと、誰が思うだろう。……ましてや、『人間ではないもの』が居るなどとは余計に思わない。
アレットは月の無い夜を走って、そして、エクラや他の兵士達が眠る共同墓地へと辿り着く。
……そしてその瞬間。
「先輩!」
「っわわわ!」
猛烈な勢いでふわふわとした体当たりを食らい、アレットはたまらず後方へ倒れる。
……だが、いつの間にか背後に回り込んでいたもう1つの気配がアレットを支えて事なきを得る。
「ソル……パクス……」
「よお。久しぶりだな」
前方からパクス、後方からソルに抱きしめられて、アレットはようやく、久しぶりに、心から笑った。
「先輩……せんぱーい!」
「あはは、やだ、そんなに勢いよくくっついてこないでよ。また吹っ飛んじゃう」
尚もくっついてくるパクスに押されてアレットがまた転びそうになると、『こら、そのへんにしとけ』とソルがパクスの頭を叩く。ぱす、と翼が頭を撫でるように叩いていくと、パクスはそれすらも嬉しいと言わんばかりに尻尾を振って、そしてまたも、『先輩先輩先輩!』とアレットにくっついてくるのだ。
可愛い後輩がこうもくっついてくるのだ、アレットにはどうすることもできない。アレットは全てを投げ出すようにして、パクスにくっつかれてやることにする。
「ああ、久しぶりだなあ、このふわふわ……」
「はい!尻尾も腹も健在ですよ!ほら、どうぞどうぞ!遠慮なく撫でてください!先輩の好きなふわふわですよ!ふわふわ!ほらふわふわ!」
パクスに回した腕でパクスの尻尾に触れば、それはそれは嬉しそうに尻尾が動く。アレットもソルも、そして当の本人であるパクスもけらけらと笑って、暫し、ふわふわとした時間を過ごすのだった。
一頻りパクスに懐かれ、そしてアレットもパクスのふわふわとした尻尾を触り、時折ソルの滑らかな羽にも手を伸ばして仲間達を堪能した後で、ようやく3者は会話に移る。
「ヴィアとベラトールは?……もう?」
最初に尋ねるのは、姿が見えない仲間達のことだ。
ソル達の方にやった小さなヴィアの姿は見当たらず、そして、ベラトールもまた、ここに居ない。となれば、結論は出たようなものである。
「……ああ」
「……そっか」
ソルの短い答えに、アレットもまた、短く答える。短く、意味などほとんど無いような言葉のやり取りだけで、互いの無念も決意も共有し合う。
アレット達は魔物の戦士だ。覚悟を済ませた別れに動揺するほど軟ではない。
……だが、それはそれとして、やはり、悲しく、寂しくはある。特に、死に目にも会えなかったとなれば。
「その……聞かせてほしいな。ベラトールとヴィアがどうだったか」
そして、その寂しさを埋めるための手段を、アレット達は持っているのだ。話し、記憶を掘り起こし、記憶の中で共に居ること。そしていずれ大地に還る日を待ちわびつつも、日々を懸命に生きること。
それが、魔物の死を悼む魔物の姿である。
一通り、ソルとパクスはベラトールとヴィアの話をした。
ベラトールはシャルール・クロワイアントを殺すためにその命を擲った。『貧乏くじを引きたくなかっただけさ』と笑う彼女は、正に誇り高き戦士であった。
ヴィアは、その命の最後の一片を仲間のために捧げた。毒に侵されたパクスを救うためにその身を使い切った。彼の魂はどこまでも高潔であった。
「それで、俺達が生き残っちまった。さて、誰が貧乏くじかね。……ま、俺か」
「ですね!隊長はもう、魔王ですから!何が何でも生き残ってくださいね、隊長!」
パクスがにやりと笑えば、ソルも苦笑を返す。アレットはそんな2人を見て、ここに居ない仲間達を思う。……そして、胸を刺すような寂しさと悲しみと共に、決意を抱くのだ。大地に還った後、彼らに誇れるように。
ただ、彼らを喪ったわけではない。アレット達は、彼らに、託されたのだ。……それを忘れてはならない。我らに棺は必要ない。人間達とは、違う。
「……じゃあ、早速だけれど情報の交換といこう」
アレットは決意のもとに、先へ進むことにする。気持ちはソルもパクスも同じだ。
全ては、人間を殺すために。
「成程な。勇者2人は上手い具合にそれぞれの問題で手いっぱい、ってところか」
「うん。井戸に毒を入れたのはソル?」
「そうだな。とりあえず引っ掻き回しといたほうがお前が動きやすいだろうと思った。……そうでもないか?」
「ううん、そうでもある。ありがとうね、おかげで会いに来れた」
お互いがお互いの状況を知ることができなかった期間の情報を共有して、誰が何をしたのかを把握しておく。特に、アレットからしてみればシャルール・クロワイアントの死とその周辺の『魔力を生物へと変じ、その生物を殺して食らうことによって魔力を吸収する技術』については初耳である上に有用な情報である。仔細に渡るまで質問を重ね、理解を深めておく。
そして一方、ソルやパクスにとってはアレット側の情報は、全てを聞いても把握し切るのが難しい。何せ、人間と人間の関係の話が多いのだ。その人間本人をよく知らないとなれば、少々理解が難しい。特にパクスは『あっ!これ、俺には分からないやつだ!』と早々に諦めてにこにこ尻尾を振るのみとなっている。
「……長かったな」
……そうして一通り話した後、ソルはそう、零した。
「そうだね。長かった」
ここまで来るのに、時間がかかった。魔王が死んでから、もうすぐ3年になる。そして、レリンキュア姫の処刑日からはもうすぐ半年となり……やはり、長かった、と、思うのだ。
「特にお前は1人の時が多かったから、堪えただろ」
「まあ、そうだね。ちょっと寂しかったかな」
アレットが1人になってからは特に、そうだ。時間が長く感じた。アレットは元々、孤独を嫌う性質であった分、余計に。
「1人にしてすまなかった、とは言わねえ。俺もお前も、互いに成すべきことを成しただけだ」
「うん」
「で、まだ俺達の仕事は終わっちゃいない」
「そうだね」
寂しいから何だと言うつもりはない。必要とあれば、100年の孤独にだって耐えられるだろう。アレットは魔物の戦士なのだから。……だが、それでも、もうじき全てが終わるというのならば、それは喜ばしいことなのだ。
「終わらせなきゃね」
喜ばしい瞬間がもうじき訪れる。それを支えに、アレット達はエクラの墓へと向き直る。
「……俺達はここに、勇者の魔力を回収しに来た」
「だと思ったよ」
ソルはアレットと顔を見合わせてにやりと笑うと、魔法を使い始めた。シャルール・クロワイアントがかつて行使したとみられる魔法だ。魔力を生物へと変える、魔王の力とも言うべき魔法。
……魔法が完成すると、地面の下から、金髪の少女の遺体が現れる。
エクラの遺体は魔法によって歪み、捻じれて膨れて……金の鱗と青の瞳を持つ竜の形となった。そう。エクラの遺体に残った魔力が、竜の形となったのである。
「いくぜ、アレット。久しぶりの共闘だ」
「うん」
アレットはじわりと滲む懐かしさと喜びを胸に、ナイフを抜く。
そして、愛しい仲間達と共に、強大な竜へと立ち向かっていった。
最初に駆けていったのはパクスである。王都警備隊で働いていた時も、こういう時、真っ先に駆けていくのはパクスの役割だった。
「よし、くらえっ!」
パクスが勢いよく突進し、竜の脚に噛み付く。すると、硬いはずの鱗は牙に貫かれ、その下の肉にまで届く。
竜が痛みに叫びを上げるより早く、ソルの魔法が竜を襲っていた。頭部をすぽりと包むように闇が覆い、竜の悲鳴はこちらまで届かない。
……そして、ソルが生み出した闇の中へ、アレットが飛び込んでいく。闇の中を見通す蝙蝠の目は、確実に竜の目玉を捉え……そして、次の瞬間には、アレットのナイフが竜の眼窩へ深々と突き刺さっていた。
「案外簡単にケリが付いちまったなあ」
そうして竜は静かに死んだ。紛い物とはいえ勇者の魔力を相手にこれほどすんなり勝てたことに3者ともに少々驚き、そして喜ぶ。
「ソルのあれ、凄かったね。いつの間にあんなの、できるようになったの?」
「ま、俺達も色々食ってきたからな」
ソルはアレットの声に笑って答え、『隊長凄い!やっぱり隊長凄い!流石は俺達の隊長!』と喜ぶパクスの頭を軽く叩くように撫でてやって、それから早速、竜の心臓部を暴きにかかる。
「いやあー、それにしても、前回よりずっとすんなり行きましたね!俺、びっくりしてます!こいつに牙が通るなんて期待してなかったんですけどね。案外通っちゃうもんなんだなあ」
「お前も強くなったってことだろ。それに何より、今回はアレットが居るからな」
『やっぱり先輩もすごい!先輩!先輩!一生ついていきます!』と煩いパクスを撫でて少々静かにさせながら、アレットはソルの仕事を見守る。何せ、アレットは魔力から生み出された生き物と初めて戦ったのだ。全てが初めての経験なのである。
「よーし、あったな」
……そしてソルが竜の心臓部から取り出したのは、壺のようなものである。躊躇わずにさっさと開封してしまうと、その中にはやはり、酒のようなものが入っていた。
「アレット。飲めるだけ飲め」
「うわあ……うん、頑張る」
「持って帰る方法があるなら持って帰ってもいいと思いますよ?」
「いや、持って帰った先で勇者にうっかり飲まれたら大変なことになるから……この場で飲めるだけ飲んで、後は、ソルとパクスにお願いする……」
酒を前に、アレットは頑張っていた。そう。頑張っているのである。
何せ、酒だ。魔力を大量に含んだ酒は、体に染み渡るような美味さであったが、その味をじっくり楽しむ余裕も無い。人間達にこれが見つかるより先に、さっさと退散しなければならないのだ。そしてその時、アレットは魔力の酒を持って帰るわけにはいかない。アレットが帰る先はまだ、人間達の中なのだから。
「ううー、もっと楽しく飲みたかったよ、これ……」
くぴくぴ、とどんどん酒を胃の腑へ落とし込んでいきながら、アレットは少々の不運を嘆き、その隣でパクスは『先輩すごい!酒どんどん飲んでる!やっぱり先輩はすごい!』と語彙の足りない応援をする。
……人間の国、それも王城のほど近くであるにもかかわらず、久しぶりに、魔物の国の城の食堂に居る時のような気分の夜であった。