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私達に棺は必要ない  作者: もちもち物質
第六章:憧憬【Somnium pacis sicut sol】
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愚者の抵抗*7

「エクラ?」

 レオはそう、声を上げた。

 自分の妹が血を吐いている様子を見ても、まるで現実味が無い。

 そんなことはあり得ない。相手の攻撃はまだ、こちらへ届かないはずだ。

 ……だが、それでもエクラは血を吐いている。更に、苦し気に喉を抑え、そのまま、地面に倒れ……。

「いけない!ここは任せて!」

 地面に倒れる前に、アレットがエクラを支え、その場から離れていた。アレットは大きく距離を取る。……概ねのところは、エクラや、門の傍にいた兵士の様子を見て理解していた。

 毒だ。

 毒が空気に溶けたか何かで、ここまで来た。大方、そんなところだろう。

 空気より重い毒は地面に近いところから溜まり、そして、この中で誰よりも小柄であったエクラが真っ先にやられたのだ。

 同時に、エクラよりは背があるもののやはり小柄なアレットも、あのままとどまっていたら危険だっただろう。無論、アレットには多少、毒への耐性がある。蝙蝠は多かれ少なかれ、毒や薬を扱う知識と能力があるのだから、毒への耐性もまた、多少は備わっているのだ。少なくとも、犬や猫の魔物よりは、蝙蝠の方が毒に強い。

 だが、アレットも長時間毒に晒されて無事でいられる訳ではない。……そのため、エクラは丁度いい口実となった。エクラを退避させ、水を飲ませては吐かせて、と処置をしていれば、少し小高い位置へ陣取りつつ隊を離れても、自然だ。

「な、何が起きている……!?」

「ぐ……こ、これは、一体……」

 そして、アレットが避難した後にも、状況を呑み込めなかった兵士達が倒れていく。それを見てアレットは、『効率のいい武器だな』と冷静に思った。

 このように大量に人間を殺す武器を人間が開発した、ということに皮肉めいたものを感じるが、それはそれとして、この毒は実に効率的だ。第一王子側が持つ切り札として十分に力を発揮している。

 ……だが。

「無駄だ!」

 アシル・グロワールが吠えつつ、剣を振るう。……すると、風がぶわりと巻き起こり、鋭い風の刃となって、城門へと向かっていった。予期せずして起こった風に毒は散り、同時に、城門は魔法によって破壊される。

 城門を守っていた兵士達が散り散りに逃げていくと、アシル・グロワールは『進め!』と号令をかけた。




 城門はあっさりと突破され、アシル・グロワール率いる軍が城下へと踏み込んだ。

 それを見張り塔から見ていた国王は、青ざめ、すぐ室内へと戻っていく。

「くそ、あいつが報せなど送らなければ……!」

 元凶は分かっている。城に居た者の1人が、アシル・グロワールへ『すぐ戻ってきてくれ』と書簡を送ったのだ。その犯人は既に処刑したが、送られた書簡が消えたわけでもなく……案の定、アシル・グロワールは戻ってきてしまったのである。

 上手く国外へ追放することができたと思っていたのに、これだ。一体、どうしてこうなってしまったのか。

「あなた!」

 そこへ駆けてきたのは、王妃である。

「どうして兵を出しているの!?アシルが戻ってきたというのに、一体、何故」

「だからだ!」

 未だに状況を理解していないのか、はたまたあまりに強かなのか。アシル・グロワールを庇おうとする王妃に、国王は苛立ちをぶつける。

「分かっているだろう!強すぎる力を持つ者を王に据えてはいかんのだ!それがこの国の為の……」

「あら、それは死んだ前王妃の為じゃあなくって?あなたこそ、分かってらっしゃるでしょう?国王に相応しいのは、アシルよ!もう国民だって、それを望んでいる!」

「愚かな国民共に政が分かるわけはないのだ!軽々しく、何を言うかと思えば……!」

 王妃の勝ち誇ったような顔を見て、国王は憎しみにとらわれる。若くして死んだ妻の葬儀の一年後、後妻を、と周囲に勧められて渋々娶った女だ。元より然程愛情は無く、アシルが生まれたことについても、しばしば後悔してきた。

 そんなアシル・グロワールについても、今、隣に居る王妃についても、最早、愛情など感じていない。

 ただ目障りなだけである。


「……アシルへの攻撃を止めろというのならば、城の前で待機している兵士達に直接言うがいい」

 国王はそう言って、王妃をさっさと追いやる。王妃は国王の態度に不満があるようだったが、それでも、『国王の許しを得た』と考えたのか、そそくさと消えていく。

 ……そして、ほどなくして城の前に王妃が現れた。そこでアシル・グロワール達を待ち構える兵士達に、何かを説き始める。

 大方、王妃という立場やそれに付随する権力を振りかざして兵士達の説得に当たっているのだろうが、彼らは『第一王子より直々に命令を与えられた者達』である。第一王子と第二王子、どちらに付くのが賢いか、彼らには分かっているはず。

 ……まあ、それも結局は、どうでもいいのだ。

 国王は懐から銃を取り出す。然程大きなものではないが、ここから城の前を狙うなら、十分事足りる。

 王妃が兵士達の前に出た、その時を狙って……王は、引き金を引いた。




 アシル・グロワールはその時、城の入り口が見える位置にまでやってきていた。

 エクラ・スプランドールの離脱と、彼女の介抱のために残ったフローレンのことは気がかりだったが、今はとにかく、王城を制圧すべきだろうと考え、ここまで最速で進んできたのだ。

 ……だが、もう少し早く到着していれば、と、思わずにはいられない。

「……母上!」

 アシル・グロワールの眼前で、母が……王妃が、胸から血を噴いて倒れた。

 銃で撃たれたのだ、と分かったのは、たっぷりと数秒の間を置いてから。アシル・グロワールはまず真っ先に倒れた母へと駆け寄り、そして、それからようやく、母を狙った者を探し始めた。

 だが、その時には既に、王は体を引っ込めていた。アシル・グロワールはこの状況を生み出した犯人を見つけることなく、また母へと視線を戻すことになる。

「あ、しる……」

 母が唇から血の泡を漏らしながら自分へと手を伸ばすのを、アシル・グロワールはどこか現実味の無い光景としてただ見つめていた。

 やがて、ぱたり、と力なく母の手が落ちても、妙に実感がわかないまま、じっとそれを見つめていたのである。

 ……アシル・グロワールにとって母は……王妃は、少々要領の悪い女性であった。

 何せ彼女には、自分の振る舞いが相手にどのような影響を与えるのかをあまり考えずに動く節があったのだ。彼女の振る舞いによって悪影響を被ったことは何度もある。

 もっと周りを見て動けばよいものを、と、肉親ながら呆れ、軽蔑することも多かった。特に、フローレンを毛嫌いしていた点については、未だ怒りが大きい。フローレンをちゃんと観察していれば、彼女が最良の伴侶足り得る稀有な存在であるとすぐに気づけるだろうに。

 ……だが、それでも、彼女は母であったのだ。父である国王が第一王子側に付いている今、唯一の肉親であると言ってもいい存在であった。


 アシル・グロワールは、死にゆく母に対して何とも複雑な気持ちでいた。

 どこかでは『ああ、厄介者が死んだ』と冷静に思い、またどこかでは『全ての家族を失った』と絶望もしていた。

 複雑で、感傷に浸りきれず、その感傷ですら、悲しみだけでもない。……アシル・グロワールは、こんな心の内側をフローレンが覗いたなら俺を軽蔑するだろうか、とふと思う。

 そう。フローレン。

 彼女が居るから、恐らく、悲しみや絶望に浸りきれない。母親が死んでも、『家族』はまだ居る。これから自分の隣を歩んでくれる最愛の存在が居るから……だからまだ、絶望せずにいられる。

 不謹慎かもしれない。母親の死を経てもまだ希望を抱いているようでは、自分を殺そうとした第一王子とさして変わらないではないか、とも思う。

 ……だが、第一王子と自分との間には明確な差異がある。

 それは、フローレンが選んでくれたかどうか。彼女が望んで傍に居るかどうかだ。

「……進むぞ」

 母親の亡骸をその場に横たえて、アシル・グロワールは剣を抜く。

「悪しき国王と王子を廃さねば、この国に未来はない!」

 雄叫びにも似た声に、兵士達も応える。士気は十分。戦力も十分。そして民意はこちらにある。

 アシル・グロワールは新たな国のため……つまりフローレンのために、城の中へと踏み入っていった。




「エクラさん、大丈夫……?」

 一方、アレットは、少し小高い場所でエクラを看ていた。

 エクラは毒を吸い込んだらしく、喉から肺にかけて、そして血管を巡って全身を、毒にやられているようだった。

 助かる見込みはない。……普通の人間であるならば。

「大、丈夫……」

 エクラはそれでも無理に笑みを浮かべて……そして、エクラの全身を青空色の光が包み込む。

 ……すると、ぜいぜいと酷い音を立てていたエクラの呼吸は穏やかに落ち着いていく。悪かった顔色も徐々に赤みを取り戻していき……そうして、エクラの体から毒が消えていく。

 これが勇者の力か、と、アレットは半ば達観したような気持ちでエクラを眺めた。

 毒を作った人間の気持ちはよく分かる。『勇者』というものはある種、理不尽の塊だ。唐突に神がかった力を手に入れ、それを振るう。勇者に対抗するために毒を生み出し、銃を生み出したとしても、勇者にはそれらが通用しない。

 勇者を殺すことができない。勇者を止める手段が無い。結果、人間は勇者の望むとおりに動かされる傀儡となるしかない。この世界は勇者のものだ。……それに抗おうと思う人間の気持ちは、勇者の支配から逃れようとする魔物の気持ちにも少しばかり、似ているかもしれない。


 そんなアレットの遥か上空を、ふ、と黒い影が飛ぶ。

 気配だけで誰か分かる。アレットはくすり、と笑うと、エクラの胸に手を置いて、未だ体に力が入らないらしいエクラにそっと言って聞かせた。

「じゃあ、私、アシル様の方に行ってくる。ここまでは戦禍に飲まれないはずだから……安静に、休んでいて」

「ええ……分かった」

 エクラが微笑むのを見てアレットも微笑み返すと、アレットは素早く王城へ向かった。

 ……理不尽な力を持つ勇者を止める、唯一の方策。それを持つのが自分なのだから。




 アレットが去ったのを見て、ソルはそっと、地上へと舞い降りた。

 漆黒の翼は宵闇にも似る。僅かな光にも艶やかなそれをみて、エクラははっとする。

「よお。……ああ、そのままでいい」

 エクラが慌てて立ち上がろうとするのを見て、ソルはそれをそっと押し留め、周囲の様子を見る。

 ……人間の姿はない。それはそうだ。エクラ・スプランドールが戦線を離脱したからといって、他の兵士まで戦線を離脱していては、革命が成功しないかもしれないのだから。

 他に人間が居ないのを見たソルは、エクラへ微笑みかけた。

「お前がヴィアを看取ってくれたんだってな」

「え?」

 ソルはそれ以上、何も言わない。ただ、穏やかに無垢な勇者へ笑いかけるのみである。心の内に秘めた決意は微かな苦みとなって、如何にも『仲間を喪った者』らしく表情を彩った。

「……ヴィアだ。俺の手元にも、残ってたんだが」

 そしてソルは、ただ笑って小瓶を差し出すのだ。感謝と親愛の笑みらしく、表情を作って。如何にも優しく、声を作って。

「もしよかったら、飲んでやってくれないか。それがヴィアの……魔物達のための、弔いになる」




 癒しの魔法を使おうとしたらしいが、それも間に合わなかったようだ。

 今度こそ死んだエクラ・スプランドールを見下ろして、ソルは空へと飛ぶ。

 ……アレットが勇者達に追いつく前に、やるべきことをやっておかねばならない。

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― 新着の感想 ―
[一言] エクラだけは……!と思って居たけれど、そうは行かない!さすがだぜ。 でもヴィアのカケラで終わり、ソルに看取られているからまぁ…その、うん。優しい子でした。
[気になる点] ああ……隊長が一番最初に死んで、そしてやっぱりアレットが魔王になるのかなぁ…?
[良い点] これで王妃とエクラが死んでしまった……1話ごとのキルレが1以上 なんなら王妃のほうがはっきり最期をかざってエクラは孤独死状態なのでなんとも因果な [一言] もはやみんなの推しが生き残るから…
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